飛行場・滑空場・不時着陸場・場外離着陸場・空港・戦跡など

    思いがけない所に戦跡があったりします。
     2度と愚かな戦をしない、させない意味も込めて調べてみました。

(30)菊池陸軍飛行塲

2015-12-30 15:20:15 | 飛行場関係

熊本県花房村(現:菊池市)32°56′.0 N  130°47′.5 E

菊池電氣軌道木驛 南西方500m

東西1200m 南北950m 張芝地區 東西1000m 南北900m

鉄骨造格納庫 (間口40m奥行50m×8棟)

兵舎・気象観測所有

第103教育飛行團及 飛行第107教育戰隊飛行塲

隣接して陸軍航空廠菊池分廠有

(1943年4月軍資料より)




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(29)国産飛行機発祥の地

2015-12-18 20:15:50 | その他
陸軍の射撃場・練兵場のあった戸山ケ原(東京都新宿区)を調べていると

「国産飛行機発祥の地」が同区内にある事が分かり見に行きました。

最初の国産飛行機は1909年~1910年(明治42年~43年)にかけて

日野式一號機が製作されました。

1號機を作った林田商会のあった場所(新宿区西五軒町12-10)へ行ってみると

目白通り沿いに説明のプレートはありましたがその会社自体はもうありません。

ここで一層式、全長3m、翼長8m、空冷式8馬力発動機の飛行機が作られ戸山ケ原で試験飛行をしたそうです。


12/23記入:1910年2月に日野大尉が完成させた飛行機は3月に戸山ケ原で試験飛行をしましたが

滑走をしても飛び立つ事はできませんでした。







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(28)硫黄島(東京都小笠原村)

2015-12-09 13:32:49 | 飛行場関係


硫黄島に嘗て住んでいた方のインタビュー集を頂きましたので他書も読んでみると

小笠原特集43号の中に硫黄島の1944年の地図がありました。

千鳥飛行場には第一から第三までの滑走路があり(西・千鳥ヶ原の海軍飛行場建設の土地買収は1939年から)

元山飛行場は第一と第二滑走路があり北飛行場には一本の滑走路がありました。

現在の航空基地は北飛行場の南方にあります。

当時の子供たちの写真を見ると離島にもかかわらず小奇麗な服装なのには驚きました。

コカやレモングラスの栽培で戦前は潤っていたのだそうです。



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(27)陸軍少年飛行兵慰霊碑

2015-12-07 19:51:20 | その他
最近はやりの谷根千(谷中・根津・千駄木)を散策中に偶然、寺の門前に「陸軍少年飛行兵慰霊」の碑があるのを

見つけました。

そこは夕焼け段々を降りてすぐに右折した「ろくあみたみち」を行ったところにありました。

山門には法華宗日照山法光寺とありました。(東京都荒川区西日暮里3丁目)

碑の近くにはノモンハン事変以来4万5千人の陸軍少年飛行兵として散華した人々の慰霊のために建立(1970年)

と説明書きがありましたがなぜこの寺に碑があるのかということまで書いてありませんでした。



「陸軍少年飛行兵史」を見るとこの寺の住職が1940(昭和15)年に水戸陸軍飛行学校卒業後、東航の区隊長をし

その後は敗戦まで大津分校・大津少飛校の区隊長と教育隊本部に勤務していた事が分かりました。

(2018/6/28追加書込み)


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・「元荒川区民」さま 貴重な情報をありがとうございました。(2017.11.26)