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◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第三巻 第六章 新人類出現の予言 P83~P91
牟尼(ムニ)の説法
「世界には二つの出来事しかない、人間の意識が確立される以前に既に存在して、現在も実在し未来も存続するものと、人類が人間の智慧で今日まで考えて来、又将来も考えて行くものとの二つである。意識が始まる以前に在ったものは久遠常在であるが、人間の考えるものは無常不確実である。
意識以前に在ったものこそ真理であり、人間が真理だと考えるものは人間にとってのみ真理なのである。偉大なる真理の法則が意識されると、今日までの人間の誤った考えは全部雲散霧消してしまう。幾世紀もの時が経ち、進化の過程によって物質の面沙(ヘール)が払いのけられると、人類は真理(われわれの所謂、原始宇宙の事実)に回帰しようとする想いが蘇ってくる。
そして過去の記憶に満ち、現在の事実に直面しながら、未来への予言を帯びるこれらの想いが、進化し行く全人類意識の道の上に明瞭に現われてくる。こうして人類は、その誤ちから、今なお厳存する原始の原理に、繰返し繰返し呼び戻されるのである。この回帰と繰返しとによって、神の創造が永遠であり、人間そのものも又永遠であることが示される。
しかし、人間の造ったものは常に変転し、動、反動の法則の下にある。人間がその創造に行き過ぎを来たすと、かの偉大なる真理の絶対的法則が手を貸して、これら人間の造り出したものを初めのプランに謂わば対面させる。こうして、宇宙の法則は極端な逸脱を決して許さぬのである。この法則は常に平等化、平均、調和を志向して働く。
人間の側のもろもろの偶像や信条にも拘わらず、この法則は結局人類全体を絶対的実在と完全に融合するように押し込んで行くのである。真理の絶対法則が人間の意識を支配するようになった時には、現実に存在する宇宙の事実と完全には調和せぬ者は、すべて自滅しなければならないのである。
人間の考えは、真理が到来すれば、半真理から生れ出た不完全な自分の創造物などは破棄するように何時も造られているものである。宇宙の絶対法則は十分に満たされなければならない。人間が実在の法則について考えたり、語ったり、或は行為をしたりすれば、終局に於いて法則或は実在そのものの中に導入されることは必定である。
人の中に植え込まれたもので天父によらざるものはすべて根こそぎにされるであろう、と古人はわれわれに語っている。『盲人を導く盲(め)しいたる者どもを放任せよ。盲人が盲人を導けば、同じ溝の中に落ち込む他ない』のである。
真実と実在とは信じないで俗人の思うものを信ずる者共が造りあげた無智、迷妄、幻影の泥沼の中に、全人類という盲人どもが自分で自分を引っ張って来た劫期は急速に終りつつある。閉ざされつつある世紀(複数)の幻影と迷信との上に興ってきた文明も、泥沼の中に沈みつつある。この誤ったもろもろに被造物につきまとう苦悩と悲劇とを経て、今や新しき人類意識が芽生え急速に展開しつつある。
事実、その新しき誕生を迎えて扉が大きく開かれつつあるのである。意識の一次元より、現実に存在する宇宙の道の中のより高き、より進歩せる次元へと進み行く他には、最もはやないのである。大宇宙の波動の中で唯一つ禁じられていることは、人類が自分で思い込んでいるものに固く捉われ、旧い幻想にやみくもにしがみついて離れず、ために、もつと大きく広く物を考えることが全く出来なくなるような思考の偏向である。
このように自分本位の意識に溺れている者は、アレコレと信じ漁(あさ)ってみたり、いろいろな経験を自然と仕尽くしてしまうと、もう二進(につち)も三進(さつち)も行かなくなる、その時、自然と絶対的法則とが人間を進歩させる慈手を揮い出し、病気、苦悩、損失等をへて、遂に人間がそのままで満足し、自分の考え方それ自体の中に迷いという呪いのあったことに気づくように仕向けるのである。
もしも或る種族や国民が、実在するものの方ではなく、或る一部の人間的考え方によって造られたものの方を放下するのを拒むならば、『法則』がその進歩に介入して、蓄積された彼らの悪しきヴァイブレーションが彼ら自身に反射するがままにさせる。するとあらゆる面に戦争、斗争、不調和や死が起こって、その種族又は国民は消されてしまう。
しかし実はそれも彼らを創造の新しい上昇過程におくためである。かくして人間は人種の意識の始まる以前より実存していた実在に、新しく接触してやり直すことが出来る。今や文明は偉大なる再建の瞬間に速かに近づきつつある。今は基礎が安定しているように見えるものでも、すべて遠からずして逆転の状態に置かれるであろう。
『真理』によって植えつけられてはいない樹木はすべて根こぎにされよう。現在の社会、政治、経済、宗教、制度の完全な宇宙的転覆が近づきつつある、それは現在の人類意識の出現以前に既に実存し、今猶実存するところのものに人類がより一層接近するように、新しき世紀を出現させる余地を造るであろう。
常に実在しつづけた意識を自分自身も又包蔵し、それと同じ意識になれることを人間が悟るまで、注意深く、愛と光に満ちた慈愛を以て、真理は待ち続けるであろう。人類は今や前時代の寝物語りより一歩前進しつつある、新興の個性や急速に近づきつつある世代の霊的判別力にとっては、かの寝物語の造り成せる幻想どもは、もはや何らの役にも立たぬ。
幻想、因襲、迷信どもは終焉に近づきつつある。これらが虚構した文物また然りである。古き偶像は小児意識にのみふさわしく、その小児意識も今や袋小路に近づきつつある。その幻想もかえって無効となった。それは人類という泣き叫ぶ嬰児をあやして偽りの睡りにつかしめるために、僧侶や説教師達がその怪しき才能を揮って織り成せる寝物語にすぎぬことが明らかとなったからである。
遙か未来を見る者は泣きもせず、また寝かしつけられもしなかった。その多くの者たちは、そのような寝物語が真実ではないことを知っており、非真実を消し去ろうと大胆な進出をした者も少なくなかった。それは『絶対なるもの』、常在なるもの、人類の中の一部の人々が常に見、知り、且つ直接に触れて来たものを、直接彼等が見通していたからである。
このような一部の人士たちから、人の手によって立てられ、他の者にも従うことを要求する偶像たちを消し去り、天地創造の暁とともに古くて新しき理念を容れる余裕を造るべき態勢にある十二分に目覚めた、新しくしてより活力のある意識が興るであろう。
従ってその為には、人類意識を教え、導き、乃至、鼓舞する人々は、現実の世界の場において、しかも何らの間違いや矛盾のありようのない高い次元において、且つ又、噛んで含めるようなやり方で、指導に当ることが必要である。より高い知性と霊性とを具備した目覚めつつある虎は、もはや二度と寝入ることを拒否するであろう。
何故なら、彼はすでに過去の破片をまき散らされ、誤れる信念から生ずる苦痛を受けて失望しているからである。それは『真理』そのものの上に基いた教えによる、より強力な、より活力ある思想を要求している。大衆は、もろもろの信条で縛られた因襲に満ちた過去の数々の世紀を超えて、新世せる人類の心情と生命を啓示する古い古代の託宣(たくせん)に、今や耳を傾けつつあるのである。
この新しくして古い託宣こそ、信条に縛られた僧侶達の読経の声を超えて鳴りひびくクラリオンの喚(よ)び音である。それは戦いの雄叫びより高く、金融、産業、政治、宗教に伴う虚偽より発する矛盾を隠した声よりも高く澄んでいる。
一部の人類の、信条に縛られた思想の如何に拘わらず、神、キリスト、人間、我、生、死等に関する従来の偶像化された考えは、すべて消え去らねばならない、且つ、これら先入観による考えより完全に解き放たれた上で、これらすべての上に建てられた一切は過ぎ行き、払拭されなければならない。
この近づき来る新しきものという地平線の彼方に、全く新しき意味をもつ「贖(あがな)」いが影をさしつつある。このより明晰なるヴィジョンとより明確なる覚知より出生した新しき大衆は、すべての種族、すべての人々より放射されるより深き啓示によって償われるのである。その放射体こそ、すべてのものの中に、すべてのものを貫いて実在する『一なる生命』である。
大衆は謬想(びゅうそう)に繋縛(げばく)され、その手は何かにしがみつこうとし、その態度は畏れ縮んではいるが、神の、人の裡なるキリストの、神なる、大我なるキリストの、更には死そのものの地平は拡大して行く、而してその偉大なる、より崇高なる眺望が迫りつつある。再び全世界の上に霊の周期が黎明を告げつつある。水晶人種(3)の時代が再び大渦巻の中より現出しつつあるのである。
一国民が神について思う都度、その国民は神になっているのである。何故なら、神が彼らの中に定着し給うからである。神という理念を愛し、礼拝し、尊崇するとき、彼らは神となる。今や時満ち、彼らは第一遺産を相続し、神霊の中に確立されたのである。何時にてもあれ、人が神について考えれば、彼は神となっているのである。神が彼の裡に定着し給うたのである。
人類の中に生命を吹き込めば、紛(まが)う事なきそれは神である。宇宙にわたる啓示をこのようにより深く理解するならば、神は人類意識が現れ始める前も今も同じである――昨日も今日も、未来永劫、同じであることを人は発見する。人の手による仮初(かりそめ)めの神殿ではなく、天の中に人の中に永遠に存在する神殿が、『正統(4)』と称する灰の中より現実に興りつつある。
自分の頭で考える偉大なる一新人種が、巨人の足どりを以て歴史の全面に歩み出て来つつある。いくばくも経ずして大いなる潮が地上に寄せ来り、進化という重荷の下に苦行しつつある人々の道に散らばった迷妄の破片を流し去るであろう。業はすでに成就したのである。数億の人々が身も心も魂も、そして本能までも解明したのである。
彼らは、まだ生まれ出てはいないが、後の世の世嗣となるべき人種のいわば脈動である。その彼らが手を取り、神と共に歩みつつ、時代々々を超えて行くのが見える。無限なるものの永劫の渚より大いなる英知の波が彼らに寄せて来る。彼らは敢然として歩み出で、おのれ自身を永遠なる神、永遠なるキリストの一部なりと宣言する。
神と人とは永遠の生命と永久に一であると宣言する。彼らは敢然として歩み出で、人間が録(しる)ししてきた部分が虚妄であり、恐るべき盲目の状態の書かれたものであることを、天に向かって宣言する。この新しき脈動意識は、新しき人類意識を基底とする大濤の浪頭である。
この新人種は、人間を、己れ自信を、地球上における最高の表現であり、生命それ自身を通じて神と一体であると観じ、必要なるものはすべて生命それ自身より流れ来ると観ずる。この新人種は、人は完全なる宇宙の中に在り、完全なる人々と完全なる環境と条件にまったく調和し、宇宙の霊的計画には毫末の誤りすらないという完全なる確信を以て、生きて行くことが出来るのを知っている。
彼らは神を、すべてのものの中に遍満している宇宙霊と観る。そして自分を現在の環境に置き、現在の自分とならしめた基本的な素因を、躊躇なく精妙なる心を以て検討する。かくして彼は再び自分の始源と一体となる。この始源とは、想念によって意識的に無限心とつながり合体している彼自身の神なる心のうち、常に沈黙している部分であることを彼は知っている。
この新人種は、栄枯盛衰の何れにあろうと、悲しむことなく、大いなる愛と真の平和とを魂の底から求めることこそが、神と人とに定められた真理であることを知っている。この人種は躊躇なく全人類から迷妄という襁褓(むつき)を引き剥ぐ。
従って無知故に弱き、猜疑し易き小我、人間の足を幾代となく繋縛したおぞましき妖怪は、完全に消滅させられるであろう。今や完全に現前した真我によって、一切の制約が消え去っている事を彼は自覚する。彼は、彼自身を人間から神へ、そして遂に神へと昇華させたのである』。
訳者註
(1) 聖者(サンスクリット語)ヴェーダ文献では種々のマンラトムラ(真言)を啓示された方々を指す。
(2) 南インドで広く尊崇される。リグ・ヴェーダの中にある数々の聖教の作者であり、叙事詩ラマヤーナ(ギリシャのイリアッドの原本)の中の主人公。インド、タミール族の古文献ではインドの原住民ドラヴィド族に、始めて科学・宗教・哲学を教えたとされている。リグ・ヴェーダは四大ヴェーダの中でも最も古く、最も重要である。ブラフマ(神)の口より創造されたと伝えられているが、文献としては数万年前ヒマラヤ山脈を越えたチベットのマンサラヴァラ湖上で、聖人達によって述べられたと記録されている。尚、ヴェーダとはサンスクリット語で「啓示」の意。
(3) 水晶が透明なように、一切の先入観、因襲、わけても人間智慧の造り出した教条、形式などに全く染まっていない。或はこれらを一切払拭した透明な魂、心情を持てる人種の意。
(4) 宗教は古来「正統」の名の下に無数の闘争・弾圧・殺戮を繰り返してきた。







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「ヒマラヤ聖者の生活探究」を購入されたのですね。実は、ヒカルランドから「ヒマラヤ聖者への道」という書籍が発売されていますが、同じ原書からの翻訳です。僕は今はそちらの方が読みやすいので、それをお勧めしてます。
購入された書籍(原書の直訳だと「極東における大師たちの生活と教え」)は、世界的なロングセラーで、ラムサも生徒たちに読むことを勧めています。
JZナイトがマスターという存在が分からなかったとき、ラムサがその本を読むように言ったとのことです。
ところで原書と「ヒマラヤ聖者の生活探究」を比較しましたが、中里誠吉さんの翻訳はやや意訳的なものがあり、正確に理解するには原書と比較する必要があることをお伝えしておきます。
では、最高レベルのアセンデッドマスターを目指して共に精進していきましょう!!この加速するアセンションの波に乗り、大変容していきましょう!!