つららのはなし

つらつらと赴くまま、気負わず気どらず感じたことを綴っていけたらいいな…

しあわせって

2017-01-10 23:48:58 | 備忘録


しあわせって、
自分で自分に言い聞かせたり、思い込ませたりするものじゃないですよね。

しあわせだなぁって、
心のどこかから自然とわきあがってくる気持ちのことですよね。

人と比べて、自分の方が何かを多く持っているときに
人から見たら幸せそうに見える、ということはあるかもしれないけど、
持っている本人はそれをしあわせだなぁなんて、
なかなか思えないんじゃないかなと思うのです。

なのに、幸せだと思えというように諭されて、
そうかしあわせなのか、と思おうとするなんて、とても違和感があります。

しあわせという気持ちそのものは、
誰かから理屈で教えてもらわなくても、
誰にでも感じることができる心のしくみとして備わっているものだと思います。

だから、ほんとうにしあわせな瞬間に
無意識に感じた嬉しい気持ちが、
その人にとってほんとうのしあわせということなんだという気がします。

人から押し付けられた幸せの定義ではなく。


むしろ、今持てていないものを持てたときにこそ、
人はしあわせだと感じてしまうのかもしれません。
だけど、しあわせになりたい、と口にすれば、
贅沢だとか、欲張りだと言われたりで。

だから、ほんとうは満たされていなくても、
しあわせだと思い込もうとする…

でも、わたしはそれが美徳だとはやっぱり思えません。
わたしが今たまたま手にできたものだけではなく、
心から望んでいるものに手を伸ばしたいと思ってしまいます。
そう願うのはそんなにいけないことでしょうか。

もちろん、他の人の存在を無視してとかではないし、
無理してでもと思っているわけでもありません。
もちろん、今を不幸だと悲観している訳でもないし、
しあわせじゃないと思ってる訳でもないし、
今持っているものを粗末に扱う訳でもありません。ただ…


もっと日常にしあわせを感じたい

それは、大金を手にしたいとか、いい車に乗りたいとか、
そういうことじゃなくて、

ささやかでいいから、
日常にもっとしあわせを感じて暮らしたいということ。

それって、ちっとも悪いことなんかじゃないですよね。

もっとっていう気持ちがなくなったら
人生どんどんしぼんでしまいますよね。
人生をあきらめるにはまだ早いと思うから。


1年前に読んだ本が教えてくれたことのひとつ。
人は誰でも愛されたいと思っている、ということ。

だから、もうこれ以上は何もいらないって思えるときって、
モノではなくて、数でもなくて、

心を満たしてくれるものって、たぶん…。



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