地球☆めぐり

《2年のボリビア生活終了…ボリビア、ペルーの思い出他、2009.8から米国田舎暮らしの様子をお届けします》

いきなり、日本

2010年03月15日 | アメリカ・アイオワ州生活
先週末、ちょっと仕事で1泊二日、
実際の起きてる滞在時間8時間という超特急でシカゴまで行ってきた。

私の住む町からシカゴまでは片道5時間強。
往復の時間のほうが滞在時間より長かった…という
なんとも残念な旅(←仕事です)だったけど、
前から気になっていたMITSUWAによることができたのでよしとしようと思う。


MITSUWA,多分シカゴに住んでいる日本人からすれば
「フツー」のものなんだろうけど、
すごい衝撃だったんだ、私には。

そう、いきなりの、日本。



MITSUWAとはシカゴ郊外にある日系総合スーパーのことで、
中は日本。

前から大きいよと聞いていたし、
昔滞在していたポートランドにも宇和島屋という大型日系スーパーが
あって行ってたし、まぁ想像していたんだ。


でも、入った途端こんな広告と陳列が。


日本のディスカウントショップでは70円位で売っている
ペットボトルのお茶もここでは3ドル。高っ。

隣には、あら、日本のスーパーかと思った。



ごぼうだって青森産。そりゃぁ高いわけだ。


大福もちや和菓子がずらりと並び、
思わず大福もち5個購入(笑)。
納豆も山盛りだ。


まぁ、それよりも何よりも圧倒されたのは、
日本と見まがう三省堂



ではなく、
この店。




読めますね。なんと山頭火が!
らーめんは大好きだけど、山頭火もおいしいとは思うけど、
別にそこまでファンでもないけれど、うれしかったなー。
まさか日本のらーめんの店がこんなところにあるとは思わなかったので。

もちろん、
塩ラーメンといくらごはんをオーダー。



おいしかったー。
多分日本の店と変わらない味…のような気が。
たった40分しか(食事時間含)時間がなくて
ぜんぜんゆっくりできたなったけれど…。
アイオワの田舎に住んでいると
「アメリカって畑しか見えない国」と勘違いしそうになるけれど(←大袈裟)…。

こんなに日本が揃うなんてさすが大都市、シカゴ。

さぞかし駐在の日本人も多いことだろう。
ボリビアやペルーとは比べ物にもならない規模。
恐るべし。



そうそう、
夕方のお弁当・寿司割引の時間だったので
なんと安くでバッテラと稲荷を購入、翌日の昼食に。
割引制度まで日本みたいだ。


成長する日々

2010年02月22日 | アメリカ・アイオワ州生活
私じゃなくって、
そう、

つららが。



ちょっとグアテマラの旅の記録(=現実逃避)から
アイオワに戻ってみようと思う。


少し前まではマイナス15~20度をうろうろしていた気温だったけれど、
ここのところ、ごく僅かな春の兆しか、
マイナス10~5度をうろうろするようになってきた。
若干、暖かいです。

若干ね。


そうすると、目立って成長するのが、つらら。
ここのところ、成長が激しい。

日中溶けて
夜に凍る。




朝起きると前日より20cm近くも伸びていたり、と
朝観察するのがちょっとした楽しみになっていたりもするのだ。


ほら。


といいつつも、
昨日の朝見たら…伸びすぎて重かったのか、折れていました…。がーん。


どうも、
つららが成長する季節は
つららの下を歩くのは危ないらしい。


そうよね。
あんなとんがったものが上から降ってきたら…と
想像するだけで、コワイ。


いや、11月から途切れず続く雪景色にそろそろ飽きてきた。
つららが成長する季節。
つまり、日中は少しでも暖かくなってきたということなのだろう。

時には5月にも雪が降るというアイオワ。
春は…いずこに?



ティカル

2010年02月10日 | 中南米+ペルー滞在
ティカル。
そう世界遺産でもあり、最大規模のマヤを代表する遺跡。

10年前にメキシコを旅行し、
チチェンイツァーやウシュマル、パレンケ遺跡などを
訪ねた時から行きたかったティカル遺跡。

実は隠れた私の憧れの地だったのだ。


パレンケ遺跡も結構なジャングルっぽい森の中にあった。
ティカル遺跡は…というと、
そんなもんじゃあない。

遺跡がメインというよりも、ジャングルがメイン
神殿群をめぐるは、すなはちジャングルを歩きまわること。


本当は遺跡入口でキャンプし、
夕日も朝日も遺跡からという究極の満喫コースを行こうと思ったのだけど、
あいにくの曇り空。
結局、朝一6時に入口到着ということで、
町から直接出かけて行った。

とは言えども…
早朝ジャングルに響き渡るは鳥とさるの声のみ。
人もほとんどいず、第2神殿登頂は一番乗り!

上から見えるは、
以前に人が転落死亡したため登頂禁止の第一神殿。
シンメトリー(左右対称)のデザインで
建築当時を勝手に想像する。




早朝のティカルは、鳥たちの遊び場だ。
昼には姿を消す鳥たちが、朝はピーチクうるさいくらいに鳴いている。
えさをねだりに?近寄ってきた鳥。
なんという鳥だろう?



ジャングルを見渡せる景色で有名な第5神殿。
神殿横の階段はとにかく急だ。



見渡す限り広がるジャングルに、
ポツリポツリとピラミッドが頭を出す。
左から、第一神殿、第二神殿、第四神殿と
もう一つ(名前忘れ)と見えるけれど…見つかるかな。



第5神殿の上から。
急さ加減が写真ではなかなか伝わらないけれど、
ほら、自分の足元から眼前のジャングルが一枚の写真に収まるほど急。



実は第3神殿は未発掘。
立ち入り禁止サインがあったが、ちょこっと奥まで失礼…。
一部ガイドブックには、登ろうと思えば登れると書いてあったのだけど
ジャングルまますぎて、急斜面で登るのは到底不可能だった。
これが、というかこの中が第3神殿なのだ。
再建された今見えるピラミッド(神殿)も、元はこんな山に埋もれていたのだ、
と発掘前に思いをはせる。



結局、
フツーの人であれば半日で見終わるというティカル。
私は朝の6時から夕方4時まで、なんと10時間もいてしまった。

それぞれの神殿群や遺跡群が
時には1Kmも離れていて、メインを回って鳥とさるを探して…を
するだけでもかなり歩く。

マヤ全盛期は、
大規模な町だったのだろう。
儀式が盛大に行われ、生贄も捧げられたのだろう。
どんな姿で、どんな言葉で、どんな思いで日々生活していたのだろう。
数百年から千年後に、こんなに各国の観光客が訪れる場所になると
一人でも想像した人があっただろうか。
今目の前にある巨木は、小さな芽でどんなマヤの生活を見ていたのだろう。


お別れを前に、マヤと語り合う(←妄想)



歩いて片道3日かかるジャングルのど真ん中にある
El Miradorというマヤ遺跡はティカル以上に大規模らしいけれど。

心の中だけで別次元に旅ができる
遺跡巡りって、やっぱり好きだなぁ…
ティカルはお勧めです。かなり。

初詣はマグマへ

2010年01月31日 | 中南米+ペルー滞在
「新年おめでとうございます」

というのには、もう1カ月を遅れをとっていますが…。


仕事の冬休みを利用して(なんと1ヶ月以上もある)
グアテマラに避寒に行っていた。
初中米!!


グアテマラは、先住民族の割合が多くオリジナルな文化が
多く残っている点でボリビアとそっくりだ。
だから、前から行きたくて気になっていた国なのよね…。

経済がボリビアよりも遥かに発展(?)というか
マーケットがあるようで、外資がたくさん入っていて
-マクドナルドはもちろん、バーガーキング、SUBWAY、ピザハット、
KFC、なんとタコベル、日本から撤退したウェンディーズ、
Chili's、ZARA(!)、ベンツディーラー、
SHELL・ESSO石油、CITI BANK、HSBCまでなんでもあり-
(ボリビアは赤字のバーガーキングが数店舗とSUBWAYくらいでマックもない)
ガラス張りの巨大ショッピングモールが何個もあって
私はびっくり仰天していたけれども…。

それでも、地方に行くとボリビアと同じく
古ーいバスが排気ガスを撒き散らしながら走り回っていたり、
荷物はバスの屋根に載せたり、
チョリさん(ボリビア先住民族女性の呼び方…便宜上ここでも使います)
市場で大活躍していたり、と
私にとっては懐かしくなる風景ばかりだった。
着いた瞬間、すでに「アメリカには帰りたくない」病に(笑)。


さて、そんなグアテマラでの年越しは
アンティグアというコロニアルな世界遺産の町で。
そして、元旦は流れ出るマグマ(溶岩)を
眼前で見られることで有名なパカヤ火山への登山。

声を大にして言おう。
流れ出るマグマが目の前で見れるんですよー!!!
触りたければ触れるんですよー!

もちろん、自己責任で。

そう、目の前で。
ここはグアテマラ。
ボリビアと同じように安全対策と規制がない国(と思う…)。

今も噴火し続けマグマを出し続ける活火山なので、
登山道は全部火山岩。
そんな道を2時間ほど登り続ける(けっこうキツイ)…と、マグマが見えてきた!



人が立っている場所も、
数日前にマグマが流れて固まった場所なので、足元がけっこう熱い。
下を覗き込むと、まだ燃え続ける赤いマグマが見えたりするのだ。


そんなマグマをベッドに寝る野良犬を発見!
朝観光客と一緒に登ってきて、夜観光客と一緒に村まで降りるのだって。
確かに、地面はあったかい。


日が落ちるとさらにマグマが映えて見える。
流れ出て、表面が冷めるマグマ。
中はまだ熱い。覗くとこんなに真っ赤。



とりあえず、
マグマが流れ出る口の上に登ってみた。
(↑柵もない強風吹きっさらしのマグマ口の上…さすがグアテマラ)
なんと、眼下2mでマグマが生まれていた。


ある種火の塊なのに、川みたいに流れている。
夜見たので、幻想的でとってもきれい。


で、
そんなマグマを川下から見てみよう。
こんな感じ↓。


当たり前だけど、
柵もなく、自然のままの姿なので、
マグマの川に飛び込もうと思えば飛びこめるほど近い。
私も他の観光客も1mの距離まで近づいたけれど…
それ以上は熱すぎるし、怖いし、で無理。

でも、周りにある石をマグマに投げ入れると
一瞬で炎が上がり燃え尽きてしまう。
ちなみに、登山口の村ではマシュマロがやたらと売られていたりするのだ。
どうしてかって?

木の棒にマシュマロを刺して焼きマシュマロにしたらおいしいから



地球のエネルギーが生まれ出てくるところ。
生きている地球が実感できるところ。


日本を離れていて神社に行けない私には、
これで初詣といたしましょう…。

マグマこそパチャママ(母なる大地)でもあるよね。

2010年、よい一年になりますように!

合理的?なクリスマス

2009年12月29日 | アメリカ・アイオワ州生活
そういやクリスマスだった…。
なんて実感がないまま過ぎたこの数日。

知り合いの家に行き、
テキトーにご飯を御馳走になる。

イブ(24日)と当日(25日)の2日間、
違う家に行って食事をしたけれど、
なんともアメリカンな割り切り方?が興味深かったので
ブログに書くことにした。


というのも、
ここ2年のクリスマスはボリビア(国民の大半はカソリック)で
過ごしたから、かもしれない。


ボリビアでのクリスマスは
いかにもカソリックなお国柄、ということもあり、
大切なのは24日から25日の日付が変わる瞬間。

イブの夕食を親族一同で食べた後、しばしの歓談時間。
その後、日付が変わった瞬間に
キリストの人形を馬小屋のカゴに置き、みんなで祈りをささげる。
そして、真夜中にクリスマスのプレゼント交換。
日付が変わる瞬間は起きているべきなのだ。


一方、今年過ごしたアメリカ人の家庭は
宗教心が強くなく「まぁ一応キリスト教徒…です」といった感じ。
だからか、「子供のころからの習慣」だからクリスマスの飾りつけは
熱心にやるけれど、ボリビアでは必須だった
キリスト人形(子供バージョン)も十字架の姿はどこにもない。
むしろサンタクロースと真っ赤なお鼻のトナカイさん(ルドルフ)と
スノーマンのキャラクターで溢れている。

さらに、本来は親戚で集まって
イブの夕食を盛大にするつもりが、
何家族かは遥か彼方のカリフォルニアへ旅行にでかけ、半減。
さらには、お腹がすいて待てない(笑)との意見が出て
午後3時には夕食?開始。


8人集まるイブの夕食を一家族だけで用意するのは面倒くさい、
ということで、各個人一品持ち寄り(ポットラック)式。

持ち寄ったものが、
フツーの買ってきただけのハム一本、
買ってきただけのカットフルーツ盛り合わせ、
缶詰と冷凍パイシートを組み合わせて焼いただけのチェリーパイ。
出来上がりのカットサラダ。
インスタントのマッシュポテト。

ターキーの丸焼き(冷凍を焼いたもの)があったのだけが…半手作り(笑)



デザートはスノーマンのアイスクリームケーキ。
色はどぎつくて生クリームは甘すぎたけれど、中のチョコアイスはおいしかった。


早々と5時過ぎには食事が終わり、
8時過ぎた頃には…「もう何もすることがないね」と
泊らない人は帰りだす。
その家に泊まる人は、そのままテレビを見て…ころ合いを見て寝る。
つまり、イブの夜中をみなで一緒に過ごし祝う必要はないのだ。

結局…
今回のクリスマスの中で
一度も祈りの言葉も宗教的な話もまったく出てくることはなかった。
(私は一神教にあまり共感できないので…個人的にはそれでよかったのだけど)


もちろん、
同じアメリカ人でももっと宗教的な家庭もあることは分かっているけれど。

クリスマス翌日の26日。
ショッピングモールや店は
クリスマスプレゼントの返品・交換の人の列でごった返ししていた。

もらったプレゼントが気に入らなかったら・合わなかったら
返品・返金・交換


これもまた、合理的でアメリカな感じ。


宗教的というよりも、
コマーシャル的なクリスマス、という意味でも、
ボリビアからアメリカ、ちょっとだけ日本のクリスマスに近づいた、
のかもしれない。


それでは、
素敵な年末年始を!

大豆畑の中の矛盾

2009年12月23日 | アメリカ・アイオワ州生活
アイオワ州は農業がメインの州だ。

主な農作物は大豆ととうもろこし。
アイオワ州はひたすら見渡す限り、大豆ととうもろこし、
という景色が普通なのだ。

夏から秋にかけてはこんな感じ。


冬の今は収穫も終わり、ひたすら雪野原が広がる。
まっ白白。

風をさえぎる木々や森もほとんどないので
吹きっさらしの冬の風がとにかく、寒い。



さて、本題に戻ろう。


つまりアイオワ州ではひたすら大豆ととうもろこしが広がる。
広大な畑の中に町や村があるといっても過言じゃないほど。

高速道路の周りもひたすら大豆かトウモロコシ畑。
盗み放題…って盗まないけれど、
それくらい視界に大豆かとうもろこししか入らないほどなのだ。

それでは、
さぞかし大豆ととうもろこしが安いOR食べ放題だろうと思いきや…

なんと大豆が手に入らない。

スーパーにいっても、新鮮な大豆(枝豆を含めて)はおろか、
乾燥大豆すら売っていない。
アメリカには大豆を食べる習慣がないから、
と言えばそれまでなのだけど
見渡す限り大豆畑が広がるのに大豆が売られていない。
ファーマーズマーケット(農家さんの朝市)に行っても売っていない。
新鮮なとうもろこしですら、滅多に手に入らない。

では、
この視界一面に広がる大豆とトウモロコシはいずこへ???


聞くところによると、
そのほとんどが家畜飼料
つまり牛や鶏や豚の飼料となるというのだ。

もちろんその牛やら鶏やらは、人間の食用。


まぁとうもろこしのごく一部は
コーンスターチやコーンシロップなどの人間用加工食品になるらしいけれど。


つまり、
大豆畑のど真ん中に住んでいるにも関わらず
大豆がまったく手に入らない、ということなのだ。



ボリビアに住んでいた時、
大豆は格安で手に入るのに、豆腐は高かったことから
後半は豆腐を手作りしていた。
にがりはないのでお酢で代用(できるんですよー!)。

で、今度はアメリカ。
先進国なのでさぞかし簡単に大豆位は手に入るだろうと見込み、
日本で買った本場?の「にがり」を携えて渡米。

ところが、
大豆畑の中に住むのに、肝腎な大豆が売っていない。
手に入らない。
逆に豆腐はちょっと大きなスーパーへ行けば大抵売っている。
高いし、硬い豆腐が多いけれど
豆腐ということには変わりなし。


いっそのこと、
アメリカの人気のない広大な畑の隅っこから
ちょっとばかり大豆を失敬しようかという考えも
頭の片隅をかすめたが…(いや、もちろんやってませんよ)、
アメリカ人に、
「アメリカの大豆とトウモロコシは99%、
 まず遺伝子組み換え&農薬・化学肥料使いまくりで
 逆に新鮮なものを食べては危ない」
と止められ、断念。


そういえば、
アメリカは日本と違って
大豆などの「遺伝子組み換え作物」の表示義務がないのだ。

日本は表示義務があるから、
信頼度はともかく、買う時にラベルを読めば選択できる。
ところが、アメリカでは書いていない。
よっぽど健康志向の人向けの健康食材店に行けば
オーガニック食材が手に入るのだけど、まぁ、村にはないですね。
確実に。

つまり、普通のスーパーで手に入る食材のうち
大豆やトウモロコシ関連のものはまず遺伝子組み換えなのだそうだ。
しかも、小型飛行機で空からばらまく農薬と化学肥料がたっぷり


地元の人が言う。
「地元の大豆やとうろもこしは、
 例え新鮮そうに見えても、食べないほうがいい」と。

でも
そう言っている本人が、コーンシロップと化した
農薬たっぷり遺伝子組み換えトウモロコシが主原料の食材は
何とも思わずに買って、ワッフルにかけまくって食べているのだから…
説得力はないのだけど。

更に、
そういう、新鮮なのは危ないから食べるなと言う
農薬たっぷり遺伝子組み換え大豆を飼料として育った
牛肉や豚肉を、平気な顔して食べまくっているのだから。


なんだか、変なの。


畑がこんなに広がるのに、農家の人の姿がまったく見えないなんて。
(小型飛行機や超大型トラクターで極たまに畑に出るらしい)
畑を維持するのに、小型飛行機が必要だなんて。

大豆畑が目の前に広がるのに、売られていないなんて。
大豆畑がこんなにあるのに、「食べないほうがいい」なんて。
(理由を知って納得。今や食べたくないけど)


私は農業のことはまったく分からないけれど、
そんな素人目にも矛盾だらけに映る大豆畑。


そう、
これが私が見たアメリカの農業なのだ。

Nicolas Guillenのボリビアの詩

2009年12月16日 | スペイン語関係
働いている大学で今セメスターとっていた
ヒスパニック文学入門の授業で、
パブロ・ネルーダやルベン・ダリオなどの著名な詩人の詩の分析があった。

そんな授業の後のレポートは
好きな詩を選んで分析する、というもの。

好きな詩ねぇ…といってもラテンアメリカの文学をまったく
知らなかった私はネットで一生懸命詩を探す。

結局、レポートは無難な?パブロネルーダのものを選んだけれど、
その時に見つけたのがこの詩。

ボリビアが詩のテーマになるなんて、
そりゃぁもう珍しいことだと思ったので
思わず目にとまったのだ。

それが、キューバの詩人Nicolas Guillen(ニコラス・ギジェン)の
「GUITARRA EN DUELO MAYOR」。


半年以上前、
まだ私がボリビアにいたころに、
ボリビアで最期を遂げたチェ・ゲバラのゆかりの地を見たいと旅行した。
そんなチェへの思いというか気持ちがまだ強く残っている私。

チェを巡る‐プロローグ(2009年4月14日)
チェを巡る-アブラデルピカチョでの束の間の平和(2009年4月15日)
チェを巡る-チューロ渓谷での敗北(2009年4月16日)
チェを巡る-番外編ラパス(2009年4月19日)
チェを巡るー最後の地イゲラ村(2009年4月26日)
チェを巡るーバジェグランデで晒される(2009年4月29日)
チェを巡る-チェらの眠っていた場所(2009年5月12日)


だから、このボリビアとチェに関する詩に目が留まったのかもしれない。

この詩は、
ボリビアで革命を目指してゲリラ戦を展開していたチェらを、
アメリカのバックアップのもと追い詰め処刑した当時のボリビア政府
(バリエントス政権)と兵隊を批判する詩だ。

スペインに侵略され、植民地化・搾取された揚句、
その後アメリカ政府やその資本にも搾取され、
貧富の差が大きく、
少数の富裕層白人系対多数の先住民族貧困層という対立が際立つボリビア。
そのボリビアを同じような歴史をもったキューバが
同じラテンアメリカとして革命を起こそうとした。

そんなチェを同じラテンアメリカで搾取される側の
ボリビア人が、どうして殺せるのか?

そんな強い憤りを表わし、
「ボリビア人よ、気づけ!」のメッセージを投げつける詩。



全部スペイン語ですが…ここに貼っておきます。
そのうち時間があったら訳してみようかな…いつできるだろう?!


「GUITARRA EN DUELO MAYOR」

I

Soldadito de Bolivia,
soldadito boliviano,
armado vas con tu rifle,
que es un rifle americano,
soldadito de Bolivia,
que es un rifle americano.


II

Te lo dio el señor Barrientos(※バリエントス=当時のボリビアの大統領),
soldadito boliviano,
regalo de mister Johnson,
para matar a tu hermano,
para matar a tu hermano,
soldadito de Bolivia,
para matar a tu hermano.


III

¿No sabes quien es el muerto,
soldadito boliviano?
El muerto es el Che Guevarra,
y era argentino y cubano,
soldadito de Bolivia,
y era argentino y cubano.


IV

El fue tu mejor amigo,
soldadito boliviano,
el fue tu amigo de a pobre
del Oriente al altiplano,
del Oriente al altiplano,
soldadito de Bolivia,
del Oriente al altiplano.


V

Esta mi guitarra entera,
soldadito boliviano,
de luto, pero no llora,
aunque llorar es humano,
aunque llorar es humano,
soldadito de Bolivia,
aunque llorar es humano.


VI

No llora porque la hora,
soldadito boliviano,
no es de lagrima y pañuelo,
sino de machete en mano,
sino de machete en mano,
soldadito de Bolivia,
sino de machete en mano.


VII

Con el cobre que te paga,
soldadito boliviano,
que te vendes, que te compra,
es lo que piensa el tirano,
es lo que piensa el tirano,
soldadito de Bolivia,
es lo que piensa el tirano.


VIII

Despierta, que ya es de día,
soldadito boliviano,
esta en pie ya todo mundo,
porque el sol salió temprano,
porque el sol salió temprano,
soldadito de Bolivia,
porque el sol salió temprano.


IX

Coge el camino derecho,
soldadito boliviano;
no es siempre camino fácil,
no es fácil siempre ni llano,
no es fácil siempre ni llano,
soldadito de Bolivia,
no es fácil siempre ni llano.


X

Pero aprenderás seguro,
soldadito boliviano,
que a un hermano no se mata,
que no se mata a un hermano,
que no se mata a un hermano,
soldadito de Bolivia,
que no se mata a un hermano.

ニコラス・ギジェンの詩のページより引用


ラテンアメリカの歴史をちょっとかじると、
(ラテンアメリカに限らないけれど)
本当にいろいろ考えさせられます。

手作り石鹸、完成。

2009年12月14日 | アメリカ・アイオワ州生活


仕事やら、正式に取ってしまったスペイン語の課題提出やらで
忙しかった数週間がやっと終了。

冬休み前のちょっとした穏やかな期間がやってきた。


さて、思えばもうすぐクリスマスだ。
ということで、1か月前から仕込んでいた石鹸が完成したので
プレゼント用にリサイクルした紙でのラッピングを急ぐこの頃。


オリーブオイルやら、ココナッツオイル、ホホバオイルを
鹸化させ身近な型、プリングルスの箱に型入れ。



数日後、切ってみる!



切った石鹸(まだ未完成)を棚に並べ
1か月以上ひたすら乾かす。



石鹸作りには精度の高い量りが必要で、
大学の理系学部の先生に突然頼んで3日ほど貸してもらった。
そんな、自分とは縁もゆかりもない理系学部の校舎を
挙動不審に歩いて借りた量りも大活躍し、無事完成。


今回作ったのは…上写真の左から
(※自分のメモ書きを兼ねています)

★海の幸石鹸(緑色)
きゅうりの水210g   オリーブオイル450g    昆布粉末    ニアウリ精油   
苛性ソーダ80.7g +ココナッツオイル135g  +のり   + レモングラス精油
           Sアーモンドオイル15g 

★ローズマリー石鹸(クリーム色)
水210g       オリーブオイル450g          
苛性ソーダ80.7g+ココナッツオイル135g  +ローズ + ローズマリー精油
          Sアーモンドオイル15g     マリー     オレンジスイート精油

★セージの石鹸
セージ水210g    オリーブオイル450g          
苛性ソーダ80.7g+ココナッツオイル135g  +はちみつ + クラリセージ精油
          Sアーモンドオイル15g           オレンジスイート精油

★はちみつ石鹸(オフホワイト) 
水210g        オリーブオイル450g           ラベンダー精油
苛性ソーダ78.74g +ココナッツオイル140g +はちみつ + ゼラニウム精油
           ホホバオイル10g            ローズウッド精油

★グリーンティー石鹸 (こげ茶)
水210g       オリーブオイル450g    豆乳     ひのき精油
苛性ソーダ78.74g+ココナッツオイル130g  +はちみつ + レモングラス精油
          Sアーモンドオイル20g   緑茶葉      マジョラムスウィート精油

      
ということで、
プチクリスマスギフトは、靴や服を買った時の      
包装紙の再利用で。



いいんです。無駄な出費はしなくて(表向きはエコ・笑)。


そうそう、
精油のいい匂いもするし、泡立ちも滑らかで
いい感じの石鹸になった。
一気に大量に作ったので
アメリカにいる間は石鹸はもう買わなくていいかも…。

寒い、寒すぎる。

2009年12月12日 | アメリカ・アイオワ州生活
11月からもう、私にとっては本格的な冬の気温だったこのアイオワ州。
私にとってはひとケタになった時点で、
9度を切った時点で、寒い。

それでも
アメリカ中西部のここアイオワ州では
「今年は暖冬だ、異常だ、暑い」と言われ続けていたのだ。


ところが12月に入って
気温はぐんぐん下がり、
ここのところなんと、毎日零下20度!

アメリカでは華氏を使うので
摂氏を使う日本とは気温を表す数字の桁がちょっと違う。
テレビで「今日は20度で寒いですよー」と明るく言うので
華氏感覚になれない私は温度計でいちいち確認。
華氏20度は、なんと摂氏マイナス12度

はっきり言って、「寒いですよー」と明るくさらりという温度ではない。
少なくとも寒がりの私には。

それが昨日なんかは
「ちょっと寒いです」との表現で
華氏マイナス5度。 なんと摂氏ではマイナス22度!!!


ちょっと…じゃないだろう。

とまたもや私はテレビについ怒ってしまうのだ。


日本では東京近郊にしか住んだことのない私。
東京の冬でさえ、「寒すぎる」私。
ここ数年はひたすら熱帯・亜熱帯暮らしだった私。


ありえません。
毎日が摂氏マイナス20度の世界なんて。
(まぁ、毎日が毎日、というわけでもないらしいけれど。
 でももっと寒くなるらしい…)


一面雪景色は目にはきれいだけど、
何枚着こんでも体に突き刺さる寒さ。

これがこの日の私の通勤路。



よくもこんなところに人が住んでいるなぁ。
大学があるなぁ(しかも全寮制)。
木の上に巣を作って暮らすリスはすごいなぁ。


なんてつくづく疑問に思うのだ。


大学の冬休みまであとほんの少し。
今はマイナス20度の世界を耐え忍びます。


寒っ。

やっぱり、スペイン語

2009年11月18日 | スペイン語関係
今、アメリカのとある全寮制のリベラルアーツカレッジの
「外国語学部」で働いているけれど
この大学のスタッフは空きがあれば
他の授業を無料でとることができる。
もちろん、聴講だけでなく単位まで取れてしまうのだ。

こんなおいしい話逃すわけにはいかん!と
もちろん私は動きました。早速。

ボリビアでしたくてもできなかったこと。
それはスペイン語自体やスペイン語でやるきちんとした授業を取ること。
でも、スペイン語を外国語として教えられる人は
サンタクルスやトリニダにいなかったし、
外国人向けのスペイン語の授業が行われている大学なんて皆無。
ということで、結局「公文式」に走ったというのは前のブログでも書いた話。
2009年5月28日のブログ


ところが、ここはアメリカ。
ヒスパニック移民が増えた結果、
今や英語を母語とする人口よりもスペイン語母語人口の方が多いアメリカ。
スペイン語は一番ポピュラーな外国語なのだ。
日本でスペイン語を勉強するよりも、
アメリカの方がアクセスしやすい、とも思う。個人的にね。
ということで、私が働く大学にもスペイン語専攻があり授業もよりどりみどり。
なんせスペイン語でやる「アルモドーバル映画分析」の授業まであるのだから。
(※ペドロ・アルモドーバル=奇才として有名なスペイン人映画監督)

結局、本物の学生が優先な訳で、
私は空きがあった「ヒスパニック文学分析入門」の授業を取ることにした。
先生はホンジュラス人女性。
授業は全部スペイン語のみ。

メキシコやスペインの戯曲を読んだり、
メキシコのムラリスモ(muralismo)や、
アルゼンチン映画「La Historia Oficial」や
スペインが舞台の映画「El laberinto del fauno」
(邦題パンズ・ラビリンス…らしい)、
果てはパブロ・ネルーダやルベン・ダリオ他の詩の分析まで入っていて
盛りだくさん。


…毎日スペイン語の文献と格闘の日々なのだ。

っていうか…
スペイン語の詩の韻の踏み方の名前、
節の数え方なんて当たり前に知らなかった…。


ということで、
実は8月末に授業が始まって以来
ボリビア以上に、毎日がスペイン語と格闘です。
何が忙しいって…仕事よりも(も、だけど)このスペイン語の授業ですよ、うん。


日本のどんな大学でも(恐らく)やってないであろう
レベルのスペイン語の授業が普通に行われているアメリカ。
こういうところだけは、好きだな。


恐るべし、アメリカ。

ハロウィーンのランタン

2009年11月03日 | アメリカ・アイオワ州生活


10月31日。
私にとってはまったく特別でもないごくフツーの一日だけど、
アメリカにいるとハロウィーンだということに気付く。

私が子供のころはハロウィーンの存在自体、多分知らなかった気がするけれど、
どうもほかの人の話に聞くと、子供英語教育の副産物?として、
今では日本の大部分の子供がハロウィーンを知っていて、
ちょっとしたパーティーなんかもやるところも多いらしい。

本当かな?

実感としてはよくわからないけれど。


さて、本場アメリカでは1カ月近く前から
家々にはオレンジ色のかぼちゃが顔を並べ、
ちょっとやる気ある家だと、肝試し張りのおばけが飾られたりもしていた。
でも、私は何もやる気もなかったんだよねぇ。

大学職員の間では、
子供がTrick or treatしないように、家じゅうの電気を消して
いないふりをする、とか、
もし万が一来ても、果物とか缶詰とかもテキトーにあげる、とか
なんともいい加減な話で盛り上がっていた。


10年ほど前に、アメリカに1年弱いたときは、
ホストファミリーの5歳になる女の子のTrick or treatについて、
何軒かまわったことがあった。
うん、結構もらう側としては面白い経験。
でもねぇ、今回「される側」になると、いやぁ、面倒くさい。


ということで、
私も実は居留守にしてしまいました。

近所の子供よ、ごめん!


とはいえども、
ハロウィーン当日になり、やっぱり「かぼちゃの顔」
Jack-O-Lanternくらいは初体験してみたいなと思い、
スーパーで売れ残りのオレンジかぼちゃを購入。


急きょ、包丁で作ってみたいかにもフツーなかぼちゃ頭。



いや、でもかわいくない???
中にろうそくを入れて灯すとなかなか雰囲気も出てきて、
気に入ったあまりひと晩じゅう、灯していた。


さて、ところで、
このハロウィーンの元々の起こりは、
アイルランドを含めたケルトの習慣。
ケルトの暦によると、11月1日が冬の始まりであり新年。
そのイブがハロウィーンで、この日にお化けや魂といったものが町を徘徊すると言われていた。
そのお化けが近づかないように焚火をしたのが、「火」を灯す習慣の始まり。
さらに、ケルトでは、野菜類を彫って「顔」を描く習慣もあったとか。
さらに、おばけが家に入らず帰るように、玄関外に食べものを出しておいたのが
treat(キャンディーをもらうこと)につながるのだそうだ。

いずれにしても、アイルランド人が大量に移民してきた時代から
その影響でアメリカでも祝うようになったのだとか。
当時のアメリカには顔が彫れるだけの適当な野菜がなかったため、
その場しのぎでオレンジの大きなカボチャを使ったところ、
それが定着して、今ハロウィーンを代表するあのジャックオーランタンになったわけです。

そうそう、
このハロウィーン時期になると大量に出回るオレンジのかぼちゃ。
じつはその大部分が観賞用(つまりランタン用)で、食用じゃなかったりする。
うーん、なんとも残念。

オレンジ色のかぼちゃばかりを見ては、
日本の小さくて緑で味が濃くてほくほくなかぼちゃが懐かしくなるこの頃なのだ。

秋休み-湖でカヤック

2009年10月24日 | アメリカ・アイオワ州生活
アメリカで仕事を始めて早くも2か月。
私が働く大学では、
なんと素敵なことに約1か月半ごとにちょっと長めの休みがやってくる。


8月末から仕事が始まり、
10月下旬の今は9日間の秋休み。

ということで、
ボリビアと違ってあまり行くところがないなぁ…と思いつつも
シンシナティという町とその郊外へやってきました。


友人宅の目の前は湖(人口湖)。
家にはボートとカヤックがあり、そのまま湖へGO.

ということで、
人生初のカヤックを。





夏に沖縄に旅行したのだけど、
そこで興味津津だったマングローブの森カヤックができなかったのよね…。
だからこそ、楽しみにしていたカヤック。


シンシナティ(郊外)は、アイオワ州と違って
まだポカポカ秋陽気、ということもあり、
流れにのってのんびりカヤックの上で
寝転がってみたり…。


黄色や赤に変わった秋の木々が
絵に描いたように鮮やかだった湖の周り。


車社会で、
車なしではどこへもいけないアメリカは
はっきり言って私好みではないけれど、
ちょっと郊外に出たら、
しかも自宅が湖に面していてクルーズ&カヤックし放題だったら…
アメリカも素敵に見えてしまうものだ。


いやー、
あと数日毎日カヤックしてみよう…。

もう、初雪。

2009年10月17日 | アメリカ・アイオワ州生活
ちょっと前のことになるが、
10月10日の土曜日、朝起きたらなんと雪だった。



10月第二週目にして初雪
いやぁ、自分の目が信じられなかった。
10月ですよ、10月。
日本の東京あたりじゃぁ、これからが秋本番というのに。
どうりで、このアイオワ州の田舎あたりでは
毎朝摂氏ゼロ度をすでにきっているわけだ。
寒いっす。


10月といえば、思い出すのが
とても個人的なことだけど自分の中学と高校の制服。
私が通っていた中高(一貫女子高)は
ベストとセーターをはおるというオプションもあってか、
夏服の期間が他の学校よりも長かった。
5月から10月中旬の体育祭が終わるまで

つまり、私が言いたいのは、
10月の第二週は、東京ではまだ夏服の学校があるくらい、
暖かいということ。


毎日、すでに
コートにマフラーぐるぐる巻きで出かけている。
(あ、ちなみにとうとう観念して
 今週から靴-というかスリッポン-を履き始めました。
 さすがサンダルじゃ見た目も寒いから)


ところが、
キャンパスではTシャツに短パンで走り回っているアメリカ人学生もいる。
裸足で!(靴もサンダルもはかずに)外も建物の中も歩きまわる学生もいる。



うーん、
ステレオタイプではあるけれど、
アメリカ人って真冬なのに半袖の人が結構多い。
昔から思っていたことだけど。
白人系の人は体温自体が日本人全般よりも高いと聞いたことがあるけれど、
マフラーぐるぐる巻きの私からすると、
半袖短パンでかけ回る学生を見るだけで、寒かったりもするのだ。


いや、普通寒いでしょう。
雪降ったんだから。
不思議だ。

便利って不便だ

2009年10月09日 | アメリカ・アイオワ州生活
いや、それだけじゃなくて
テクノロジーがありすぎるのは
経済が豊かすぎるのは不便だ、とも思う。


この頃、便利さと不便さ、この二つについてよく考える。


まず身近なことから。
アメリカに着いて3週間、家でインターネットができなかった。
家は職場が用意してくれたもので、ちゃんとパンフレットには
(家の設備・使い方が説明されているパンフレットが用意されていたのに驚き)
「ワイヤレスネット繋がります」と書いてあるのに。

ここはもちろんアメリカ。
ボリビアのようにどこからかセキュリティーがかかっていない
自由なワイヤレスが飛んでいることは、まずない。
(ボリビアのお金持ち地区等では、誰かさん個人のセキュリティーなしの
 ワイヤレスが結構飛んでいた。たぶん、セキュリティーの概念がないのよね。
 お陰で、自分は契約していないのにワイヤレスを盗めちゃったりしたのだ。
 いや、ボリビアだから、よかったんです。←正当化。
 いずれにしても日本では考えられないほど接続は遅かったけれど)



①職場に行って、IDをパスワードをもらう。
②家に戻って接続してみる。
③エラーになり、接続できず。
④職場(大学)のITセンターで設定確認してもらう。
⑤有線LANでは接続できたが、無線はできず。
⑥設定を変更したが、接続できず。



何回も大学(職場)のITセンターに通いつめ、
調べてもらった結果、私のPC(日本語Windows)のセキュリティーレベルが
大学のワイヤレスネット接続のセキュリティーレベルに合わない
というのだ。

さらには、
大学のハイテクなセキュリティーシステムが
「日本語Windowsには対応していない」という始末。

結局3週間もかかり、
専門の人に設定やらアップデートやらを繰り返してもらって
なんとか今、使える状態なのです…。


こんなハイテクなセキュリティーって、
守られれば便利だけど、ハッキリ言って不便



それから、
車社会


歩いていける範囲に店がありません…。
いや、かなり歩けばありますが、大きなスーパー(walmart)は
歩いたら1時間はかかる…でしょう。
(ちょっと大袈裟かな)

ここはアメリカ。
一人一台、車を持っていることが前提の社会なので、
道路を歩いている人なんかほとんど見ないし、
こんな小さな町(というか村レベル)では、
公共の交通機関-バス-などは存在しない。
他の町に出掛けるためのバスすら、ない。


今思えば(いや今じゃなくても)
ボリビアのように、自家用車を持っていることが前提でない社会は
私にとってなんと便利だったことか。


よっぽどのど田舎でない限り、
道端にはチョリータさんが座りこんで、こまごまとした
お菓子から水から、電話カードまで売っていた。
電話機があって、電話だってかけられた。

遠くのスーパーまで行かなくても
(というかスーパー自体、ボリビアには数多くないけど)、
そこらへんの道路でありとあらゆるものが買えた。
市場だってあった。

バスだって、普通の大きさの町や村なら
しょっちゅう走り回っていた。


なのに…なのに…ここは
道路はがーらがら。
歩く人ももちろんいなければ、道端で物を売る人なんているわけがない。


だから、
散歩するのも、なんだか人気がなさすぎてさびしくて…
する気になれないのだ。
まぁ、言い訳ですが。


ということで、
私にはいかにボリビアとかペルーとか、
そういった便利じゃないからこそ、便利な社会が合っていたことか。
こう実感する毎日なのだ。


便利すぎるって、時には不便だ。

うん。

すでに暖房が

2009年10月02日 | アメリカ・アイオワ州生活


職場を含めた店などの屋内は
日本のデパート並かそれ以上に、
暖房や冷房が常に入っているアメリカ。

「エコ」という言葉はどこへやら、
外の暑さや寒さとは無縁の屋内が広がる先進国のリッチさというか、
無駄遣いさというか、を身にしみて感じるこの頃なのだ。

ところが…
数日前から
冷たい木枯らしが吹くすさぶアイオワ。
とうとう、3日前から家に暖房を入れてしまいました…。

暖房というと、
もれなくセントラルヒーティング(全館暖房)を意味するのがアメリカ。
日本のような小さいヒーターが部屋ごとに、というわけではなく、
スイッチは一つ、
これさえオンにすれば建物全部が丸ごと暖房されてしまうのだ。
(まぁ、日本でも北の方や
 新しい家はセントラルヒーティングがあるらしいけれども。)


使っていない部屋だってある私の家なのに、
その部屋も、トイレも廊下もすべてが暖房…。

いや、すんごく快適なんですけどね。
家の中にいる限り、外の寒さなんて夢のまた夢。

でも、
やっぱりエネルギーがもったいない気がしてしまうのだ。
せめて部屋ごとにスイッチを切りたい、とか思ってしまうのだ。


ただでさえ標高が高くて寒いボリビアのラパスであっても、
家に暖房なんて標準装備じゃなかった。


アメリカの贅沢さ、
先進国の快適さと、
ボリビアなどの生活を知ったからこそ感じてしまう
後ろめたさというか…エコじゃないという違和感。


うーん、
快適ですが、考えさせられます。

だからといって、
暖房を切ってしまうと、本気で寒いのよねぇ。