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◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第十章 理想実現の方法とアメリカの使命 P106~116
・・・。エミール師は語り続ける。「以上の事が只一人の人間の意識に植えつけられ伸ばされた信念の小さな種子によって可能となったことを、よく考えて頂きたい。さて次にはどんなことが起こったか、お分かりでしょうか。当時、コロンブスは現実離れの夢想家と思われたものでした。昨日の夢は今日の現実にほかならぬことを信じ、且つ知るところにわたしどもは来つつありはしないでしょうか。
ひとかどの事を仕遂げた人で夢想家呼ばわりをされなかった者がいるでしょうか。事実、彼のヴィジョンは只の夢でしかなかったろうか。夢とは、実は、偉大なる普遍心、即ち神によって人の魂に植えつけられ、やがて現(うつつ)として提示された神の理念ではなかったか。彼は自分の意識の中で、遙か彼方に一個の陸地をありありと霊視し、海図にもない海の上にそれを定着させたのではないか。
その土地がもたらす約束と卓越とをコロンブスが知っていたかどうか。或いは又アメリカと名付けられるかどうかをコロンブスが知っていたか否かは、わたしには分からない。それは多分、コロンブスの後代の人々の為に取っておかれた問題でありましょう。要するにそれは夢と或いはヴィジョンであったということであります。わたしたちはすでに、若干の驚くべき事が実現したのを目のあたりに見た。
しかしコロンブスのこの一個のヴィジョンの結果としていかなる驚嘆がもたらされるかは只想像に待つのみです。このようにして世界を住み心地よきものとする助けとなった多くのヴィジョンを、ここで語り直すこともできます。神が一切を通じて現れ給う行き方はこんな風ではないでしょうか。つまり、意識的にしろ無意識的にしろ、神に対し大いなる信念を持った者がヴィジョンを実現する。
心の中に到着点だけを確信し続けて当時の海図にもない海、困難、試錬、失意に乗り出したあの魂を思っても見よ。その後、次々と起こった事件は、遂に且つまた必然的に、自分らの流儀で神を礼拝する信仰の自由を求めて、僅か一握りほどの人々がメイフラワー号に乗船するかの日を迎えたのです。自分らの流儀でということに思いを致して欲しい。神霊と、後になって起こる出来事に照らし合わして考えて初めて本当の事が分かるものです。
このメイフラワー号の人達は彼ら自身の考えていた以上の大いなる業を仕遂げたのです。これらの出来事の上に大全能者の手が見えるではありませんか。しかし、やがて最初の開拓部落がケシ飛んだかの如くにも思われた暗黒時代が来はしたが、神がその御手を按(お)き給うた者は必ず勝利することにきまっています。その後、独立宣言(2)に署名がなされ、神と抑圧者(3)のいずれを撰ぶかを定める重大なる日は来たのである。
誰が勝利したか、常に勝利を占めることになっているのは誰であるのか。あなた方が理解するとせぬとに関わらず、あの記憶さるべき建国時代の小さな一群の闘士達と独立宣言書への彼らの署名とは、イエスの地上への到来以来の最も偉大なる出来事の一つなのです。かくして自由の鐘は鳴り出した。皆さんは信ずるかどうか分からないが、あの鐘の第一声は丁度鐘の真下に立ってでもいるかの様にわたしたちにはっきりと聞こえたのです。
あの鐘の小さな中心から発したヴァイブレーションは拡大されて行き、遂に何時の日にかは、全地上の最も深く最も暗い隅にも浸透し、最も蒙昧無知なる暗い心をも啓蒙するでしょう。独立宣言が為されるまでの苦難や浮沈を考えてごらんなさい。かの日(自由という実(げ)に偉大なる子が生まれたではないか。この子の後盾となるために敢(あ)えて地上に現れ出た偉大なる魂の持主たちを見るがよい。もしもこの人達が失望落胆でもしたなら、一体どうなったことだろう。
しかし彼らは挫けもせず気落ちもしなかった。そしてどうなったか。地上最大の国家が誕生したのである。その後の艱難困苦は何を物語るでしょうか。それはかの偉大なる魂、ナザレのイエスの魂の展開と密接な関係はないでしょうか。あの日、独立宣言書に署名した人々を、馬小屋で、神の嬰児(みどりご)が誕生したこと、即ち人間におけるキリスト意識の誕生を象徴する星を見た東方の賢人達に譬えることは出来ないでしょうか。
宣言書に署名した人達は、東方の賢人たちのように、自由という大いなる星を見たのではないでしょうか。あの独立宣言に盛られた言葉を憶い起こせば、一つ一つが神催しであったことに疑いの余地はありません。考えてもごらんなさい。どこの国の歴史にこれに比肩し得るものがあるだろうか。現在においても過去においても、この独立宣言書の手本になるようなものがあったでしょうか。また、それが神の霊的普遍原質から来たことに疑いがあるでしょうか。
神の創造計画が顕現していく過程の一部分であることに疑いがあろうか。その後の神の真理の顕現過程において採択された『多即一』(5)という合言葉が神来のものであることに疑問があり得るであろうか。それはもはや人間心から機械的に出たものではない。『われら神に信託す』(6)というあの象徴的語句は、一切の創造主である神への最も楽天的な信念、信頼を示すものではないでしょうか。
更に又、あの鷲(最高の憧憬を象徴する鳥)を国の象徴として撰んだこと(7)、それはこの人々が魂深く霊的であったか又は人間知恵を超える建設をしたことを示す。すべてが神霊によって導かれたことを、一瞬でも疑うことができるでしょうか。以上はアメリカが全世界のガイドとなるべく定められていることを物語るものではないでしょうか。お国の国民史を考えてごらんなさい、それは地球上の諸国民の歴史に類を見ないものです。
お国の歴史の各段階が次々とその使命達成に向かって導かれているではありませんか。聖旨を実現しようとして働き給う神の心以外に、導きの主が考えられるでしょうか。アメリカの運命を導いているのが偉大なる全能の神であることに疑いをさしはさむことができましょうか。
芥子種子は種子の中でも一番小さい方ではあるが、種子の中には草の中でも一番大きい『生えては樹となり鳥たちがきてその枝に棲む』芥子の樹となる力が備わっているという信念があるように、又一粒の種子でもその中に最大の生長を現す力のあることを教えこまれているように、わたしどもは最大なるものを現す力が内在していることを知らなければならない。
『汝ら一粒の芥子種子の如き信仰だにあらば(この信仰は知識となる)、かの山に向かいて「動きて彼方に到れ」と言わんに動くべし。かくて汝らに為し能わざるものなかるべし』。イエスがこの譬えを出されたのは、信仰の量ではなくて質のことを云われたのです。このようにして最もか弱いケシの種子から最も強い菩提樹に至るまでそのほか、球根、樹木の種子など、いずれも自分の最大のものを表現していることを知っている。
それぞれが自分の表現しなければならない精細な未来像を持っています。
従ってわたしどもは自分の表現したいと思う精細な未来像を自分の中に持っていなければならないのです。その上それに頻繁に手入れをして完全な相に保っていなければならない。そうすれば完全なる相となって具体化してきます。どのような花でも、この内部の完全にする力なくして咲き出でたためしはありません。
一瞬間前までは蕾が萼片という花の自我の中に閉じ込められていても、この内在の完全化作用が完全に働いた時、花がパッと美しく咲き出るものです。地中に落ちた種子が伸びて、殖える為には、先ず自我の殻から出なければならない。そのように、人間も実相を開顕するためには自我を出なければならない。生長するためには種子がその殻を打ち破らねばならないように、わたしどもも生長する為には自我を打ち破らねばならない。
この内なる完全化作用が完了した時、わたしどもは花のように美しく咲き出る。個人の場合も国家の場合も同じです。国家にキリスト(神の子)意識が十分に発達すれば、その国家国民の為す業は必ずやすべての人々にとって善となるに違いない。何故ならば、政治は国民の意識に根ざし、国民の意識が核心となるものだからです。ところがそれから先では、重大な間違いを犯してしまいました。皆さんは自国の霊的意義を語らず圧倒的大多数の人々は、まだ物質的偏性の中に眠っているからです。
偉大なる魂の持ち主たちが貴国の運命を導いたこと、しかし彼らは人々から殆どその真価を認められることなく死んで行ったことを、わたしはよく知っています。建国の道は鋸の歯の如くに凸凹が多く、灌木だらけで困難であった。それは人間がこれまで自己限定の考え方をし、卑俗な考え方で道を築いてきたからです。成程、人間はこれまで数々の驚嘆すべきことを為し遂げてきました。
しかし、もし一層充実した深い霊的意識を理解し適用しておれば、もっと素晴らしい驚くべきことを成就したに違いないのです。ここに深く思いを致すべきであります。これを言い換えればもしキリスト(人間の実相)が国家という舟の舳に立っていたなら、又、すべての人々がイエスの如くに真理を知ることができたなら、即ちすべての人々の中にキリストが在り、すべてが一心となっていたなら、如何に驚くべきことが今日までに啓示されていたでしょうか。
しかし、多即一の深い霊的意義を把握しさえすれば、今なお、この栄光が来る可能性はあります。一者が多者を通じて現れ、一者は多者によって成り、又多者の為に在るという、この真理が神の第一の偉大なる法則の一つなのであります。これまでに築かれた国家を全部考えて見なさい。唯物主義がいつともなしに忍び込み、次第に全国家構造を蝕み、遂にそれ自身の異常な重みで崩壊するか、或いは建国の原動力となった法則を誤用して破壊でもしない限り、正確なる霊的理解の上に築かれた国家が最も長く存続したし、又、永久に存続するでしょう。
各国家が没落したら後はどうなったでしょうか。神の原則は依然として保持されていることが分かります。即ち、次々と失敗は起きて行くが、その失敗の中に、実は徐々に向上し前進していくのが読み取られます。こうして終局において、すべては神=多即一に帰趨しなければならないのです。同胞諸君よ、以上のことを悟るのに、何も予言者を必要としません。
コロンブスがアメリカ発見の船路に出発した当時と、その後暫くの間のスペインがどんな国であったか、このスペインが今ではどうなっているかを見るがよい。遠からずスペインは自分の子(属領と戦争をするでしょう。その時たとえよろよろしながらでも立派に戦う事も旗色を挽回する事も殆どできない、どうにも仕様のない無力な国民になり果てたことが露呈するでしょう。しからばその無力は一体何から来るのでしょうか。それは国家としての活力の喪失ではないでしょうか。
国民にしても個人にしても常にそのようなものではないでしょうか。貧慾、獣慾その他肉体上の慾望は全て充足されれば結果は常に同じものです。なるほど繁栄や成功はしたように見える。しかし結局は短命に終わります。恰も老人のよろよろした不確かな足どりのようなもので、老衰し、憔悴し、消耗した形態が、短命の事実を物語っている。しかしこれに反し、もし国家の霊的力を保持し発展させるならば、五百年たっても、五千年たっても、一万年経ても、否、永久に、(この国家は)全盛期のように活気凛々とし、活力に満ちるでしょう。
新しき時代の夜明け、神霊の清浄なる白光満「水晶の御代」を、わたしたちはどんなに待ち望んでいることか。その夜が今明けつつある。夜の帳(とばり)が次第に破れ、間もなく昼は近づき、真昼の光炎と栄光とが見られるであろう。その時、もはや闇ひとつなく、制約するもの一つないでありましょう。それは永遠の進歩がなされるべきことを暗示している。
もしも永遠の進歩がなされなければすべてのものはその本源である普遍原質に還らなければならない。すべては進歩か退歩かの何れかがあるのみで、どっちつかずの中間もないし、停止もない。もし皆さんのお国がその実相、或いは使命を認め、神霊と手を組んで神の聖心(みこころ)をおのが心として、言い換えれば、神霊をおのが内奥より流露させるなら、もはや人間の言葉を以てしては形容もできぬほどの驚異が実現されるでしょう。国家の発展期中、国民の団結を保つには鷲の強大なる嘴と爪にも似た力を必要としたことは疑いを容れない。
しかし、真の霊の光たらんか、鳩は鷲よりも強力となり、鷲のいま警術しているものを鳩が保護するようになるのが分かるようになるでしょう。皆さんが世界至るところの貿易先に送り込んでいる通過の上にある文字を見てごらんなさい――『われら神に信託す』『多より一』――これこそがアメリカのような国家が生存していく上で、鳩が鷲にとってかわる時の神霊のスローガンであります」。
エミール師の説法はここで終わり、「二百哩先の村に集まっている人達の中に会いたい人がいるので、暫くの間お別れします。四日後に皆さんがお着きになる六十哩先の部落で、又一緒になりましょう」と挨拶すると姿がかき消え、事実四日後に国境の或る部落で、四名の人を連れて、又一緒になったのである。
訳者註
(1) アメリカ合衆国は、当時ヨーロッパにあった秘密の諸結社が、自由と平等とを実現する新しき国家を創設することを合同で謀り、更にその為の指導が「沈黙せる機関」によって為され、建国事業が危機に蓬着すると、この機関より神秘の人物が派遣され、恐れ挫けようとする人々を再び奮起せしめるのであった。独立宣言書の草案、国旗、国家象徴の制定、貨幣上の刻印等、すべてその霊導による。前期の「沈黙せる機関」は諸国民と諸宗教を霊導し、その理念実現のために諸国家を創建する。その理念に忠実なる国家、国民は存続し、それに背離するものは、「神々を知ること」を止めたアトランティスの如くに亡びる。(Manly P、Hallの研究による)
(2) 一七七六年
(3) アメリカを植民地としていた当時のイギリス
(4) 新約聖書マタイ伝二章二節
(5) 合衆国々璽の表面には、胸に紋章を当てた鷲が羽を拡げ、口にはE PLURIBUS UNUM「多より一」とラテン語の記されたリボンを口にくわえ、十三枚の尾の羽根をもち、右足に十三枚の果実をつけた十三枚の葉のついている木の枝を握り、左足に十三本の矢を握り、更に頭上には、丸い雲の中に十三の星が輝いている図が描かれている。十三は古代の聖徒にとっては聖なる数である。裏面には、下にラテン語で、NOVUS ORDO SECLORUM(世界の新しき秩序)の文字があり、その上に十三段階のピラミッドが描かれているが、頂上の冠石はなく(その理由は本叢書第三巻十七章、訳者註9、参照)頂上にあたるところに三角(冠石に相当)の光の中に目が輝いている。これは「一切を見給う神」を象徴し、その上にラテン語でANNUIT COEPTIS(神は吾々の企てを嘉し給う)とある。この文字も前記のE PLURIBUS UNUM(多より一)も夫々の字数の合計は十三である。
(6) アメリカの硬貨にはすべてラテン語で「多より一」及び英語で「われら神に信託す」と、刻印されている。ちなみに、最も大衆に使用される一弗紙幣の裏面には、註5に説明されている国璽(合衆国の象徴)の両図柄が印刷されている。
(7) 鷲は空を飛ぶ鳥類の王であるから、人間の実相としての霊を象徴する。歴史的には、最初は鷲ではなく、不死を表す不死鳥フェニックスが用いられていたという。