先ごろの新聞に伴侶よりは飼い犬(飼い猫)に愛着するというパーセントが載りました。松本清張先生の表題著書のなかに[かなしき家の長たち]と題して昭和三三年一二月婦人公論に掲載された文章があります。昭和で数えれば九〇年おおよそ五七年前の記事です。
「いえのおさ―一家の主人であり、戸主であり、家長である。一家というからには妻のほか、子供が居るのが普通である。そのほか、老いた両親か片親、弟妹も含んでいる家族もあろう(昨今は希有の構成である)。しかし一家の生活を主に支えているのは男であり、扶養の補助として妻女の働きが加わるのが世間の常識となって、記事の時代とは非常に異なりました。」主義主張を問わず一家の経済の基盤が何処にあるかによって家の構成席次が決まるようです。ところが年金生活に慣れその基盤となった男の働きの痕跡がうすれにつれ飼い犬飼い猫の方が動物的認識で敏感に序列を峻別します。以前やや辺鄙なところ住んでいたとき経験したのですが、その家の飼い犬が主人の自動車の警笛にのみ反応していたのには驚かされたました。。
かくて家の長から家庭の(下宿人)なり下がります。厭ならばあくまで権威主義的態度を保持せねばならないようです。
「いえのおさ―一家の主人であり、戸主であり、家長である。一家というからには妻のほか、子供が居るのが普通である。そのほか、老いた両親か片親、弟妹も含んでいる家族もあろう(昨今は希有の構成である)。しかし一家の生活を主に支えているのは男であり、扶養の補助として妻女の働きが加わるのが世間の常識となって、記事の時代とは非常に異なりました。」主義主張を問わず一家の経済の基盤が何処にあるかによって家の構成席次が決まるようです。ところが年金生活に慣れその基盤となった男の働きの痕跡がうすれにつれ飼い犬飼い猫の方が動物的認識で敏感に序列を峻別します。以前やや辺鄙なところ住んでいたとき経験したのですが、その家の飼い犬が主人の自動車の警笛にのみ反応していたのには驚かされたました。。
かくて家の長から家庭の(下宿人)なり下がります。厭ならばあくまで権威主義的態度を保持せねばならないようです。