我が家のバカ親父

我が家のバカ親父の言動を記録しています。全てノンフィクションです(笑)

犬を飼ってました

2005年01月27日 | 家を出るまでの話
私が中学生の頃、犬を飼っていました。まだ小さい頃に水に慣れさせて
いなかったため、成犬になって体を洗おうとするととても嫌がります。
場所も狭いこともあってなかなか思うようにいきません。
そこで親父曰く「海に連れて行って洗おうか」
海水で洗ったあとどうするつもりだったのでしょうか。

飼っていたのはオスでしたが、生まれてまだ間もない頃はオシッコする
際は両足地面につけたままでした。
それを見た親父曰く「片足あげてするのはメスだ」
自分の目で見た事象をそのまま受け止めるのはいいが、もうちょっと
疑問を持つという姿勢ももってもらいたいものです。

食事の介助 その2

2005年01月26日 | 家に戻ってからの話
親父は食事の介助について、私よりも自分の方が上手いと言っています。
実際その様子を見ると、お世辞にも上手いとは言い難く、改めて馬鹿じゃ
ないかと唸ってしまいます。

母が自分でスプーンを手に持って食べる場合、私らがそのスプーンに物を
乗せてやるのですが、親父の場合何も考えず後ろ寄りに乗せてしまうのです。
その結果、スプーン全体を口に入れなければ食べられません。
前寄りなら先だけを入れれば済むのではるかに食べ易いのです。
ちょっとしたことですが、食べ易さは全然違います。

こちらが口に運んでやる場合、親父はスプーンを横から入れようとするのです。
普通スプーンを使って食べる場合、前から口に入れますよね? ところが
親父は横から入れようとするから当然うまく入りません。その結果、ブルドーザー
が砂利を落とすがごとく、スプーンを口元で傾けて流し込むことになります。
そんなやり方でうまくいくはずもなく、特にピラフを食べさすときはボロボロ
こぼしまくりです。

親父が口に入れてやる場合、ペースを考えていません。どんどん詰め込んで
「はよ飲め」と言います。ただでさえ嚥下不良なのにそんなに詰め込んで
飲めるはずがありません。その結果デロ~ンと出してしまいます。

正月は、嚥下不良の母に餅を食べさせています。毎年餅をのどに詰まらせて死亡する
老人がいることなどどこ吹く風、曰く「うちはちゃんと見ているから大丈夫だ」
いくら見ていても、詰まってしまえば終わりであることを理解できていません。
毎年何事もなかったという自信も恐らくあるのでしょう。

餅を食べさす際、煮えたばかりのまだ熱い状態で食べさそうとします。当然母は
「熱い熱い」と言うのですが、「冷めたら固くて食えなくなる」と言って無理やり
口に押し込みます。フーフーして少しでも冷めたらカチコチになるとでも思って
いるのでしょうか? 

ざっとこんな感じですか。これが親父の食事介助です。
私がたびたび指摘するので、最近ではこういったことも少なくなりましたが
私が戻るまでの数年間、毎日こんなだったと思うとホント恐ろしいです。

食事の介助 その1

2005年01月26日 | 家に戻ってからの話
介護の中で1番やっかいなことは、食事の介助です。
手が動かないばかりでなく、嚥下するのも大変な作業、
尚且つ精神状態もよくない状況での食事なのです。
調子のいい日には自分でスプーンを持ってなんとか食べるのですが
そうでない日は私らが食べ物を口まで運んでやる必要があります。
それでも食べてくれたら良いのですが、口に入れたままボーッとして
なかなか飲み込もうとしない時がよくあります。
結局、ほんのひとくちか、ふたくちしか食べない日もあるので困るのです。
そんな日は水も飲まないし、食後のうがいもしません。

私が戻って最初の頃、食事の時間になると親父はこう言うのです。
「さあ、また戦争かぁ?」
最初それがどういう意味か分からなかったのですが、その答えは
まもなく明確になっていきます。
ちゃんと食べないといっては怒鳴り、口の中の物を出したと言っては叩き、
薬を飲まないといってはコップの水をかけるのです。

そりゃ、しっかり食べさせないといけないけれど、そのやり方があまりにも
酷い。先の投稿にも書いたように、抵抗のできない老人にストレスを
与え続けると、それを回避するためボケに陥ってしまいます。
親父は馬鹿だから、自分のやり方で食べさせようとすればするほど悪循環に
陥ることを理解していません。
私が戻った当初はまだ調子良く食べる日も多かったのですが、最近では
そんな日もごく僅かになりました。

介護総論

2005年01月25日 | 家に戻ってからの話
母は5,6年ほど前に病気になり、それ以来介護を要する体になりました。
それ以前から私も兄も実家を出ており、普段は親父が1人で母の世話をして
おりました。
最近、母のことも含め諸事情あって、私が実家に戻ることになりまして、親父と
一緒に母の介護をする生活が始まったのです。

実家に戻って本当に驚きました。体が不自由な母に対し、思うように動かないという
理由で怒鳴るわ頭を叩くわ、もう大変です。このあいだは思わず私が止めに入った
くらいなのです。
当然母も怒って声を上げるのですが、その際よだれが垂れ、食事中なら口に含んでいた
物がデロ~ンと出ます。それを見た親父は更に怒鳴りまくり叩くのです。母もまた
奇声を上げ、親父はますます怒鳴り、、、 と、もうしっちゃかめっちゃかです。

このような生活が何年も続いていたわけで、母にとってこのような仕打ちが良いはずが
ありません。ストレスのはけ口の無い老人にストレスを与えると、ボケてしまいます。
ストレスを回避するための本能とでもいうのでしょうか、至極当然の成り行きでしょう。
以前ははっきりしていた母の頭も、現在では常にボーッとしたままです。
ときどき元に戻って普通に喋ることもあるのですが、その時間も回数も日に日に減る一方です。
私が親父に文句を言うので、最近になってあまり叩かなくはなりましたが、怒鳴るのは
相変わらず、母は生気を失った、生ける屍状態のままです。

親父は「あー何でこんなになってしまったんだ」と嘆いています。全く分っていません。
ストレスを与えるからだ、と言うとその返答が面白い。
「こうやって刺激を与えているからまだ正常な部分が維持されているのだ」

自分の馬鹿さ加減を全く自覚せず、かたくなに自分の考え方が正しいと思い込み
他人の意見も聞く耳持たず、結果悪い方に事が進んでしまう、そんな親父なのです。



事の始まり

2005年01月25日 | 家を出るまでの話

事の始まりというのは御幣があるかもしれませんが、そもそも私が親父に対して
嫌悪感を抱くようになったきっかけをお話します。

私には兄が1人おりまして、小学生の時は一緒に遊んだりするごく普通
に仲の良い兄弟でした。ところが兄が中学生になった頃からその仲は一変します。
兄はやたら私にちょっかいを出したり意地悪するようになったのです。
具体的にどんなことがあったのかはあまり記憶にありませんが、それに対して
当然私も反発し喧嘩になります。(兄弟喧嘩の原因は全て兄にありました)

と、ここまでは何処の家庭でも見られる光景だと思います。問題はこの事に対する
親父の対応です。
親父は必ず私にのみ怒るのです。「大きな声出すな」「無視すればいいだろ」
兄に対しては何も言いません。原因は兄にあるのにそれを追求することなく
私に怒るだけです。
まあ確かに「大きな声出すな」「無視すればいいだろ」も一理あると思います。
でもそれはそれ、そもそもの原因はまた別に追求して張本人(兄)を叱るのが
筋というものでしょう。しかし親父のしつけにはそれが欠如していたのです。
ひたすら私に対して怒るばかりです。

親父が私を怒っているとき、兄は親父の後ろでヘラヘラ笑っています。
そりゃ可笑しいでしょう、原因は自分にあるのに怒られているのは弟の方だから、
こんな可笑しいことはない。
いくら身勝手なことをやっても怒られるのは弟の私なのです。
たまに見かねた母が兄に何か言うこともあったのですが、兄は全く気にも留めません。
相変わらず親父の後ろでヘラヘラするだけです。

このような躾けが、兄が高校を卒業して家を出るまで続いていました。
そんなだから、当然兄弟の仲は大人になった今でも悪いままです。
ついでに、兄の性格もかなり悪いです(笑)

親父についてざっと説明します

2005年01月24日 | 始めに読んで下さい
とりあえず、うちの親父は「頭が悪い~いわゆる馬鹿~」です。
馬鹿は馬鹿らしく、大人しく他人のいうことを聞けば良いものを
かたくなに自分が正しいと信じ、全く他人の言うことを聞く耳がありません。
白いものを黒だと思ったら、いくら「それは白だ」と言っても全然だめ。
もうむちゃくちゃな事言ってでも反論しようとします。
賢ければそういう事例も少ないと思うのでまだいいけど、なにせ馬鹿だから
ホント手におえません。

そんな頑固親父どこにでもいる、と言ってしまえばそれまでですが、
我が家には介護を要する母が居て、その介護の主導権を親父が握っているので
その母に害が及ぶのです。
軽かった要介護度もどんどん進み、あっという間に5までいったのは、この
馬鹿親父のせいだと言っても過言ではないでしょう。
そのわけは、これから投稿する記録を読んでいただければ納得いくと思います。