笠置シズ子と対照的な歌手岡林信康

笠置シズ子と対照的な歌手岡林信康


社会党は社会主義の政党であった。社会主義は労働者の側に立ち、資本家が労働者を搾取することを阻止するのを目的とする。経済が発展するということは企業が強くなりますます労働者を搾取して、資本家は富み、労働者は貧しくなるという考えが社会党、共産党の考えである。失業者が存在するのは企業の利益を上げるためである。利益に固執しないで労働者を全員雇用して失業者をゼロにするべきだと考えているのが社会党、共産党である。社会党、共産党は労働者を搾取する資本家に味方するような経済発展するための政策はしない。


 第二次世界大戦が終わると米国とソ連の二大国の対立の時代にはいった。米国は資本主義の代議制民主主義国家であり、ソ連は社会主義国家であった。日本は米国に占領され、米国型の資本主義代議制国家になった。一方ソ連の影響を受けたのが社会党や共産党であった。
 60年安保反対運動に500万人も参加したのはソ連の社会主義を理想とする市民が多かったからである。米国は黒人を奴隷にし、労働者を搾取する国であると考える日本人も多かったのだ。


60年安保反対運動は学生が主流の闘争だった。
警官隊と激しい衝突で死んだ樺美智子は東大生だった。学生たちは警察のトラックに放火し、国会周辺は凄惨な雰囲気に包まれたという。これほどまでに激しくなったのは米国は帝国主義国家であり、労働者を搾取する国であり、日本も米国のようになると信じていたからである。


 笠置シズ子のようにアメリカ流の歌を楽しく歌って有名になった歌手は多かった。貧しい労働者を歌う歌手もいた。岡林信康である。


山谷ブルース


今日の仕事はつらかった
あとはしょうちゅうを あおるだけ
どうせ どうせ山谷のドヤ住い
ほかにやることありゃしねえ


一人酒場で 飲む酒に
かえらぬ昔が なつかしい
泣いて 泣いて みたってなんになる
今じゃ山谷が ふるさとよ


工事終れば それっきり
お払い箱の おれ達さ
いいさ いいさ山谷の立ちん坊
世間うらんで 何になる


人は山谷を 悪く言う
だけどおれ達 いなくなりゃ
ビルも ビルも 道路も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか


だけどおれ達ゃ 泣かないぜ
はたらくおれ達の 世の中が
きっと きっと 来るさそのうちに
その日にゃ泣こうぜ うれし泣き


1968年9月発売岡林本人が山谷で日雇い労働者として働いていた時に経験した内容が元になっている。




「チューリップのアップリケ」


うちがなんぼ早よ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん 何処に行ってしもたのん
うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いにきてくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん 怒らはらへんで
早よう帰って来てか
スカートがほしいさかいに
チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし


うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつも金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん 家を出て行かはった
おじいちゃんに お金の事で
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや
お母ちゃん ちっとも悪うない
チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし


私たちの望むものは


私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ


私たちの望むものは 社会のための 私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための 社会なのだ


私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪いとることなのだ


私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ


今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ


 岡林は社会党とは思想的なつながりはない。しかし、60年代が生んだ歌手であり、時代的なつながりはあっただろう。


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