飛行場・滑空場・不時着陸場・場外離着陸場・空港・戦跡など

    思いがけない所に戦跡があったりします。
     2度と愚かな戦をしない、させない意味も込めて調べてみました。

(66) 陸軍兵器補給廠小平分廠 / C124グローブマスター輸送機墜落事件

2017-03-15 15:52:31 | その他
東京都小平市に住んでいた知人が市内には昔7~8ヶ所、軍の施設があったと言っていたのを思い出

し行ったついでに1~2ヶ所寄ってみようと少し調べ始めました。

確かに研究所や通信所などもありましたが今回は時間の都合もあるので西武鉄道小川駅前にあった

陸軍兵器補給廠小平分廠跡に行ってみる事にしました。

当時そこには木造でスレート葺の大きな倉庫が何棟も建っていて戦車・装甲車・側車など大きな物が

あったそうで銃などの小さなものは無かったそうです。(そのとき小平ではⅡより)

今そこにはブリジストンの工場などができています。



さらに市史で戦後も見ていると1953年(昭和28)6月18日に市内に米軍のC124

グローブマスター輸送機が墜落したことが書いてありました。

この機は米軍立川基地を離陸後エンジンの1つが停止してすぐに墜落したようです。

その死者数を見てさらに驚きました。乗っていた127人は全員死亡し火の海となった畑で作業をして

いた人も大けがをしたそうです。

この事故は独立後でしたが事故機の周り2キロが米軍により立ち入り禁止にされ報道のフィルムも抜

き取られたそうです。

2004年8月の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件の時と全く変わらないなと思いました。

この時もテレビカメラからテ-プを米軍に取られた地元テレビ局がありました。

C124グローブマスターの墜落場所は小川駅と東大和市駅間で現在の小平市小川町1丁目2364

附近でしたので知人に尋ねるとその近くにも住んでいたのに初耳だったとかなり驚いていました。



米軍機の墜落ですぐに思い浮かぶのは最近は昨年末の沖縄県辺野古近くでのオスプレイの墜落事故

ですが痛ましい犠牲者を出した1977年横浜の住宅地で親子3名が死亡し6名が負傷した海兵隊

のファントム戦術偵察機が墜落した事件は事故後もいろいろ悲惨なことがあった事件でした。 

古くは1959年沖縄の宮森小学校への米空軍F100D戦闘機の墜落は給食中の小学校校舎をも

巻き込みさらに多くの犠牲者を出しました。

(小学生11人と住民6人が死亡、重軽傷者210人・校舎3棟・民家27棟・公民館が全焼し

校舎2棟と民家8棟が半焼)



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