。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

   
    大好きをゆったりまったり楽しんで、
      のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~。

白山ロード^^(大野市-3)

2016年05月30日 | 白山車窓景

平成28年5月29日参拝

・後野(のちの) 白山神社     (福井県大野市 後野11-3)
・上大納(おおのう) 白山神社  (福井県大野市 上大納30-1)
・下山(しもやま) 白山神社    (福井県大野市 下山47-26)
・柿ヶ嶋 白山神社                (福井県大野市 柿ヶ嶋29-30)
・宝慶(ほうきょう)寺 白山神社 (福井県大野市 宝慶寺2-16-1)




主人と白山神社めぐりのドライブに大野方面へ向かう。

国道158号線経由、県道127号白山中居神社朝日線を福井泉スキー場を目指し走っていくと、この道路沿いに後野集落の白山神社が山べたに鎮座。ざっと、50段ぐらいあるであろう階段上を見上げながら通り過ぎる^^;;;

ちょうど昼時でもあり、おにぎりを食べてから参拝にしようと主人にだだをこねられ、泉スキー場でお弁当タイムを楽しむことになった。(ごめんね^^;神さま~)

上に登ってみたら、オフシーズンにも関わらず駐車場が賑わっていたことに驚いた。
なんと、ここ福井和泉スキー場は冬場はスキー、夏場はMTBでダウンヒルができるスポットのようでMTBパークとなっているようである。

さて、ほどなくお腹を満たして参拝に出かけようとしたその時、車の窓から道端のすぐそこににワラビが顔を覗かせてる姿を見つけてしまったものだから暫し二人で山菜採りに没頭(笑)。

ほやけど、こんなことしてる場合じゃないと我に返り、後野の白山神社へ向かったのでした^^;;;



後野 白山神社 (福井県大野市 後野11-3)

 
                                    拝殿

 
                            本殿

うわぁ~^^、大野ってどこもかしこも山菜床なのねぇぇぇ~♪
神社の境内には、成長したワラビがわさわさに風に揺れてましたし^^; 竹林にはタケノコがまだ頭をもたげているのをみかけました。こちらとは一ヵ月季節が遅い様な感じですね。

この際やで^^;;; 次へ向かう途中、山べたの道端で山フキも採取してきた。今年春、佃煮作りに目覚めた主人がもう一度やってみたいということで(それが美味しかったんで)お願いした(笑)。



上大納 白山神社 (福井県大野市 上大納30-1)

一旦、国道158号線に戻ると橋を渡って県道174号上大納下山線を走る。(この道は、中竜鉱山跡地へ向かう道です。)

道沿いにある神社は杉の林に守られながら鎮座していた。近くには、大野市和泉地区の特産物ブランド名”九頭龍まいたけ(昇竜まいたけ)”を生産する昇竜まいたけ工場がある。

そのせいなのか^^? どうなのかは分かりませんが、境内の掃除が行き届き過ぎたくらい見事な^^それはそれは尋常でないほどに磨かれた境内の様子に感動と驚きを隠しきれませんでした。
こんなにきれいに掃除が行き届いた境内を初めて目にしました。

 

写真で伝わりますでしょうか^^? ホント!もの凄いです。 お祭か何か大事があったのかしら?

社殿の汚れや苔垢に至らず、参道の石の苔までもきれいに削り取られ洗い流されているのです。
しかも拝殿本殿の中を覗かしてもらえば、散りひとつ無く、先ほど掃除したてのようなピカピカさなんですよ~。境内の草はサッパリと芝を刈った様な感じですし、枯れた杉葉なんて何処にも見当たるはずもありません。ほんとにほんとに、もぉ~びっくりポンなのです^^!

 
拝殿

 
本殿

ありがとうございました。この集落の方々の心意気が伝わってきます。
とっても真似できませんが、神社って本当はこうあるべきなのでしょうね^^ 

 

下山 白山神社 (福井県大野市 下山47-26)

走ってきた174号線を国道158号線まで戻り、大野市方向に車を走らせ下山集落へ。

 



柿ヶ嶋 白山神社 (福井県大野市 柿ヶ嶋29-30)

 





宝慶寺 白山神社 (福井県大野市 宝慶寺2-16-1)

大野市郊外から34号線を経由して池田へ抜けるルートで帰宅を急ぐ。
その途中にある宝慶寺の白山神社へ寄る。小さな神社は道沿いに鎮座していた。

境内の右側には広く開けたスペースがあるのですが、この山の上にある宝慶寺へ参拝される大型車駐車場として利用されているようです。

 

現在、神社前に新しい道路の整備が進んでいます。
年中には完成予定のようですが、今しばらくは静寂とは縁遠い落ち着かない日々が続きそうです。


 

本日の大野白山神社めぐり、ワラビと山フキのおみやげ付きで^^とっても得した気分~♪

「来年も今頃、大野へ神社めぐりに行こさ!」と、佃煮を作りながら真田パパが誘うんやけども^^v
 

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Dream beat!

2016年05月17日 | OSK 駅

OSK日本歌劇団  『 レビュー春のおどり 』    (大阪松竹座 / 5月1日~8日)

        <第一部> 花の夢 恋は満開 (作・演出・振付:花柳 基)
        <第二部> Take the beat ! (作・演出・振付:名倉加代子)

 

5月6日(金)、高世さんの「春のおどり」を観劇してきました。 
でも、今年は荻田先生のショーじゃなかったんで、ちょっと残念やったかも^^;;;

お昼の部に三階席上部から全体を、そして夕方に一階下手席より観劇することができた。
何の予備知識も持たずにみた初見、第一部の郭界の恋物語を興味深く三階席から身を乗り出すようにして見入った。硬派過ぎる高世さんの姿にぐいぐいと気持ちが引っ張っられていく。

終盤に火事にビックリして夢から覚めて安堵する姿を眺めながら、なぁ~んだ、全部夢物語だったのかぁ~、ほーかほっか、そういう展開になっていたのかっ^^;と揺れ動く自分の気持ちに胸をなでおろし安堵した。 危ない!危ない! ← 何があぶないのじゃ~?(笑)。

離れた三階席からの初見は、よりよく理解したいがためか気持ちに近く入り込もうとじーっと見入ってしまう。舞台の全体を見ているようで実際はあんまし観ていないのかもしれない。増してや久しぶりにみるOSKの舞台ともなると、気になる殿方達に心の眼差しがオペラグラス化してしまう。

引き続き二回め観劇、一階席へ降りてきた^^;  尋常じゃない輝きにはやはり心が奪われる~^^;;; 落ち着け!夢物語だ(笑)。そうなのよね~観客にとって舞台はひと時の夢でしかないのですが、日舞のそれは現実味を帯びた白日夢として楽しんでしまったものだから、私自信ドキドキしっぱなしだったの^^v

郭界に夢を注ぎ込んで描いた日本物ショーは、後半からのテンポの良さもあって楽しく拝見致しました。中堅どころとなる皆さまのめざましい成長には、とても目を見張るものがあり嬉しかったです。

ロマンちゃん^^; 
カッコいい役とは縁遠くなっているのかもしれませんが、あなたが踊っている時にみせる幸せそうな笑顔を見てるとホッコリとするものがありますね。目指したい明確な姿を前にしっかりと見つめている姿勢が好きです。

愛瀬くん^^;;; 
なんだろね^^この子、もうちょっと男前さんになるのかと思ったけど、ダンスもずっこけだし、それでも不思議ととってもいい味を醸し出して魅せてくれる男役さんになっている。もっともっと自分に自信を持っていいよ。がんば^^v

奏ちゃん^^v 
シャープにすっきりとまい進中ですね、新幹線みたいな児だ!それでいて笑顔はカワイイ~♪

翼和希さ~ん、あなたの元気な歌声が聞きたかったなぁ・・。



二部の洋舞は、季節的にも新橋演舞場の「夏のおどり」を意識したような雰囲気ですね^^
夏の昼下がり、桐生さんが歌う子守唄に酔いしれながら、そよそよと肌をなでてく風につい気持ちよくなってうたた寝しながらみてる夢のような~^^;;; うんうん、夏だとピッタシカンカン!(笑)。

洋舞の方は、日舞ほど気持ちが入り込めなかったように思います。
ここで一番思うのは、男役トップが完全な女装(娘役)する必要があるのだろうか?
いや、高世さん^^;女性としてもとってもお綺麗ですから、その有無を言わせぬものに無理やりねじ伏せられてしまったような感がありました。でも、なんだかひとりで我武者羅に頑張っているようにしか思えてならず、せっかく素敵なキャラバンの歌を持ってきても客席の掴みが弱いです。
(ここまでで力尽きてしまったようにもみえて・・ ステキな娘役さん、いっぱい居るのになぁ~)

真っ白な衣装で夢から覚めたようにひとり歌う場面、そして、「ジャストダンス」への流れ・・
私達には計り知れないものがそこにあるのかもしれませんが、高世さんの理想を追い求める気持ちの高さを感じました。

OSKの歴史に刻めるよう、あなたの思い描くキャラバンに到達できますよう祈っています。



「Dream」と「夢」、英語も日本語も同じ二つの意味を持ってますよね。

寝ている時に無意識に見る夢も、遠い未来に思い描く理想の夢も、この同じ一つの単語を使って現わします。それは、どちらもの夢もいつかは現実の世界になるかもしれない可能性を強く秘めている要因があるからなのでしょうか。

でも、どんな夢も叶った時がゴールではないのです。夢を叶えたら、そこがもう次のスタート地点になるのです。目標があってこその人生なんですって!誰かさんが言っていました。

コツコツとひとつひとつの夢を刻み続けることによって、自分だけの本当のDreamを手にする日がいつかやって来る。そんな日が本当にやってくるといいですね~♪

 

「春のおどり」観劇時、桐生さんのLIVE板CD (「OSK Revue Cafe」/2015.7) を母へのお土産にと買って帰った。

母がようよう聞いたであろう先日、歌っている内容が気になってちょっと貸してもらった^^;;; 

冒頭収録「久遠の河」を聞くなり、ぽろぽろと流れ出てくる涙が止まらない・・。
温ったかく包み込んでくれる優しい奥深い彼女の声、でも迷いのないしっかりした芯の力強さも感じられて、変わってないあなたの気持ちがとても嬉しかった。
「ランタナ」 もいい曲ですよねぇ~。 母も大好きです^^v

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白山ロード^^(越前市-9)

2016年05月14日 | 白山車窓景

平成28年5月5日参拝

・岡太(おかふと)神社  (福井県越前市 岡本町21-18)

平成28年5月14日参拝

・大瀧・岡太(おかもと)神社  (福井県越前市 大滝町23-10)

 

 

先日訪れた粟田部町の岡太(おかふと)神社に引き続き、参拝に行ってまいりました!

これが実にややこしい、岡本(おかもと)町にある岡太(おかふと)神社と、大滝町の大瀧・岡太(おかもと)神社です。

この三社は、『延喜式神名帳』に越前国の岡太神社として記載されていますので由緒ある神社です。

岡太神社 (福井県越前市 岡本町21-18)

 
第一の鳥居 『岡太神社』

 
境内入口 第二の鳥居 『白山神社』

 
拝殿扁額 『岡太神社』



以前は白山神社とも称していたようですが、現在は岡太神社と称し、裏山の岡本山頂に雨夜神社を祀っている。


 

大瀧・岡太神社 (福井県越前市 大滝23-10)

養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄大師は、産土神である河上御前を守護神として祀り、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建、大瀧兒(おおちご)権現と称して別当寺大瀧寺を建立した。

加賀の白山・福井の平泉寺に次ぐ修験道の霊場で、『越前国神名帳』には「従一位 大瀧大明神」とあり、明治元年までは、正一位小白山大瀧六所権現児御前と称し、日野川以東48ヶ村を氏子とする国内有数の大社であったようだ。

明治になり神仏分離令によって大瀧神社と改称される。







重要文化財の社殿

天保15年(1844)に予定されていた式年大祭(御開帳)に備えて造営されたこの社殿は、曹洞宗本山永平寺の勅使門を作り上げた一代の名棟梁大久保勘左衛門の手になる建築である。普通の神社は拝殿と本殿はそれぞれ独立して建てられる場合が多い。しかし、彼は一間社流造り本殿に連結して葺きおろした複合社殿を考案する。 (神社パンフレットより)

 
観音堂                   木造十一面観音坐像 (平安時代・町指定)

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白山ロード^^真田まつり(長野)

2016年05月11日 | 白山車窓景

平成28年4月24日参拝

・中島 白山神社     (長野県上田市 武石小沢根)

・八重原 白山神社            (長野県東御市 八重原)
・袮津(ねつ)白山神社  (長野県東御市 袮津)

・岩清水神社       (長野県上田市 殿城)  旧 白山神社

 

上田の「真田まつり」を是非ひとめ見たいと、年明けより旅行の段取りを進めていた。しかし、肝心の御宿がなかなか決まらず(上田市の目ぼしいとこは既にもうどこも満員です^^;)、仕方なく市外地でないか検索していたところ、近くに白山神社があるお宿を発見^^ここしかないと即決で宿泊予約を入れた(笑)。


本日は、「真田まつり」を目いっぱい楽しみます。
お昼頃に出発する時代行列の時間に上田市に向かう予定です。それまでは今日も白山神社をめぐります。
一方、まつりに興味がない娘は電車で「軽井沢」へ行きたいと、近くの駅で別れると別行動の一日を送ることになった。

民宿の優しい御主人に見送られながら朝早く宿を出発。そして、早速この宿へ導いてくれた白山神社へ主人と向かったのでした。


中島 白山神社 (長野県上田市 武石小沢根)

由来記より     

『当宮は江戸末期 本宮加賀一宮白山比神社より中島の地に分霊を勧請し神殿を設けて齋祀った
 爾来百数十年を徃て今日に至った、しかしながら今日では神域し狭隘を喞つようになり、
 社殿もまたその傷みが酷くなったために新しく現在の地に神殿を造立し勧請遷座し奉った。

 付記、当白山神社に関わる事はあまりなく 
    文政十三年の「寺院社堂取調帳」にその名の見えるのが古しで  
    保喤の日記に石垣しきって神域をととのえた事が記されている 』  昭和五十二年八月三日  中島区


 

 

 

境内には二つの鳥居がありましたが、赤い鳥居は奥に鎮座していた金毘羅さんのためなのかも・・?

こちらの地域特有の赤いヤマツツジの花がちらほらと咲き始めにかかっていました。
燃えるように真っ赤に咲くヤマツツジ。満開の花に包まれる白山神社はさぞや見事で綺麗なんでしょうね~。

神社前は広々と明るく開けていてマレットゴルフのコースとなっているようです。
面白いことに神社の境内もコース内に入っているみたいで、鳥居のある場所は2番ホールとなっていました(笑)。
こんなふうに皆んなが楽しく神社で集えるっていいものですよね^^v



八重原 白山神社  (長野県東御市 八重原)

 

その神社はあまりに小さくて、近くにたどり着きながら集落の中を右往左往して探してしまいました。

嬉しそうにのぼりが風にはためいています。
お社の中へ朝の明るい日差しがサンサン差し込み、爽やかな春の風がす=っと通り抜けていきます。
神さまもとっても気持ち良さそうでしたよ。あの日って、お祭りだったのかしら~^^?



袮津 白山神社  (長野県東御市 袮津)



 

 

本殿、拝殿ともに、内部が荒れ果てていて傷みの激しい神社でした・・・。



岩清水神社  (長野県上田市 殿城

集落の東山腹にあるこの岩清水神社は、元は白山媛社と称していたのですが、明治12年に岩清水神社と改称したそうです。

まさか、こんなところで山登りをするとは思いも寄らず、どこまで続くのか知れない崩れかけた石段を黙々と二人登って行った。先が見えないこともあり時間が気になって不安になりかけたところ、石垣で囲まれた境内が目の前に現れる。その時の嬉しかったことったら~^^。本当にありました!

  

 






予定ではこの後にもう一社参拝したかったのですが、突然ここでカメラの電池がきれてしまった。
時計を見れば祭りの時間も迫ってきてもう時間オーバーです。慌てて階段を駆け降りて上田市に向かい車を飛ばした。


~~~~~~~~~~~~~

第34回上田真田まつり

大河ドラマ「真田丸」の豪華キャストが、真田一族 武者行列に参加!

  真田昌幸役 / 草刈正雄
  高梨内記役 / 中原丈雄
  堀田作兵衛役 / 藤本隆宏
  真田信尹役 / 栗原英雄
  小山田茂誠役 / 高木渉
  与八役 / 今野浩喜

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白山ロード^^真田ゆかりの地(長野)

2016年05月11日 | 白山車窓景

平成28年4月23日参拝

・山家神社            (長野県上田市 真田町長4473)
・長 谷 寺        (長野県上田市 真田町長4646)
・真田氏本城跡     (長野県上田市 真田町長5029-3)
・真田氏館跡        (長野県上田市 真田町本原2984-1)

・上田 白山比咩神社  (長野県上田市上田二ノ宮508)
・緑ヶ丘 白山神社   (長野県上田市 緑ヶ丘3丁目12-7)
・緑ヶ丘 白山神社   (長野県上田市 緑ヶ丘2丁目8-7)

・南条 白山神社    (長野県埴科郡 坂城町南条)

 

娘を誘って一泊泊まりの家族旅行。早朝より長野へ直行^^マイカーをすっ飛ばす。
目指すは主人の念願だった真田氏ゆかりの地です。
還暦を迎える真田パパのルーツを探し出す旅として思い出に残る旅なればいいなぁ~と思います。

そして、翌日24日は上田市で開催される「第24回真田まつり」を楽しみます。

そんでもって、せっかくやから^^、あちこちの白山神社も楽しんで来たというわけなの~!(笑)。

 

山家(やまが)神社 (長野県上田市 真田町長4473)

山家郷(真田郷)の産土神が祀られた歴史ある神社。
四阿山の頂上に奥宮をおき、山岳崇拝・水分(みくまり)の神としても尊ばれています。


 

 

山家神社の境内にはかつて白山寺という寺院が建てられていましたが、明治維新の神仏分離令によって廃寺となり、その跡地に真田神社が建立される。真田一族と戦没者の英霊を祭神として祀っています。



  






◆曹洞宗 真田山(しんでんさん)長谷寺(ちょうこくじ)

真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺。境内には幸隆夫妻と昌幸の墓があります。
長谷寺は上田市街地より標高が400メートルほど高いため、桜の見頃を迎えるのは2週間ほど遅いようです。桜のシャワーを浴びるような見事なシダレザクラにすっぽりと包まれて幸せなひとときを過ごして参りました。

 

 

 

真田家の墓は、しっかりと今も参拝される皆さまの気持ちが通った六文銭の旗印に温かく囲まれ守られています。 向かって左から幸隆夫人、中央が幸隆。そして右が昌幸の墓です。



真田氏本城跡(松尾城・真田山城) 

 

『 この城跡は、天白城と共に馬蹄形状に構築され、南西面に広がる緩斜面には、真田氏館跡や原の郷があり、さらに砥石城・矢沢城を望むことができる。
本郭は東西8.6m 南北37mの広さで、南側に高さ2mの土塁を築き、北方へ二の郭、山の郭と段差をを設けながら延び出し、その北側は急崖となって厳重に防備している。
規模が大きく水利もあり、周辺城跡群等の関係からみて、上田城築城以前の真田氏本城であったと推定される。                             平成27年10月 上田市教育委員会 』



真田氏館跡 



真田氏が上田城を築城する以前の居館跡。当初は真田信綱の為に建てられたが、信綱が長篠の戦いで戦死してから、真田昌幸が上田城を築城する前に使用したともいわれている。上田築城後に館のあった位置に皇太神社を建て献納。
現在は「御屋敷公園」として整備され、約600株の赤いヤマツツジの群生が広がるツツジの名所として知られています。




上田 白山比咩神社    (長野県上田市上田二ノ宮508)

 

 



由緒書より

人皇四十五代 聖武天皇御宇  天平五癸酉年疫病甚敷発生セルニ依り
加賀国石川群ヨリ白山比神ヲ分座シ 
同年九月廿九日太郎山梺ニ勸請神僧 西光寺神官牛久保氏并奉仕ス
其ノ後  延喜四申子年三月三日  滋野幸明太郎山梺ヨリ此の地二ノ宮ニ遷ス
弘安元戌寅年九月廿日  上田太郎大江佐泰再建ス
其ノ後  元禄四年辛未閏八月十八日  氏子一統併力本社再建シ現在ニ至ル

其ノ間 疫病ノ神トシテ崇敬セラレ又軍サ神トシテモ知ラレ

治承四庚子年  二月三日       源義仲
天文二年  九月三日          村上義清
天文十七年  三月十日         武田信玄
天正十一癸未年  八月十八日  眞田昌幸
慶長辛丒年  八月十三日       眞田信幸

右記戦国ノ武将夫々戦捷ヲ祈願ス
海抜六百五十米ノ高所ニ鎮座シ
眼下ニ上田小県ヲ見下シ遠ク佐久平美ケ原霧ヶ峯蓼科山を望ム

昭和五三年 三月 吉日





緑ヶ丘 白山神社   (長野県上田市 緑ヶ丘3丁目12-7)

 



緑ヶ丘 白山神社   (長野県上田市 緑ヶ丘2丁目8-7)

 

 


うわぁー^^、こんなにも開放的な白山神社もあるんですね~^^; 神様がとっても身近に感じられます。
掃除が行き届いた縁間が広がる奥に座布団が一枚置いてあって、そこで神様と対面致します。

境内に中にあった神社由来記に嬉しいひとことが・・、

『 当区の守護神であります白山神社は、本来は福井県の白山様の御分神であられます。
この神社はあらたかな神社でありまして、特に子供の災難とには霊験深き御守護があります。
この神社は当区に参りまして既に三百年有余になります。火輪の神木である「延寿の木」も二百年を経ております。                              平成24年吉日 白山神社を守る会 』

凄いと思いませんか^^? 石川県からじゃなく、福井県から神様がいらっしゃっているようです。
どこからだろう? やっぱ、平泉寺からかしらね~???




南条 白山神社   (長野県埴科郡 坂城町南条)

 

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白山ロード^^(あわら市-3 / 坂井市丸岡町-2)

2016年05月08日 | 白山車窓景

平成28年4月12日参拝

・刈安山 白山比咩神社 ( 福井県あわら市権世市野々 刈安山山頂 )

・豊 原   白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町 豊原)
・赤 坂   白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町赤坂) 
・女形谷 白山神社   ( 福井県坂井市 丸岡町 女形谷39-14)
・川 上   白山神社    ( 福井県坂井市 丸岡町川上 14-2)
・山 口   白山神社    ( 福井県坂井市 丸岡町山口 53-1)

・吉 谷   白山神社    ( 福井県坂井市 丸岡町吉谷() )





主人と白山神社めぐりドライブに出かけた。

刈安山 白山比咩神社 ( 福井県あわら市 権世市野々 刈安山山頂 )

福井県と石川県の県境にある刈安山(547.65m)の山頂に白山比咩神社の分社がある。
(三角点情報所在地 / 石川県加賀市直下町 俗称刈安山)


    由 来 碑

『 霊峰白山」は白山比大神の鎮まります神の御山と尊ばれ、その遙拝所として奉斎されているのが白山本宮、加賀一の宮白山比神社である。ご祭神は菊理姫尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱を奉斎する。

元白山の頂上に鎮座されたが幾変遷し後世、現在地の石川県鶴来町に遷座し山頂の宮を奥の宮と称することとなった。摂末社が七社あり分霊社が十三社ある。
又白山を御神体と仰ぐ白山比神社を祀る白山社、白山神社が全国各地に三千余社を数える、白山比神社はその総本社、根元社として仰がれている。

(旧)金津町がここ刈安山を開発するにあたり社団法人剱岳文化共栄会が中心となり、地域の鎮守とその繁栄をねがい且つ入山者の安全を祈願するため、鶴来町にある白山比神社のご分霊を勧請して、昭和四十九年十一月ここ刈安山頂にお祀りしたのがその始まりである。ご分霊十四社目である。

爾来十月二十日を例祭日として金津町をはじめ近隣の山林関係者および地区住民の参加を求め祭礼を実施して今日に至っている。』

山頂までの道路はきれいに整備されているので車で楽々登ることができます。
神社の鳥居がみえてきた山頂部周辺は福井自然公園となっていて、キャンプ場が整備され鳥居前は駐車スペースとなっています。

その第一鳥居をくぐって参道を車でしばらく登っていくと展望台がある頂上に到着します。
目指す白山比咩神社はその隅っこにちょこんと鎮座していました。

 

 この日は、すこぶる上天気^^、石川県側を望めば、目の前に真っ白に連なる白山連峰がすっきりとした姿をあらわして私達を迎えてくれた。まるで青空に雲が浮かんでいるように見えるのが白山です。こんなにも近くで眺めたのは私は初めてです。

展望台で写真を撮られていた方によれば、こんなにきれいに見えることはなかなかないようで、とってもラッキーなんですって^^。もっと鮮明に眺めたい方は、こちらの方の写真(5回め登山)をごらんください。とっても綺麗なんだから~^^v





豊原 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町豊原 )

豊原寺は、702(大宝2)年に泰澄大師によって開かれ、中世には「豊原三千坊」として、勝山市平泉寺とともに越前僧兵の中心的存在だったようです。

天正3年(1575)
一向一揆が豊原寺を本拠地としたため織田信長によって焼き払われ、焦土と化した。その後、信長は柴田勝家の甥で柴田勝豊に4万石を与え、豊原に山城を築城した。勝豊は豊原の地83石を与え坊頭として東得坊、西得坊を建て、伽藍を整備し、豊原寺を再興した。

天正4年(1576)
この山城を現在の平地城の丸岡城に移築した。豊原に残っていた寺院の多くも、これに従い、住民と共に丸岡街に移住した。その後、豊原寺は福井藩主や丸岡藩主の支援もあり、越前国33番札所となり、伽藍の整備も続き、白山信仰の霊地として繁栄していた。

明治2年(1869)
華蔵院焼失し、更に神仏分離令より豊原寺は次第に廃墟化して、住民も次第に下山し、過疎化が進み、昭和38年(1963)の豪雪以降、ついに廃村となった。

現在は、同寺が存在した寺院跡などは山中に市指定史跡となって残っています。山をおりた十数件の住人により新たに豊原集落は里へ移住。隣合う集落の丸岡町田屋に『豊原寺』に関する史料や仏像を展示した『豊原三千坊史料館』があります。

残念ながら今回は先を急いでいたため、豊原寺跡まで足を伸ばすことは出来ませんでしたので、里に移転された白山神社の方へ参拝させて頂いた。また、ゆっくりと訪れたいものです。

 

 



赤坂 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町赤坂 )

神社の目の前を高速道路が走り抜けていく。北陸自動車道が開通した際に、神社はこちらに移築されたのではないかと思われる。調べた所在番地は高速道路上を示していた。

 

 

新善光寺跡

『 この付近から五輪塔の破片、陶器、古鏡、古銭などが発掘され南方の畑地に磁石が残されている。
建久6(1195)年、僧定尊が阿弥陀如来像をつくり、赤坂を有縁の地として七堂伽藍を建立し、赤坂新善光寺と称した。 白山神社境内にあるこの石塔は新善光寺のものである。

昭和49年1月8日に、丸岡町史跡文化剤として指定された。』       のうねの郷づくり推進協議会

 

女形谷 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町女形谷39-14 )

 
正面鳥居 (東側に第二鳥居あり)                 本殿

 
十一面観音堂(本殿東側) 観音堂内左手に、白山々頂ご神石が奉納され祀られてあった。

 

なまず絵馬堂

『 このお堂にはたくさんの絵馬が奉納されているが、ほんとんどが鯰(なまず)を描いたものである。
この絵馬堂北側に虚空蔵(こくうぞう)堂があり虚空蔵菩薩が祀られている。

鯰は、虚空蔵菩薩の使者「鰻(うなぎ)」に代わる生き物であるという民間信があり、皮膚病の一種になまずと呼ばれたものがあったことから、病気の治癒祈願や完治のお礼、また安産の祈願にも鯰の絵馬を奉納する風習があったようだ。』                      のうねの郷づくり推進協議会

 

 

川上 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町川上14-2 )

ほんとに今年は、どこもかしこも桜が見事に散ってしまって淋しい限りです。
ここの神社の桜も満開に咲いていたら、きっと^^、どんなに白い鳥居に映えて綺麗な姿をみせていたことだろう・・・。

 ちょーど、拝殿前の階段を修復して造り直したところのようで、真新しい檜が太陽の光を反射して眩しいぐらいでした。檜の香りは、気持ちを清々しく浄化させてくれますね。

神様^^ ありがとうございます。 さて、元気をもらって次の神社へ急ぎたいと思います。

 

山口 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町山口53-1 )

  

 



吉谷 白山神社 ( 福井県坂井市 丸岡町吉谷(廃村) )

竹田地区にある火燈(ひともし)山の中腹の集落跡地です。
その昔は一千坊と言われた地域で、吉谷寺は天台宗豊原寺とともに繁栄し、滝に打たれ護摩をたいての荒修業場となっていたようです。現在は廃村となってしまいましたが「吉谷寺跡」として史跡が残されています。


吉谷寺跡 坂井市指定文化財史跡   (昭和49年1月8日指定)

『 丸岡町吉谷にある寺院跡(吉谷千坊跡)です。
  中世には豊原千坊・小野千坊と共に「豊原三千坊」と称されました。

江戸時代の地誌 『越前国名勝志』 には、
「豊原ヨリ一里(約四キロメートル)峠ヲ超テ東ニ在リ、(中略)昔ハ余多ノ寺院有テ、繁昌ナルヨシ、今ニ荒廃シテ本堂僅ニ残レリ」とあります。また白山信仰の祖、泰澄作の観音像があると記されています。

現在は、山中に観音堂と不動堂が残っているのみですが、吉谷より飯盛山一帯の緩傾斜地にかけて寺坊跡があり、五輪塔の残欠と石仏があります。』
                             
 
    護摩堂へ続く石畳の道                              護摩堂 
     


吉谷不動堂と火燈(ひともし)山 (案内板より)                         昭和60年4月 丸岡町

『 泰澄大師越前巡錫の砌りこの地にささやかな一宇を建立されて朝に峰より(火燈山)霊峰(白山)を拝し 夕に秘法を荒滝に求め衆生済度の大願を行ぜられたと云う。
大師越前巡錫の後も修行者絶えず 遂に山間避遠の地に堂塔並び建ち平泉寺豊原寺吉谷寺と共に栄えた。

天正年中越前一向一揆の折り灰熅い帰す火のともる山から火燈山の名を残し千二百年余年後の今、鉄の鎖で岸壁を登ると十余米の岩窟が滝の裏に広がり、大師の御霊 目前に拝する心地がする。住時末世の仏縁を祈念せられ一体の不動尊像を刻まれたと云う、今も本尊が不動堂の奥深く安置されている。』

 
不動滝 (10m余りの岩屋が滝の裏にあり、その奥に不動明王尊が祀られているようです。)

昔は女人禁制の不動堂だったようで、鉄の鎖をつたって滝沿いに岸壁を登って、お堂へたどり着いて修行していたようです。 現在は、その岸壁に沿って二基のアルミのはしごが設置されていましたが、とても登っていく勇気などはありませんでしたね~^^;;;

一つ心残りだったのが、白山神社社殿が新しく建て直されていたようですが、滝の下で参拝してそのまま山を降りてきてしまったので、今思えばもう少し歩き回って散策していればと地団太を踏んでいます。帰宅後調べてみると、村跡のはずれが火燈山への登山道になっているようで、その登山口に白山神社は鎮座しているようです。今度いつか、豊原と一緒にリベンジしてお参りに来たいと思いました。

 

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白山ロード^^(小浜市-3 / 若狭町-3)

2016年05月04日 | 白山車窓景

平成28年4月3日参拝

・熊野神社 ( 福井県小浜市 須縄(スノ)32-5 )   白山神社 / 境内社

・天満宮  ( 福井県三方上中郡 若狭町海士坂(アマサカ)12-5 )  白山神社 / 合祀

 

 

熊野神社  ( 福井県小浜市 須縄 32-5 )   

国道162号線沿いの「須縄の大滝」の案内板を手がかりに集落の神社へと車を走らせる。
大智寺」の前を通り過ぎ暫らく走ったところに滝の登り口へ向かう道があった。この滝へ続く林道をそのまま走っていけば容易に熊野神社前にたどり着くことができる。

しかし、初めて訪れる土地ゆえ知るすべもなく、熊野神社の石柱があるところより長い杉林の参道を歩いてきてみれば、目の前が急に明るく開けた向こうから、満開の桜と共に熊野神社の鳥居が、おつかれさん^^っと手を振っていた。(まあ、ここは苦労してたどり着くことに何事も意義があることにしておきましょう^^;;;)

どうやら、鳥居前を通るこの林道は、車でこのまま「須縄の大滝」のほぼ近くまで行けるようです。
またの御縁がありましたら、訪れてみたいものです。


 

 
熊野神社                               産の神社 (社殿東側)

 
手前に鎮座するのが「白山神社」  奥の小さな社は「瀧の神社」(社殿西側)

そして、神社の正面に舞殿がある。しかし、境内には社殿を遥かしのぐ建造物があったことにビックリである。最初、ここが拝殿かと勘違いしてしまった。



帰宅後に調べてみると、この建物は観音堂のようです。
県文化財になっている「木造十一面観音菩薩立像」が厳重に安置されています。

以前は、熊野神社の神宮寺であった熊野山長瀧寺(奈良時代に泰澄大師によって開創されたと伝わる古刹)の観音堂に祀られていたのですが、その長瀧寺は現在廃寺となっているようで、大智寺が観音堂を管理しています。

この観音菩薩像にお逢いしたい方は、17年毎にある御開帳を待たなくてはなりません。
前回は2009年11月2~3日でした。 あと10年^^;;;お待ち下さい!

 

 

天満宮 ( 福井県三方上中郡若狭町 海士坂 12-5 )       

 白山神社・香理神社・熊野神社 (明治42年4月20日合祀) 

 

 

まっこと^^v 嬉しいことに、今日はお祭りのようです。のぼりが元気にはためいています。

ちょーど、祭りのメインである「王の舞」が舞殿で舞われるところで、集落の方々が皆さん集まっていらっしゃいました。なんと、舞い手の小学生は、この春から二年生になる男の子だと知るやいなや、そのキビキビとした動きと堂々とした舞姿にはもうビックリでした^^;;;

初めて、「王の舞」というものを見させていただきましたが、こうやって、神様に見守られ、集落の皆さまに鍛えられて、子供は成長させられるものなのですね。

王の舞
若狭地方を中心に16の地域の春祭りで、神社の祭神の前で稲作に先立って人々の安全と豊作を祈り奉納される水の神竜王の舞。各地域ごとにそれぞれ地域の特色を保ち、受け継がれてきた若狭地方に春の訪れを知らせる伝統の風物詩である。 

 

 

 

ありがとうございます。三方上中郡若狭町の白山神社めぐりが完了いたしました。\(^o^)/

白山神社めぐり記録一覧(福井県嶺南) -

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白山ロード^^(越前市-8)

2016年05月03日 | 白山車窓景

平成28年4月10日参拝

・岡太(おかふと)神社  (福井県19-3)

 

 

ある日^^久しぶりに福井県神社庁のHPを訪れてみたら、すっかり綺麗になって見違えてしまいビックリである。まだまだ更新途中で完成されていないようですが、出来れば^^;;;古HPもまだ閲覧出来るようだったら良かったのに・・、確かめたかったことがもう消えてわからない。

しかし、目に飛び込んできたのが、
 岡太神社の境内社 (須波阿須疑神社 宣化天皇宮 宗忠神社 安閑神社 白山比メ神社)

うわっ@@、まだ越前市にあったんだぁ~!

粟田部の史跡ガイドブック 『男大迹部(おおとべ)の里』 によれば、養老2 (718)年、正月7日から12 日まで僧の泰澄大師がこの地に巡錫の折、仏像二躯を勧請して神仏同体の行を修めて社を崇めて 「白山三社大権現神社」 と称したという。

その後、明治五年(1874年)に維新政府の神仏分離令により社名を県社岡太神社と改め現在に至るも、その間明治6年(1873)の大火により消失、明治35年(1902)再建など波乱の歴史があります。

では、旧今立町にある 大瀧神社・岡太(おかもと)神社 (越前市大滝町23−10) もそうなる!

そこへ、更にもう一社 出現! 岡太(おかふと)神社 (越前市岡本町 21-18)
この集落の神社は実にややこしい^^? 岡本町なのに、おかふと神社だという。
しかも、なぜか^^? 鳥居には白山神社の額が掲げてあるらしい・・・。 
これはもう、ホントなのか見てこなくて~^^

 


                 

岡太神社 (福井県越前市 粟田部19-3)

広い神社の境内は、桜の名所地でもある花筐公園と併設されて人々の憩いの場にもなっています。
主人と訪れたこの日、ちょーど^^花筐公園の桜まつり「はながたみまつり」が開催されていて、境内園内はとても賑わっていました。
しかし、今年はどこも桜の開花が一週間早く、ほとんどの桜は散った後でわずかに残った花びらが風に舞い飛んで、それはそれでまた心揺れる景色でもあったのですが~。

境内の案内図からは、境内社としての白山比神社は見つける事が出来なかった。本殿に合祀されているのだろうか・・? まあ^^、本来そもそもは「白山三社大権現神社」と称した歴史をがあったことを思うと、泰澄大師のおかげですが、白山神社ってなかなか凄いんじゃない^^と今更ながらに思います。

思い起こせば、まだ何も知らなかった二年前の誕生日に、境内裏の山にある「薄墨桜」の花見に初めて訪れ心癒されたことが思いだされた。そうなんですね、神様はこんなにも近くにいて見守っていて下さったみたいです。

 

                拝殿 
                   


               本殿



 貴船神社      岡太神社      須波阿須疑神社



由 緒 記
 
往古、男大迹皇子「繼軆天皇」当地に御潜龍の頃、 漲水氾濫し、皇子甚く是を 憂い、九頭龍・足羽・日野 の三大川を拓き、此の地、 大迹部蓬莱山の麓に、建角身命・國狹槌尊・大己貴命 を奉祀し、岡太神社と号し て、治山治水事業の竣功を 祈誓された。
即ち、今立郡 十四座中の式内社である。 相殿に繼軆天皇を奉祀し、 明治八年、県社に列した。
殊に、皇子ゆかりの神事 旧跡等が、連綿として現在 に伝承されている。

王位莱祀  「蓬莱祀(おらいし)」
 春正月13日(今は2月11日)皇子、河内國樟葉宮 に着御する日を奉祝し、例年、山車を奉じて、
街仲を巡幸する素朴な神事として 知られている。

迹王の餅  「堂の餅
 大和國玉穂宮に遷都賜る日 を奉祝し、秋季大祭の宵宮 十月十二日若衆等が、迹王 の餅を神前に奉納し、翌朝 堂・宮講中に、御神餅を配 与する伝説の儀である。

皇子ヶ池は安閑・宣化天 皇の産湯の池と伝えられる。
薄墨桜は皇子お手植えと 伝え、県内外に知られる。  
謡曲「花筐ゆかりの地」 として、著名である。                             (境内の由緒石碑より)

 

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