田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

ノーベル経済学賞とDr.Strangelove

2005-10-27 | Weblog
(注意! 『博士の異常な愛情』については完全ネタバレ)
 『2001年宇宙の旅』や『時計じかけのオレンジ』などの名作でしられるスタンリー・キューブリック監督に『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を・愛する・ようになったか』という作品がある。邦題の『博士の異常な愛情』は原題ではDr.Strangeloveとなっていて、これは映画の中に登場する元ナチスの科学者の名前である。アメリカ戦略空軍基地の司令官が部下に核兵器でソ連を先制攻撃しろ、という指令を出してしまうことから物語は展開する。これを知ったアメリカ政府はなんとかこの暴挙を止めようとするが、複雑な統制システムが裏目に出てしまい、ついにソ連の核兵器基地に水爆が投下される。ソ連側はアメリカ側に攻撃の意図がなく偶発の事故であることは認めているにもかかわらず、北極にある最終兵器(人類すべてを皆殺しにする報復兵器)が自動的に作動してしまう。

 名優ピーター・セラーズ演じるストレンジラブ博士は、アメリカ国防総省の地下にある会議室で大統領や政府高官、将軍たちを前にこの人類絶滅の危機を前にして狂気にみちた熱弁をふるうのである。「地下1000メートルに選ばれた人間が100年過ごせば地上に出られます。男性1に対して女性10を交配し、人類の伝統と未来を守るのです」。そして車椅子から立ち上がると、ストレンジラブ博士は“ハイル・ヒットラー”の姿勢をとりながら「総統! 歩けます」と叫ぶのである。映画はこの後、ヴェラ・リンの「また会いましょう」という優雅な歌声とともに、水爆による無数のキノコ雲の実写を流しながら終えるというまことにブラックな作品に仕上がっている。この映画の公開年はいまからちょうど40年前の1965年であり、その前後には米ソの核による人類最終戦争を描いた多くの映画作品が現れている。『渚にて』(1959年)、『未知への飛行』(1964年)、『駆逐艦ベッドフォード作戦』(1965年)、そして日本の円谷英二特撮による『世界大戦争』(1961年)などが代表的なものとして知られている。

 ちょうどこれらの米ソ冷戦やキューバ危機の悪夢を背景にした映画が続出したころ、今年度のノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングやロバート・オーマンらのゲーム理論の業績が登場した。特にストレジラブ博士と縁が深い業績が、シェリングの東西冷戦分析であろう。相手側の先制攻撃に対しては、自動的に核攻撃を行うシステムを構築することが抑止に有効であることをシェリングは証明した。一方の先制攻撃は互いの共倒れになるために、先制攻撃自体が抑制されるというわけである。これはストレンジラブ博士たちが直面した状況と同じであるのだが、シェリングの理論との重要な差異は事前のコミットメント(ゲームのプレイヤーがプレイの前に採用する戦略を明らかにし、確実にその行動を将来行うことをアナウンスすること)がストレンジラブ博士たちには欠けていたことである。ソ連の開発した自動報復最終兵器や、ストレンジラブ博士が開発中であった同種のシステムもともに相手方に十分知られていなかった。このようにコミットメントが不在の冷戦ゲームでは、ひょっとしたらキューブリックの映画のような事態があったかもしれない。しかし現実にはキューバ危機の反省から米ソはホットラインを開設し、また互いに報復システムへのコミットを明瞭にするなどの抑止策を徹底した。ところでブログ 「限界革命」によると、シェリングは『博士の異常な愛情』についてキューブリックに助言していたらしい。経済学と芸術の見事な共演を、公開40周年を迎えるこの映画を楽しみながら実感したい。