デーヴィッド・アイクが解く、バラク・オバマ解析!!
アイクらしい首尾一貫性の解析!!
とにかく重要な解析であるので、全文転載!!
それでもオバマは化けると言ったら、
人は笑うであろう!!
大変に長いレターであるが、このレターは重要である。その論調は、デーヴィット・アイクの一貫した見解を彷彿させて余りある。彼のの主張には、矛盾はない。首尾一貫している。その意味で、重要であると共に、多くに見解に同意出来る。
ただ、一点、やってみなくては分からないという、やらせてみなくては分からないという、妙な確信を除いて、デーヴィット・アイクの解析に同意する。
アイクの言うように、オバマの取り巻きは間違いなく、これまでアメリカを影で手繰ってきた人々である。そうでなければ、大統領になるなどと言うことはあり 得なかった。そして、これからも、その人材を多く登用することも承知している。そうでなければ、政権自体が産声を上げることすら許されるはずがない。
しかし、それは織り込み済みのことである。それで尚、CHANGEするのかしないのか、見物である。アイクの言うとおりかも知れない。はたまた、誰もが想像もしなかった手で、CHANGEするとしたら、オバマは本物である。
ほとんど、確かに世界はデーヴィット・アイクの解析の通り進んできた。それは否定しようがない。その意味で、デーヴィット・アイクの警告はその信憑性を証明して見せた。オバマでもその証明が成されるか。見極める意味で、極めて重要である。
【転載開始】デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年11月23日
デーヴィッド・アイク公式日本語情報ブログ - 監修:太田龍より
http://www.davidicke.jp/blog/nl0137/#extended
裸の王様
バラク・オバマ
みなさん、こんにちは。
ここ3週間というもの、世界中で膨大な数の人々が、いろいろ知っているはずの人まで含めて、オバマ作戦というマインド・ゲームに騙されているのを、私はハラハラしながら見ていた。
陰謀のことをある程度知っている人でさえもこんなことを言っていた。「すくなくともブッシュではないからね」「すくなくとも新しい希望の精神が見えるのは良いことだ」
確かにオバマはブッシュではない。はるかに危険なものを秘めている。それに、嘘でしかない「希望」の精神の何に意味があるのか? そもそも「希望」にどんな意味があるのか?
オ
バマの妻ミッシェルは、たとえカレンダー工場の中で今日は何日かと聞いても本当の日付を言わない人間だが、「すべては希望に始まり、希望に終わる」と言っ
た。どうしようもないナンセンスだ。希望は常に将来にしか成果がない無意味な感情であり、定義からして絶対に「今」は得られないものだ。希望とはメ
リー
ゴーランドの馬に乗っているようなものだ。いくら速く走っても、前の馬に近づくことはできない。けれども、良い方向に変わっていくだろうという「希望」を
持って、馬に乗り続けていてほしいというのが彼らの発想である。失望するのを避けようと思えばできるのにそうしない。そうさせないようにシステムが計画し
ているからだ。
人を騙す卑怯者は、そんな風にして「希望」を利用する。将来はもっと良くなるから「希望」をもって、とりあえず今はこのクソでも食べていろと。良くするつも
りはないのは自明である。バラク・オバマのご主人様の望みは、人々に良い時代が来るだろうという「希望」をもって現状を受け入れてもらうことであり、その
ためにオバマは「希望」弁当の仕出屋をしている。
われわれの望み通りに、おっと、そうじゃなかった、バラクの望むとおりにさえすれば、その結果、バラクはわれわれを希望へと、すべて聖書の約束の地へとつながる希望に向けて鼓舞してくれるだろう。本当はそうじゃないが、そのことに気付く頃にはもう手遅れだ。
支 配者にとってもっとも怖いことは、人々が、未来の、決して実現する時期を迎えない将来の希望を捨て、公正、正義、自由を「今」、求め始めることである。こ の悪夢を避けるために、支配者たちは、こうした願望を、願望のままに留め、実際に手に入れるものではないものとしておく必要がある。かくして、われらがオ バマは、話題を逸らし、時間稼ぎし、民衆が本当に抵抗しないように、「希望」を売り込む。
仕事もない、食卓には食べ物がない、家は差し押さえられた、それでも、少なくとも、われわれは「希望」を持つことができる。ご親切なことだ。
「お母さん、おなかが空いたよ。何か食べる希望はある?」
「ごめんね、かわいそうに。希望は今日食べることはできないのよ。希望というのはいつも明日なんだから、明日じゃないとだめよ」
「明日になったら食べられるの?」
「今はそう希望することができるだけなの、わかってね。でも、もし明日になったら、また次の日になると希望することができるだけなのよ」
こうして延々と続く。これが「希望」の仕組みである。何も得られない仕組みではあるが。
オ
バマの得意の呪文は「変化(change)」である。巨額の資金を注ぎ込んだ記録破りの選挙運動は、このたった一つの言葉、「変化」を基盤としていた。こ
れはビル・クリントンや他の多くの政治家が使った手法であるが、いずれにしてもシステムによって大半の人々は不満のある生活を余儀なくされているのである
から、極めて効果的な言葉である。現状が気に入らない人々にとって、「変化」は説得力のあるメッセージになる。オバマのように、意味通りに言葉を使わない者が言ったとしてもだ。
「希 望」、「変化」、そしてマインド・コントロールの引き金となるもう一つの言葉「信じよう」といった言葉が、どのような政策につながるのか、それによって社 会全般がどのような影響を受けるのかという意味で、具体的に何を示しているのかは、オバマと彼を操る者たちにとって絶対に明らかにしてはいけないことであ る。何を「希望」するのか? 何を「変える」のか? 何を「信じる」のか?
こうした疑問に具体的に答えることは、オバマの魔力にとって致命的なことだっただろう。
私は、1990年代後半から2000年にかけて、何年も軍と政府のマインド・コントロールのプログラムと技術を詳細に調査したが、オバマ「現象」はもっとも露骨な大衆心理操作作戦である。これ以上のものを見ることはできないだろう。
その作戦の中核目標は、人々の希望するものすべてをオバマに投影させることであり、人々がオバマを信じ、変化を求めるようにすることである。「希望」「変化」「信頼」が意味することの詳細を具体的にしないことが、オバマにとって重要なのはこのためである。
し かし、私には、オバマのマインド・ゲームの文脈において、これらの言葉が何を意味するのか解読してお伝えすることができる。その意味するものは、あなたが こういう意味だと自分で決めたこと、あるいは、あなたがこんな意味であってほしいと思っていることすべてである。すべてはあなた次第であり、あなたの考え をすべてオバマに対して投影すれば、オバマはあなたのシンボルとなり、あなたの世界観になる。
具 体的になってしまえば、「私は何でもあなたの望むとおりの人間だ」というシナリオが崩れてしまう。だから、「希望」「変化」「信頼」だけにして、詳細は与 えられないのである。彼らはオバマを「メシア」にしたいだけではない。アブラハム・リンカーンにも、ジョン・F・ケネディにも、仏陀にも、あなたが投影し たいと思う者なら何にでもなってほしいのである。オバマは真っ白な紙、何も映っていない画面、空っぽのスーツである。オバマは、あなた自身で作りだした リーダーであり、あなた自身の想念の投影物である。(もしあなたがまだ目覚めていないならということ。もし多少なりとも目覚めていれば、オバマの正体は自 明なことだ)
この記事の末尾にリンクをつけた「いかにしてオバマは当選したか」というビデオを見てもらいたい。大衆を操作するのは簡単なことがわかるだろう。児戯に等しい。
「私はあなたの自己投影だから、あなたが望むもの何にでもなれる。ほら、笑顔が素敵でしょ」
人 を操る最強の方法は、人が聞きたがっていることを話し、聞きたがっていないことは黙っていることである。二重ガラスのセールスマンは、何気ない会話から客 の好き嫌いを嗅ぎつけ、それを使って商品が売れるように応対するよう訓練されている。そのテクニックは、収集した好き嫌いの中から、潜在顧客が言ってほし いと思っていることを話すという単純なものだ。
オバマもその同類であるが、はるかに大きなスケールで、助言者や指導者のネットワークが総出になって人々の思考、意見、行動を操る芸術的活動に従事した。
オ バマの自分向けに書かれた演説は、心を込めたものではなく、表示された原稿を読んでいる。「ハート」の演出は豊富な練習経験によるものであり、単なる演出 を超えた話し振りで「彼は本気で言っている」と思わせるビル・クリントン的な能力によるものである。トニー・ブレアも同じような訓練を受けている。
し かし、一歩ひいて、冷静になって彼らを見れば、彼らが意識的にテクニックを使っていることがわかるであろう。ブレアは極めて露骨な詐欺師であり、演説をす るときに、強調するために文章の途中で止まり、偽の感情表現を入れるために下を向く。オバマはもう少し巧妙にやるが、ここ一年ぐらい観察している限りで は、それほどでもない。
オバマは考えながら話し、字幕スクリーンを左から右に眺 め、重要なメッセージのところで正面のカメラに顔を向けているのがわかるだろう。心から話す人はそんなことはしない。自分の感じていることや言っているこ とに没頭していて、どこを見たらいいかとか、どのような言い回しにしようかなどとは考える余裕はまったくない。
私
は十年以上テレビ局で働いたことがあり、ディレクターからイアホン越しにどのカメラに顔を向けろと指示されながら、字幕を読んでいたものである。そして、
1990年代の初めからは、世界中の聴衆を前に真実について語ってきた。だから私には、人が作った字幕を読み、身体のしぐさを使って話すことと、原稿なし
で心を込めて話すことの違いがわかる。繰り返すが、オバマの場合、心からではなく、字幕から話している。
→②に続く