日常雑記

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実感的人生論

2015-08-31 13:25:02 | 随筆
先ごろの新聞に伴侶よりは飼い犬(飼い猫)に愛着するというパーセントが載りました。松本清張先生の表題著書のなかに[かなしき家の長たち]と題して昭和三三年一二月婦人公論に掲載された文章があります。昭和で数えれば九〇年おおよそ五七年前の記事です。
「いえのおさ―一家の主人であり、戸主であり、家長である。一家というからには妻のほか、子供が居るのが普通である。そのほか、老いた両親か片親、弟妹も含んでいる家族もあろう(昨今は希有の構成である)。しかし一家の生活を主に支えているのは男であり、扶養の補助として妻女の働きが加わるのが世間の常識となって、記事の時代とは非常に異なりました。」主義主張を問わず一家の経済の基盤が何処にあるかによって家の構成席次が決まるようです。ところが年金生活に慣れその基盤となった男の働きの痕跡がうすれにつれ飼い犬飼い猫の方が動物的認識で敏感に序列を峻別します。以前やや辺鄙なところ住んでいたとき経験したのですが、その家の飼い犬が主人の自動車の警笛にのみ反応していたのには驚かされたました。。
かくて家の長から家庭の(下宿人)なり下がります。厭ならばあくまで権威主義的態度を保持せねばならないようです。

百日紅

2015-08-28 14:42:52 | 身辺雑記
一五号颱風は当地には水害の被害こそありませんでしたが、風速一〇メーターの強風が庭木や拵えの充分でない軒先のプラスチック庇などに大損害を与えました。市が手配したであろう車が散乱した飛来物の処理に当たっています。わが家も風力と降雨量の多かった午前七時近くに雨漏りが始まりました。いささか心配でした。何しろ近くのマンションの壁面にはホースから噴き出す勢い程の豪雨の飛沫が叩きつけています。そのころ風向は北から南へ変わったようです。卓上気圧計を眺めていますと気圧の変化は判りますが、雨戸を叩く風の轟音は身心を落着かせません。やつと颱風が治まって庭にでますと、百日紅の花が枝に残っていません。今まで幾度となく颱風の通過はありましたが、細い枝先の紅い花がちぎりとっていったのは初めてですね。

メセタコイア

2015-08-25 15:03:38 | 生き物
アメリカカルフォルニヤ州に木の根元がトンネルになっていて自動車が通り抜けられるそうです。高さが一三〇メートル、幹の直径が一二メートル、樹齢が四〇〇〇歳というセコイアがあります。セコイアはスギの仲間で常緑樹です。以下は井尻正二先生堀田進先生共著[生きている化石]から得た知識です。太宰府市観世音寺境内にはメタセコイアの大樹があります。
メタセコイアの化石を発見されたのは大阪市立大学の植物学教授三木茂先生です。一九三九年に和歌山県橋本市の瓦を作る粘土層から、一九四〇年には岐阜県土岐市の亜炭層からセコイアらしい化石を発見されました。 そしてこの化石の植物はセコイアのあとに続くものメタセコイアと名をつけ、一九四一年に学界に発表されました。
大東亜戦争開戦に当たる年で中国は首都を南京から重慶に移して資源調査にはげみ抗戦を続けていました。一九四五年に四川省の森林資源調査をしていた林業のお役人が湖北省に近い山中で小さな祠の後に大木を発見しました。高さ三五メートル、直径が二・三〇メートルもありました。その枝葉を北京の植物学者湖先生に送って鑑定を頼みました。三木先生とは友人でしたのでセコイアの研究を知っていましたのでそれが生きているメタセコイアであることに驚きました。中生代の末に現れ、新生代の終わり(約二〇〇万年前)に死に絶えたと思われメセタコイアが中国山地に生きながらえていたことが判ったのです。そこで探検隊が組織され、湖北省や四川省の山中に僅かに生き残っていることが判りました。採取した種子はアメリカに送られ、種が蒔かれ苗木が育ちました。一九四九年には何代目かの苗木が届けられ三木先生と対面することになりました。

秋の虫

2015-08-23 15:40:31 | 身辺雑記
夏日が続いていましたが、先日来の雨のせいか朝夕涼しくなりました。夜分虫の声が繁く聞こえます。人間以上に季節に敏感ですね。[動物に心はあるだろうか? 松島俊也先生著」が児童書の棚にありました。初めての動物心理学と副題にありますので果たして理解が及ぶか幾分危惧はしました。第27話ライオンの子殺しの理由というお話があります。先にゴリラ君の一言にも繋がりがあるようで借受ました。なかなか内容のあるしかも判りやすい記述でした。
カケス・ミツバチと鳥たち・孤島で生まれた知性・モネとピカソの絵を見分けるハトその他30話のいずれも興味深いものでした。動物寓話を人間の行動や習慣の規範とするのはいかにも危険が伴うと思われます。しかし動物全般を通じて有るときは食糧とし、あるものは便宜な道具として駆使していますが、同じ惑星で共に生存していかねばならない貴重な輩で有ることには違いありません。ベラの攻撃性が孤独な環境育ちにあるなど他山の石とはならないものでしょうか。

カブトガニ

2015-08-21 13:20:58 | 生き物

老輩は伊万里市に住んでいました。六十年前の事です。北松炭田を併せれば、三年ほどです。そのころ小耳に挟んだ程度のカブトガニについての知識がありました。身過ぎ世過ぎのうちに殆どの記憶は薄れてしまいました。しかしカブトガニについての知識を常識程度には知りたいと思っていました。幸い図書館に「カブトガニ古代から未来へ 佐藤ヒロシ先生作・繪」という児童向きの読物絵本があります。先ずは笠岡市カブトガニ博物館から始まります。カブトガニは生きている化石と呼ばれクモやサソリの仲間で三葉虫から形を変えたもの人類よりずっと先輩だということです。博物館ではオスは十三年に十五回、メスは十四年に十六回脱皮すと考えられています。同館では飼育室もあり、ゴカイが餌になっています。(後述の伊万里高校飼育室ではエビを二日に一回、ゴカイを一週間に一回)伊万里市にカブトガニを守る会や伊万里高校や地元人などによってカブトガニが保護されています。絶滅が危惧され同市多々良海岸には養殖地があります。
実は不肖老輩はこの高校の卒業生ではありますが、卒業者名簿に僅かに記載されたのみです。機会があれば多々良海岸の養殖地を見学させて戴こうかと思っています。