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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

法隆寺・東院伽藍 ~會津八一歌碑~

2020-11-15 00:59:20 | 文学をたどる

 法隆寺、東院伽藍にある會津八一の歌碑。以前は、法隆寺の近くの民家にあったらしいのだが、近年、この場所に移設されたものである。東院伽藍から中宮寺に向かう道、ちょうど伝法堂と鐘楼の前辺りにある。

 

 これまで幾度となく、この道を通っているのにも関わらず、全く気が付かなかったというか、むしろ歌碑があることは知っていたものの、どこにあるかわからなかったし、てっきり東院伽藍の伽藍の中にあるのだと思い込んでいたというところ。思い込みはよろしくないなあ。

 さて、この歌碑だが、「あめつちに われひとりゐて たつごとき このさびしさを きみはほほえむ」とある。東院伽藍、夢殿の本尊、救世観音菩薩立像を詠ったものである。

 

 歌意としては、天地の間に、自分唯一人立っているかのようなこの寂しさを、救世観音は超然と微笑んでいるというところか。

 ちなみに、ちょうどこの場所を訪れた日は、夢殿で秋季特別公開中ということで、救世観音菩薩立像を目の前に見ることができた。

 

 救世観音菩薩は、飛鳥時代、7世紀前半の制作だと考えられており、聖徳太子の等身仏とも伝えられる。確かに、直接、目の前で見た救世観音菩薩は、口元に、アルカイックスマイルと言われる不思議な微笑をたたえており、作者ならずとも、その微笑がどことなく寂しさをもっているのを感じることができる。

 その先には、何が見えているのだろうか?蘇我入鹿たちによる一族の滅亡だろうか?あるいは「世間虚仮、唯仏是真」といった世の中の無常が見えているのか?

 ただ、見るものを引き付ける力を持っている仏像であることは間違いないのだろうと思う。

 

 この救世観音菩薩像は、永らく秘仏とされていたことから、非常に保存状態の良い作品である。僕が訪れたこの日は、コロナウィルス感染症のこともあり、参拝客が少なかったので、ゆっくり見ることができた。ある意味ありがたいことではあった。

 歌碑の前にある伝法堂は、739年の建立で、聖武天皇の橘夫人の住宅を移築したものと伝えられる奈良時代としては唯一の住宅建造物である。

 

 意外と気づかないが、実はすごい代物なのである。中には阿弥陀三尊像などの多くの仏像が安置されているが、残念なことに非公開となっている。

 法隆寺には、もう一つ西院伽藍の東側にあるのは既出、すでに紹介済みである。

 


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