ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平荘町・上荘町をゆく(52) (平荘町)野の仏たち(3) 四尊石仏

2024-05-08 06:07:21 | 加古川市歴史探訪 平荘町・上荘町編

 

      平荘・上荘町をゆく(52) (平荘町)野の仏たち(3) 四尊石仏


 平荘町養老の西の端に、同じ敷地内に二つの地蔵堂があります。
 きょうは、向かって左の四尊石仏(写真)を訪ねます。
 四尊地蔵にはこんな話があります。

 ・・・ある時、村人が牛(馬)を引いて、この石橋を渡ろうとすると必ず急に牛(馬)の足が動かなくなってしまいました。
 村人は、不思議に思っていました。
 ある時である、村の女の人が洗濯をしていると、小川に架かる橋の下の辺りの水面に仏様の姿をみました。
 村人は、驚いて石橋を起こしてみると、この四体の像を刻んだ仏様のお姿があらわれたのです・・・・
 『加古川市史(第七巻)』でも、「この石仏はもと西山から養老に通じるあぜ道の橋にしていたのを像容を配していたことから、現在の場所へ移したものであるとしています。
 また、正面が黒色を帯びているのは、長い間祀られたもので、香煙によるものである」と記されています。
 説明板(加古川市教育委員会)によれば南北朝(14世紀)としているが、田岡香逸氏は、『加古川市史(七巻)』で「おそらく室町時代のものとしてもおそく、1550年をさかのぼるものではない・・・」と述べておられます。
 四体は、阿弥陀像です。
 *次号では、向かって右の地蔵堂の石仏を訪ねてみます。

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