平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

(8)再処理のコスト

2006年03月06日 | エネルギー問題
六ヶ所村(8)

原子力発電は商業発電です。これまで原子力が利用されてきたのも、原子力が水力や石油に比べてコストが安いからです。

各種の発電のコスト比較
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data1012.html

ところが、再処理をすると、直接処分よりもコストが高くなることが判明しました。総合エネルギー調査会・原子力部会作業部会がコスト比較のデータを作成していながら、それを公表しなかったのです。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2004_17.html

ここでも、日本の政治・行政につきものの隠蔽体質がかいま見られます。

アメリカの試算でもやはり再処理のほうが高くなると計算されています。
http://homepage3.nifty.com/radioactivewastes/jastjj/page_2/article_4.htm

再処理は、希少なウラン資源をできるだけ長く使うために行なわれるはずです。しかし、再処理しても、発電に使用できるプルトニウムはせいぜい3割程度増えるだけだといいます。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/kanazawa.pdf

この程度では、エネルギー資源問題の根本的解決にはなりません。利用効率を3割程度、高めるために、膨大な資金を投入し、消費者に今まで以上に高い電気を買わせ、環境に大きな負荷まで与えてまで、再処理をする必要があるのかどうか、疑問のあるところです。

ウランを半永久的なエネルギー資源として利用するためには、どうしてもウランの99.3%を占めるウラン238を効率よく燃焼させる高速増殖炉を実現しなければなりませんが、これがはたして実現できるのかどうか、よくわかりません。

原子力大国のフランスでさえも、高速増殖炉建設の意欲が低下して、計画が見直されています。その理由は、

(1)技術的困難さ。
(2)高速増殖炉が軽水炉に比較して高くつく。
(3)世界的に核軍縮が進む中、むしろ余剰プルトニウムの処理が問題になっていて、高速増殖炉によって更にプルトニウムを増殖させる必要がなくなった。

という3点であるようです。
http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/03010505_1.html

しかし、ロシア、インド、中国のように、現在でも高速増殖炉の研究を続けている国があり、日本も開発を断念していません。

高速増殖炉のことはさておき、プルトニウムが余っていて、地元の反対のためにそれをプルサーマルでどう消化するかの見通しも立たない段階で、しかもコストが割高で、エネルギーの自立にもつながらないというのに、はたして余剰プルトニウムを増やす再処理を急いで開始する必要があるのか、非常に疑問です。まず、現有のプルトニウムをきちんと消化する見通しを立ててからでも遅くないと思います。

このままでは、再処理でプルトニウムが増えるからプルサーマルをしなければならない、という本末転倒の事態になりかねません。六ヶ所村を理由に、原発の地元にプルサーマルを迫る、というやり方です。本来、プルトニウムの増加がいやならば、再処理をしなければいいだけです。

繰り返しますが、再処理+プルサーマルによって、電気料金が下がるという見通しはありません。むしろ電気料金は高くなると見られています。

ダムでも高速道路でも、いったん計画が作成され、それを実施するシステムができあがると、それに事業を依存する政府機構、官僚、企業、研究者、労働者が生まれ、その事業が役目を終え、もはや必要なくなっても、それをなかなか中断できないという日本の悪しき慣習が、ここでも作用しているような感じがします。


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