ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

Blue blazer with mother of pearl shell buttons

2010-06-26 04:00:00 | 白井さん


 明るいブルーのざっくりした織りの生地に白蝶貝釦のブレザー、白い超細番手ポプリンのドレスシャツとリネンチーフ、鮮やかなグリーンとパールのレジメンタルタイ、生成り色の麻のパンツ、ホワイトバックス・・・まさに“夏のブレザースタイルの王道”と呼ぶに相応しい完璧な着こなしが、梅雨の晴れ間の強い陽射しが降り注ぐ横浜・馬車道に実に良く映える。この日は白井さんも興が乗ってこられたのか、ご自身のアイディアで小道具として紙巻煙草を手挟み撮影に臨んでくださった。

  

“すわ!白井さん喫煙復活か!?”と驚かれた方。煙草はあくまで今回の撮影用に小道具として手にされているだけなのでご安心あれ。

   

 写真ではなかなかお伝えするのが難しい上に言葉で伝えるのも至難の業なのだが、今日のネクタイは、変な表現の仕方だが、とても上品なレジメンタル・ストライプだ。表面が“ボワ~”っとしていて、発色が、何と言うか実に“柔らかい”のだ。その原因について、白井さんは『縦糸に“ベージュの糸”が使われているんじゃないかな。普通、殆どのネクタイは縦糸に“紺の糸”が使われているんだけど。』とご推察されていた。

 靴はチャーチ(英)。もちろん白井さんがチャーチ社に別注した信濃屋オリジナルの名品だ。白井さんは、所有していたチャーチの殆どを人に譲ってしまわれていて、現在お手元に残されているのは3足のみと伺っている。2足(サンダルウッドカーフのクォーターブローグコンビネーションのウィングティップ)は既にご紹介しているので、今日のホワイトバックスで最後となる。ちょっと寂しい(涙)。

 『“内羽根・プレーントウ・レザーソール”ってところがポイントだね(笑)。』(白井さん談)

 とのこと。同じホワイトバックスでも“外羽根&レッドラバーソール”のカジュアルなモデルとは全く異なり実にクラシックな佇まいだ。

   

 もう一点、余談ですが、この日の“白井さん”撮影の約12時間後に、サッカー日本代表がFIFAワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント進出を決め、日本中が青く染まりました!

 白井さんはサッカーにはあまり関心をお持ちではないので、恐らく偶然の賜物と思いますが、今日の白井さんの着こなしも何となく“ジャパンブルー”な感じに思えてしまいます(笑)。この項とは直接関係の無い話題なのでこれ以上は差し控えますが、この場を借りて我が代表を称え、次戦の健闘を祈ります。おめでとう!頑張れニッポン!!



ストライプのスーツ

2010-06-24 04:00:00 | 白井さん


 このブログを始めてから改めて判ったことだが、“色”というものは言葉で表現することがとても難しい。

 『あれはオレンジじゃないよ、芸能人じゃないんだから(苦笑)。』

 まずはこの日の白井さんの第一声から。前回の更新で、私はタイトルを『オレンジ色のアンコンストラクティッド・ジャケット』としたが、これがとんでもない大間違い(汗)。

 『あれは“キャメル”だよ。』

 実はかなり悩んだ末につけたタイトルだったのだが、なるほど!言われてみれば確かに“キャメル色”。うぅ~その手があったか!と、我が語彙の乏しさに暫し反省。

  

 さて、この日白井さんが選択されたのはダブルの縞のスーツ。このところ鬱陶しい天気が続き、巷を見渡せば所謂“クールビズ”スタイルの方を多く見かけるが、白井さんの着こなしは全く“崩れ”ない。いつも通りの完璧なスーツスタイルだ。

   

 『このタグ(Kiton)の色は珍しいんじゃないかな。』

 “Kiton CUCITO IN ITALIA PER 1866 SHNANOYA YOKOHAMA”と刻まれた緑のタグ。かれこれ20年ほど前のキートン(伊)のスーツだ。間隔の広い細いストライプ柄、縞の服は久しぶりの登場だ。やはり夏らしく軽そうな、色は“グレー”だが、つるっとしたありきたりのグレーではなくて、色合いに深みのある上品な服地が使われていた。そうそう、白井さんご本人も最近気が付かれたそうなのだが、この服地、ストライプとストライプの間にうっすらとオリーブ色の縞も入っているのだ。どことなく上品な佇まいを感じさせるのはそのせいかも知れない。

 

 ブルーストライプのワイドスプレッドカラーのクレリックシャツ、袖はボディーと共生地のバレルカフ。締め心地が気に入られているというフランコ・バッシのプリントタイ。チーフはタイにいくつか使われている色の中から1色拾ってオリーブグリーンのペイズリー柄を。因みに、ちょっと細かいディティールなので写真では判り難いが、上着の上襟と下襟が少し離れている部分は“閂留め”されている。

  

 靴は、白井さんがあまりお好きではない、エドワード・グリーン(英)。EGにはまず見かけない6アイレッツは“白井さんスペシャル”バージョンだ。色はバーガンディに見えるが、これは最初からこの色だったのではないそうだ。どうやら始めはチェスナッツに近い色だったのを、白井さん自らの手で塗り変えていったのだそうだ。

 『ネイビーの靴墨なんかを使ってね。でも素人がやるもんじゃないよ(笑)。』

 とのこと。靴磨きや靴墨の扱い方、というのは“加減”。それは口ではなかなか教えられず、同様に、靴や服の“好み”も口で伝えるのは難しい、と白井さんは仰る。

 『“感覚”だからね~。』(白井さん談)



キャメル色のアンコンストラクティッド・ジャケット

2010-06-19 04:00:00 | 白井さん


 “マジックアワー”

 マジックアワーとは映画の専門用語で夕暮れのほんの一瞬のこと。太陽が地平線の向こうに落ちてから光が完全に無くなるまでの僅かな時間は、光源となる太陽が姿を消しているため自然環境としては限りなく影の無い風景が作り出され、カメラを回すと幻想的な画が撮れると言われているそうだ。“一日のうちで世界が最も美しく見える時間”とも言われている。

 今日はそのマジックアワーでの撮影だ・・・なんて・・・恰好つけて書いてしまったが、実は私が信濃屋さんに伺う時間が普段より大幅に遅れてしまったため、撮影が黄昏時になってしまったのだ。

 この日の白井さんは明るい色づかいのジャケットスタイル。本来なら日差しの下での撮影が最も望ましかった。しかし“瓢箪から駒”か、これはこれでなかなか良い画が撮れたような気がするのだ。もちろん、それは“白井さんだから”なのも言うまでも無い。
 
  

 キャメル色の、ちょっと果物の枇杷にもに似た色のジャケットはイザイア(伊)。

 『生地が何だか判る?』

 白井さんからのなぞかけだ。さて、目を凝らして生地を見つめてみるが一向に見当が付かない。コットン?いやいや皺の入り方がまるで違うぞ(汗)。

 白井さん  『これも平織りのカシミア。』

 私     『くぅ~さっぱり判りませんでした(汗)。』

 白井さん  『それ(判らないの)が良いんだよ(笑)。』

 私     『やっぱり着心地は軽いんですか?』

 白井さん  『着てみればいいじゃぁ。』

 白井さんは惜しげもなくジャケットを脱いで私に貸してくださった。白井さん曰く、平織りのカシミアはなかなか無い素材、とのことなのでこれは貴重な経験。当然、着心地は軽く、柔らかいカシミア生地が身体に吸い付いてくる感じだった。

   

 更に、今回のジャケットは“un-constructed”、裏地や肩パッドなどを省いた軽量仕立て、所謂“アンコン”ジャケットだ。それ故、カシミアの軽さ柔らかさをまるで“カーディガンを羽織るように”(白井さん談)身体に感じた。白井さんは夏でも裏地の付いた上着をお召しになることが殆ど、と私は予てから伺っている。今回の更新は希少な回となるだろう。

 パンツはコットンに少しリネンが混紡した素材のもの(タイ・ユア・タイ)。もちろん彼の地(伊)での購入とのこと。今日のパンツの色は、白井さんがこれまでご披露してくださったパンツの中で最も純白に近い。

 コンビネーション・シューズは、 『SOLARO』の回でご紹介したキャップトウと同じく、日比谷の三信ビルに在った靴屋『ウォーカー』で購入されたもので、なんと“ナイロンメッシュ”と揉み革(カーフ)のコンビだ。やはり素材が素材なだけに“出番は夏”ということで、今回は久しぶりの登場とのこと。

 『久しぶりだから洗濯してきたよ。』

 と仰っていた(笑)。因みに、白井さんが常々仰っていることだが、靴を長持ちさせる秘訣の一つは“履くこと”なのだそうだ。
 
 

 前回の補足を一点。名パターンナー、ケッキーノ・フォンティコリ氏についてですが、現在、氏はブリオーニに在籍はされていません。このくだりの私の記述が曖昧だったのを白井さんが心配されてご指摘下さいました。もしかしたら誤解を招いたかもしれませんので関係各位にお詫びを申し上げます。申し訳ありませんでした。

 さて、『まだ3日目くらいだよ。』とのことだったのであまり目立たないが、この日の白井さんは顎鬚を蓄えておられた。私はもちろん初めて拝見したのだが、いつものピシッとした白井さんとは少し違う、ちょっぴり翳のある、浮世とは少し離れた所に居る紳士、そんな雰囲気だった。


 

ウール&リネンのスーツ

2010-06-17 04:00:00 | 白井さん


 白井さんがお召しになる服の色がぐっと明るさを増してきた。

 関東地方は既に入梅し、今日は最高気温が30℃を超えた。想えば昨年の12月18日からスタートしたこのカテゴリー“白井さん”も今日で半年が過ぎたことになるのだ。

 “然も在りなん”

 である(笑)。

   

 今回のスーツはブリオーニ(伊)。名パターンナー、ケッキーノ・フォンティコリ氏の手によるもの。3パッチポケットのダブルブレストに素材はウール&リネン。色は“ナチュラル”と云って良いのだろうか、少し“粗い”感じの素材感と相まって、通常のナチュラルよりも若干色が濃いような気がする。

   

 今日のテーマカラーは“ナチュラル&ブラウン”であろうか、大胆に全体の色味を統一するのは“白井流”の真骨頂。“涼やかさ”に大人の“渋さ”も加味された極めてクラシカルな夏の装いには唯々溜息が出るばかりである。ネクタイとチーフ双方に水玉を配し、着こなしのアクセントにされているのであろうか。

   

 『色が好きだったりして愛着があるネクタイは擦り切れても使う。』

 以前、白井さんはそう仰っていた。今日の茶にベージュのドットのネクタイはまさにその通りに、大剣の先が少しばかり擦り切れていた。“ああ!以前仰っていたことは本当だったんだ!”とちょっぴり感動した(笑)。

 

 靴はサルヴァトーレ・フェラガモ(伊)。出番の少ない(というより殆ど履かれないそうだ)靴だそうだが、白井さんが所有されている靴の中では極めて珍しい“マッケイ製法”の靴という部分が特筆すべき点だろうか。

 今日はソックスの色もナチュラルだ。あくまで私見だが、

 “洒脱”

 今回はこんな言葉がピタリと当て嵌まるのではないか。



Summer-weight cashmere blazer 

2010-06-12 04:00:00 | 白井さん


 入梅前。まだ湿度も気温も高くはないが、陽射しの眩しさには夏を感じる。そんな日の為に大人の男のワードローブにはこの一着が必要なのだろう・・・今日の着こなしの主役、サマーカシミアのブレザーだ。

   

 平織りのカシミア生地はブルー。ネイビーよりも一段明るい青と柔らかそうな質感の生地にはえもいわれぬ上質感が漂っていた。些か生意気な言い様だが、惚れ惚れするほどの良い生地だった。白井さんも殊にお気に入りのご様子だったが、一番気に入っておられた点は“パッと見てカシミアだとは判らないところ”なのだそうだ。『判らないのが良いんだよ。』と仰って笑っていた。白井さんならではの言葉だ。

 “サマーカシミアのブレザー”と聞いて私が思い出したのは、今から約2年前に銀座・天神山Iさんのブログ“今日の着こなし”に登場した白井さんの写真だ。白井さんには確認しなかったが、まず全体の雰囲気、そして7㎜ステッチ入りのシングルブレスト・3パッチポケット、プレーンの純銀ボタンといた点を見比べると、まず同じブレザーと思って間違いないだろう。更に、組み合わせたギャバディンのパンツもまた然りではないか。

 2年前にIさんが撮った白井さんの写真は、ブレザースタイルのエッセンスが詰まっている私のバイブル・・・“夏、ブレザーはこう着こなすべし!”という一枚だ。

 『夏物の生地で柄物ってなかなか良いモノが無いんだよね(苦笑)。これから先(の季節)はブレザーばっかりになるよ(笑)。』

 この日、白井さんは高らかに宣言されていた(笑)。ブレザーは着る人の遊び心と品位をバランス良く両立させる優れたアイテム。その着こなしは無数に存在し、洒落者を魅了し続ける。昔も、今も、これからも。

  

 珍しくアップでの撮影を御所望された白井さん。この日信濃屋さんに男性美容の方が、飛び込みの営業なのだろうか、訪れて眉毛を整えていったそうで、アップはその確認の為なのだとか(汗)。スタッフのY木さんの眉も何故かキリっとしていた(汗)。

 

 ネクタイはルチアーノ・バルベラ(伊)。この配色のレジメンタルストライプは一見何処にでもありそうなのだが、実はそう簡単には見つけられない逸品だ。臙脂が極めて濃く、ゴールドの輝きも余分な華美を排した上品な色だ。ブリオーニ(伊)のペッシェ氏という方が、白井さんのこのネクタイを見て『これ、ローマの色ですよ!』と言ったのだとか。ローマっ子も黙る、否、唸らせる深い臙脂なのだ。

  

 シャツはフライ(伊)。名前は久しぶりの登場となったが、恐らくフライはこれまでで一番登場したシャツ・メーカーの一つだと思う。特に今日のシャツはフライで一番良い生地を使って仕立てられた一枚だそうだ。写真では分かり難いかもしれないが、きめ細かく非常に目が詰まっている極上のシャツ生地だ。それ故、色は白、ミルキーホワイト(エクル)、ごく薄いサックスの3色しか展開されていないそうだ。因みに今日はエクル。ちょっと触らせていただいたがもの凄い滑らかな触り心地で、そのような極上の生地を昔の人は“絹ポプ”と呼んでたそうだ。左前身頃には“T.S."のイニシャル入り。

  

 靴はエドワード・グリーン(英)。ロンドンのバーリントンアーケードで購入された品だ。白井さんにとってはこの季節が大好きなタッスル・スリップオンを登場させる時期だ。但し、白井さんはこのメーカーの靴の形についてはあまりお好きではないようだが。

 

 今日は黄色いソックスを。Fugeeのオーナー、鞄職人・藤井さんのアシスタント・Kさんは、白井さんに初めてお会いした時、その着こなしに驚かれたのはもちろんだが、その時白井さんが履いていた“黄色いソックス”に度肝を抜かれたそうだ(笑)。

 『黄色のソックス!!なんて素敵なの!』

 因みにKさんは女性だ。実に女性らしい視点・価値観である。 



SOLARO

2010-06-10 04:00:00 | 白井さん


 Solero(ソラーロ)、太陽の生地といわれるこの素材は、光の当たりかたで表情が変わる。遊び心をもつイタリア人が好んで着るスーツのひとつ。全体的に赤っぽい陰影があるので、オレンジ系のネクタイで色合いを合わせた。涼しげな印象と華やかさを兼ね備え、カジュアルな雰囲気が楽しめる。~信濃屋HP『Shirai Textbook』より~

  

 遂にセントアンドリュース(伊)のソラーロが登場した!本物を見るのはこれが初めてだ。信濃屋さんのHPを観て以来、ずっと拝見してみたいと思っていた服だけにたいへん感慨深い。
 


 だが、ここで同じ過ちを繰り返してはならない。如何に洒落者御用達の服地とはいえ、そこばかりに囚われていてはならない。大切なのはその洒落た服に“何を”“どのように”組み合わせるか!なのだ。

 『服、シャツ、ネクタイ、そして靴。ほんの数着・数枚・数本・数足の手持ちであってもその組み合わせのパターンは何百何千通りにもなる。更に他の小物も掛け合わせていけばそれは無限に広がっていく。だから楽しいのだ。』(白井さん談)

   

 この日は白いポプリンのシャツ。ネクタイはソラーロの赤っぽい陰影に合わせて赤とシャンパンゴールドの細かいチェック柄。白井さんお気に入りの一本だ。チーフはスーツと同じ色味のペイズリー柄をパフで。靴はKIWIで磨き込まれ色が抜けたつま先が極めて印象的な茶のキャップトウ。ソックスは弁柄。
 
 古代の羊飼い達は、瞬く星を繋ぎ合わせて夜空に大きな絵“星座”を描いた。ひょっとすると“着こなし”もそれに近いものなのかもしれない。服もシャツもネクタイも靴もその他の小物も、例えれば天空に輝く大小の星々のひとつ一つであり、それらを繋ぎ合わせて描かれた結果が“着こなし”になるのかもしれない。どんな“星座”になるかは全て繋ぎ合わせる人の想像力次第なのだろう。

   

 また、服飾の星々は重ねた“愛着”によってのみ磨き上げられ輝きを増す、ということを忘れてはならない。

 『この靴はもう40年以上になるね。日比谷の三信ビルにあった“ウォーカー”って靴屋で当時3,500円だったよ。だいぶヒビいっちゃってるけど、この形が大好きなんだよね。』(白井さん談)


  

濃紺のスリーピース

2010-06-05 04:00:00 | 白井さん


 今日、遅い朝飯を済ませた後、陽気に誘われて散歩をしようと思い起った。

 明るい陽射しに合わせて白蝶貝のネイビーブレザーを選ぶ。ライトグレーのトロピカル織りのパンツに足元は信濃屋オリジナルのUチップ。シャツは休日気分を一人盛り上げたくて麻のギンガムチェックを選ぶ。近所を歩くだけなのだからそんなことはしなくても良いのだろうが、でもちょっとだけドレスアップもしたくて濃紺のニットタイも結んでみた。フランコバッシ(伊)のものだが締める時のシャリシャリした感触が好きなのだ。当然靴下はタイの色に合わせる。ポケットカチーフは茶のシルクペイズリーを裏返しにして挿してみた。裏側は無地で、どことなく白井さん秘蔵の日傘のシルク地に光沢と色が似ている。陽射しに映えるかな?と思ったのだ。この日傘についてはいづれ必ずご紹介させていただけると思っている。

 何の予定も無い休日の昼下がりは何とも気分が良い。自然、歩調は緩やかに、歩幅は大きくなってくる。最寄り駅ビルにある本屋へ向った。

  

 『“池波正太郎”入門に最適な3冊!!』

 という謳い文句が目に留まった。『食卓の情景』、『男の作法』、『散歩のとき何か食べたくなって』の三冊が書店員のお薦めとして並んでいたのだ。

 池波正太郎

 言わずと知れた時代小説の大家である。映画通、食通としても名を馳せておられる。私もある時期、一念発起して『鬼平犯科帳』に挑戦してみたことがあったが、

 「おれも妾腹の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ……」(第一巻の第一話『唖の十蔵』のラストシーン)
 
 という長谷川平蔵の台詞で私の『鬼平』挑戦は中断したままだ。

 『“池波正太郎”入門に最適な3冊!!』

 まさに私のような根性無しをターゲットにした素晴らしい企画だ。早速その三冊を手にとってパラパラと捲ってみた。『食卓の情景』はどうやら池波“食”文学を代表する作品のようだ。本の厚さも3冊の中では一番厚い。『男の作法』には靴やネクタイなどの服飾についてのエッセーが載っていたので興味をそそられたが、何せタイトルが“男の作法!”だ。読む前から叱られているような気がしてしまう。完全に位負けである。そう、こんな時は一番簡単そうなものを選ぶに限るのだ。

 『散歩のとき何か食べたくなって』

 私も散歩のときは何か食べたくなる方だ。目次に“横浜あちらこちら”ともある。明日白井さんとの話題の肴になりそうだ。よし!これにしよう!私は『散歩のとき何か食べたくなって』を買って近くの馴染みのカフェに向った。案の定、何か食べたくなったので珈琲とともにプリン・ア・ラ・モードも注文した。



 『そのころの横浜のエキゾチズムを何と語ったらよいのだろう。秋になると港には夜霧がたちこめ、その港の霧が弁天通りのあたりまでただよってい、ペルシア猫を抱いた異国の船員がパイプをふかしながら、霧の埠頭を歩いて来て、自分の船にあがって行くのを見て、わけもなく感傷に浸ったりしたものだった。』(新潮文庫『散歩のとき何か食べたくなって』池波正太郎著より)

 東京生まれの東京育ち、生粋の江戸っ子である池波氏は往時をそう振り返っていた。10代の頃、横浜を初めて訪れたときは『東京の近くに、こんなに、すばらしいところがあのか・・・・・・』と思ったそうである。大作家なのになんと素直な心情表現だろうか、と私は内心驚いてしまった。でもよくよく考えれば、私も横浜を初めて訪れた時は全く同じ感想を持ったし、それは今でも変らない。私の中で池波正太郎という作家は“強面”でとっつき難く近寄りがたいイメージがあったのだが、これでぐっと近づけた気がした。

 文中、池波さんは、弁天通りのカフェ『スペリオ』のマダムの話、常磐町のカクテル・バー『パリ』で憶えたウイスキーの味、南京街『徳記』の腰のつよいラウメン、曙町の牛なべ屋『荒井屋』のロース鍋やあおり鍋、伊勢佐木町『博雅』の焼売、戦後、同じく伊勢佐木町の居酒屋(兼)食堂『根岸家』で織りなされていた奇々怪々の世界の話などをご披露されていた。『荒井屋』や『博雅』は白井さんからも伺ったことがあったっけ(笑)。ここでいきなり前回訂正だが、白井さんが鰻屋さんなのに何故か親子丼を召し上がるお店は元町ではなくて関内にあるお店だそうです。

 池波さんの文章はごく簡潔で平明達意の極みだ。同時に横浜への愛着も感じらる。私は池波さんの筆で私の知らない横浜を案内してもらった。



 池波さんは最後にこう結んでいる、

 『これからは暇をこしらえて、度び度び、横浜へ行きたいものだ。そして横浜を舞台にした小説を書きたいものだ。』

 と。ここでハタと我に返り妙にしんみりしてしまった。私は現在週に2度、横浜を訪れ、小説ではないが、こうしてブログを書いている。そう、これはかなり贅沢なことなのだ。池波さんにはいい迷惑だろうが、何だか池波さんと時空を越えて同じものを共有している心境になってしまった。池波さん、頑張ります!

     

 白井さんはこのところいつも、

 『どう?今日は収穫あった?』

 と私に聞いてくださる。このブログの内容を気に掛けて下さっているのだ。この日も、前回の更新であまりに服の話が少なかった(というより殆ど無し)のを心配されたのか、

 『この前のね、セントアンドリュース(伊)のブレザーだよ。』

 と前回の補足までしていただいたのだ!ただ、私も最近はセントアンドリュースの服だけは判るようになってきていて、前回のブレザーも“あ!セントアンドリュースだな”と直感していた。正直に言うと“迷った時はセントアンドリュース!と考える”と言った方がより正確なのだが、それは、それだけ信濃屋ネームのこのメーカーの服が私にとって特別な存在になっているとも言える、ということなのだ。

 白井さん  『今日のは間の時期に着る服。イザイア(伊)のス・ミズーラ。今は知らないけど当時はアルニス(仏)にしかやってなかったんじゃないかな。生地はカルロ・バルベラ(伊)。』

 私     『今日のスーツは“濃紺”でしょうか?』

 白井さん  『これは“濃紺”って言っていいだろうね。ちょっとギャバディンっぽい感じだけどね。靴はセブン・アイレッツ!』

 私     『フローシャイム!』

 白井さん  『そう、フローシャイム(米)。表はあんまりだけど底は減らないね~この靴は(笑)。』

 今日の白井さんは濃いめの“ブルー尽くし”だ。また、ブルーの服に黒の靴を合わせられたのは今回が初めてだ。シャツ、タイ、チーフにはそれぞれ違うパターンを用いられている。まことに難しい高度な着こなし!そんな印象だった。

 今日の白井さんは努めて多くの情報を私に与えてくださった。白井さんありがとうございました!ただ最近は、個々の品についての情報も知りたいと思いつつも、白井さんがそれぞれを“どう組み合わせているか”ということが私の中でより重要になってきている。更に、許されるならば、何故その組み合わせにしたのか、その感覚を生み出す元は何なのか、より深く掘り下げられればと思っている。そして、白井さんの背景にある横浜という街にも私は今、深い関心を抱いている。
 




Blue blazer & Tartan tie

2010-06-03 04:00:00 | 白井さん


 毎週土曜の午後は白井さんを中心に服飾談義に花が咲く信濃屋馬車道店紳士フロアだがこの日はいつもとは少し様子が違っていた。

 この日を遡ること数日前、白井さんのお誘いで“美味しいステーキを食べに行こう!”という企画が持ち上がり、この日の帰りにそれが実行される運びとなっていたのだ。この日は低く垂れ込めた曇り空から時折小雨がぱらつくというあいにくの空模様だったが、そんなことは“肉”の前では些細なこと、とばかりにお肉大好き白井さんは心なしかテンション高め(笑)。肉好きでは白井さんに負けず劣らずの私も“空腹は最良のソース”との格言に従いその日の昼食を抜き準備は万端。ご一緒する皆様を待つ間は、白井さんも私も両手には目に見えないナイフとフォークが握られており心既にここにあらずという体で、この日はそんな心境を反映してか着こなしについてのお話は早々に終了し(笑)、白井さん行きつけのお店(飲食店)の話題で盛り上がってしまった(汗)。つまり“いつもと様子が違った”というのはそういう理由によるのだ。

 白井さんは“この店に行ったら、これを食べる”とお決めになっているそうだ。南京街(中華街)の支那そば、肉そば、シューマイがうまい其々の店、関内の鰻屋さんで食べる親子丼、磯子の天ぷら屋さん、本牧の四角いピザの店などなど、いずれも横浜の人々から長く愛されている店ばかりだ。この日向った先も白井さんが長年通われているお店。本牧の外れ、間門にあるステーキハウス『ジャックス』さんだ。

  

 間門まではバス移動。横浜の街をバスで移動したのは初めての経験だ。諸事不案内な私に白井さんが『本当はココからが“関内”なんだよ。』とか『ここの最中が有名なんだ。』とか『この先が三渓園ね。』と色々教えてくださった。その中に『この辺に在った“早川”ってクリーニング屋が腕が良くてね。』というお話があったのだが、これは以前、信濃屋さんのスタッフY木さんが私に“機会があれば是非白井さんに伺ったほうがいい”と耳打ちしてくれた話題でもあり、私は“すわ千載一遇のチャンス”と気色ばんだが如何せん車中故詳しくお伺いするまでには及ばなかった。この次の機会を待ちたいと思う。

 本牧を訪れるのは生まれて初めてだった。そして本牧は白井さんが生まれ育った街である。馬車道から約20分程度の小さなバスの旅。元町からはどこの町にもよくある商店街がバス通りの左右に並んでいて、それが随分長く感じられたのだが、ある交差点に差し掛かった時に、

 『ここまでが日本人が住んでた所。ここから先が進駐軍のベイスだった所だよ。』

 と、白井さんが説明してくださった瞬間、街並みが一変した。それまで続いていた古き良き日本の商店街とはまるで異なる、広やかな道路と両脇に整然と並んだ街路樹、原色に彩られたネオンサイン、色鮮やかでポップな看板、巨大なショッピングセンター、まるで映画で観た西海岸のような風景が車窓から私の目に飛び込んできたのだ。

 『本牧は、太平洋戦争敗戦直後に本牧十二天を含む中央部が米軍に接収され、住民達は退去させられフェンスで囲まれた。フェンス内はアメリカ海軍の住宅街『ベイサイド・コート』(米軍住宅)などの施設となり、アメリカ村などともいわれ、日本におけるジャズなどのアメリカ文化の発信地でもあった。当地域は1982年に返還され高級住宅地、公団住宅、ショッピングセンター(マイカル本牧)、公園などになった。マイカル本牧は1991年に映画館やホテル(現在は廃業)を備えた大ショッピングセンターとして開業したが、鉄道が無いことが災いし、現在では客足が遠のき縮小を余儀なくされている。』

 上記はウィキペディアからの抜粋で、私が持っていた本牧についてのイメージも概ね似ていた。“マイカルはゴーストタウンと化している”などの悪評も聞いたことがあったのだが、この日、その印象は良い意味で裏切られた。その街は私には決してゴーストタウンとは思えず、それどころか、人の生活もちゃんと感じられたし、何より、近年この国の何処に行っても観られる画一化された安手の街並みとは一線を画し、それらとは無関係な独自の進化を遂げたような街並みが、私の目には極めて好印象として写った。あれは黄昏時のマジックが私にそう見せたのだろうか、ちょっと現実離れした街にいきなり迷い込んだような実に不思議な体験でもあった。

  

 予約していた19時丁度にお店に到着したが、驚くべきことに『ジャックス』のご主人はお店の前で我々を待ってくれていた。私が事前に“白井”さんの名前で予約を入れていたのだが、その名でもしや!?と思われていたようで、白井さんの顔を見るなり満面の笑顔で右手を差し出し、お二人はガッチリと力強い握手を交わし久々の再会を喜んでおられた。

 入った瞬間、“これは良いお店だぁ~”と直感した。ただ、ここまで引っ張ってきて今更こんなことを書くのは恐縮だが、ここは飲食店についてとやかく述べるページではないので詳細は省かせていただく。一言だけ言わせてもらえば、さすが白井さん、さすが石原裕次郎、そしてさすがご主人、“男の肉食ここにあり!”である。

 ステーキをがっつり楽しんだ後、ご主人が我々のテーブルを訪れて四方山話を聞かせてくださった。ご主人はなかなかの話術をお持ちの方で、殊更ご自身を飾ることもなく、丁寧に選ばれた言葉が独特の抑揚とリズムを伴い、それらが実に耳に心地好く聞き手の心を和ませるのだ。長年、高いレヴェルで接客業をされてきた方は其々が独自の、磨き込まれたキャラクターをお持ちである。

 

 『そうそう、今日は5月29日なんですね・・・。もう最近では新聞にも載らなくなってきましたね・・・。』

 ご主人がふと遠くを見る目をしながら呟かれた。この日=5月29日は、昭和20年に横浜が大空襲にあった日なのだ。自然、ご主人のお話は往時を偲ぶものとなった。以下オムニバスで。

 『あの日は郊外にいたんですが、私の頭上すれすれをB29が飛んでいきました。私は急いで駆けて自宅に戻るんですが、その途中で爆弾が投下されているのや街が燃えているのが見えるんです。昼の空襲でしたから東京みたいに死者は多くはなかったんですが、黄金町の辺りは酷かったんです。省線の乗客が強制的に降ろされたらしいのですが、皆地元の人間ではないですから地理が分からないでしょう、ですから逃げ惑っている内に皆空襲でやられてしまったみたいです。川に死体がいっぱい浮かんでいました。』

 『東京大空襲の時も火の手が横浜からも見えました。あの頃は間に高い建物なんて何も無かったですから。』

 『8月15日は私の招集日だったんです。でも結局戦争が終わりましたから戦地に行かずに済んだんです。ですから私の年齢で丁度別れるんですよ。上の人たちは皆戦地に向いましたから。』

 『進駐軍の米兵達は最初“レイション”という携行食糧を持たされているんですけど、あちこちに食堂ができ始めるとそれはもう要らなくなる。そうすると列車から外に向って捨てたりするんですよ。それを皆で拾いに行ったりしてましたよ。中を開けると珈琲の粉、今で言うインスタントコーヒーですよね、それが銀紙の蓋を開けると入っているんですよね。そんなもの見たことないですから、ナンだろうな~って、珈琲なんですよね。びっくりしました。それから砂糖、粉ミルク、チョコシロップ、ガム、あと煙草は朝は何本、夜は・・・そう10本だったかな、レイションは朝、昼、晩と分かれてましたから、そういうふうになってましたね。』

 『昔の南京街は危ない所でしたから。戦場帰りの荒くれ者がたくさんいたりして、酔っ払いやらね~お金払わない奴なんか追っかけたりして、もう命懸けでした。』

 私の記憶が曖昧で不正確な記述があるかもしれないが、昭和2年生まれのご主人の記憶はまことに鮮明でまるでつい最近の出来事でも語るかのような見事な語り口だった。白井さんもアイケルバーガー中将の思い出のお話をされ、それを受けてご主人が『ジェノーですね。』と仰る。“ジェノー”とは“ジェネラル”つまり将軍のことだ。『ね!発音が違うでしょ!』と白井さんもびっくり。白井さんもこの日はハマの先輩に敬意を表し、時々ご自身の思い出話もご披露しつつ、でも聞き役に徹しておられた。私のような若輩にとっては何だか狐につままれたような夢のような、でも普通ではちょっと得難い貴重な経験ができた一夜だった。