8月30日(火)
江藤先生の訃報を知りましたのが都城高専のツイッターでした。「【訃報】本校第7代校長・名誉教授 江藤 守總 様(享年81歳)におかれましては、平成23年6月5日(日)に御逝去されましたので、ここに謹んでお知らせいたします」(都城工業高等専門学校ツイッターより)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0b/397d5c664c6fb97def818dd8f1fc68a3.jpg)
江藤守總先生(享年81歳)の御遺影
続いて九州大学主催の「偲ぶ会」が今月二七日十二時三〇分から十四時三〇分まで福岡市西鉄グランドホテルで開催される事になり、都城高専出席者と伴に「偲ぶ会」へ出かける事にしました。江藤先生が都城高専校長として赴任された時期は平成五年七月から平成十一年三月まで約六年間におよび、ご夫人を伴っての都城市への引っ越しでした。市民団体への参加も快く引き受けて頂いて何回か講師依頼をお願いした事がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ef/7bfcf7a84a994de9422f8ca48a571d83.jpg)
都城高専正門より眺める高千穂峰
印象に残ります江藤先生への記憶は、誠実な人柄で、市民団体との会合でさまざまな質問にしっかりとお答え頂きました。日本の敗戦までの半年間を海軍兵学校に在学されたとお聞きしました。そこで先生の座右の訓になります「五省」に出逢っておられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ec/9eb349af597dff167155e2cd3d4071c3.jpg)
五省の額
五省
一、至誠に悖(もと)るなかりしか(何事にも誠実に対処したか)
一、言行に恥ずるなかりしか(言動に間違いはなかったか)
一、気力に缺(か)くるなかりしか(精神力は充実させていたか)
一、努力に憾(うら)みなかりしか(努力に心残りはなかったか)
一、不精に亙(わた)るなかりしか((怠け心に流されなかったか) 当日の資料より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/aa/c5ce2b8ff5b3130a509a9b82cf2f3b5d.jpg)
戦後になり昭和三四年十二月から同三六年十二月まで米国ウイスコンシン大学へプロジェクトアソエイトとして、また昭和四八年八月から約一年間を米国カリフォルニア大学へ客員准教授として渡米されておられます。戦前と戦後を教育界の中でシンボル的な二つの世界を体験されたと認識しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6a/a67093942c6ba1b6c71e23e28d54a9ad.jpg)
会場の「偲ぶ会」参加者は百二九名におよび、おおかたの方が大学の教職者で会場の雰囲気も物静かで、江藤先生の思い出とお別れの言葉を述べる方が演壇に十八名立たれて、先輩や同僚と教え子の方々、最後の言葉を拝聴しました。故人との別れの儀式が少しずつ変化しているのでしょうか。「偲ぶ会」に出席さて頂き最後の献花をしました事は最後の別れと言うより、江藤先生が心の中に住み着いてしまった感があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a6/6e1e008c97921a080199bf8af252c6e6.jpg)
ご遺族からのご挨拶(江藤ただ子様)
江藤先生は年齢で一巡り上の先輩にもなります。この辺りの年齢差とは微妙な雰囲気もあり、固い感じは受けましたが、何でも質問できそうな感じもありました。それは飲み座でも同じでしたから、お付き合いの回数が少なかったのか、まだ何かしら質問事項が残っているようでもあります。福岡市へ帰られて十二年間が経過して年月の経つ早さに今さらながら驚きます。ご冥福をお祈りします。
江藤先生の訃報を知りましたのが都城高専のツイッターでした。「【訃報】本校第7代校長・名誉教授 江藤 守總 様(享年81歳)におかれましては、平成23年6月5日(日)に御逝去されましたので、ここに謹んでお知らせいたします」(都城工業高等専門学校ツイッターより)
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江藤守總先生(享年81歳)の御遺影
続いて九州大学主催の「偲ぶ会」が今月二七日十二時三〇分から十四時三〇分まで福岡市西鉄グランドホテルで開催される事になり、都城高専出席者と伴に「偲ぶ会」へ出かける事にしました。江藤先生が都城高専校長として赴任された時期は平成五年七月から平成十一年三月まで約六年間におよび、ご夫人を伴っての都城市への引っ越しでした。市民団体への参加も快く引き受けて頂いて何回か講師依頼をお願いした事がありました。
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都城高専正門より眺める高千穂峰
印象に残ります江藤先生への記憶は、誠実な人柄で、市民団体との会合でさまざまな質問にしっかりとお答え頂きました。日本の敗戦までの半年間を海軍兵学校に在学されたとお聞きしました。そこで先生の座右の訓になります「五省」に出逢っておられます。
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五省の額
五省
一、至誠に悖(もと)るなかりしか(何事にも誠実に対処したか)
一、言行に恥ずるなかりしか(言動に間違いはなかったか)
一、気力に缺(か)くるなかりしか(精神力は充実させていたか)
一、努力に憾(うら)みなかりしか(努力に心残りはなかったか)
一、不精に亙(わた)るなかりしか((怠け心に流されなかったか) 当日の資料より
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戦後になり昭和三四年十二月から同三六年十二月まで米国ウイスコンシン大学へプロジェクトアソエイトとして、また昭和四八年八月から約一年間を米国カリフォルニア大学へ客員准教授として渡米されておられます。戦前と戦後を教育界の中でシンボル的な二つの世界を体験されたと認識しました。
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会場の「偲ぶ会」参加者は百二九名におよび、おおかたの方が大学の教職者で会場の雰囲気も物静かで、江藤先生の思い出とお別れの言葉を述べる方が演壇に十八名立たれて、先輩や同僚と教え子の方々、最後の言葉を拝聴しました。故人との別れの儀式が少しずつ変化しているのでしょうか。「偲ぶ会」に出席さて頂き最後の献花をしました事は最後の別れと言うより、江藤先生が心の中に住み着いてしまった感があります。
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ご遺族からのご挨拶(江藤ただ子様)
江藤先生は年齢で一巡り上の先輩にもなります。この辺りの年齢差とは微妙な雰囲気もあり、固い感じは受けましたが、何でも質問できそうな感じもありました。それは飲み座でも同じでしたから、お付き合いの回数が少なかったのか、まだ何かしら質問事項が残っているようでもあります。福岡市へ帰られて十二年間が経過して年月の経つ早さに今さらながら驚きます。ご冥福をお祈りします。
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