へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑨

2007-12-31 15:07:36 | Weblog
『シオンの議定書』第九議定書注釈

 【第九議定書注釈開始】ここからは、第九議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 何という誇大妄想であろうか。これが100年以上前に書かれた文書であることに驚く。しかし、「9.11WTC航空機テロ」事件
imagesを見るに付け、 決して誇大妄想ではないのである。原爆も水爆も、彼らは指向していたに違いない。そして、今では気象操作、地震コントロールも身につけていると考えて妥当 である。そう考えない者は、楽観主義でお気楽道士である。純粋水爆、レーザー兵器、電磁波パルス、低周波ビーム、遺伝子組み換えウィルス、エイズ、 SARS、サリン.....、ありとあらゆる恐怖兵器の存在は実在すimagesimagesimagesと断じて備えるべきである。
 その意味で、彼らは狂気の誇大妄想狂である。金と意欲があれば、人間は何でも創り出す。そうではないか。その事は、歴史が証明している。それ らを狂人の手から摘発しなければならない。彼らは、偽善者であるから、犯罪者であり、取締官である。麻薬もテロも彼らの手中で行われている。当然、一方の 国に核を与え、片一方を核攻撃することを厭わない。「9.11WTC航空機テロ」では、数千人の彼らの手先はWTCから姿を隠し、難を逃れた。それが証明 である。核攻撃する時、彼らの手先は真っ先に安全地帯に引っ越しをする。それが合図である。阪神淡路大震災の時、多数彼の地を離れた一団がいる。それが証 明である。
 法律、学説を盲目的に信頼するのは、危険である。その意味で、地球温暖化議論はまやかしである。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第九議定書
 われわれの原理を実行に移すにあたっては、諸兄が現に居住し活動している国々の人民の性格を考慮していただきたい。われわれが作った鋳型で人民 を再教育し終らないうちは、一律に原則を当てはめようとしても成功はしない。しかし、慎重に適用するならば、ものの十年とたたないうちに、最も頑固な人民 でも変わり、すでにわれわれに従っている列伍に新しく加わってくるのが解るだろう。

 リベラルな言葉、われらがメーソンの標語として効果の高い「自由、平等、友愛」は、われわれの王国が到来した暁には、もはや標語としては使わせ ず、「自由の権利、平等の義務、友愛の理想」というふうに単なる理想主義を表現したものに変える。これがわれわれのやり方・・牛は角を捕えよ・・なのであ る……実際にはわれわれは、われわれ自身以外のものは、あらゆる種類の支配を一掃したけれども、法律上はまだ数多くのものが残っている。今日では、どこか の国がわれらに対して反抗を示したとしても、われわれの裁量下、われわれの指導下にあって形式的に反抗してあるに過ぎない。一例として反ユダヤ主義は、わ れわれが下層の兄弟たち[ユダヤ人]を監視するには必要欠くべからざるものだからである。この問題に関してはすでに討議が重ねられているので、これ以上立 ち入らない。

 われわれの行動範囲には限界を遮るものがない。われらの超政府は、すでに強力絶大な言葉で現わされている超法規的な状態で存続している・・すな わち独裁である。私は衷心からから申し上げるが、しかるべき時に、われわれは法律を作り、裁判と宣告を行う。われわれは生殺与奪を実行する。われわれは全 軍の先頭にあって、指導者の軍馬にまたがる。われわれは意志の力で支配する。なぜならば、かつて権力を握っていた党派の残党も、今やわれわれに屈伏し、わ れわれの掌中にあるのである。われらの手中にある武器は、貧欲、容赦なき復讐、憎悪と敵意に燃える、果てしなき野望である。

 われわれから生れるもの、それはすべてを巻き込み行く恐怖である。帝政復興主義者、煽動家、社会主義者、共産主義者、あらゆる種類のユートピア 夢想家といったあらゆる意見、あらゆる主義の人物たちがわれわれの用を勤めている。われわれは彼らを利用して、あらゆる労役を課している。彼らの一人一人 が、権威の最後の残党まで叩き潰さんがために、現在秩序を転覆させることに燃え上がっている。これらの行動により、全世界の国々が拷問を受けている。各国 政府はもう止めてくれと手すり足すりし、平和のためならどんなことでも代償に出すからという気になっている。だが、われわれは、彼らが心底からわれらに服 従し、率直にわれらの国際的超政権を受け入れるまでは、平和を与えるわけには行かない。

 人民は社会主義の問題を国際的協調という手段で解決する必要を感じて遠吠えを挙げている。バラバラに分れた党派はわれらの掌中に飛び込んでいる。というのは、分立抗争すれば金が要るが、金はすべてのわれらの手中にあるからである。

 われわれにはゴイムの王たちのうちの「利口な」勢力がゴイム群集の「盲目的な」力と連合しはしないかという懸念があったが、そのような可能性に 対する打つべき手はすべて打った。両者の間でお互いに恐怖の念を抱かせるという防波堤を設けたのである。このようにしておけば、人民の盲目勢力は相変らず われわれを支持し続け、われわれのみが彼らに指導者を与え、もちろん、彼らをわれらが目指す目標へと引っ張って行くのである。

 盲目的な群集の手がわれわれの指導の手から離れないようにするためには、時々、彼らの中に入って直接交流を図らなければならない。実際にわれわ れが自身が行えなければ、とにかく最も信頼の置ける兄弟を通じて行う必要がある。われわれだけが唯一の権威者となった時には、われわれはそれこそ市場のよ うな所で親しく人民と話し合うだろう。また、われわれが目指す方向に彼らを向けさせるように政治に関わる問題を指導してやるだろう。

 田舎の学校で教えることを誰が点検するのか? 政府や王の特命全権公使が語ることは、直ちに全国に広まらずにはすまない。それは人民の声によって広まるのである。

 破壊すべき時期でない時にゴイムの諸制度を破壊しないようにするため、われわれは巧妙にそっと手をかけた。そして、彼らの機械を動かしているバ ネの端をつまんだ。これらのバネは精妙に、しかも秩序正しく動いていた。われわれはそのバネを混沌放従のリベラリズムに代えた。われわれは法律の運営、選 挙の管理、新聞、個人の自由を、原理的にはどうにでも加工できる生存物[人間]の土台である教育と訓練というバネを操った。

 われわれは、われわれが教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、われわれには嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し困惑させ堕落させてきた。

 現行の法律については、内容的には変えることなく、単にねじ曲げて反対の解釈をすることによって、結果としては大層な成果を挙げてきた。その成 果は、第一に解釈が法律を覆い隠すという事実に、次いで立法の錯綜した糸から何かを引き出すのは不可能なために、政府の目から法が完全に姿を隠すという点 に明かに見てとれる。

 法律を文字に拘泥せずに解釈するという学説は、ここに起源がある。

 諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、彼らは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、 それに備えるに西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄 道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。
【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑧

2007-12-30 09:21:19 | Weblog
『シオンの議定書』第八議定書注釈 images

 【第八議定書注釈開始】ここからは、第八議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
 この第八議定書には、思わず笑ってしまう。言い得て妙であるからでもある。実に現今の日本政治経済界を物語っているからである。実に巧みである。しかし、われわれも大いに反省しなくてはならないところ教えてくれる。
 『彼ら(ゴイム)は何が目的かを考える苦労をせず、何が必
要なことであるかを決して熟考せずに事を運ぶことに慣らされている。ゴイムの役人たち は、書類に目を通さずに署名をしている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。』等というのは、図星であるとしたら、付け入る隙を与えてい ると云うことになる。
 何事も、悪に付け入れられる場合、悪そのもだけが
原因ではない。必ず、付け入れられる側にも隙があるのである。錠前と同じである。カギに合わ ない錠前は決して開かない。 私は、用心深い彼らの習性が、本質、臆病者であり、小心者と観た。ライオンではなく、ハイエナである。所詮はゴキブリ、寄生 虫である。日の前には姿を現さない。心身健全であれば、病気には罹らないように、清廉潔白であれば、付け入る隙を与えない。今こそ、武士道精神を復古すべ きである。ザビエルの時代、日本は植民地支配を唯一免れた。付け入る隙を与えなかったからである。明治維新をもって、精神を捨て、文明に酔った。それが諸 悪の根源と推察する。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第八議定書
 われわれは、敵対者がわれわれに向って使いそうな武器をすべて備えていなければならない。われわれは、常軌を逸していると思われるほど大胆かつ 不正な裁定を下さなければならない場合のために、言葉の微妙な綾を探し出し、こんがらがった法律用語を駆使して事態を正当化しなけれはならない。そして、 この裁定が最も高潔で道徳にかなったことを法律用語で言っているのだと思わせるように、はっきり述べることが肝要である。われわれの幹部団は、周囲に全分 野の知的人士を従え、その中心にあって仕事をするようにしなければならない。幹部団は、政界人、老練な法曹人、行政官、外交官、そして決定的に重要なこと は、われわれの特別な教育機関で特別教育を受けた人士で構成されるだろう。これらの人士は、社会構造のすべての機微を知っていて、政治の初歩から要諦まで のすべての用語に通じている。これらの人士は、人間の裏側すべてに通じ、彼らが操作しなければならない人間機微の体系を熟知している。それらの体系とはゴ イムの素質、欠陥、悪習、本質、階級、身分の特徴など、考え方・感じ方の類型を意味する。言うまでもないことであるが、われわれのimages陣営の補佐役をゴイムか ら選んではならない。彼らは何が目的かを考える苦労をせず、何が必要なことであるかを決して熟考せずに事を運ぶことに慣らされている。ゴイムの役人たち は、書類に目を通さずに署名をしている。報酬目当てか野望のためかで仕事をしているのである。

 われわれは全世界の経済人にわれらの政府を取り巻かせるであろう。ユダヤ人教育の主たる内容が経済学imagesであるのは、この目的のためである。さら に、われわれの周囲には、銀行家、産業人、資本家・・大切なことは・・百万長者といった人たちのきらびやかな群がいる。実際のところ、万事は金で解決がつ くからである。

 しばしの間、もはや政府の要職にユダヤ人兄弟を据えても危険はないという時期まで、その椅子には別の人間を座らせようとかく過去や世images評に何か とあり、国民との間に溝がある人間を、である。その人間がわれわれの意に従わない場合には処刑し放逐しなければならない・・彼らが最後の息を引き取るま で、われわれの利益を守らせるために。【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑦

2007-12-29 10:18:28 | Weblog
『シオンの議定書』第七議定書注釈
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 【第七議定書注釈開始】ここからは、七議定書(下記転載文書)注釈に入る。 images
 この議定書の文言に至っては、読み返すたびに『反吐』が出そうになる。偽善の最たるモノである。結局、テロも戦争も彼らの計画の一部であると告 白している。偽善こそ彼らの武器であって、偽善により攪乱を作り出し、治め、恩人となり救世主を装うと云うのである。「9.11WTC航空機テロ」が自作 自演テロだと云っても、真っ当な普通人は信用しない。しかし、その者たちはこれを読めば、分かるはずである。彼らにとってはそんなことは『朝飯前』の常識 だからである。
 イエスが、『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り 歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。(マタイによる福音書 / 23章 15節)』
と云った意味が、初めて理解できる。彼らこそ、その改宗者である。そして、かつての『偽善な律法学者、パリサイ人』が、第六議定書に云う『あら ゆる手だてをつくして、われわれに進んで従う者すべての保護者、恩人』である。と云うことは、さらに奥に隠れている存在があると云うことである。大体解っ ている。が、紙数の関係で後に譲る。
 シオニストユダヤ人も所詮は使用人である。その意味では、『ロックフェラー、ロスチャイルドは、単なる下僕』と云う、オルタナティブ通信 (2007年12月20日)の記事は全く頷ける。では、『保護者、恩人』とは誰か。? 想像であるが、王族ネットーワ
ークに巣食うサンヘドリンの末裔か。 実際のところ、隠れているので分からない。所詮、巣食っているゴキブリ、寄生虫の類であろう。輩は、決して姿を現さない。宿主があってこのそ寄生虫であ る。
 ともかく、戦略
においては巧みである。と云うより、到底普通の人間であれば考え付かない偽善を弄するから、巧みとなる。そして、弁証法的二元 論を駆使する。だから、知識人はころりと参る。真実はひとつである。犯罪・騒擾を演出し、警察・軍隊を強化する。その他は、プロレタリアート(奴隷)だ。 誰が決めたか。偽善者である。『保護者、恩人』である。その神=バフォメット(Baphomet悪魔)を崇める者達である。地獄の子である。しかし、実在 するので心しなければならない。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第七議定書
 軍事力増大と警察力強化・・この二つを欠いては、前述の計画を完成させることは全くできない。われわれの到達目標は、われわれを除いては、世界 のすべての国家には、プロレタリアート群集とわれわれの利益に奉仕する少数の百万長者と、警察官と兵隊たちだけがいればよろしい。

 ヨーロッパ全土、また、ヨーロッパとの関係を通じて他の大陸にも、われわれ
は騒乱と混乱と敵愾心を起こさなければならない。そのことは、われわ れにとっては二重の利益がある。まず第一に、すべての国々を抑制できる。われわれが意のままに混乱を作り出し秩序を回復する力を持っていることは、よく知 られているからである。これらすべての国々は、われわれには圧政に欠かせない力があることを見慣れている。第二に、われわれは策謀を駆使して、政治的手段 により、経済条約あるいは借款協定により、すべての国々の内閣の内部に伸ばしてあった糸という糸をもつれにもつれさせるであろう。このことを成功に導くた めには、われわれは交渉協定締結の際に狡猾さと洞察力とを発揮しなければならないが、いわゆる「表向きの言葉」を使うときには、心とは裏腹に正直従順を装 おい続ける。このようにして、ゴイムの個人や政府は、われわれが見せてやることなら何でもうわべだけを見るように躾けられているので、われわれを恩人とか 人類の救世主と思い続けるのである。

 われわれに反抗する国がある場合は、その隣の国から戦争を仕掛けさせ、反逆行動をことごとく叩き潰す位置にいなければならない。しかし、その隣国も束になって反抗するならば、その折にはわれわれは世界戦争という手段に訴えて対抗しなければならない。

 政治上で成功を収める根本原則は、企図を秘匿することにある。外交官は言行一致してはならないのである。


 ゴイムの政府は、すでに完成の域に達しつつある、われわれが練り上げた大規模な計画に沿うように行動させなければならない。何によってかといえ ば、いわゆる「強国」と称する手段を使い、ひ
そかにわれわれが吹き込んだ世論というものによってである。「強国」・・それは新聞である。その中には、ごく わずか例外はあるが、すでに完全にわれらの手中にある。

 ヨーロッパにおけるゴイム政府を統制する政策を一言に要約すれば、一国をテロ攻撃してわれらの強力さをすべての国に見せつけることにあり、もしもわれわれに対して総決起することでもあれば、われわれはアメリカ、支那、日本の火砲を向けさせて応戦するだろう。【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑥

2007-12-28 13:52:16 | Weblog
『シオンの議定書』第六議定書注釈

 【第六議定書
注釈開始】改めて注釈すると、文中『われわれ』というのはシオニストユダヤ人である。ゴイムはそれ以外の人々、われわれである。 『巨万の富がすっぽりと..』と云っているのは、国際金融システムを含む銀行マジックである。その極めつけは、連邦準備制度である。
 郵政民営化の狙いは、実は『政府の債権ともどもゴイムの財産も枯渇
する』ための対日戦略である。云うまでもないが、郵貯は最大の国債保有団体 である。国有である時は、国債は政府債務かも知れないが、国有債権でもある。民営化されると事情が変わる。又その株が国際金融グループに手渡ると、債権代 位権が彼らに発生する。そうする国家支配権が金力によって彼らに発生する。それが狙いだ。親父が息子から借金している中はまだ良いが、息子がその債権を他 人に譲り渡すとどうなるか。少々面倒になる。内輪もめでは済まなくなる。それが狙いである。
 一頃の土地バブル経済、そして、昨今の外資による買いあさりは、この第六議定書から読み解くと手に取るように解るではないか。
 ついでに付け加えると、異常気象、飢餓、原油高、食料高騰....
これらは彼らが作り出したモノであって、その目的はこの第六議定書をよく読め ば、解る。争乱、麻薬これらもそうである。ブットの暗殺imagesは、imagesこの一連の流れにある。パキスタンの真の民主化は、アフガニスタンの<綿花(ヘロイン)貿images に支障を来す。これが理由である。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第六議定書
 われわれは近く巨大な独占を確立し始めるだろう。それはゴイムの巨万の富がすっぽり入るような、並外れた富の貯水池である。政治的破滅に続く時期には、政府の債権ともどもゴイムの財産も枯渇するだろう。

 御列席の経済人諸君は、この連携作用の趣旨を評価されるのにやぶさかでないと思われる。

 あらゆる手だてをつくして、われわれに進んで従う者すべての保護者、恩人を代表するものとして、われらが超政府の重要性を強調しなければならない。

 ゴイムの貴族は政治的勢力としては死んだ・・われわれは彼らに考慮を払う必要はない。だが、土地の所有者としては、彼らが生活している土地の資 源を使って自給自足しているという事実をもってする限り、無害な存在ではあるだろう。従って本質的な問題は、原価がいくらかかろうとも、彼らから土地を奪 うということにある。この目的達成の最も良い方法は、土地を所有していることが、だんだん重荷になるようにすること・・負債で土地を圧迫することである。 このためには土地所有の状態を監視し、高慢にさせずに無条件に服従させ続けるだろう。

 ゴイムの貴族は、生れつき足りることを知らないので、急速に燃えつきたり、初めはうまく行っても失敗に帰するだろう。

 そうなったらすかさず、われわれは無条件に商業と工業の保護者にならなければならないが、真先になさねばならぬのは投機である。それは産業に平 衡力をつける役割がある。投機産業がないと個人の手中にある資本がふくれて、土地銀行からの負債をなくさせ農業の復活を助けることになるだろう。われわれ が欲するのは、産業に土地から労働と資本を吐き出させることであり、投機という手段で世界の金すべてをわれわれの手に移すことである。そうしてこそゴイム は、ほかに生きる理由がなくて生存する権利を得ようというなら、われわれの前にひざまづくほかはなくなるだろう。

 ゴイムの産業を完全に滅亡させるには、投機の助けを借りて、われわれがゴイムの間で盛んにしてきた奢侈、何もかもを呑み込んでしまう奢侈に対す るあくなき欲望をつのらせるだろう。しかしながら、われわれは労働者には好都合にならない程度に賃金の上昇をはかるだろう。同時に、農業や家畜飼育が駄目 になったから上がるのだという理由を付けて、生活必需品の価格をあげるだろう。われわれはさらに進んで、労働者を混乱浸し酒漬けにし、それに加えるに、ゴ イムの頭の良い者たちをすべてこの世から根絶すべくあらゆる処置を講じ、生産の根源力を巧みに深く蝕むだろう。

 時期尚早のうちにゴイムに真相をさとられないようにするために、われわれは仮面をつけて、われらの経済学説が精力的に宣伝する偉大な政治経済原理のもと、いかにも労働者階級に役立つかのように情熱を傾けて説き伏せるだろう。【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!⑤

2007-12-28 13:46:57 | Weblog
『シオンの議定書』第五議定書注釈
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 【第五議定書注釈開始】ここからは、第五議定書(下記転載文書)の注釈に入る。この第五議定書では、『いたる所で腐敗が広まっている社会、富者 だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく、懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境 主義的信念に一掃された社会』が、彼ら(シオニストユダヤ人)によって作り出したモノであることを、言わずもがなで語っている。戦争も犯罪も、そして、諸 々の社会の混乱の基は、彼らの策略である。それは、彼らによる専制支配を促す前提であるとし、彼らがその選民であると断言する。神=バフォメット (Baphomet悪魔)なのだが、images彼らはその選民であるとの認識である。それを神という、これは最早『哀れ』としか云いようがない。
 どのように、専制権を獲得し、維持していくか、事細かに曝露しているが、まさしく現代の政治経済の縮図である。そして、その要は資本=金力と しているが、それこそ、彼らが創出した経済学であって、まやかしのモノであることを見て取れる。それを金科玉条とするのは余りに愚かしいことである。目覚 めた者は、原点から見直さなくてならない。
 『通貨の本質』『社会制度の本質』『政治の本質』『統治者について』そして『神』....。一旦、頭を入れ替える必要がある。そうでないと、彼らの思うつぼだ。
 そして何よりも、彼らにつけ込まれる心魂を見つめ直さねばならない。結局、欲に釣られて、彼らの思うつぼに嵌っている自分自身につて、悔い改めねばならない。【注釈終了】

【転載開始】『シオンの議定書』第五議定書
 いたる所で腐敗が広まっている社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく、懲罰厳 罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制支配なら適用できるか? あとで述べるような専制支配 以外に、どんな支配形態ならこのような社会にあてはめられるか? われわれは社会の全勢力をこの手に掌握せんがため強力に集中化した政府を樹立しようと思 う。われわれは新たな法律によって、国民の政治生活すべてを手加減することなく律しようと思う。それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一 つづつ全部取り潰すだろう。いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉でわれらに盾突くゴイムを一人残らず一掃する立場で臨み、専制ということの強力さ を遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。

 私が述べているような専制は、時代の推移にはそぐわないという意見も聞くが、事実は正反対であることを証明しよう。

 人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従った。だが、人民には権利というもの があるという考えをわれわれが彼らの心に植えつけてからは、彼らは王座に座る者を単に普通の人間とみなし始めた。〝神権による王〟の聖油は人民が見ている 前で王たちの額から消え失せてしまい、われわれが人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり、われわれがそれを押収した のである。

 加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、あるいは、ゴイムにはまるで解らない手段を動 員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んでわれらが支配の中枢である専門家がもともと手中にしていたものである。分析、観察、精緻な計算に 育てられ、この種の熟練技術に関してはわれわれには肩を並べる者がいないこと、練り上げられた政治行動と固い結束のどちらかではわれわれの競争相手がいな いのと同じである。いるといえば、イエズス会だけはわれわれと比べられるだろうが、われわれは無分別な群集の目には見える組織として存在するとは信じられ ないように工夫してきた。その裏でわれわれは終始一貫秘密の組織を維持し続けてきた。カトリックの首領であろうとシオンの血を受けたわれわれの独裁者であ ろうと、専制君主は専制君主であることに変わりはない。が、神の選民であるわれわれにとっては、このことは無関心ではいられないのである。
 ほんの一時は、われわれが全世界のゴイム連合にうまくしてやられることもあったやも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬほど 深く根を張った不一致があるので、われわれはついぞ危険にさらされずにいる。われわれは、ゴイムを宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を 繰り返すように仕組んだ。

 このことを過去二千年にわたって営々と積み重ねてきたので、手が付けられないほど劇しいものになっている。これが、わ れらに腕を振り上げたとし ても、支持してくれる国はどこにもただの一国もない理由である。われわれに対抗する同盟を結べば自分が不利になることを、どの国も肝に銘じているからであ る。われわれはあまりにも強力である・・われわれの力を逃れおおせるものはない。国家はわれわれの蔭の関与なしには、ほんの些細な協定を結ぶことすらでき ないようになっている。

 Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)。預言者たちによれば、われわれは世界のすべてを支配すべく神自身に選ばれたのである。神はわれわれがこの使 命を遂行できるように、われわれに天与の才を授けられた。仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、われわれに闘いを挑ん でいたであろうが、駆出し者 というものはしょせん古くから定着している者には太刀打ちできない。われわれと彼らのと闘いは、この世が始まって以来見たこともないような熾烈を極めたも のとなったであろう。さよう! 彼らの天才は現われるのが遅過ぎたのである。すべての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。エンジンはわれらの手中 にある。国家機構のエンジンとは・・金である。わが学識ある長老たちが創造した政治経済学は、長期にわたって資本に君主のような威信を与えてきた。

 資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占がはかられねばならぬ。そのことはすでに世界のあらゆる隅々で、見えざ る手によって実践に移されていることであり、そのことは人民を圧迫する助けとなろう。今日では、人民を武装解除させることは、戦争に赴かせることよりも重 要である。さらに重要なことは、われわれの都合からいえば、人民の焔を抑えることよりも燃え上らせることである。さらに重要なことは、他人の考えを根絶す るよりは、その考えをすばやく掴みとり、われわれに都合がよいように翻案することである。われわれの役員会が採択している原理に次のことがある。非難に よって大衆を意気阻喪させること、抵抗心をかき立てるまじめな思考をさせないようにすること、心の力を空理空論の論争にそらさせること。

 いつの時代でも世間の人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきた。競技場で見ることに満足しているが、約束されたことが実行され ているかどうかを考えてみようとする者はめったにいなくて、もっぱらショーを見るだけで満足している。そこでわれわれは、人民の利益が進歩に向っていると 声高く証明するショー団体を作るだろう。

 われわれは、あらゆる問題について、リベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が嫌になるほど喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるだろう。

 世論をわが方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説をいくつも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの頭を迷路に迷い込ませ て、一番いいのは政治上のことには何も意見をもたないことだと思い至らせなければならない。政治のことは一般大衆には解らない。なぜなら、大衆は自分たち を導く者を通じてしか理解できないからである。これが第一の秘訣である。

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 統治に成功するのに必要な第二の秘訣は、次のことにかかっている。すなわち、広い範囲にわたり国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖さ せ混沌に陥れ、その中にあっては自分がどこにいるのか見当がとれない有様にさせると、その結果、人民相互の理解ができなくなる。これこそ別の意味でわれら にとっては有利なこととなる。すなわち、諸党派の中に軋轢の種子を蒔き、まだわれわれに従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれわれわれの仕 事を妨害するような個人の企てに対して片っ端から気勢をそぐことになるのである。個人の企てほどまたとなく危険なものはない。その裏に天才があろうものな ら、このような企ては、われわれが軋轢の種子を蒔いた人民何百万人にも勝る力を持つのである。われわれはゴイム社会の教育を指導する際には、彼らが何か創 意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまうように仕向けなければならない。自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力に なる傾向がある。衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。これらありとあらゆる手段を駆使して、われわれはゴイムを疲労困憊させたあ げく、国境を越えた現実の力をわれわれに提供せざるをえなくなるだろう。その現実の力は、いかなる暴力も用いることなく、世界中の国家支配力を次第に吸収 して、超政府を形作るのである。今日の支配者たちに代わって、われわれは超国家管理機関という怪物を設けるであろう。その手は鉗子のようにあらゆる方向に 伸び、その組織は巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかないだろう。【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!④

2007-12-27 14:15:33 | Weblog
『シオンの議定書』第四議定書注釈
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 【第四議定書注釈開始】ここからは、第四議定書(下記転載文書)の注釈に入る。この第四議定書は、難解である。しかし、きわめて重要だ。彼ら (シオニストユダヤ人)の議定書の至る動機と云うか、愚痴も出ていて面白い。下記三段落の表現など完全愚痴ある。神への愚痴である。あるいは神の摂理 に従わない人民(ゴイム)への愚痴であって、おそらく、彼ら(シオニストユダヤ人)が受けてきた数々の迫害に対して、愚痴ったモノであろう。であるから、 そんな信仰など蝕み、破壊すると云っている。盗人の五分の魂、言い訳である。
 大意は、人民(ゴイム)の共和国を段階的に簒奪する犯行計画の曝露をしている。秘密結社(コンスピラシー)をもって、民衆煽動するとある。方 や共産主義運動であり、投機経済(資本主義経済)である。
者は彼ら(シオニストユダヤ人)の手強い敵を倒すため。後者は富の簒奪である。これは解りやす い。又、その通りの社会が現出していることに気が付くべきである。【注釈終了】
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【転載開始】『シオンの議定書』第四議定書
 どんな共和国もいくつかの段階を経る。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまないことから始ま る。次はデモゴギー、つまり民衆煽動である。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えない専制、専制の総本 山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働く だけに、手きびしいことでも平気でやる。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われないばかりか、秘密の勢力を効果的に助けている。しばしば交代する おかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。

 見えない勢力というものを転覆する位置にあるのはいったい誰か? ここにこそわれわれの特徴がある。非ユダヤ人を入れてあるメーソン員は、われ われとわれわれの目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされる。

 しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかないならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経 済の中に居場所があってもよろしいが、平等思想は自然法則にもとるものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かないところなのである。このよう な信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいい。そうでないからこそ、 われわれは信仰という信仰を蝕み、ゴイムの心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。

 ゴイムに考えたり留意観察したりする暇を与えないためには、彼らの気持を工業や商業に向き放しにさせなければならない。そうしてこそ、国民とい う国民が利益追求に没頭し、そのあげくに彼らの共同の敵に気をとめなくなるだろう。重ねて述べるが、自由がゴイム社会をきっぱりと崩壊滅亡せんがために は、投機を産業の基礎にしなければならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、すなわち、われらが 階級に転り込むであろう。

 他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう、いや、すでに生み出 している。かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるだろう。彼らの生きがいは唯一、利益、すなわち金を集めることである。彼らは金 があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すだろう。次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、 ただただ特権ゴイム憎しのために、ゴイムの下層階級は権力をめぐるわれらの競争相手、ゴイムの知識人たちに逆らってわれらの指導に従うであろう。【転載終 了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!③

2007-12-26 14:44:00 | Weblog
『シオンの議定書』第二議定書注釈

 【第二議定書注釈開始】注意深く、読めば解る通り、戦争は彼ら(シオニストユダヤ人)が必要としているとある。それは、一般に知られているよう に地政学上の理由ではないというのである。『領土的な利益をもたらさないように仕向ける』というのはそう言う意味である。オドロキだ。
 科学がコントロールされ、理論・イデオロギーは作り出されている。そして、世論も作り出されるモノである。と云っている。新聞とあるが、現代に置き換えるとマスメディア全般のことである。それを支配している。

 又、神と言及しているが、彼ら(シオニストユダヤ人)のいう神は、バフォメット(Baphomet)のことである。聖書で云うところの悪魔である。【注釈終了】

 第三議定書では、さらに踏み込んで、裏で支配する要諦に触れている。見落としてはならないことがある。『全世界王が王冠を戴く時が至れ ば.....』と云うことは、世界支配計画のことである。今から、100年以上前の、仮にも偽書であれ、そう言及している。そして、今や、グローバリズ ム、世界統一政府、One World Order。言及通りではないか。

【転載開始】『シオンの議定書』第三議定書
 今日、われわれはあと数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。横切るべき空間はあとわずかを残すのみであり、われわれが歩んできた長い道 のりは、今まさに象徴の蛇の輪を閉じようとしている。その蛇は、わが民を象徴している。この輪が閉じられるとき、ヨーロッパのすべての国家は強力な万力に よって締め上げられるのである。

 当今の国政機構の天秤はほとんど破壊しているも同然である。なぜならば、われわれが、支点を軸として揺れ動き転回させるべく、正確な均衡を欠く ように設定してあるからである。ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻すはずだと、ずっと期待し続け
ている。だが支 点・・王座に即いている王たち・・は、自分たちで押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員たちに取り巻かれている。この力は、宮 殿内に吹き込まれてきたテロルに負うている。王たちには人民に近付く手だてがない。まさに取り巻き連中のド真中で王位に就いている王たちは、もはや人民を 受け入れ、権力を追い求める者たちに対抗する強い力を与えてやることができない。明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失う ように、われわれは深い溝を設けた。盲人と彼の杖のように、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。

 権力を追い求める者たちを煽動して権力を誤用させるため、われわれは、すべての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹するよ うに仕向
けてきた。この目的に向って、われわれはどんな形の企てでも指嗾教唆し、あらゆる政党に戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権威に対して向けるよ うにさせた。国家というものを、われわれは混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである……ほどなく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。

 あとからあとから出てくるおしゃべり屋たちが、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレッ ト屋が毎日のように政府当局を攻撃する。権力に対する悪口雑言はすべての制度を転覆させる最後の一太刀となり、ことごとくが狂乱した群集のめった打ちに 会って空中に吹き飛ばされるであろう。

 なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりもきびしく、貧困なるがゆえに重い労働の鎖につながれている。なんとかし て彼らはこの束縛から逃れようとするかも知れないが、この重荷を取り除くことはでき
ず、決して貧困からは脱却できない。われわれが憲法に書き込んだ大衆に 関する権利というようなものは、虚構であって実際に使える権利などではない。いわゆる「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現され るはずのない観念としてのみ存在することができる。おしゃべり屋には無駄口をたたく権利があり、ジャーナリストには良いことも書くが阿呆なことを書きなぐ る権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を二重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。かつてプロレタリアー トは、われわれが説きつけたことに賛成し、われわれが権力の中に潜ませておいたわれらが代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、われらが食卓からパン 屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった……貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。なぜならば、ほとんど一 日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使うことによっては全く与えられないのだが、その一方で、彼は仲間たちが打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖に よって、確実な生活の資をすべて奪われるからである。

 われわれの誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益のために、貴族階級は人民の唯一の 保護者であり養い親であった。現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。

 われわれは、労働者にわが戦列・・社会主義者、無政府主義者、共産主義者・・に加わるよう提案し、振りかかる圧迫から彼らを救出する救世主を 買って出る。われわれは、われらがメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定めどおりに、一貫して主義者たちを支援している。貴族は、法律 によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者たちがよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。われわれは全く反対のこと・・劣化、 ゴイムから生命を奪うこと・・に関心を寄せている。われわれの権力は、労働者の慢性食料不足と
肉体的虚弱を必要とする。まさにそうしておいてこそ、彼はわ れわれの意のままに従うようになり、われわれに敵対する強さも意志もなくなり、自分たちの権威を見つけ出そうとはしなくなる。王たちが正当に貴族に与えた 権力よりも、さらに確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。

 飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、われわれは群集を動かし、彼らの手を使ってわれらが行く手を阻む者すべてを掃討するであろう。

 全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものをことごとく一掃するであろう。

 ゴイムはわれらの専門家たちの助言なしには、考えるという習慣を失ってしまった。ために、彼らは、われらの王国が実現したあかつきには、直ちに 採択しなければならない必要欠くべからざることが見えない。すなわち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教えることが肝要で あるということである・・それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分 かれなければならないということである。人間活動の実際にはさまざまな差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼ す者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の
責任を負うはずがないということは、万人が心得ておくことが肝要である。ゴイムには知 らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかけ離れた仕事をさせないようにしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落 差が悩みの元にならないように、万人に実地をもって示そうと思う。この知識を完璧に身に付けたあかつきには、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕 事を受け入れるであろう。現状の知識とわれわれが人民を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし・・われわれがかれらに誤りを吹き込んで きたためと、彼ら自身の無知のおかげとで・・これまでに考察した身分という身分に対して、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは階級と身分の意味を全く理 解していないことから来ている。

 この憎悪は、〝経済危機〟の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。われわれは、自 分たちが熟知している隠密な方法を総動員し、すべてわれわれの手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国 の労働者群集をいっせいにまとめて路上に放り出すだろう。これらの群集は、ただ単に無知であるがゆえに、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りに あげ、連中の財産を略奪できるだろう。

 彼らは〝われわれのもの〟には手をつけない。なぜなら、襲撃の時機を知っているのはわれわれであり、われわれは財産を守る手が打てるからである。


 われわれは進歩こそがすべてのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。われわれの専制は一分の隙もない独裁である。それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、すべての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。

 一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛のように襲いかかった が、盲人の習いでおのずとあまたの石に蹴つまづく結果となり、案内人を求めて猛進したが、今さら昔の状態に戻ることはできず、われらの足下に全権をゆだね てしまったのである。フランス革
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/71/91eb0dea876175b08a59fd6eb2104e2b.jpgを想起していただきたい。それを「大革命」と名付けたのはわれわれであった。その準備が秘密裡に行われたことを、われわ れは熟知している。あの革命は全面的にわれらの手で遂行した一大事業であったのである。

 その時以来、われわれは人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、彼らは、われわれが世界のために準備している、シオンの血を受けた専制君主に、われわれにも頼らずしても賛同するに至るはずである。

 今日、われわれは多国家にまたがる勢力として無敵である。何者かが攻撃しようとも、われわれは他の国家に支援されるからである。ゴイム人民の底 無しの無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが、弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく、罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認めようとしな いが、思い切った専制者の強圧に対しては殉教者のように耐える・・われわれの今日をあらしめたのは、[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。 現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かつてならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の二十人ぐらいは打ち首にしたであ ろう。

 この現象、同じ性質の事象と見えることに対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか?

 ここには厳然たる事実がある。現代の専制者たちは彼らの代理人を通じて、人民に向いこうささやくのである。権力をこういうふうに使えば、国家に は害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ・・人民の生活保護、国境を超えた人民どうしの友情、連帯、平等の権利という目的には。言わずもが なのことではあるが、彼らは、これらすべてはわれらの統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。

 かくて人民は正しいものを罰し不正なるものを許し、前にもまして、望んだことは何でも実現できると信じ込まされるのである。このような事態のおかげで、人民はあらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。

自由」なる言葉は、さまざまの人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、さらには神や自然の掟に対してまで闘争することに入らせ た。このため、われわれがわれらの王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、われわれは、目に触れる辞書か らは抹殺するであろう。

 獣たちは血をたらふく呑んで腹がふくれると眠り込むので、鎖につなぐのはいともたやすいというのは事実である。だが、血を呑まさなければ彼らは眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。
【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!②

2007-12-25 18:37:42 | Weblog
『シオンの議定書』第一議定書要約

 【要約開始】きわめて、簡単に要約する。要するに人間の統治は力以外ではあり得ないと断定する。であるから、シオニストユダヤ人がリベラリズム を創作して、「自由・平等・友愛」思想を啓蒙した。するとそれまでの統治機構を破壊し、今日の民主政体が生まれた。しかし、彼ら(シオニストユダヤ人)は 裏に隠れて、金力で支配しているから、民主主義などは豚小屋と同じで、政府は豚小屋の番人にすぎない。番人は、彼ら(シオニストユダヤ人)が、金力=権力 をもって自由に取り替えることが出来る。
 「自由・平等・友愛」など、何の根拠もないバラバラな思想であって、実質的な権力は薄弱であるので混乱を収めることは出来ない。のみならず、 彼ら(シオニストユダヤ人)はエージェントを使い、群衆にアルコール(麻薬etc.)・情欲・金銭欲に駆り立てて、独創性を削ぐから、政治的指導者も生ま れない。さらに、暴力とテロを煽り、あげくは戦争を誘発させ恐怖を醸成することによって、最終的には彼ら(シオニストユダヤ人)に泣きついて、統治権を明 け渡すようにし向ける。【要約終了】

 まさしく、現代の世相そのままではないか。歓楽、ドラッグ、SEX産業、テロ、そして戦争(テロとの戦い)その先にあるグローバリズム、世界統一政府、One World Order。
なんと驕り高ぶった考え方であろうか。彼ら(シオニストユダヤ人)こそ、選民であると云っている。

 そして第二議定書は語る。もはや、要約は必要ない。具体的にその手法を明らかにしている。驚くほどこれまでの近代史を言い得て妙である。

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【転載開始】『シオンの議定書』第二議定書
  われわれの目的には戦争は欠くべからざるものである。が、できる限り、戦争が領土的な利益をもたらさないように仕向けるべきである。そうすれ ば、戦争
は経済に基盤を置くようになり、各国はわれわれの支配の強力さを思い知らされるであろう。また、当事国は双方ともわれわれが国境を越えて放った代 理人団の思うがままに操られるだろう。私個人にはどんな制約があろうとも、かれらが百万の眼を持っていて監視するから、身動きがとれないなどというがな い。世界にまたがるわれわれの権利は、各国の権利を一掃するだろうが、国家の市民法が国民の関係を律するのと全く同じように、普通の権利という意味で、わ れわれの権利が正確に各国を律するであろう。

 われわれが公衆の中から選んだ行政官たちは、奴隷のように従順な資質であるかどうかを厳しく監視され、支配技術に長けた人物にはさせないだろ う。それゆえに、彼らが、全世界の諸問題を律すべく幼年期より養
育された助言者・専門家である学識者と天才の手の内にある将棋の駒となるのは容易である。 諸氏もご存知のように、これらわれらの専門家たちは、歴史の教訓や一瞬一瞬の現実の出来事の観察から、われらの政治計画に必要とする知識を体得しているの である。ゴイムは偏見なく歴史的観察を実際に適用することなく、一連の結果に厳しい批判を加えることなく、空理空論に走る。ゆえに、われわれは彼らに一顧 も与える必要もない・・時が一撃をくらわせるまで楽しませてやろうではないか。過去の栄光に新しい形を与える希望に生きさせてやろうではないか。古き良き 思い出にひたらせてやろうではないか。彼らには、われわれが〝科学が説くところでは〟(学説)と吹きこんだことを後生大事にいつまでも守らせておこうでは ないか。われわれが一貫して、新聞を通じて、声を大にしてそれらの学説を盲信させているのは、そのことが目的である。ゴイムの知識人たちは、彼らの知識に いい気になり、論理的検証を行なうことなく科学から得た知識すべてを信じこむだろう。その知識たるや、われらの代理人団たる専門家が、ゴイムの心魂を手な づけてわれわれが望む方向に赴かせんがために、巧みに断片を寄せ集めたものなのである。

 ここに述べたことは根も葉もないことであるとは、瞬時たりとも考えないでいただきたい。われわれが仕掛けたダーウィン主義、マルクス主義、ニー チェ主義が、いかに功を奏しているかに注目していただきたい。われらユダヤ人にとっては、少なくとも、これらの指導者たちがゴイムの心魂に及ぼしたことを 直視すれば、事は明白であるはずである。


 政治上の、また、行政上の諸問題の方向において些細な誤りを避けるためには、各国民の思想、性格、傾向を顧慮することが絶対に必要である。われ われの方式は、われわれが遭遇する人民の気質に応じてさまざまに仕組みの組み合せが案配されるけれども、もしも現在の光に照らして過去の教訓を集約するこ とを怠れば、この方式の勝利はおぼつかないだろう。

 今日の国家は、人民の世論を創り出す強力な力をその手に持っ
ている。すなわち、新聞である。新聞が果たす役割は、必要欠くべからざると考えられ ることを指摘し、人民の愚痴にはけ口を与え、不平不満を表明し作り出すことにある。言論の自由の勝利が具体的になるのは新聞においてである。だが、ゴイム の国家は、いかにこの力を効果的に使うかについては知っていたためしがなく、新聞はわれらが手中に落ちた。新聞を通じて、われわれはその背後にあって、影 響力を行使した。ヴァイスマン博士が、われわれが血と汗の大洋を越えて集結してきたにもかかわらず、金力がわれらの手中にあることを知悉していることは他 言を要しない。われわれは、あまたの同胞を犠牲にしてきたけれども、十分に報いられている。わが方の犠牲の一人一人は、神の見られるところでは、ゴイム一 千人に相当するのである。【転載終了】

すべては『シオンの議定書』にカギがある!!①

2007-12-24 20:22:13 | Weblog
『良い結果をもたらす嘘は,不幸をもたらす真実よりいい。<古代ペルシャの諺>』  


 はたして、表題の諺の意味するところは何であろうか。よく似た諺に『嘘も方便』と云うのがあるが、それと同じだろうか。良い結果とは何か。?  例えば、末期ガン患者に病名を隠すことを『嘘も方便』として、一般には認識しているが、是非はともかくとして程度において許される話である。しかし、ここ で言う嘘は偽善であって、良い結果というのは一部の奢り高ぶった人間にとっての結果である。
 すべての人々にとって、永い時をスパンに考察すると、『真実』こそ良い結果をもたらすモノである。私が、もし末期ガンになったとしたら、真実 を告げられることを選択する。仮令厳しい事実であっても、それが『真実』であるならば、受け入れなくてはならない。もし、嘘をもって一時的に安心を得て も、その後の人生が不実のまま経過する。それは永い時のスパンに於いて、不幸である。

 世の中に、真実よりも多くの嘘がまかり通るのは、この辺りの認識にあるのではないだろうか。今から、20年前、『シオンの議定書』という怪文書 を全文目にしたとき、驚いた。まさしく、現代の縮図がそれに書かれていたからである。あれから20年たった。一層その事は色濃くなっている。

 【転載開始】この『シオンの議定書』は『シオン長老の議定書』とか『ユダヤ・プロトコール』とも呼ばれています。1897年8月29日~31日 にスイスのバーゼルで、政治的シオニスト運動の国際組織「世界シオニスト機構」が創設された第一回シオニスト会議が開かれました。その席上で、ユダヤ人の 秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した「シオン長老作成の24項目の決議文」が流出したものであるとされています。

 これがのちに『シオンの議定書』という通称で世界的に翻訳され、「ユダヤ指導者による世界を裏面から操りながらのユダヤ王国再興世界支配計画が 明らかにされた」と物議をかもしだしました。ヒットラーは、この文書の内容をユダヤ人迫害の最大の理由づけにし、ホロコーストを起こす大きな要因にもなっ たとされています。

 現在、通説的には、『シオンの議定書』は1900年代初頭、ロシア政府のユダヤ人弾圧を正当化し、当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐 殺)を煽動するためにロシア帝政内務省の秘密警察の手の者によって書かれた偽物であるという説が有力です。しかし、この議定書は「偽書であっても内容は本 物」という評価もあり、その真偽は定かではありません。(後略)【転載終了】出典:日本人が知らない 恐るべき真実http://www.222.co.jp/blog/blog.aspx?id=3759&; amp; amp; pg=0& amp; amp; ref=B13953

 この『シオンの議定書』を全文掲載し、要約及び注釈を加えることにより、今時の世界とそれに切り離すことの出来ない身近な社会問題、各個の人生 の行く末に警告を発したいと思う。相当長い文書である。且つ、難解でもある。解釈もいろいろあろうとも思う。それはそれで結構である。それぞれの立場で、 まず接することがより大切と信じる。
 
 ここで云うユダヤ人とは、主としてアシュケナジーユダヤ人のことで、セム系のユダヤ人スファラディーユダヤ人のことではない。聖書に出てくるユ ダヤ人はスファラディーユダヤ人で、今世界の政治経済を牛耳っているのはアシュケナジーユダヤ人である。別名ハザール(カザール)ユダヤ人とも云う。改宗 ユダヤ人である。約1,000年前、ユダヤ教に改宗したハザール(カザール)人の総称である。シオニストユダヤ人はこれが主体である。

【転載開始】『シオンの議定書』(第一議定書)
 美辞麗句はさておいて、ひとつひとつの思想の意味を語ろうと思う。われわれを取り囲むもろもろの事実に比較と推論の光をあてようと思う。

 ここに私が提案したいのは、二つの視点、われわれ自身の視点とゴイム(すなわち非ユダヤ人)の視点から見たわれわれの体系である。

 悪い本能をもった人間の数は、善い人間の数をはるかにしのぐ。私は指摘しなければならない。かれらを統治するには、学者ふぜいの論議によってで はなく、暴力とテロリズムによって達成することが、最良の方法である、と。どんな人間も権力をめざし、誰も彼もができることなら独裁者になりたがる。わが 身の利益を手中にすることを抑えて、万人の利益のためにわが身を犠牲にしようという者は、めったにいるものではない。

 人間という名の猛獣を抑えてきたのは何であったか。今まで彼らを牽引してきたものは何であったか。

 社会の仕組みが始まった頃には、彼らは残忍で盲目的な力に服した。後には、法律に服した。法律も同じく力であり、仮面をつけた暴力に過ぎない。私は、自然法則に従って、権利は力の中に横たわっていると結論する。

 政治的自由は単なる思想であっていささかも事実ではない。が、政権をもっている党派を粉砕すべく、この思想を餌として人民大衆を自陣に引きつけ る必要があれば、その撒き方や使い方を知っていなければならない。その際、相手方が自由思想、いわゆるリベラリズムに感染していれば、そして、思想のため になら喜んで全力を投げうつつもりがあるならば、仕事はさらにやりやすくなる。この場合には、われわれの所説が勝利することは目に見えている。支配の手綱 が緩められると直ちに、新しい手に手綱が執られるのは、自然法則のおもむくところである。国家は盲目な力であって一日たりとも指導者なしにはすまされず、 新しい権力者は単にすでにリベラリズムによって弱められた前任者の地位に座るだけだからである。

 われわれの時代には、リベラルであった支配者の位置にとって代るのは金力である。かつては信仰が支配した時代があった。自由思想は誰ひとりとし てほどよい使い方を知らない。ゆえに、実現不可能である。人民を無秩序な群集に一変させるには、かれらに一定期間自治を与えるだけで十分である。与えた瞬 間から、共食い闘争が勃発し、階級間戦争に発展し、その真っただ中で国家は焔に包まれて炎上し、かれらの権威は一山の灰燼に帰するであろう。

 国家が内乱によって消耗するか、内部不一致のために外敵の手中に落ちるかでは・・どのみち、その国は回復できず滅亡するほかはない。その時こ そ、われらの出番である。完全にわれわれの手中にある資本の専制力が、その国に救いの藁を差しのべると、否応なくかれらはそれに縋りつかなければならな い。拒めば・・底に沈むのである。

 リベラルな考えをもっている人が、上述のような考えを不道徳であると言うならば、私は次の問いを投げ返したい・・どの国も両面の敵をもっている とする。外敵にはあらゆる策略を用い、たとえば敵には攻撃防御計画を伏せておき、夜間奇襲あるいは圧倒的優勢な戦力で撃破しても不道徳ではないとされるな らば、さらに悪質な敵、社会と福利の破壊者に対して同じ方法を用いることが、いかなる理由で不道徳かつ許しがたいと呼ばれなければならないのか?

 愚にもつかぬものではあっても反対とか批判とかはありうるし、うわべのことにしか理性の力が働かない人民は、反対ということを喜ぶものである。 かかる場合に、健全で論理的な精神が、道理の通った助言や議論の助けを借りてうまく大衆を導く希望をもてるのだろうか? もっぱらあさはかな情熱、つまら ない信念、習慣、伝統、感傷的な理論だけに囚われている間違いだらけの人々は、党派根性にとらわれる。そうなると、完全に理の通った議論を基にしたどんな 合意をも妨げる。群衆の解決というのはどれも偶然の結果か、表向きの多数決によるものであり、政治の裏を知らずに管理の中にアナーキーの種子を蒔くという 奇妙な解決を出航させる。

 政治は、道徳とは全く関係がない。道徳で統治する支配者は練達の政治家ではないから、彼の王座は動揺する。支配したいと思う者は・・われわれが 所有する新聞に感謝する・・気付かれぬように欺瞞と偽善との双方を用いなければならない。率直とか正直とかのような、偉大な国民資質と称されるものは、政 治にとっては悪徳である。それらは支配者を王座から転がり落とすのに効果あるもの、最も強力な敵よりも確実な破壊力を持つものなのである。そのような資質 は、ゴイムの王国の属性でなければならないが、われわれは決して彼らの轍を踏んではならない。

 われわれの権利は力の中に横たわる。〝権利〟なる言葉は抽象的な思考であって、なんら具体性はない。その言葉は次のことを意味するに過ぎない・・わが欲するものを我に与えよ。我が汝らよりも強きことを証せんがために。

 権利はどこから始まるか? どこで権利は終るか?

 権威の仕組みが薄弱で法律が空疎であり、リベラリズムの乱用により権利を乱発し支配者たちが脆弱となった国家ならどんな国でも、私は新たなる権 利を行使できる・・強者の権利によって打撃を与え、既存の秩序と法規の一切を粉砕し、すべての機構を再構築し、リベラリズムの中で放棄されてわれわれに残 された彼らの権威ある権利継ぐ王者となる。

 すべての形態の権力が動揺している現在、われわれの権力は、他のいかなる権力にもまして目に見えないであろう。いかなる狡猾な者もくつがえせな い強さに到達する瞬間まで、われわれの権力は表面には現われないからである。われわれが目下用いざるをえない一時的な悪から、確固たる支配という善が顕現 する。この善は、自由思想によって形無しにされた国民生活の仕組みを平常の状態に修復するだろう。結果は手段を正当化する。しかしながら、われわれの計画 においては、必要と有効なこと以上には、善とか道徳とかにはこだわらないことに留意しようではないか。

 われわれの前には戦略的に敷かれた計画がある。数世紀にわたるわれわれの辛苦の労働が無に帰する危険を顧みるならば、この路線から逸脱することは許されない。

 満足すべき行動を練りあげるためには、群集の狡猾さ、だらしなさ、情緒不安定、彼らの理解力の欠如を考慮に入れ、彼ら自身の生活状況、あるいは 彼ら自身の福利を顧慮する必要がある。群集の力は、盲目的であり、愚かしく、何かからの暗示にかけられるがままに動き、道理をわきまえないということを理 解しなければならない。盲人が盲人を導けば奈落に落ちこむのは必然である。群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり、政治を理解する ことはできず、指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成 り立たせているABCを理解することができるのである。

 人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢と、そこから生ずる無秩序状態に自滅 するのが関の山である。人民群集が穏やかに、つまらぬ嫉妬を交えた非難を言い立てずに、個々人の関心をごちゃまぜにしている国の諸問題を処理することが可 能だろうか? 外敵に対して自分自身を守ることが可能だろうか? それは考えられない。群集の頭数と同じだけバラバラになった計画が、一切の同質性を失っ て理解を絶し、実行不能となるからである。

 全体を適切に国家のいくつかの部分に割り当てるといったふうに、大規模かつ明確な諸計画を念入りに練れるのは独裁支配者だけである。このことか ら、どんな国でも申し分ない統治形態は、一人の責任ある人間の手に全機能を集中したものであるという明白な結論が得られる。絶対的な独裁なしには、その人 が誰であろうとも、群集によってではなく彼らを指導することによって遂行される文明の存在はありえない。群集は野蛮人であり、ことごとくの機会にその野蛮 さを発揮する。群集は自由を手にしたとたんにいち早くアナーキーに転ずる。アナーキーそれ自体は野蛮の最高の段階である。

 飲酒で馬鹿になりアルコール漬けになった動物どもを見よ。自由が彼らに節度なき飲酒の権利をもたらしたのである。それはわれわれやわれわれ一族 の歩む道ではない。ゴイムはアルコール飲料に酔いしれ、彼らの若者たちは因習陋習とごく若いうちから性的堕落に痴呆状態となって成長する。その性的堕落 は、われわれの特別な代理人・・富豪の邸宅の家庭教師、下男、女性家庭教師によって、書記その他によって、しばしばゴイムの娯楽場にいるわれらの女性たち によって手ほどきされた。彼ら代理人の最後に、私は、頽廃と奢侈に他の者たちを引き込む尖兵である、いわゆる「社交界の貴婦人たち」も入れておく。

 われわれの合い言葉は・・力と偽善である。特に力が、政治家に本質的に必要な才能の中に隠されているならば、力のみが政治的諸問題を克服する。 暴力は原則でなければならず、新権力の代理人の足もとに王冠を置こうとしない政府に対しては欺瞞と偽善が鉄則でなければならない。この悪は終局である善に 達するための手段にすぎない。それゆえに、われわれは、目的達成のために役立つときは、贈収賄、詐欺、裏切りをためらってはならない。政治の上では、支配 権を握って屈伏させるためならば、躊躇なく他人の財産を奪い取る方法を知っていなければならない。

 平和的な征服の道を進んでいるわれわれの国家は、盲目的な服従を強いるために恐怖を維持する必要から、目につかないけれども効果のある死刑宣告 をもって戦争の恐怖にとって代える権利を持っている。仮借ない厳しさだけが、国家の強さを見せつける最大の力である。単に利益を得るためのみならずわれわ れの義務としても、また、勝利のためにも、われわれは暴力と偽善による計画を保持し続けなければならない。報復主義は使われる手段と同じく、有無を言わさ ず強力である。それは手段そのものであるというよりも、われわれが勝利し、すべての政府をわれらの超政府にひざまづかせる厳格な教義なのである。われわれ は容赦なく不服従というものを根絶することを、十二分に思い知らせる。

 はるか以前の時代に遡れば、われわれは人民群集の中にあって「自由・平等・友愛」という言葉を叫んだ最初の人間であった。以来、幾度となく愚か なオウムたちが四方八方からこの餌に群がり集まり、世界の福利と、以前は群集の圧力に対してよく保護されていた個々人の真の自由を、この餌をもって破砕し 去った。ゴイムのうちの賢者になりたがり屋ども、知識人たちは、もともと中味のないこれらの言葉から何も作り出すことができなかった。これらの言葉が意味 するものと相互関係とを否定することには考え及びもしなかった。どこをどう見ても平等はなく、自由などありえず、自然そのものはその掟に従わせるように作 られているのと全く同じく、気質、性格、能力が不平等に作られていることを見なかった。群集が盲目であること、支配を頼むためにその中から選挙された成り 上がり者は、政治に関しては群集と全く同じく盲人であること、政治の奥義を授けられたる者は多少愚かであっても統治ができるが、反面、大天才であったとし ても奥義を授けられない者は政治に関しては無知蒙昧であることを、決して考えようとはしなかった・・これらのことを、ゴイムは一切顧みなかった。しかも一 貫して王朝支配が保たれたのは、これらの奥義に依ってきたからである。王室以外の者や統治される者には誰にも知らされない政治統治の奥義は、父から子へ一 子相伝で伝えられたのである。時代が過ぎ、政治の要諦を一子相伝する意義が失われた。これこそ、われわれの主義を成功に導く絶好の機会であった。

 地球のいたる所で、われらの盲目の代理人たちのおかげで、「自由・平等・友愛」という言葉が、われらの旗を熱狂的にかざす大群を、われわれの隊 列に引き入れてくれた。これらの言葉はまた常に、ゴイムの福利に穴をあけ、いたる所で平和、安寧、協同に終止符を打ち、ゴイムの国家の基礎を破壊する生き たエダシャクトリ[果樹の害虫]であった。後に述べるように、このことがわれわれの勝利を助けた。とりわけ、われわれが切札を手中にする可能性をもたらし た・・特権の破壊、言い換えればゴイムの貴族支配の存在そのものの破壊である。唯一、人民と国とを守るこの階級は、われわれに敵対したのである。ゴイムの 血統的な、系図上の貴族階級を滅亡させた所に、われわれは、金力の貴族が主導する、われらの教育を受けた階級を貴族として樹立した。われわれはこの貴族政 治の特徴を、われわれ自身のものである富と、われらが学識ある長老たちが備蓄した知識とによって確立した。

 われわれの勝利をいっそう容易ならしめた事実がある。好ましい人物たちとの関係を保つことによって、われわれは常に人間の心の琴線に触れ、金銭 欲に、貪欲に、人間のあくことを知らない物質的欲望に働きかけた。言うまでもなく、これら人間の弱点のひとつひとつには、独創性を麻痺させる効果がある。 この弱点のゆえに、かれらの行為に金を出してくれる人間に、自分の意志の最終決定をゆだねるのである。

 自由という言葉の抽象性のゆえに、われわれはすべての国の群集に、彼らの政府は国の所有者である人民のための豚小屋の番人に過ぎないのだ、番人は破れた手袋のように取り替えていいものなのだと説きつけることができた。

 人民の代表は取り替えられるものなのだ、ということは、われわれが自由に利用できるということであり、言うなれば、任命権をわれわれに預けたことになるのである。【転載終了】
※以後、24回、今回の要約・注釈付きで不連続掲載。