地球☆めぐり

《2年のボリビア生活終了…ボリビア、ペルーの思い出他、2009.8から米国田舎暮らしの様子をお届けします》

もうアメリカに着いていました…。

2009年09月15日 | アメリカ・アイオワ州生活



紅葉が始まり、
リスが至るところでもぐもぐしながら
穴を掘り、冬支度をし始めたようです。


そう、
実はアメリカに着いていました。
早くも1か月が過ぎたところ。



忙しくて
何もなさすぎて…
という訳ではないとは言えないけれど
ブログをサボっていました。


ということで
ちょっとばかり近況を。



アメリカの、アイオワ州
というアメリカ人にとっても「田舎」な州の
これまたどこからも遠い人口9000人の町で仕事してます。
町の中心街は2ブロックで終了…。

一番近い万単位の人口の街までは
車でハイウェイをかっとばして1時間…。

そんな町というか村なのにもちろん車社会なアメリカ。
公共の交通機関はありません。
そして私は…車はおろか免許ももってませーん><


冬はマイナス20度にも到達するという寒いこの町。
半袖を着る機会は8月下旬にしてすでになく、
早くも紅葉が始まって、
リスが忙しそうにもぐもぐしているのがかわいい感じ。
ボリビアのサンタクルス等(年中常夏)で2年。
その前はバングラデシュというこれまた常夏で1年。
果たして…そんなに寒い冬に耐えられるのか、
早くも行く末を案じながらも、先進国の暖房技術に期待するこの頃なのだ。



ということで
まずはボリビアともバングラデシュとも日本ともまったく違う
私の住環境をちょっとだけ。


なーんと、
こんな大きい一戸建ての2階部分(2LDK)全部が私のおうち。
さすがアメリカの田舎は規模が違う。
一人暮らしじゃもったいない…。



至るところに出没するリス。
アメリカでは典型的とはいえども、やっぱりかわいくて見とれてしまう。
はい、アメリカに慣れていない証拠です(笑)



アメリカの綺麗な田舎町ランキングに入っただけのことはある
可愛らしい家並み。



大学の校舎までかわいらしい。




ということで
今日は街の様子紹介。
いやぁ…ボリビアとも日本とも違いすぎて
自分が場違いのようにも感じてしまう今日この頃。
さぁ、これが「私の景色」になるのはいつのことだか。

サイモン&ガーファンクルとチョリータの関係

2009年08月11日 | ボリビア滞在記



ちょっと前の話になるが、7月、
お母さんに連れられ、サイモン&ガーファンクルのコンサートに行ってきた。

母がサイモン&ガーファンクル、
いやそれだけじゃなくてその時代に流行していた
カーペンターズやニール・セダカ、ポールアンカなども大好きだったことから、
私は小さい頃から子守唄代わりに?よく聞いていたものだった。

だから、
今挙げた歌手の曲なら、
曲と曲名が一致しなくても大抵口ずさめてしまうのだ。
いやぁ、私、その世代じゃないんですけどね。

ということで、
連れられて行った東京ドームのサイモン&ガーファンクルのコンサート。
ほとんどの曲を知っていたのには我ながら感心感心!!

超満員の会場を見渡すと、
あれ?
同年代の母娘を見かけたので、
実は私と同じ境遇で連れられてきた人が多かったんじゃないかと思う。
同じ境遇なのね、きっと。


ほら、東京ドームの中は満員!


ポスターも



さて、
前置きが長くなってしまったけれど、
ここからが本題です。
題して
「サイモン&ガーファンクルとチョリータの関係」

一見、なんの接点もなさそうなこの二者。
アメリカのしかも70年代のヒット曲と縁もなさそうなチョリータ。

でも、
でも、
そんなチョリータさん(チョリ男と勝手に私が呼ぶ先住民族の男性も合わせて)たちと
サイ&ガー(と略そう)には深い?関係があるのだ。



長い三つ編みと山高帽がトレードマークのチョリータさん




チョリータさんたち、
つまりボリビアのアンデス系先住民族が今も信仰するのは
母なる大地の神、パチャママ


そのパチャママへの信仰は今でも絶大で、
例えばコチャバンバという町では、
毎月第一金曜日には必ず、
各家庭、職場、集まりごとにお清めとお供えの儀式を行う。




特に御利益があると言われる
BOMBORIボンボリ聖人(人の名前です!)の廟というかゆかりの地では
第一金曜日ごとに長蛇の列の人人人。
街から離れた田舎にあるのに、この日ばかりは一日中人で賑わう。





それぞれが自由にお供えものを燃やすのだ。



椅子持ち込みでどっしり座り込んだおばちゃん。



お供え物を焼く際は、ビール等のアルコールをパチャママに捧げながら。



もはやビールかけにしか見えないほど、
泡泡のビールを回りにかけまくったりも。
ちなみにビールやワインを飲みながら焼くので、
お供え物が終わるころには人々も出来上がり、超上機嫌。



そんな酔っ払い集団と化した参拝者の中にも、
人々がそれぞれお供え物を焼く脇で
お清め専門の人に清めてもらう人もいる。



新しい車(たとえ中古であっても)を買ったら
真っ先にお清めをする人の姿も。



で、お供え物はというと…
自分のお願い事に応じてお供え物をオーダーメイド!




ということで、
私もパチャママにお供え物をすることに。


「家内安全、でも、金運と仕事運と…むにゃむにゃ…」と続けた結果出来上がった
煩悩だらけの私のオリジナルお供え物。

砂糖でできた白い板は、お願い事のシンボルが書かれてあるのだ。
金運は…なんと分かりやすい「USドル」!
そりゃぁ弱いボリビア通貨ボリビアーノスじゃ期待できないのか?!
とまぁ、わかりやすい。
それに様々なカラフルな物体や薬草がトッピングされていく。



高く高く煙が上り、パチャママに届きますように…
と炭の上に乗せ、ビールやワイン、アルコールをかけつつ焼く。


私も焼く焼く。
安~いボリビア製ワインをかけながら。




焼き終わったら…
パチャママへのお供え、完了。

今月も無事に過ごせるはず、なのだ。


さて日がなビール片手にお供え物を焼く人々。
どうも、このお供えのクライマックスはプチ楽団による音楽の奉納。
グループによっては楽団を呼び、ひとしきり奏でた後、踊り始める。
ほら、こんな感じ。




で、
長くなったが本題に戻ろう。
「サイモン&ガーファンクルとチョリータの関係」


そう、この楽団が必ず最初に弾く曲。
それがなぜか
サイモン&ガーファンクルの
「Sound of Silence サウンドオブサイレンス」なのだ。


厳かに奏で、
もはや酔っ払いと化した人も神妙な面持ちで聞く最初のこの1曲。


こんな何とも言えない混とんとした世界に
突然「サウンドオブサイレンス」が響く…。




この1曲のサビを高々と、でも厳かに奏でると…
曲はいきなり明るいフォルクローレ音楽に変わり、
チョリータワールドが全開、となるのだけど。


な―ぜ―だ―――――?????



楽団は希望する=お金を払うグループごとにつき、
始まる度に「サウンドオブサイレンス」が繰り返されるのだ。


ちかくにいたビールでできあがりかけたチョリータさんに
「何故この曲?」と聞いたところ
「これはボンボリの曲」とのお答え。


いやいや…
ボンボリ聖人の曲…=テーマソング?
そんなことはないだろう。

サイモン&ガーファンクルのオリジナル曲、でしょ??


え?それとも実は「コンドルは飛んでいく」のように
アンデスオリジナル曲???
なんて疑念も出てきたのだが、ネットで調べた限りでは
彼らのオリジナル曲だった。



なぜ、この二人を代表する名曲が
いつの間にやらボリビアの片田舎の
ボンボリ聖人といういまいち正体不明な聖人のテーマ曲になったのか。



この謎は解けないが、
チョリータさんとサイモン&ガーファンクルをつなぐキーワード。
それは名曲「Sound of Silence」だったのだ。


でも、やっぱりまだわからない。

な―ぜ―だ―――――?!?!?!





そして、
コンサートで誰もが待ちわびたこの名曲が美しく響く中、
私の頭はこのチョリータワールドとボンボリ聖人でいっぱいになったのだ。
あの東京ドームコンサートの大勢の人の中で、
こんな連想をしていたのは…
確実に私一人だけでしょう…ね。

髪を切った。

2009年08月07日 | 国内放浪
髪を切った。
2年ぶりに。
いや、詳しく言うと2年2か月ぶりに。

ボリビアのカルナバル(カーニバル)などで
踊るためには長ーい三つ編みが必要で、
「どうせならできるだけ自分の髪の毛でやろう」
なんて決断してしまったから、
ボリビアにいる間中、きらなかった。

腰くらいまで伸びた髪。
超まっすぐで脱色も染色もしたことなかった
「パーマがかからない」髪だったのに、
アルティプラーノの乾燥と、
長距離バス移動での擦れ?からか、
がっさがさ、枝毛多発、日焼けで茶色になってしまっていた髪の毛。


やっとすっきりした―――。

切った後はこんなにも髪の毛が散乱。





癌患者向けの髪の毛寄付をしたいとか、
ウィッグ用に売りたい、とか。
せっかく2年延ばしたのだからといろいろ考えていたけれど、
最終的には…
カットモデルとして無料で切ってもらってしまった。


いやぁ。
すっきり。
ボリビアの思い出まですっきり。


それにしても、
カットだけで6300円の美容院なんて行ったことがなかったよ、と
そんなところに入れて、しかも無料でカットできて、
内心大満足だったのだ。


今度はアメリカ約一年。
やっぱり、今度も1年伸ばしっぱなしにするだろうな。

日本の海って素敵だ-沖縄

2009年07月24日 | 国内放浪
なんだかお久しぶりです。

ブログを長らく更新していなかったのは、
カルチャーショックならぬリエントリーショックが
強すぎて寝込んでいたから



ではなくて、
この時とばかりに旅行してましたから。
ダメ人間ついでにとことんダメ道を究めようと…!

はい、
沖縄に10日ばかり行ってきました。


現地に住んでいる友人にものすごくお世話になり、
世界遺産のお城・御嶽系もすべて行けたし、
万座毛にも美ら海水族館にも平和記念資料館にも…。
論議を巻き起こし続けている嘉手納基地にも
入らせてもらったし、地元で人気な沖縄そばの店にも行けたし、
と大満喫な毎日だったのだ。
基地問題にしろ、日本との歴史にしろ、戦場経験にしろ、
いろいろ考えさせられる毎日だったけれど、
まぁそれは置いといて。

お陰で、
ボリビアでは大して日焼けしていなかったのに、
沖縄で真っ黒けに。


その後友人と会うたびに「黒っ」と言われ、
「いや、これはボリビアじゃなくて沖縄焼けで…」と説明をする毎日なのだ。


さて、
そんな沖縄の海。

もともと海人間ではまったくない私にとっても、
本島の海ですら大感動だった。
想像以上に透明で青で、熱帯魚に溢れていて。

海景色も海の幸も堪能できなかった
内陸国ボリビアでの2年間、
そんな後に見た広がる本物の海は衝撃的。


ということで、
感動しまくった私の気持ちを見せるべく、
怒涛の「沖縄海写真」を。


まぁ、見てください。

ほら、
日本って、
沖縄って、素敵じゃない?




南部の海、くるくまカフェからの景色


万座ビーチ


万座毛


大泊ビーチ


大泊ビーチ


古宇利ビーチ


古宇利ビーチ


橋から見えるは、真っ青な海だけ!





‐おまけの市場写真‐

豚のお顔まで。あらまぁ。
ちなみにミミガーは私の好物。


青緑?な熱帯魚、いらぶちゃー。
お刺身も食べてみました。まったりととろけるお味。

リエントリーショックではありませんが…

2009年06月28日 | 国内放浪
日本に帰国して早1週間。

ちょうど1週間前、
超長旅でへとへとになりながら成田に着いたな、と
懐かしく思い出す今日この頃。

前も書いたけれど、
ボリビアの2年間が本気で「夢」だったのではないか、
と思ってしまうほど日本に戻ってきたことに違和感がない。
ボリビアでとった写真を見ては
随分昔のことのようにボリビア生活を思い出してしまうのだ。

と言いつつ、
リエントリーショックとまではいかないが、
日本に戻ってきて改めて感じたこと。
そして、まだやってしまいそうになるボリビアの習慣を。


トイレでペーパーを流せず汚物入れに捨ててしまう…。
 成田でも町のデパートでもやっちゃいました、コレ。
 トイレの中に大きいゴミ箱がなかったら、気付いて捨てないのだけど、
 視界にゴミ箱が入ってしまうとついやってしまうコレ。
 ボリビアでは、トイレにトイレットペーパーは流してはいけないもの。
 トイレには必ずゴミ箱があって、そこに捨てていたものでした。
 もちろん各家庭も例外ではなく。


道路がきれいだなぁ、と感心しきり。
 アスファルト舗装されている道路であっても穴ぼこだらけだったボリビア。
 ちょっと田舎や地方にでると泥道砂利道は当たり前。
 雨が降っても(今日本は梅雨ですね)、土砂崩れ等による
 通行止めの心配がないことに、妙に感心しきり。
 しかも歩道がちゃんと整備されているしねぇ(私の住む横浜の住宅街は)。


おしゃれなものがいっぱい 
 スーパー行っても、ユニクロ行っても、ショッピングモール行っても、
 商品は整理整頓、汚れなんか全然ついていない。
 取り寄せもできるし、サイズも豊富に揃っている。
 いやぁ、感動です。
 ボリビアでは商品とは一期一会。
 なんせおしゃれな商店自体がほとんどない(半青空市場が主流)ので
 サイズは店頭にあるのみ、取り寄せなんて多分発想自体がない。
 気に入ったものがあったら、即その場買い。
 汚れ?…ある程度ついてて当たり前です、そんなの。
 前マフラー買ったら藁くずがいっぱいくっ付いてたし。
 

バス停でしか乗れないバスって不便だわ(怒)
 ボリビアのバスは、通っている道ではどこでも乗り降り可能。
 バス停なんてものは存在しなくて、
 バスの通る道でテキトーに待ち、手さえ上げれば止まってくれる。
 一方日本の(実家近くの)バスは、バス停のみにしか止まらない。
 例え同じ通りを通っていて合図しても。
 日本のバス、けちー。
 いや、お陰で運行時間が守られているのだろうけど。
 不便です、はっきり言って。


スイーツがおいしすぎる!
 ここのところ、デパ地下やスーパー、ケーキ屋、
 コンビニのスイーツコーナーを覗きまくりな毎日だ。
 問題はどれもおいしそうでお腹とお金が追い付かないこと。
 ボリビアにもケーキ屋さんはあるが、
 ケバい色と甘すぎてまずいせいで、あまり食指を動かされなかった。
 どれを見ても、「甘すぎて気持ち悪そう…」と躊躇してしまう。
 一方日本のスイーツ。
 絶対甘すぎてまずすぎることはないだろうと容易に分かるので
 恐れることなくヨダレが…。
 日本の繊細な甘さ、万歳!


日本は夜でも一人歩きへいっちゃら
 ボリビアは南米の中でも断トツ治安がいい国だと思う。
 さらにその中でもサンタクルスの中心街(1er anillo内)は特に。
 暑い気候のせいか、夜中でも子供がうろうろしているし、
 そこらへんでのどかにカップルや友達同士が散歩している。
 だから夜でも平気でテコテコ歩いていたもの。
 だけど、いつでも「すり」や「ひったくり」はいるもの、と警戒し
 荷物は最小限に、後ろを振り返りながら明るい道を選んで歩いていた。
 (南米の他の国じゃ、それでも危ないのですけどね)
 ところが、日本は気が抜ける。
 買い物していても、スリの危険は低いし
(これでも最近は増えているらしいけど)
 夜8時ころに一人で歩いても、大して身の危険を感じない。
 レストランで傘や本を置いて場所取りをしていても、
 そんな程度の物だとまず盗まれることはない。
 (まぁ、ボリビアのおしゃれカフェでも盗まれたことはないですが)
 いずれにしても、日本は泥棒が少ないし平和だなぁと思うのだ。
 いや、私が過剰に期待しすぎていて平和ボケしているだけなのかな?


本屋が多い 
 日本は本屋が多いし本がお手頃で情報満載。
 ボリビアは所得の割に本が異常なほど高くて
 -子供用のしょぼい印刷の文庫本が日本の感覚で最低3000円から-
 はっきり言って読書の習慣はない。
 ボリビアには印刷技術がなく、本のほとんどを
 自国よりも物価の高い外国から輸入しているからだと思う。
 だから、本屋もほとんどない。あってもごく小さな書店が
 古本を申し訳なく揃えている程度。
 新品の本は超贅沢品だ。
 それに比べ、日本の本屋は子供からお年寄りまで気軽に出入り、
 立ち読みし、値段も庶民の給料で十分買えるもの。
 しかも印刷も綺麗だし、情報も確か。
 いやー。贅沢だと思う。本が好きに選べるという自由。
 これも経済力さまさまなのだろう。


ざっと…こんくらい?
あ、日本は湿気が多くて自動的に肌がしっとりして快適、
(ボリビアは大部分で乾燥していて肌が塩ふくほど)
とか、電車代など交通費が高くてあっという間にお札が飛んでいくとか、
細かいことを言ったらキリないが…
それにしても、ボリビアでは料理したものです。

街なかでおいしそうなものがお手頃価格で手に入らなかったから、
がんばって毎日家で料理したのだ。
果てはトリュフや大福もちまで。

ところが日本では
出来合いのおいしそうなものが巷に氾濫。
もはや作る気をなくし、買いに走ってしまう。

便利社会は人間をダメにします(笑)。


ということで、
便利社会「日本」に戻った私はダメ人間に逆戻り。


「必要は発明の母」ならぬ、
非便利(不便とまではいかない)な環境に戻った方が
自分のためになるんじゃないかとも危惧するこの頃。


いや、もうちょっとだけダメ人間覚悟で
便利社会「日本」を楽しんでみよう…。

帰国しちゃいました…

2009年06月25日 | ボリビア滞在記
つい数日前、
とうとう日本に帰ってきてしまいました。

大好きなボリビアに後ろ髪をひかれつつ。
2年の思い出と
70キロを超える荷物を抱えながら。

ラパス⇒1時間強
サンタクルス経由⇒6時間強
マイアミ⇒3時間強
ダラス⇒13時間⇒成田

飛行時間だけで約24時間、
ボリビア・ラパスを出てから成田まで44時間くらい。
疲れたー。
南米は、というよりもボリビアは、
日本から本当に遠い。


今まで飛行機に乗るたびに何回も見た
ワイナポトシともお別れ。



緑の平原広がるサンタクルスもこれで、最後。



サンタクルスを出るとすぐにアマゾン川のクネクネ川が登場。
近くにはモホス文化のものだろうと思われる
四角い人造湖が大量出没で、アマゾンの景色満喫。


6時間のフライト後、
真っ青な海とビル群が見えてきた。
マイアミ。
海と現代的なビル群。
どっちもボリビアにはないものだと、なんだか感動ものだ。



ボリビア国内で乗っていた飛行機はアエロスルという航空会社、
今回日本帰国に際して使ったのはアメリカン航空。

アエロメヒコ(メキシコ航空)のお下がりの機体を使うアエロスルと比べ
アメリカンは機体も綺麗で…この時点でちょっとした安心感がある。

マイアミの空港も何もかもが奇麗で、機械的で、
空港職員の対応もボリビアの人間的(ゴネればなんとかなる)対応と比べ、
丁寧な反面、融通が利かずマニュアル的だったり。
アメリカに着いた途端、もうボリビアじゃないんだと実感してしまったのだ。


あー、懐かしいです。
ボリビアが(笑)

でも、成田空港に着いてから
車で直行したのはユニクロ。
整理整頓されたユニクロ店内はボリビアには皆無で快適そのもの。

その後は、お寿司屋。

いやー、
日本のお寿司はおいしいね。

ボリビアの、
チチカカ湖出身のます(トゥルーチャ)寿司もおいしかったけれど、
やっぱり海の魚は違う。

と、日本の食を再確認した2年ぶりの帰国だったのだ。


とはいえども、
ボリビア出国前、10日ほど旅行したボリビア国内はネタの宝庫なので
今後また継続する予定です。


日本なのだけど、
ボリビアのお土産たちに囲まれ、
寝起きにスペイン語で言葉が出てしまったり、
満員電車の表情の少ない人々の顔をマジマジを見つめてしまったり、
なんだか奇妙な毎日だ。


でも、
ボリビアの2年間が夢だったんじゃないかと思うほど、
自然に新宿や渋谷の街が歩けてしまう自分にも驚く。


さて、久々の日本。
雑誌や新聞も読みまくり、
どこからも日本語が聞こえてくるテレビを見、
おしゃれなお店も覗きまくろう。


VIVA BOLIVIA,
VIVA JAPON!

「見える景色全部がトイレです」

2009年06月13日 | ボリビア滞在記
ボリビアの長距離国内移動手段は長距離バスのみ、
と言っても過言じゃないほど、
国内では長距離バスが主な移動手段だ。



主な都市同士は飛行機もあるけれど、
値段は長距離バスの10倍以上もするので、
普段の移動はバスになってしまう。
特に中流階級以下のボリビア人にとっては飛行機なんてもってのほか。


さて、
そんなボリビア国内の移動で必要不可欠な長距離バス。
便もサービスの種類もまぁたくさんあり、便利だ。


こんな窓が壊れていて
ビニールを張っただけのバスも長距離バスだったりする。


荷物は屋根上へ。
雨が降らないように祈るのみ、


一番いいクラスのバス。
ブスカマ=リクライニングシート。
でも、もちろんトイレはありません!



普通サービスのバス。
荷物が屋根上でないだけマシ。
座席は壊れていたり、窓が開かないことも。



さらに、
さすがはボリビア。
他の国のバスサービスとは比べてはいけない。


どんな長距離バス
‐ラパス⇔サンタクルス19時間‐
‐スクレ⇔サンタクルス15時間‐
‐ラパス⇔タリハ20時間以上?-
‐ラパス⇔ルレナバケ20時間程-
であっても、トイレはまず付いていない。


奇跡的にトイレが設備として備え付けられていても
まず鍵がかかっていて入れない。
要するに使えない。

だけど、
なんでだかボリビア人はこういうことには我慢強いようだ。


なんせ19時間のバス、ラパス⇔サンタクルス間でトイレ休憩は1回のみ。
たまに6時間ごとに1回あったりもするけれど、稀だ。


さらに、
トイレ休憩といえども、
日本のサービスエリアのようなトイレや休憩施設はまずない。
道路脇にトイレを有料(1ボリ=15円)で貸してくれる
民家やレストランがある程度。
そのトイレも、どんな主要道路脇であっても、
水はちゃんと流れないか、
便座がないか、
青天井か、
ドアが閉まらないか、
床に汚物が流れだしているか…
まぁ大抵今書いたことの3つの条件は満たしている。


たまにレストランの集合体みたいな休憩所がある。
けれど、トイレは有料で汚い…。


これもトイレ休憩場所。


こんなトイレは普通。
扉が閉まるだけマシだったりも。
道路から民家をつっきって、庭に入るまでが泥だらけだったりもするのだけど。




だから、
ボリビアでのバス移動をするにあたって
すごく気になるのが、「トイレが我慢できるか」なのだ。


バス出発予定時刻の2時間以上前には
食事を終え、水分はその一日採るを控える。


それでも、
6~9時間後にあるであろうトイレ休憩まで我慢できない場合は、
運転手のところまで行き、
「トイレに行きたい!止めて~!」と頼みこむのだ。


そうすると、運転手も勝手知っていてすぐに止めてくれる。
普通に道路の真ん中で。

そんな時言われた言葉がこれ。
「見える景色全部がトイレ」


で、夜行バスの場合は暗闇の中でテキトーにトイレをするわけだ。
たまに後ろから車が来てしまうと、覚悟する。
ライトアップされていることだろう、と。

昼間だと藪を探して中に隠れるようにする。
それでも無理だと、テキトーにおばちゃんに言って
ショールで隠してもらう。


でも、たまに思うのだ。
汚くて臭くて、でも有料なトイレに行くくらいだったら、
大自然の中(といってもただの道路脇)の方がずっとマシじゃないかと。
少なくても、もうちょっと清潔だしね。


まぁ、たまにトイレ設備のないところで
公的にトイレ休憩として止められてしまうと、愕然とする。

乗客がちりぢりに至る所でトイレしているのが丸分かりだし、
至る所にトイレットペーパーがひらひらしていたり、
水溜まりができていたりするから。


あ、でも今ではフツーです。
乗車当日はほとんど水を飲まない、とか
隠せるようにショールを持っていくとか。


でも、
バス旅行は景色が見れるから楽しい。
たまに隣の人とおしゃべりするのもいい。
幾らガタガタ道であっても通路に転がされて
爆睡する子供に感心するのも面白い。


そんなボリビアのバスの旅。
トイレには要注意だけど、
「見える景色、全部がトイレ」と言われたら…
なんだかほっとしませんか???


…こう思える今の私はこの2年のボリビア生活の賜物かもしれない。



ボリビアの空景色

2009年06月06日 | ボリビア滞在記
サンタクルスからラパスへ
日帰りに近い一泊二日で行かなくてはいけなくなった。

飛行機嫌いにも関わらず、
もちろん往復飛行機で。


というのも…

アルティプラーノ(アンデス高地)に属するラパスから、
カンバ(アマゾン含低地)に属するサンタクルスまで
地図の上で見ると、近い。
だから、飛行機ではたった55分の距離。

ところが、
バスでは、19時間の距離。
標高差が3400m近くもあり、
何個もの山を越え、崖にへばりついた道路をのろのろ下っていくからなのだ。


なので、短い出張だと往復飛行機になってしまう。
時間さえあれば、19時間であろうがバスを選ぶのだけど。


そんな飛行機嫌いの私でも、
昨日ラパスからサンタクルスへの55分の空旅の景色には感動した。

ボリビアは今は乾季で
雲ひとつない空が(恐らく)ボリビア中で広がっている。

眼下には
アンデス山脈の荒涼とした岩山から
緑深い渓谷地域の森、
大牧場の整備された緑、
アマゾンへとつながる濁った河…

と次々と景色が変わるのだ。


ということで、
ボリビアの地形がよく分かる空景色を!!


ラパス市街から望むイリマニ山。
雪化粧をしたイリマニ山はラパスの象徴。


さぁ、
ラパスの空港(エルアルト空港)を離陸。
眼下に広がるは、エルアルト(人口約100万人)の茶色い街。
背景はワイナポトシというアンデスの山。



ペルー国境まで続く
アルティプラーノ(アンデス高地)の平原。
標高4000mなのに大平原。冬は半端なく寒い!



エルアルトのある平原を
抜けると、アンデス山脈の山がつらなる凸凹地域。
山山山…。
バスはこんな凸凹山をえっちらおっちら上り下りして進んで行くのだ。
(トンネルは皆無)



ラパスから離陸して10分ほど経つと
ラパスの象徴イリマニ山の真横を通過。
(↑ひとつ目の写真の山)
綺麗なんですけど…近すぎてコワイ。
ちなみにこのイリマニの真横は谷を上がる上昇気流のせいか、かなり揺れる。



その後もアンデスの山々は続き…
ボリビアの大地は本当にデコボコだ、と実感したり。



次に深い緑の山々(渓谷・バジェ地域)を抜けると…
緑だらけの平原が広がる。
カンバ(アマゾン含低地地方)へ入ってきた。



そして、
さらにサンタクルス市に近付くと…
大牧場の整備された木のない牧草の薄緑がまだらに。



サンタクルスの街が見えてきた!



サンタクルスのビルビル国際空港着陸直前。
アマゾンへと続く濁ったピライ川(多分)を越える。



サンタクルスに到着!!


標高約450mのサンタから標高3800mのラパスの空港まで、
飛行機はひたすらのぼり、大して高度を下げないで着陸する。

ところが、
その逆ラパスからサンタクルスの飛行機は
着陸直前でないかなり前から、高度を下げ続け着陸する。
「下がっている」感覚が続く分、私は怖いのだけど。


さて、オマケ。
ボリビアのフラッグキャリアだった
ロイド航空LABが経営破たんした今、
実質のフラッグキャリアはAeroSurという一社独占状態。
別にまぁいいんですけどね、機材も。
ボーイング727で古いけど、まぁがんばってるな、と思う。
でも、機内がアエロメヒコのマークで溢れているのですが…。



アエロメヒコの中古機材を使っているのだろう。
やっぱり、こわーーーーーい。

チョコ三昧な日々

2009年05月31日 | ボリビア・サンタクルス生活
今ボリビアにいて幸せだなぁ、と思うこと。
チョコレートが安くで食べまくれること。



とっても小さな幸せですが。


だって
ボリビアのアマゾン地域ではカカオを生産しているんだもの。
産地ですよ、産地。

これがカカオの実。
市場で果物としても売られていたりする。
(下にあるのが日本製の細身油性ペン、これで大きさ分かるかな?)



そして市場の乾物コーナーには
一瞬何だか分らない黒茶色ーい円盤も裸で並んでいる。
来た当初は「なんじゃこりゃ?!」と思っていたが、
今やいつも買うもの。
そう、100%カカオの塊
つまり、100%純粋チョコレートの塊、というわけだ。


この塊、チョコレート…という甘い響きから想像するのとは違い
この真っ黒い100%カカオで、とにかく苦い
砂糖が入っていないので、うじゃうじゃいるアリも寄り付かない苦い物体なのだ。


スーパーでは小袋に入って売られていたりも↓



ところで、
「果物のカカオから、チョコレートになるまで」を調べてみたら…

1.果物のカカオから種(豆)を取り出す。
2.豆を焙煎。
3.豆を砕き、皮や胚芽などを取り除く。
4.機械等を使い、ペースト状になるまで豆を粉砕(カカオマスの状態)。
5.刻んだカカオバターと混ぜ、固める。
  ⇒100%チョコレートの出来上がり。


正直…ここまでやる気にはなりません。
いくら目の前にカカオの豆が転がっているとしても。



さて、ボリビアはチョコレートの産地なので、
「チョコレートもおいしいのでは?」と思うかもしれないが、
これは陳腐な連想です。たぶん。
肝心の産地であるベニ県(アマゾン地帯)には
カカオや100%チョコの塊は売られていても、
おいしーいチョコレートはほとんど売られていない。
なぜだろう?

たまに売られていても、あまりに甘すぎて食べれたもんじゃなかったりする。
ボリビア人はすさまじく甘いのが好きだからねぇ。
(1杯のカプチーノに小さじ山盛り5~6杯くらいは砂糖を入れる。)
しかもスーパーで売っている既製品のチョコレートは大半が
kit katとか、アメリカやブラジルメーカーの輸入品。
原料はボリビアから輸出していたりもするだろうけれど。


スクレという標高2700mほどの世界遺産の町は、
産地ではないのに「para ti」というチョコメーカーがあって有名。
でも、私には甘すぎる。


カカオ70%とか80%が私の好みなもんで。


ということで、
ここのところ、サンタクルスの市場でフツーに売られている
100%カカオから「好きなチョコを作ってしまえ!」という結論に辿り着いたのだ。


日本語でチョコレート(トリュフ)などのレシピを探しても、
日本で入手困難な100%カカオからのレシピなぞ皆無。
なのでテキトーに生クリームやら牛乳やら砂糖やらを混ぜて
試行錯誤の末、できた「カカオ(多分)80%トリュフ」が最近のマイブームだ。


100グラム10ボリ(約150円)で
直径3センチのカカオ70%トリュフが20個ほどできる。



ほろ苦い甘さに、これまた自己満足。

チョコホットケーキやホットココアにも応用が利くし、
自分で苦さ、甘さを調節できるなんて最高!


100%カカオがない日本には帰りたくなーいと思ってしまうチョコ生活だ。

起きたら…

2009年05月30日 | ボリビア・サンタクルス生活
さらに極寒


寒いネタが続くけれど…
本当に常夏サンタクルスにとっては珍しいことなので。


今日朝起きたら、
さらに寒さが厳しくなっていた。


同じくテレビのボリビア各地気温情報では…

ラパス    =標高3600m   =9度 
コチャバンバ=標高2500m位 =12度 
サンタクルス=標高450m位  =10度


って、あり得ない!
標高が2000mも高いコチャバンバよりも
サンタクルスの方が寒いなんて


標高が3000m以上も高いラパスと
たった1度しか違わないなんて


寒すぎるはずだ。
友達と「こりゃ1年で一番寒い日だね」と語り合ったり。

今日は持っているだけの
セーターを着込み、アルパカ(保温性に優れている)の巨大ショールを巻き巻きして出勤。
道路の屋台でお菓子を売る姿も少なく、
路上キオスクも半分は閉まったまま。
道行く人も靴を持っていない人は、こんなに寒いのにビーチサンダルのまま
みんな、早く本来の太陽サンサン、あったかーいサンタクルスに戻れー!と
祈っていることだろう。



そうそう、
ボリビアで発の新型インフルエンザの患者がサンタクルスで発見されたそうだ。
これからボリビアは冬本番(←サンタクルスは基本常夏ですが)。
医療体制がしっかりしていないボリビア、
ここんとこサンタも異常に寒いし、
なんだか流行りそうだ…。

突然の極寒

2009年05月29日 | ボリビア・サンタクルス生活
朝起きたら、極寒だった。

いくら常夏のサンタクルスとはいえ、
一応の「冬」である最近は気温も下がり気味、
ここのところ25度前後だったりした。
でも、半袖で歩けるし、シーツをかけて寝るだけが多い。

そう、サンタクルスにとっては

◆夏=雨季=11月~3月頃
   30度前後、キャミソールかノンスリーブで過ごし、
   寝るときは体の一部にシーツを軽くかける、ということ。

◆冬=乾季=5月末~9月頃
   22~25度前後、半袖で過ごし、
   寝るときはシーツをかけて寝る、ということ。


でも、たまに南極方向からアルゼンチンを通過してくる
寒ーい南風(SUR)が吹くと、ひと晩にして極寒の地へと変わる。


今日の朝なんて…
毛布をかけても寒くて…
久しぶりに寒すぎて布団の外に出たくなくて(日本の冬みたいだ)…
アルパカのセーター2枚着こんでも寒くて…
外はどんより暗ーい曇り空…


どんだけ寒いんだ、とテレビでボリビア各地の気温を見たら…

ラパス   =標高3600m  =11度 (ラパスにとっては普通の気温)
コチャバンバ=標高2500m位 =13度 (コチャにとってもちょっと低め?)
サンタクルス=標高450m位  =14度


14度なんですけどね、寒いと言っても。


でも、どんだけ寒いの、サンタクルス。
標高差3000mもあるラパスで、温度差わずか3度。
コチャバンバなんで標高差2000mもあるのに、1度しか違わない。


すっかりサンタクルスのトロピカルな気候になれた私には
「14度ってありえなくない?」
という寒さなのだ。
これはもちろん現地の人にとっても同じで、
みんなたまにしか使わないセーターをひっぱりだし、
むくむくになって歩いている。
金持ち白人系のおしゃれな女の子たちは、
普段暑すぎて使えないブーツなんかを、はいちゃったりもして。


でも、
暑さ対策だけを考えて作られた家は
風通しがよく、床はひんやりしたタイル。
くぅ。寒すぎる。


ラパス滞在用でしかなかった
セーターとコートを引っ張り出してみた私。
たまには厚着するのも、いいかもしれない。



こんな14度でも耐えられない私に待っている来年の仕事場は、
実は雪だらけでマイナス20度になる長い冬。


今からやっていけるか、一抹の不安もよぎったりして。
やっぱり、常夏のサンタクルスは暑くなくっちゃぁサンタクルスでない、
と思うのだ。

KUMON‐公文、修了!!

2009年05月28日 | ボリビア・サンタクルス生活
ブログに、「公文(KUMON)に通い始めた」と書いたのは…
もうずいぶん前のこと。
2008年8月30日のブログ

まだ続いてましたよ、ちゃんと。



外国人観光客も留学生も少ないサンタクルスでは、
外国語としてのスペイン語を教えてくれる、
ちゃんとした先生は皆無。

スペイン語をちゃんと勉強したいのに…
DELEの試験(SUPERIOR希望)の準備をしたいのに…
そんな教室は皆無。

冠詞や前置詞の微妙な使い分けとか、
どんなに質問しても、文法的にきちんと説明してくれる先生は、いない。
「Usamos POR aqui, porque te suena mejor, no?」
ここではPORを使います。だってその方が音の響きがいいでしょ?)とか…。

そんな説明じゃ外国人の私には全然分からないんですっ。
どの前置詞使っても、私にとって「音の響き」は同じなんですっ。
と何回、行き場のない憤りを感じたことか。


さて、話は戻るが、
それでもスペイン語学習をなんらかの形で残したかった私。


ということで、
国語としてのスペイン語だったけれど、KUMON(公文)で
国語(lengua materna)コースを取ることにしたわけだ。


8月から始めて、
途中5か月休み(旅行とかほら、ちょっと忙しかったから←言い訳)、今月までで合計5か月。


やっと
国語コース、全部修了!!


AⅡ(小1後半)レベルから始めて、
スペイン語では最終レベルとなるHⅡ(中2~3)レベルまで終わったのだ。

いぇーい♪


溜まりに溜まった300冊以上のやり終えた課題の山。
毎日3時間以上格闘していたのも、今やいい思い出(←遠い目)



左からレベルが上がっていくけれど、
当初は字も大きく、イラストだらけだった課題(宿題)が
だんだん字が小さくなり、量が増え…



最終レベルの中2~3レベルは字、字!!!
イラストもほとんどなくなり、
文章もややこしいミステリーとか科学技術の発展、とやらに変わり、
カフカの「変身」などから出典される始末。



母語ならね、日本語ならいいんですけどね。
何と言っても文字が、すんなり目に貼りついてくる。
長ーい文章読んでいても疲れない。

なのに、
スペイン語ときたら…
全部アルファベットかよ(←当たり前)、と見た瞬間うんざりする訳だ。
スペイン語以上の期間勉強し、触れている英語ですら
本を一冊読破するのに、日本語の本の何倍の時間がかかることか。
スペイン語なら、なおさら。


いや、
でもとりあえず、コース全部修了したということで、自己満足


嫌でも毎日スペイン語の長文と格闘したおかげで、
スペイン語で本を読むスピードが格段にUP。
だからと言って、あえてスペイン語で本を読む気にはなれないけれど…
もちろんある程度の語彙も増えた。
こんだけ文章読んだら、本10冊以上分には相当するだろう。


ここまで
格闘してきた成果なので、全部日本に持って帰ります(笑)。
4キロ近くあるけれど。


特に後半の難しい部分は復習しなきゃなーとか考えつつ。
日本に送るだけで、いくらかかることやら。

TUPAYのコンサート

2009年05月22日 | ボリビアの政治/経済/文化



サンタクルス地方はカンバ…ボリビアの東部低地地方にあるので、
日本でいわゆる「ボリビア」と聞いて思い浮かべることの多い
アンデス山脈、チョリータさん(民族衣装を女性)、
リャマ、アルパカ、フォルクローレ…
といったものは普段の生活では全くと言っていいほど見ない。


一方、私はアンデスの音楽や楽器、踊りにものすごく興味があるので、
正直サンタクルスに住んでいることが残念だったりもするのだ。
(いや、サンタクルスは暖かくて空気も濃く果物もいっぱいあって、いいんですけどね!)


数あるボリビアフォルクローレの有名バンドも、
サンタクルスにはあまり来ない。
ラパスやスクレ、コチャバンバに行くたびに羨ましく思ったものなのだ。


でも、先週の金土、
そんなサンタクルスにもTUPAY(トゥパイ)がやってきた!


コンサートの宣伝ポスター



TUPAYというのは、
フォルクローレ音楽のバンドで、恐らくボリビアでもかなり上位の実力派。
あの超有名なロスカルカスから脱退したメンバーが始めたグループで
今年で13年目になるらしい。

通っていたフォルクローレダンスの教室で
TINKUやCAPORALというボリビアを代表するリズムの練習では
大抵このTUPAYの曲がかかっていたので、
個人的にもこのグループには思い入れ大。

小さい会場だったので、
もしかしたらチケット売り切れるかも、と焦って数時間前には買いに行った

のに…

文化圏が違うカンバのサンタクルス。
こんなに有名なグループなのに、
コンサート会場は半分ほど空席のままでコンサートが始まってしまった。

あー、なんでみんな来ないの?
そんなに興味ない?
可哀そうだよー。
と一人若干の悲しみに浸りながらも

でも、
体は半分踊り出し、楽しみまくりました、TUPAYのコンサート。


TUPAYでどんな曲が有名かというと…
YOU TUBEでご覧あれ。

他にも有名な曲はたくさんあるけれど、

TINKUというけんか踊りのリズムで「CHOLERO」。
踊りの衣装が派手で可愛らしいので私たち日本人の間でも人気が高いリズム。




ビデオに踊りはないけれど
かきならすチャランゴがたまらん
HUYANO(ワイニョ)というリズム「GRANADITA」




カーニバルでもとっても人気な踊りカポラレスのリズムの「SOY CAPORAL」。
このカポラルの衣装は女性は見せパンなので
日本に来たら秋葉原あたりで大人気になりそう、と個人的に思ってしまう。




そして

TUPAY(トゥパイ)の公式ホームページ

こちらは
他の有名グループ「ロス・カルカス」のコンサートへ行った時のブログ。
サンタクルスにて
トリニダにて



私のボリビア滞在もあと残すところ1か月弱。
有名なチャランゴ奏者のエルネストカブール(Ernesto Cavour)、
ロス・カルカス(Los Kjarkas)、
サビア・アンディーナ(Savia Andina)と
このトゥパイ(TUPAY)
のコンサートに行けたけど、多分これが最後なんだろうな。


ちなみに、確か来月6月は
ロス・カルカスが日本コンサートツアーをするはず。

私はまだボリビアにいて行けないけれど、
ボリビアフォルクローレに興味ある人は要チェック★

おさるの天国

2009年05月19日 | ボリビア滞在記



前から「いいよー」と聞いていたのだけど、
うん、本当に「いい」。楽しい。
って…すごく抽象的な言い方ですが。


Villa Tunariというところにある私営の野生動物保護園
Parque Machia(マチア公園)に行ってきた。
それにしてもこの保護園、聞きしに勝る「変わった」場所。


長距離バスを途中下車した田舎の道路脇には突如グリンゴ(欧米の白人)の集団が。
白人なんて全然いないボリビアの田舎で突如現れるグリンゴ集団。
はっきり言って異様な光景だ。
というのも、ここの保護園ではスタッフの多くは欧米からのボランティアだから。

というわけで、
ここでは、キャーキャー言いながら遊びに来るのがボリビア人
泥んこになって動物の世話をするのが外国人ボランティア
というボリビア的には立場が逆転した珍しい場所だったりする。


「サルがいるよー」と聞いていたのだけど、
本当にいた。

入口からして、脇でガサゴソ。

サルでした。


もうちょっと行くと、
サルたちがお昼ごはん中。


ここのサルたちは、
ペットとして飼われたり、売られていたのを保護してきたのが大半らしく…
しかも保護区で敵がいないのが功を奏してか、
すんごく親人的

カプチーノサル(日本語ではなんていう名前だろう?)なんて
自分で取った餌を食べながらカメラ目線。



木の実だって、石使って割るんだから!



突如やってきた団体客が来ても
じっと見つめて微動だにせず。
写真撮られまくりのモデル同然だった。


「ふぅ、今日のカラフルなサルたち(=人間)はうるさかったぜ」
とでも言っている??



人間がベンチに座っていると
さみしくなるのか、ただグルーミングして欲しいだけなのか、
隣にすり寄ってくるクモザルさん(←メスだった)。
というわけで、グルーミングしてあげました。
…ここでは人間が…サルに使われているのかもとも思いつつ。
人間とサルの立場が逆かも。



ひとしきりグルーミングすると、
他のクモザルまでやってきて、
私の体にぴとっと抱きつく。
しかも、私の手を持って自分の掻いてほしい場所に持っていくのだ(!)。
はいはい…掻いてほしいのね。


親子でもグルーミング。
赤ちゃん気持ちいいのか、寝ちゃいました。


ちなみにクモザルって
本当に姿がクモを連想させる、
手足指しっぽが長ーいおサルさん。



ちなみにこの保護区には
インコもいたり、


長いトレッキング道があって展望台に抜けて景色を眺めたり


もできるのだけど、
やっぱりメインは自由に闊歩するおサルたち。


山をのぼっていたら
隣の木をすいすい行く影が…。



やっぱりクモザルさんでした。
くー。
私にもあのしっぽが欲しいね。



という、しっぽ。

なんと内側は手のひらのように皮膚が出ていて
かなりグリップできる感じ。
柔らかくて暖かい「しっぽのひら」なのだ。


さて、
山をちょっと下りると、
橋のど真ん中でおクモザル様が
アクロバティックにお体のお手入れ中。














「あら、見てた?」




1,2時間あれば見終わるんじゃないの、と言われたこの保護園。
閉園時間で追い出されるまで、5時間もサルと戯れてしまった。
サルが抱きついてくる時の手の平とか、
私の体にしっぽを巻きつけてくるときの感触とか…忘れられない!

惚れました。
サルに。
特にぴとっとくっついてくるクモザルに。


ここは最低2週間からボランティアを受け入れているそうで、
いつか近々、ボランティアしに戻ってこようと心に決めたのだ。


ボリビアのおサルさんたちよ、待っててねーーー!


運営団体Comunidad Inti Wara Yassiのページ
なんと日本語のページまで発見
スペ語・英語等のメインページ

トボロッチの咲く頃

2009年05月15日 | ボリビア・サンタクルス生活
ここのところ、
カンバ(ボリビア東部アマゾン低地地方)を代表する
トボロッチの花が満開だ。



田舎に行くと、
緑の大草原(牧場)の中にポツポツ見えるピンクが映え、目を引くほど。
街の中でも街路樹のトボロッチが満開で、
少し行くごとにピンクピンクピンク!!

広場でも…



道路脇でも…


トロピカルな場所だけあって?
結構ハデなピンクだったりもする。



ところでこのトボロッチ。
日系の方は「南米桜」と呼んだり、
ボリビア人によっては「酔っ払いの木」なんて呼んでいたりする。


ん?
なぜ酔っ払い?


というのも、
その幹がこーんな形だからだ。



お腹がぼーんと突き出ている、
酔っ払い、というかビール腹みたいな形。

だから、だって。


本当に見事に突き出たお腹の木。
幹を見るだけでもなんだか楽しい木なので私のお気に入りだ。


ほら、ここにも。
San Jose de Chiquitosという世界遺産の教会がある村の広場にも…
こちらは白い花のトボロッチ。立派にお腹が出ていますね。




標高が低くて(海抜459m)年中トロピカルなサンタクルス。
いつもどこかしらで鮮やかな花が咲いていて目を楽しませてくれるのだ。



★おまけ★
トボロッチ満開の写真を撮っていたら、
となりを通り過ぎたメノニータさんたち。
(⇒2008年3月11日のブログ



暑いサンタクルスで長袖、長いワンピース、帽子、と目立つ!
ちなみに、随分前に、日本食レストランKENで
なれない箸を使いながら日本食を食べているメノニータカップルを発見。
日本食レストラン、で見るなんて初めての経験だ。
彼らにとっても日本食は「新しい文化との出会い」だったのかもしれませんね。