佐々木俊尚の「ITジャーナル」

佐々木俊尚の「ITジャーナル」

オヤジ系 vs 技術者系の溝は埋まるか

2004-10-29 | Weblog
 先日書いた元京大研究員、office氏の話をもう少し続けたい。

 彼の法廷における姿勢や発言を見ていると、非常に特異な気質というものを感じてしまう。それは発言内容の苛烈さや、挑発的なことばの使い方をとらえてそう思うのではない。office氏の論理の組み立て方や、論争する相手との距離の取り方に、独特なものを感じるのである。

 office氏の立ち位置は、こんな感じだ。
 まず質問に対しては、徹底的にロジカルに答えようとする。自分で組み立てたロジックに対して絶対的な信頼を持ち、そのロジックが自分のよりどころとなっている。仮に相手が感情的に攻撃してきたとしても動揺せず、あくまで自分のロジックに立てこもって攻撃に対応しようとする。だから決して挑発には乗らない。

 彼の性格を一般化するのはかなり危険だが、ある種の“技術者気質”に近いものを感じるのは私だけではないだろう。同じようなキャラクターを持っている人を、私は知り合いの中に何人か思い出すことができる。全員が技術者である。

 ポジティブに言えば、彼らはとても公明正大であり、無私である。ある種の正義を体現している。しかしネガティブな言い方をすれば、あまりにも容赦がなく、余裕も乏しい。とはいえ、これからのIT化社会では、こうした立ち位置を持つ人たちの重要性が高まっていくような気もする。

 話を戻そう。

 office氏のそうした振る舞いを見ていると、コンピュータソフトウエア著作権協会(ACCS)との間でなぜこれほどまでに対立が深まったのか、少し理解できる気もする。

 それはこの事件で、office氏との交渉を続けたACCSの久保田裕事務局長との問題である。2人の間には、広くて深い溝のようなものがあるように思える。

 久保田事務局長は、office氏とはまったく違った立ち位置にいる人物といっていい。歩んできた人生が異なれば、人生に対する見方も異なる。人との距離感もまったく違う。ものごとの見方が違う。

 久保田事務局長は元週刊誌記者。いわゆるトップ屋である。途中で著作権の世界にはまりこみ、苦労してACCSという団体を立ち上げ、ここまで育ててきた。ひげ面に日焼けした顔は、いかにも体育会系である。実際、少年ラグビーの指導者も務めている。ちょっと不良で明朗活発で、おまけに押しはめっぽう強い。私は個人的には非常に好きなのだが、しかしオタク的な気質とはものすごく遠いところにいる人である。

 少し古い話をしてみよう。

 数年前、中古ゲーム問題というのがあった。中古ゲームの販売が著作権に抵触するのかどうかをめぐって、裁判で争われたというものだ。そしてこの当時、久保田事務局長は「中古ゲームの販売の際、ゲーム店は一定の著作権料を支払ってクリエイターに還元すべきだ」と表明し、中古ゲームの完全自由化を求めていたユーザーグループからかなりの反発を受けた。

 私は当時、ある月刊誌の編集をしていて、久保田事務局長と中古ゲームのユーザーグループの対談を計画した。編集部のあるビルの会議室に双方に集まってもらい、存分に話し合ってもらうという企画だった。

 だが蓋を開けてみると、対談は成功とは言いがたいものになった。久保田事務局長らACCS側の論客たちがガンガンしゃべり、20代の若者たちが中心だったユーザーグループの面々は、もっぱら聞き役となってしまったのだった。

 対談が終わった後、近くのファミリーレストランに席を移し、ビールを飲みながら歓談した。といっても、主にしゃべっていたのはACCSの人たちである。そんな風にしてその日は終わり、久保田事務局長は嬉しそうに話した。

 「会う前はどんな連中かと思ったけど、みんないい子たちだなあ。僕らの意見をわかってもらえて、今日は本当に良かったよ」

 ところが翌日になってみると、ユーザーグループが開設しているウエブの掲示板には久保田事務局長への不満が盛んに書き込まれ、爆発寸前の状態になっていた。

 私はその夕方、久保田事務局長に電話した。

 「いったいどう対処しましょうか」

 彼はほとほと困り果てたという口調で言った。

 「あんなにわかってもらえたと思っていたのに、なんでこういう反応になっちゃうの? ぼくは彼らの考えていることがよくわからんよ」

 実のところ身も蓋もなく言ってしまえば、ユーザーグループの若者たちは対談の場では久保田事務局長の押しの強さに、圧倒されて何もしゃべることができなかっただけなのである。しかし久保田事務局長は、そんなことは想像もしていなかった。

 その時、電話の中で久保田事務局長はこう言ったのだ。「どうして言いたいことがあるんなら、対談の時にガンガン言ってくれないんだ? 腹を割って話し合えば分かり合えるはずじゃないか」

 彼には、オタクの若者たちのスピリットがあまり理解できていなかった。それは正直なところ私もまったく同じで、新聞社というオヤジ臭い会社から転職したばかりの人間にとっては、技術者文化というのはかなり遠いところにある存在だったのだ。久保田事務局長も私も、

 「酒を飲んで、腹を割って話し合うのが大人のつきあい」

 なんて思っていたのである。

 しかし酒を飲んで腹を割って話し合って、すべてが済んでしまうのであれば警察はいらない。警察は要らないどころか、それは腐敗の発端にさえなりかねない。そして世の中は徐々に、そういう文化から脱却しつつある。「大人になれよ」と言われて大人になって、気がつけば腹に何でも呑み込んでしまって社会正義や本音を語らずに生きていくようになるのが古い大人文化だとすれば、現在のインターネットを担う世界は、そういった文化からは高速で遠ざかりつつある。

 そうした古い大人文化と、インターネット社会の親和性はとても低い。両者の間には、広くて深い溝が横たわっている。