1幕で圧倒され、2幕は口が開きっぱなしだった。
手塚治虫が描くロボットと人間が共存する近未来の世界…。
漫画でロボットを描けても、それを舞台化するとなると妙に子供向けのショーのような空気になってしまわないのか?
私は原作を全く知らず、未來がアトムを演じるってことくらいの予備知識でコクーンへ行きました。
劇場に入ると、ステージ際とサイドにガラクタのようになった、ロボットの欠片が山のように積まれたセット。
これを見た時点で、既に心がキュッってなりました。
限りなく人間に近いロボット…生活も人間と同じ。
人間役とロボット役、その違いを見せるのは、ダンサーさんたちでした。
アトムやウラン、その他、高性能のロボットたちが動く際、1ロボットに対して、3人ダンサーが周りを囲み、頭、腕、足の動きをコントロールします。
それによって、ロボットは動く…という役者さんたちは、大変です。自分の意志であって自分ではない何かに動かされるという「動き」。
そして、ロボット其々の特性により、話し方がより人間らしかったり、知的、無邪気、など、動きやセリフ回しも演じ分けられていて、実に細かく演出されています。
手塚治虫という漫画家が、時代を超えても「凄い」と思われる理由を見せられたというか、体感したというか…。
近未来に人間とロボットの共存があるかもしれない。そのことから生まれるであろう、歪み。
それが単純な戦いではなく、ロボット側にも、実に人間らしい感情が複雑に交錯していって、登場する人間やロボット、それぞれの感情に自分がリンクしていくのを
感じました。
この舞台、原作が手塚治虫、漫画は浦沢直樹、アトムに森山未來…。
どんな風に子供ショーにならずに、この壮大な世界に客を引き込むのか…演出が素晴らしかった。
セットとなる、色んな形をした白のオブジェをダンサーの皆さんが巧みに操る。移動させたり組み合わせたり、実に多様。
これ、数秒単位でくるくる変わる段取り、ダンサーさんたちは、踊りつつ、ロボットを操りつつ、この作業、相当短変だったと思います。
でも、それが1秒の狂いもなく、場面を変えていき、組み合わさる白のセットに映し出される、浦沢さんの絵が、回想シーンだったり、イメージだったり…。
舞台の役者たちと、スクリーンの絵の中の人物との共演が、時間と場所を超えていく、見事な融合にただただ、見入るばかり。
これらを作り上げた演出家、シディ・ラルビ・シェルカウイさん。
ダンサー、振付師にして演出家。世界中からオファーが絶えない天才ということが、実感できました。
役者さんたちが演じるロボット以外に、見たままイメージ通りのロボットも出てきます。
それを操るのもダンサーさんたち(イメージはマリオネット)。動きが絶妙に上手い。ロボットの周りにダンサーさんたちが隠れることなく見えているのに、
こちらの視線はロボットに、しっかりとフォーカスします。
何より引きつけられたのは、ブラウというロボット。
浦沢さんの絵、まんま再現され、その動きはもちろん、ダンサーさんが操り、すぐ後ろにマントを被って声を出すのが江本明さん。
上手い、見事、としか言えない。ブラウそのもの。声と動きのリンクは、そこにリアルな「ブラウ」を出現させていました。
細部にまで計算された演出によって、私は舞台を観たのではなく、次元を超えて、PLUTOの世界の中に一緒に生きている錯覚に陥ってました。
2幕、原作を知らない私は、これで終わりかな?と数度思いましたが、しっかりと最後の最後まで描かれます。
そして、最後にPLUTOを見つめ、佇むアトムの気持ちと同じ気持ちになっていました。
後ろの座席にいた人は、原作読んでないと分からないよね、と話していましたが、全くそんなことは無かったす。
このストーリーに込められた手塚治虫さんの「想い」が、胸に刺さりました。
劇場を出ながら、原作を読んだ上で、もう2・3回観たいと思いました。
それと、この作品の前の「Te Zuka」。演出家シディ・ラルビ・シェルカウイと未來のコンビ、観ておけばよかったと激しく後悔。
余談:アトム役の未來、外見は浦沢直樹さんの「アトム」でしたが、髪型が斜め前と斜め後ろが少しだけツンって跳ねてて、そこは
こっそりと、可愛い鉄腕アトムでした。
そして、この作品、評判が良いのか、コクーンの3階席までびっしりと立ち見が出ていました。
手塚治虫が描くロボットと人間が共存する近未来の世界…。
漫画でロボットを描けても、それを舞台化するとなると妙に子供向けのショーのような空気になってしまわないのか?
私は原作を全く知らず、未來がアトムを演じるってことくらいの予備知識でコクーンへ行きました。
劇場に入ると、ステージ際とサイドにガラクタのようになった、ロボットの欠片が山のように積まれたセット。
これを見た時点で、既に心がキュッってなりました。
限りなく人間に近いロボット…生活も人間と同じ。
人間役とロボット役、その違いを見せるのは、ダンサーさんたちでした。
アトムやウラン、その他、高性能のロボットたちが動く際、1ロボットに対して、3人ダンサーが周りを囲み、頭、腕、足の動きをコントロールします。
それによって、ロボットは動く…という役者さんたちは、大変です。自分の意志であって自分ではない何かに動かされるという「動き」。
そして、ロボット其々の特性により、話し方がより人間らしかったり、知的、無邪気、など、動きやセリフ回しも演じ分けられていて、実に細かく演出されています。
手塚治虫という漫画家が、時代を超えても「凄い」と思われる理由を見せられたというか、体感したというか…。
近未来に人間とロボットの共存があるかもしれない。そのことから生まれるであろう、歪み。
それが単純な戦いではなく、ロボット側にも、実に人間らしい感情が複雑に交錯していって、登場する人間やロボット、それぞれの感情に自分がリンクしていくのを
感じました。
この舞台、原作が手塚治虫、漫画は浦沢直樹、アトムに森山未來…。
どんな風に子供ショーにならずに、この壮大な世界に客を引き込むのか…演出が素晴らしかった。
セットとなる、色んな形をした白のオブジェをダンサーの皆さんが巧みに操る。移動させたり組み合わせたり、実に多様。
これ、数秒単位でくるくる変わる段取り、ダンサーさんたちは、踊りつつ、ロボットを操りつつ、この作業、相当短変だったと思います。
でも、それが1秒の狂いもなく、場面を変えていき、組み合わさる白のセットに映し出される、浦沢さんの絵が、回想シーンだったり、イメージだったり…。
舞台の役者たちと、スクリーンの絵の中の人物との共演が、時間と場所を超えていく、見事な融合にただただ、見入るばかり。
これらを作り上げた演出家、シディ・ラルビ・シェルカウイさん。
ダンサー、振付師にして演出家。世界中からオファーが絶えない天才ということが、実感できました。
役者さんたちが演じるロボット以外に、見たままイメージ通りのロボットも出てきます。
それを操るのもダンサーさんたち(イメージはマリオネット)。動きが絶妙に上手い。ロボットの周りにダンサーさんたちが隠れることなく見えているのに、
こちらの視線はロボットに、しっかりとフォーカスします。
何より引きつけられたのは、ブラウというロボット。
浦沢さんの絵、まんま再現され、その動きはもちろん、ダンサーさんが操り、すぐ後ろにマントを被って声を出すのが江本明さん。
上手い、見事、としか言えない。ブラウそのもの。声と動きのリンクは、そこにリアルな「ブラウ」を出現させていました。
細部にまで計算された演出によって、私は舞台を観たのではなく、次元を超えて、PLUTOの世界の中に一緒に生きている錯覚に陥ってました。
2幕、原作を知らない私は、これで終わりかな?と数度思いましたが、しっかりと最後の最後まで描かれます。
そして、最後にPLUTOを見つめ、佇むアトムの気持ちと同じ気持ちになっていました。
後ろの座席にいた人は、原作読んでないと分からないよね、と話していましたが、全くそんなことは無かったす。
このストーリーに込められた手塚治虫さんの「想い」が、胸に刺さりました。
劇場を出ながら、原作を読んだ上で、もう2・3回観たいと思いました。
それと、この作品の前の「Te Zuka」。演出家シディ・ラルビ・シェルカウイと未來のコンビ、観ておけばよかったと激しく後悔。
余談:アトム役の未來、外見は浦沢直樹さんの「アトム」でしたが、髪型が斜め前と斜め後ろが少しだけツンって跳ねてて、そこは
こっそりと、可愛い鉄腕アトムでした。
そして、この作品、評判が良いのか、コクーンの3階席までびっしりと立ち見が出ていました。