日常雑記

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筍と若布と山椒の実

2015-04-25 21:26:40 | 随筆
桜ばかりが春の花でないですよね。今年は桜花は駆け足でした。しかし野邊を歩いてご覧なさい。胸一杯に緑春の生気を満喫できます。ところで先日は満潮の海辺を歩きました。福博は海の恵みを快く受けるべきところだと思います。いまの食材では若布と筍と少々遅れはしましたが、土筆があり蕗の新芽も有りです。
春の落葉 というお寺の境内掃除は厄介な代物があります。話は変わりますが、筍と若布とは春の柔らかい食材です。
お酒好きの鬼君がいました。村の綺麗な若い女たちは揃って太鼓や笛に併せて踊り出し、若い衆は手拍子。八幡様の縁側には酒の入った瓶がずらりと並んでおります。このような雰囲気でしたからついつい鬼たちも一口二口その先は大丼でガブガブ、そしてお膳の筍を食べ始めました。ところが鬼さんには歯が立たない。筍でなく竹でしたからね。相席に端座した村人たち美味そうに食べるのです。そこで村人たちはこれでは悪いと豆腐料理を鬼さんに進上しましす。鬼さんたちはこれまた硬い硬い石の豆腐に歯を欠くばかりの難儀です。村人たちは豆腐ですから美味そうに食べています。幼児のころ聞いたお話でしたがすっかり忘れておりました。春先の若布と筍の時季になるとぼんやり思い出すのです。しかし童話のもとが不詳でしたが、図書館職員さんにより「埼玉県の民話」であることを教えてもらいました。

科学が知りたい

2015-04-21 19:46:56 | 随筆
一個の受精卵は分化して体を作っている万能性を持っことになるのだそうです。体の部分を再生するためにつくられた細胞は多能性細胞とか万能細胞とか呼ばれます。山中博士によって世界で初めてに作られた人工多能性幹細胞はiPS細胞と名付けられました。今後は再生医療の向上に向けて更なる研究が続けられることでしょう。
話題のサイエンスをかんたんに解説「科学が知りたい」という本をを今読んでいます。いくらか遅れた話題ですが、老輩には未だに当事者の混乱も理解出来ず、ましてやiPSの何たるやも不分明で有りましたので頭書の雑誌を購入した次第です。この他にも最新ニュースの疑問がスッキリわかるとありますのでボチボチ読んでみましょう。

焼き飯

2015-04-20 12:48:35 | 随筆
碁打ちに馳走するは無益なりという話が翁草にあります。これは又別の話ですが、昔話といえば言えます。戦中清水市に住んで居ましたが、空襲やら南海地震やらで夜分起こされることしばしばでした。そこで糧食として各自家庭で握り飯を用意しておりました。挙げ句朝食には焼き飯にして戴くこととなりました。
神澤杜口先生は囲碁がお好きのようでしてそれについて逸話等の記載が多く有ります。折角のご馳走など余分なこと早々と盤に向おうと双方思っています。ですから碁友達が訪れた場合家内に言い含め菓子盆に焼き飯を積み上げ茶瓶を添えで出しておきます。さて碁にかかりば他念ないがさすがに空腹を覚えて主客とも焼き飯を手にして食うので有ります。飯が無くなれば勝手は心得てほどよく代わりを入れて置きます。飼い鳥の餌を入れ替えてやるようなものです。ですから一昼夜打っても飢えることはありません。家内も世話少なく、客も主人への気兼ねもなく快く碁を楽しむのであります。これに過ぎる碁の饗応なし、穴賢、碁好きに尋常な馳走はせんなき事と知るべと締めています。

オランダ船リーフデ号

2015-04-19 16:04:59 | 随筆
慶長五年(一六〇〇)この年イギリスは東印度会社を設立し、翌年にはオランダが東印度会社を設立、当時日本は関ヶ原騒動時のため翁草の記録者神澤杜口(其蜩)も暦年は誤りではあるまいかと註をいれています。泉州堺浦に商売の趣でイギリス人ウイリアム・アダムスがリーフデ号に乗船していました。かれは同年五月一二日大阪城で徳川家康に引見し、後には外交顧問として仕えています。
翁草の記事は慶長五年泉州堺浦に大船が来着し交易を求めてきたが即刻江戸へ通報、回船下知を受けております。船は遠州灘で難船、やむなく乗員は江戸へ赴くことになりました。その後詮議の上、渡海商売の許しをも得ましたが、破船のため帰国出来ません。江戸で紅毛人が住んで居た場所を今ヤエスガシといい、三浦按針の住居跡はアンジ町と言います。
確かに天下分け目の大騒動ですから暦年は違っているのだろうとの杜口の推測はあり得たと思います。しかし家康殿はもう天下人の余裕ですね。













翁 草

2015-04-18 20:33:14 | 随筆
以前歴史図書社の翁草を持っていました。手違いから手元を離れましたが、福岡市図書館所蔵にあることからそのうちにと思っていました。身過ぎ世過ぎでかなりの時が経ました。どうやら安直に西鉄サービスを使えるようになりましたので、百道浜に出かけることにしました。二階の書架から日本随筆大成二冊をお借りしました。
階下の展示資料の中に「文芸館倶楽部NO4」がありました。簀子町から荒戸町へというタイトルで「桜島」「幻化」の作家の育った場所と言う記事でした。老輩は梅崎春生先生の沖積舎全集などを持ち合わせております。当地はバンカラ趣味の気風があってか先生の評価が可笑しいほど低いのです。文芸というものは好みの風次第でも有りますが。ところで翁草ですが、書架の前で目次を捲り長崎実記と切支丹騒動をもう一度読み直してみようと借りてきました。加えて鍋島屋敷奇異の事にも多少興味がありました。