緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

休日は気分を替えて

2009年02月02日 18時14分57秒 | 健康
2月2日(月) 

金曜日の夜から土、日曜日と飲み会とドライブで休日気分に浸りますと、さすがにさっぱりとした気分になります。土曜日は大崎町くにの松原砂浜歩き後に道の駅温泉近くの公園で眺めた満開の緋寒桜、数にして三本あります。最初は紅梅かなと花びらを眺めて一瞬思いましたが木肌が桜の木です。近くでは大勢の人がゲートボールに余念がありませんでした。


鹿児島県大崎町の緋寒桜

志布志湾に面した鹿児島県大崎町は人口一万五千人、所帯数七千戸、農業が主産業の町で目立った特徴のあるものは何でしょう?畑地の広がりが印象に残ります。念を入れて町役場に確認の電話を入れてみます。ここものんびりとした返事、数分してようやく緋寒桜と判明、のんびりとした応対これが良いのかもしれません。


鹿児島県志布志港

緋寒桜は沖縄県本部町など沖縄本島北部に一月下旬には早々と咲く桜で全国ニュースになりますが、志布志湾でも緋寒桜が同じ季節に咲くとはどちらも温暖な地域なのでしょう。そう言えば正月休暇を過ごした那覇市界隈で一輪二輪と緋寒桜を見ました。季節の移り変わりが早いと証明する一つかなと思います。寒い季節が一ヶ月間も続きますと下旬には桜の花が咲き始める、南九州は気候的には温暖で暮らしやすい土地柄かな。



歳をへると人間寒さに弱くなるは誰しも常ならんです。季節に応じて南北を移動して暮らした縄文人の雰囲気が何となく理解出来る緋寒桜の開花です。そんな気分を抱えて志布志港へ車を走らせます。陽の光が眩しいくらいです。波止場の光景は意外と人影は少ないもので、せいぜい大型カーフェリーの発着時ににぎやかな人声が風に乗り聞こえて来る位のものです。



コンテナ埠頭や専用船岸壁とは意外と機械化された荷役装備が施されているもので、それが旧来の貨物船埠頭に比較して驚くほど静かな光景となります。港湾施設も時代の波で変化して行くものです。これも古い話で一九七一年の事ですが、九千トン級の在来型貨物船で南ア航路に就航してケープタウン港を始めとしてダーバン港やイーストロンドン港、ポートエリザベス港の荷役装備を拝見した時に旧式だなと思わず思ったことがあります。当時、前航海が東豪州航路のコンテナ船勤務で目まぐるしい荷役に鍛えられていましたので世界の港湾施設が急激にコンテナ化へと移行していた頃でした。



志布志港コンテナ埠頭には集荷された満載のコンテナ数です。中身は何でしょう?南九州から海外へ運ぶとは、はて何でしょう?良く眺めても冷凍コンテナではなさそうです。コンテナ船の積荷はさてどこが揚荷港となるのでしょうか?台湾、フィリピン、韓国、香港が行先港とあります。本来なら日本船が担当していた隣国航路、今ではさまざまな国の船籍船が日本の海上輸送を担っています。日本の若者が外国航路の船舶勤務を避けるようになってどれほどなるのでしょう?



それでも外へ向けられた志布志港の外航船埠頭は世界の風が吹き込んでくる窓口でもあります。かって、外航船を仕事場とした身には眺めているだけで積荷作業現場にいる気分になり、年月を経てもきびきびしていた頃が蘇るようで、これもまた楽しからずやです。



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