癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

鎌ケ谷大仏は、ブロック塀の影で見えない大きさだった。

2006年05月27日 19時19分23秒 | 癒  し
                      鎌ケ谷大仏

我が家の近くに鎌ケ谷大仏と言う駅がある。「鎌ケ谷大仏様は何処の辺りでか?」最近、鎌ケ谷駅舎の中で質問されました。。
 
「駅を出て直ぐ道路の向かいに頭が見えますので、直ぐ分かると思いますよ。」と軽く説明して分かれた。。

「わざわざ見学に途中下車したのかなー」と思いながらその場で別れた。

しかし、駅から降りた道路の周辺で、未だウロウロ・キョロキョロして居る姿がみえた。さっき質問して来た60才がらみの男の人である事に気づき「大仏様の頭がちょっと見えるあれですよ」と指を差し出して教えた。

「あ、あれですか?」と礼を云って、がつかりしたかのように大仏の方へ向かって歩いて行く後姿を見て感じとれた。
「大仏と言うからには、相当大きな大仏だろうと想像して来たのだろう」と察しが付いた。気の毒にと思いながらそのまま家路に着いた。
 
そういえば、大仏さまの周囲がブロック塀で囲まれて居るため判り難い。
 
鎌倉・東大寺等のような大仏様であれば遠くからでも直ぐ見つけることが出来るのが普通であり、大仏様は大きいものと錯覚していた自分に気が付いた。

大仏様は大きさではない。仏様を守護する仏事の固有名詞である事に気づき、我ながら先入感と教養の無さと無知を恥じた。

近くに住みながら鎌ケ谷大仏の由来も知らず過ごして来た事に、遅まきながら自分で自分を戒めた。

高さ1.8mの墓地の中にあるのでさらに目立たない。安永5年に大黒屋(福田)文右衛門が先祖供養のために、江戸神田の鋳物師多川主膳に造らせたものと伝えられています。
 古く「小金道」と「木下街道」が交差する現在の大仏十字路には鎌ケ谷宿があって栄えていました。大仏駅から延命寺までに問屋1軒、旅籠6軒があったそうです。  


★★坂上二郎の脳梗塞・お笑いコント55号のリハビリ人生! フエっフエっへ・フエっフエっへ

2006年05月25日 21時51分12秒 | 闘 病
小生、薬の使用上から就寝時間の不規則が通例となり、ラジオの深夜便を聴く機会が多くなった。それもNHKのみである。

今朝も四時頃うつら・うつらしながらラジオのスイッチを入れた。坂上二郎の声が暫くぶりだったため、つい聞くともなしに耳を傾けた。

2005年9月友達の医者と看護婦でゴルフコンペ中、急に脳梗塞に襲われながらも、何カ月か前から舞台を8回も務めるまでに回復したそうだ。そう言えば暫く見えないなと思っていたが・・・

入院中のリハビリの苦しさ辛さを面白く・可笑しく話す。幸い医者との行動が幸を奏したらしい。左手に痺れが残るものの順調に回復し欽ちゃんと舞台を共にするまでになった。あの「フエっフエっへ」の笑いは今だ健在である。
 

・萩本欣一に「車椅子でも舞台に立て!」と、そっけなく言われ酷く憤慨した。あれは「欽ちゃんの」いじめだったフエっフエっへ。欣ちゃんのリハビリに専念させるための励ましだった事を後で知り、感謝したと言う。                           

・確か、あの「牧村伸二」に「心に太陽を」をと励まされたことが、心から励みになったらしい。

・ 電話帖のつばを付けずのメクリ・豆粒数え等のリハビリの苦しさは、想像を絶する リハビリだつた。フエっフエっへ。

・歌は歌手・カラオケが好きで、「あいうえおお」・「生麦生米・・・」の早口言葉・しゃべり方のリハビリを経て「憧れのハワイ航路」の18番が歌え・声が出た時の嬉しさは、ひとしおの喜びだったと言う。・・上手い事は承知していたがウンウン分かる!・右脳・足に来なかったため、右手利きに幸いした上手い事は承知していたがと言っていた。フエっフエっへ

小生もリハビリ中の病を忘れて、あの調子でしゃべりまくるので、つい大きな声で1人笑いをしてしまった。ロレツは廻るが未だ本来の話に抑揚がないような感じがする。
妻が「なーに」と驚き小生の方を見た。しかし「寝言」と思って寝入ってしまったようだ。当然である未だ朝の4時である。       

あのコント調でしゃべりを続けるものだから、つい吹きだしっぱなしで1時間余で目が冴え、そのまま布団を抜け出した時、時計は未だ5時だった・・・

二郎さんも「苦労したなー」と思いながらも改めてリハビリの重要性を再認識した。たいした回復力だ。「1日2ℓの水を飲みなさい」との医師の指導が有り、話しの途中に「ググッと飲む音」がする。フエっフエっへと笑いながらも、当然に、妻・息子のサポートへの感謝を忘れなかつた事は言うまでもない。

 「古希からの、坂上二郎の50年の復活」とし創刊しているそうだが、読んでみようかなー・・。欽ちゃんと歩いた、台本が有って無いようなアドリブ・・・

寝る前・起きた時のリハビリを継続、左手の痺れが取れた時が完治であると言い切った。
  
 今までの苦労と今後の活躍と舞台の盛況を祈念したい。
 地元が熊本で凱旋も計画中ーとか・・・頑張れ二郎・欽ちゃん

 ★小野小町は山形県それとも秋田県出身なのー?

2006年05月24日 09時08分59秒 | 癒  し
朝の日本放送のラジオ番組の中で、鈴木杏樹の五分コラムが放送されていることは既に承知のことと思う。・・・・コラムというのかなー?
 
小野小町にフカクノモノノ少将(?)という男が結婚をしっこく迫って困って居たと言う。

小野小町は、余りにしっこく迫られるため為、山形県に帰ってしまったという。
しかし、山形にまで追いかけて来て結婚を迫られた。

そこで仕方なく小町は「1日一本100日間、欠かさず薔薇を植えることが出来たら、結婚をして上げても良いですよ」と結婚を承托したと言う。

喜んだ少将は「せっせと」毎日薔薇を植え続け99本まで植え続けた。

ところが、もう一日一本で大願成就と言う日、天候が悪く川が増水橋が流され水死してしまったという。

それを聞いた小野小町は大変悲しんだと言う。

以上がこのような内容の話だったがような放送だったが疑問が何点か残った。
 ・小町は実在の人物だったのか?
 ・フカクノモノノ少将とは、何者だったのか?
 ・小野小町は秋田の生まれ・それとも山形の絶世の美人で教養もあったと聞いた  事がある?
 ・一生結婚出来なかったのは、体に欠陥が有ったとも聞いたことがある?
  
何が本当だったのか、実在の人物だったのか、我が無知・教養の無さに不足に腹が立ち、サイトを開くと様々の昔話・伝説に類する話に過ぎないような事が書かれている。

時代は平安時代が確実のようだが、その他の定説はなさそうだ。鈴木安寿も美談に終始した部分を捉え放送したかったのだろうと・・・・

★病と「薬副作用の恐しさの教訓」

2006年05月21日 05時17分35秒 | 闘 病
先日、頭部表面の「もやもや?(術後の顔面神経から来る痛みのない後遺症)?」解消のため、担当医師に相談「近くで専門医師いないですか?」と相談、某医学博士の院長に紹介状を書いてくれた。
早速予約を取り1週間後に訪問。紹介状には書いているというものの、院長に今までの経緯を話し情報を得るのが目的。[もちろん縄おを掴む思いからだ]

院長はパソコンを脇に置きながら何やら打ち込んで居た。最後に「投薬を1種類朝・夕に変更するように」と28分の投薬を受け帰宅した。早速、次の日から定められた方法で服用。ところが次の日になってどうも胸付きを覚え体調が変だ。
 
早速院長に状況を説明したところ「夕分1錠を減らしてくださいと」の指示で減らす。しかし、症状は益々酷く、嘔吐が3日続き胆汁まで出る始末。
どうやら「おかゆ」まで食べれるように回復したかのように感じて起き上がった途端、嘔吐は続き、頭部までパニック状態。これでたかった。

院長に電話したところ「元の薬に戻すように」の再指示受け。・・・・分からないなら分からないとハッキリいって欲しい。(怒)

その内に自家用車・救急車と家族みんな大騒ぎする始末。最後的に息子の自家用車で夜間救急で1時間の点滴を受け一件落着の顛末。
 
 後日、院長曰く残念ながら「貴方にはこの薬は不適合、担当医と相談して下さい」の残忍な一言。
 
「今の医療最前線の進歩」とは言われながら手術等のハード面は進歩したかも知れないが、しかし後遺症のような不明病については余り研究が進んでいないような気がする。
他病院紹介からか詳しい検査器具など使ってくれない。「何が医学進歩」と疑いたくなる。他の後遺症で悩み苦しんでいる人達は沢山いるはずた。

医師から「命が助かっただけでも運が良かったとしなければ・・・」と言われてお仕舞いである。(怒)
 
 何箇所と大学病院等を転々としたが、他の担当医の手を付けた者には、冷酷無比、という事で、余り検査もおごそかで片ずけられているような気がしてならない。
 医者全員がそうとは思わないが、小生が大学病院周りで肌で感じた感想である。
医師間のカルテを共用する事はできないものだろうか。現在医者間のコミニケーションはなく電話一本するわけではない。
患者本人からすれば、プライバシイどうのこうのと言う以前の問題よりもも痛切である。・・・自分勝手だね(笑)

病院に紹介状持ち歩くたびに同じ説明がつきまとう。
 薬の副作用で一週間苦しんだ経験が、教訓が残っただけで病状は改善されて分けではないし、感じられることも無い。

一生付き合って行かなければならないと諦める分けわけには行ず、唯・唯、家族に感謝・友に感謝、同様病の情報提供者に対する感謝と自分が癒されるのみである。

★余談
今回、少子化時代・老人増加に対応した改革とは言え改革とは名ばり、弱い者いじめの欠陥改革としか感じられないのは私だけだろうか・・・・
 内容は分かるが、止む終えないのだろうと「これも自己責任」と納得させようっと(爆)
    
 


・・・日本一時間にルーズな県・地域は?・・・

2006年05月16日 22時01分20秒 | 癒  し
今朝寝ぼけながらラジオを聴いていたら、日本の電車は秒単位で運行されているのに「日本で一番、時間にルーズな県・地域は日本の何処でしょう?」という質問があった。
 
沖縄県民には失礼かも知れないが「沖縄県」であるそうである。

宴会・寄合い・会議があると、時間どうり全員が一緒に集まったことが絶対ないそうである。絶対という言う事は、その人の言うことを信じれば本当なのだろう。
 
例えば、7時集合と言われると5ないし10分ぐらいは当たり前、9時ごろ集まって来て当たり前の顔をしている者もいるという。
 
沖縄から東京に就職した者が5分・10分と毎日送れて来るので、見るに見かねてチーフが注意したという。
 注意された本人は「平然とこのぐらい遅れたってと、不服顔をしたという。」
 新入社員であれば、少なくともむ30ぐらい前に出社し、新社員なりの行動が当たり前なのが通常である。
 
日本の電車は何秒単位で運行するのが当たり前、2・3分遅れると駅員に文句をつけたりする・・・これが日本である。
 外国では電車来るまで平然と何時間も待ち続けるという事を聞いた事がのがある。

地域性とは面白い物である。
当たり前と思えば当たり前、自分達のしている行動が当たり前と思っているからである。沖縄も外国並みなのだろう。
 
誰も攻めることは出来ない、日本には、何処何処時間と言うものが必ず存在する。

沖縄県民には、沖縄県民の地域性がある。セコセコせず生活する事が「長寿日本一」を達成に一役買っている要因があるような気もする。

しかし、「日本一ルーズ」と指摘されると何か複雑な気持ちである・・・。

いよいよジーコジャパンの日本代表決定。ドイツW杯ではこんな噂が立たないような行動と健闘にエールを送りたい。