斎宮城
さいくうじょう
築城;野呂三郎(または野宮三郎)
築城時期;弘治元年(1555)
住所;三重県明和町斎宮字牛葉
遺構;なし
経緯;弘治元年(1555)十二月、斎宮の住人野呂三郎と飯高郡鎌田の住人豊田
五郎右衛門尉は南伊勢の流浪人数百人を動員して徳政一揆を起こした。
一揆団は斎宮城と智積寺城で立てこもり対抗する。
国司北畠材親は船江城主本田美作守に一揆討伐司令官を命じ、家臣の
中西清右衛門尉と高嶋次郎左衛門尉に鎮圧させた。
*注;智積寺城=鱗尾城
遺構;なし
感想;歴代の斎王が600年の長きにわたりお祈りを続けた場所として斎宮という
地名は今やメジャーになりつつある。
斎宮城の位置は斎宮そのものの中にあったのでは、との考えもあるらしい。
しかし、城の遺構は全く無く思いを馳せるしかない。
地図;https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zMB0lt7eZPVw.kfXn7gkwAAkU
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