大徳寺は、京の都づくりの目安にした船岡山の北にある北大路通り沿いの臨済宗大徳寺派の大本山。
左が大徳寺勅使門。右奥の山門は、二階部分を千利休によって増築され利休の木像を安置したことから、秀吉の怒りをかい利休自決の原因となった。なお、利休の木像はその後、一条戻橋に晒された。
大仙院の枯山水庭園
大徳寺塔頭の中でも特に由緒ある。日本最古で国宝の方丈建築。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に開創され室町時代に応仁の乱で荒廃したが、とんちの一休さんで知られた一休和尚が堺の豪商たちの援助を得て復興。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うため、大徳寺山内に総見院を建立、葬儀を営んだ。それを契機に戦国武将の大友、三好、畠山、朝倉らの大名が相次ぎ塔頭を建立し隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。
今宮神社は、大国主命、事代主命、櫛稲田姫命の三柱を祀る神社。平安京に流行した疫病を鎮める目的で創建された。船岡山のほぼ真北にあり、その隣に大徳寺がある位置となる。
<注> 写真は、15年ほど前に撮影。
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立派な山門ですね。
雪駄履きの木像の下を通らせた程度で切腹させるとは秀吉は短慮に過ぎますね。
天下人に孤独を感じます。
>1591年豊臣秀吉は、大徳寺の山門から引き下ろした千利休の木像と生首を戻橋にさらした。
記事を拝見しても、少し気になってはいましたが・・・
良く理解できないまま、ん?~程度でそのまま読み飛ばしていました。
こうして「大徳寺」で初めてその意味が良く分かりました。
利休は、自分が建て増したこの山門が原因で秀吉の怒りをかったのですね
勉強不足でそのような歴史を知りませんでした。
(たしか昔見た漫画では、別の原因で「両者の対立」)~と思ってました
詳しいことは分りませんが、このお話に限って言わせていただければ
秀吉は随分「度量・器の小さな人間」であったでしょうか?
青島太平洋マラソン
私もフルマラソン13回完走しましたが、本記事は私ではありません。
現在の市街地を走って宮崎神宮で1回目の折り返しを迎えるコースは、当時の「東国原知事」が就任後設定変更されました。
サンマリンスタジアム外周をスタートして、丁度32Kmでそのスタート位置にいったん帰り
再び青島に向けて5Km進んで(青島の手前)海岸上で2度目を折り返しゴールに向かいます。
その間、往復10kmは海岸の絶景を観ながら走りますが、残念ながら景色も、沖にハワイや富士山が見えないか?確認の余裕ありません
もう体力の限界を海風に晒し、青色吐息です(桃色吐息なら良いけど・・・)
このコース、一旦ゴールに帰った後再出発の10Kmがつらいです。
ツリーの伸長記録
富士山が大きく見えたのはトリミングでしたか?気が付きませんでした。
定点観測~タイムスリップしてきました。
壮大なスケールのツリーの成長を良く見守ってこられたものですね
関しながら、楽しませていただきました。
私が丁度訪れた、2011年6月9日の記録は~?、幾らなんでもそこまでの一致を期待するのは無理ですね。
ありがとうございました。
当方のブログ
http://blog.goo.ne.jp/goo1951-2007/e/b24d9431efc94f16dc6ca95a14c899be
(大工さん)さまからいただいたコメントをご覧ください。
前にブログにご案内したことがありますが、皇居見学したときに後方からゆっくり近づいてきた車から手を振る御仁
がおられ、どなたかと思いきや天皇陛下でした。手をふる相手はこどもたちでしたが、子供たちは「本物だぁ~」と
タレントをみつけたようなはしゃぎぶりでした。あいかわらずにこやかな笑顔で手をふっておられました。こどもが好き
なのですね。
そんなことからも、優しいお心根がしのばれます。
(「のべR山会」のK)さん へ
ここ大仙院の枯山水庭園を見る小部屋で、秀吉と利休が対面しています。
堺の豪商たちと共に大徳寺を保護し、山門を増築したお礼に利休の木像を置いたと伝わります。自ら造った
わけではありません。
秀吉も利休を試すために言い掛かりをつけた風ですが、このとき利休があやまってさえいれば許されたとも
いわれます。利休は意地を通して切腹したようです。
秀吉の晩年は暴発を押さえる弟が逝ったため、いろいろと晩節を汚しました。
きょうのブログの方広寺に触れましたが、秀吉死して家康から豊臣家に無理難題を押し付けられて自滅して
いきました。権力者は似たような意識をもつようです。
>2011年6月9日の記録は~?
完成してますから、634mに達していますよ。
それまでの公式成長記録は此方です。 ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/dbf5057d098ae9b6a3a56b4ccf84365b
京都の大学に行っている子どもがいて、住まいがこの大徳寺さんのすぐ近くです、年に数回京都に行くのを楽しみにしています、そんな訳で大徳寺さん境内は時々通る事があります
近くにある金閣寺などに比べると普段は観光客の数も多くなく落ち着いた感じの白壁に囲まれた境内も時が止まったようで私は好きな場所の一つです。
もみじ「苑」があったのですね、ご「縁」がありませんでした。 それでも、御土居をチラと見たことがあります。
そこの掘りは深く思えましたが、まるで哲学の道のように見えますね。
大徳寺界隈は、落ち着いて京らしさが潜んでおり好きなポイントです。息子さんは牛に曳かれて善光寺では
ありませんが、京へいざない親孝行しています。