曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

青柳と石田 青柳島跡

2007-09-29 | sketch/連載/その他
青柳稲荷にあった掲示板によると、国立の旧青柳村を開拓した
人々は府中の本宿に属していた青柳島から移住して来た事にな
っている。青柳島とは現在の関戸橋(橋開通前は関戸の渡し場)
の少し上流あたりにあった島らしい。
写真は関戸橋の北詰。


関戸橋から百数十メートル上流。このあたりにあった中州が青
柳島だったのだろうか。多摩川の氾濫で集落が流されてしまっ
たのが、移住のきっかけになったようだ。goo地図


さらに上流の府中四谷橋から下流方向の眺め。

青柳と石田 万願寺の渡し(2)

2007-09-28 | sketch/連載/その他
多摩川南岸から国立方向の眺め。日野側の渡し場はこの
あたりにあったと思われる。写真の外、すぐ右側に中央
高速の橋が架かっている。
少し解りづらいが、写真中央、向こう岸にサッカーゴー
ルが二つ並んでいる。昨日の写真はそこで撮影したもの。
背後の森が段丘で、その上に青柳稲荷がある。


goo地図


青柳と石田 万願寺の渡し(1)

2007-09-27 | sketch/連載/その他
多摩川北岸から眺めた日野市石田。goo地図


かつて万願寺の渡し場があった跡地の近くを通る中央高速。




河川敷公園のグランド。その中央付近で多摩川の流れと平行に
線を引いたかたちに日野と国立の市境が設定されている。

国立市内の青柳と石田を見て廻った。同じ時代に、同じ理由で
谷保村(現在の国立)へ移住して来た人たちによって開拓され
た両村であったが、現在に至る歴史はだいぶ異なったものにな
った様に思えた。石田はあちこちに散在し、その数と共に面積
も減りつつあるようだ。それに対して青柳は甲州街道を挟んだ
土地に根を張り、しっかりと国立の中でその地位を確立してい
る様に見える。その違いはどこに起因するのであろうか。

青柳と石田 青柳稲荷西(1)

2007-09-25 | sketch/連載/その他
甲州街道、青柳稲荷参道とみのわ通り入り口交差点の間に
石田の飛び地が二つ並んでいる。
南北方向に長い長方形で、二軒分の細長い青柳を挟む形に
配置されていた。甲州街道北側からの眺め。


黄色い看板の伊藤車輛が建っている土地が石田の飛び地に
挟まれた青柳。goo地図


右(西)側の石田と左側の青柳の間を通る路地。

青柳と石田 矢川駅

2007-09-22 | sketch/連載/その他
南武線の矢川駅とその周辺も石田となっている。
写真は駅の北側から見たホーム。


反対の南側から。goo地図


隣接した土地では建てたばかりの住宅を販売中。ここも石田らしいが
今まで空き地だったという事だろうか。


駅舎は谷保と石田にまたがった形で建っており、この写真はその南側。

青柳と石田 かつての飛び地

2007-09-20 | sketch/連載/その他
国立市の南西部で、みのわ通りと甲州街道がぶつかる
「みのわ通り入り口」交差点を挟んで、矢川緑地から
南側、そして多摩川のすぐ北の段丘のあたりから北側
が青柳という住所になっている。


かつては、石田の飛び地は国立のあちこちに散在して
いて、今よりもその数は多かったようだ。写真のほく
しんクリーニング石田店は、青柳1-8にある。昔は石田
で現在は青柳に吸収されてしまった名残ではないだろ
うか。場所は9/10に紹介した写真の橋のすぐ目の前に
あたる。goo地図

青柳と石田 青柳稲荷

2007-09-19 | sketch/連載/その他
goo地図


前回の連載中に国立の地図を調べていて飛び地を見つけた。
そこに住んでいる人達からみれば、不思議でもなんでも無い
のだろうが、飛び地を持たない(あるいは消失してしまった)
立川の住人である自分は珍しい物を発見した気分になる。
青柳と石田が飛び地になった歴史的経緯について、検索して
みてある程度の背景は知る事ができたが、神社の掲示板の解
説に簡潔で解りやすくまとめられていた。
新撰組や土方歳三に興味がある人にはよく知られた事かもし
れない。

続・矢川 甲州街道を横断

2007-09-15 | sketch/連載/川
川に面した家(農家?)に、階段と洗い場が設けられているのを
いくつか見かけた。野菜でも洗うのだろうか。


南へ向かう矢川。正面に小さく写っている、後ろ向きの祠は以前紹介
した五智如来
その掲示板の解説にも四軒在家という地名が出てくる。


甲州街道をくぐる矢川。


さらに南方向へ流れて行く。goo地図