ようたといっしょ。

視点と物の言い方がちょっと不思議な男の子。
小学生となった息子の記録。

ようた、たんじょう。その2

2008-02-23 21:46:30 | ようた、はじまり。
腸の動きも良くなく、腸をガスが通ると激痛が走る。
何度となくガス抜きをしてもらうが、良くならない。
腸の動きをよくする為に処方してもらったのが
『にんにく注射』
スポーツ選手などがやっている例のアレだ。
お尻にブスッと刺された。
あーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ
あれぇ?そんなに痛い?」と看護士さん。
痛いの痛くないのって全く知らない痛み!!

シンジラレナ~イ

2回も打たれたのにかかわらず、MY腸は動きをみせない。
どうしたらいいんだろう…
ほとほと困り果てたある時、水分は取ってよいのかたずねてみた。
食事制限されていたので、白湯を少しずつ飲むだけにしていた。
「水分は取って構わないよ~」
これだ!
普段から1日2リットルの水を飲む私。
明らかに水分不足で腸が動いていなかったのだろう。
確信した私は、お見舞いに来てくれる途中の友人へ
シキュウ ミズ カッテキテチョ』とメールを打った。

2リットルペットを買って、その友人は訪ねてきた。
早速、飲む。飲む。飲む。飲む。

キターーーーーーーー

キタキタ来ました、ドカンと一発!
懐かしい開放感…
そこからの私は怒濤の回復をみせ、何とか退院にこぎつけた。
ただ、退院まで時間がなかった為、母乳指導などは突貫で進みます。
『本能でどうにかなる!!』と慌ただしく退院したのでした。
ちなみにようたの世話をする私を見て看護士さんが
経産婦さんだっけ?」と。
いえいえ、初産、ずぶの素人でござんす。
しかし、ようたに初めておっぱいをあげた時の喜びは
忘れられません。嬉し涙を流しながら授乳したっけ。

思い返すに、両親や家族の協力がなかったら乗り越えられなかったかも。
実家での里帰り出産を選んだのは、今まで親不孝だった私の
唯一の親孝行になるのではないかと思ったから。
しかし、フタをあければおんぶに抱っこ。
70歳を目前にしながら12時間勤務の夜勤をこなしながら
毎日見舞いに来てくれ、あれやこれやと世話をしてくれる
両親のバイタリティーには感服しました。
退院後にはさらに両親のありがたさを感じたのだけど…

退院後のようたのお話はまた次回に…

ワタシ、この入院ですっかり痛みに弱くなってしまいまちた

追記
お見舞いに来てくれた友人達、
お祝いのメールをくれた友人達、
本当に嬉しかったです。
改めて、ありがとうございました。
あなた達は私の宝物です。





ようた、たんじょう。その1

2008-02-23 16:08:55 | ようた、はじまり。
2007年11月14日午後0時26分。

私のお腹からようたは取り出された。
予定超過から1週間。
下がらず、大きくなりすぎた為の帝王切開。
わりと痛みに強い私は、脊髄麻酔3本も
「このぐらいなら」と耐え、切開を待つ。

恥ずかしかったのは足むくみ防止加圧ソックスを
(医療用で白く、のばすと太ももまである)
履いたまま、全裸で手術台にあがったことだった。

まるでセクシーダンサーではないか!!

超ハズカシ~っ!でもおもしろ~い自分!
麻酔も効いてるんだかいまいちわからないまま
切開開始。あ、痛くない…
でも胃と腸が引っ張られてヘンな感じ…
かつて盲腸で経験した感じだけど、今回は違う。
あの時は盲腸が誕生。
しかし今回は待ちに待った我が子が出てくるのだ。
先生達の雑談を聞きながらぼんやり待つ。

どのぐらい経っただろう。
「お母さん!赤ちゃん出すからお腹押すよ!」
グイッグイッと押される感覚の後、
…ふにゃぁ…ふにゃぁ…ふんぎゃぁ~!!!
ようたの泣き声が聞こえる。
「お母さん、見えますか?」
普段メガネがないとほとんど見えない私。
手術中外していたメガネをかけてもらって呼びかける。
あぁ~…ようたぁ…ようたぁ…
赤黒くてもちのように四角く大きな頭がのったようた。
先生も開口一番「こりゃフローティングだわ!」
(フローティング=赤ちゃんの頭が骨盤にセットされず
お腹の中でプカプカ浮いている状態)
頭おっきい~…お父さんそっくり…
3618kgのビッグベビー、ようた誕生。

12時に手術室へ入ったから、
ようたが出るまで26分しかかかってないんだ。
しかし、その後の処理に時間がかかった。
ようたが出るまでは少し気持ち悪いぐらいだったのが
後処理中のつらいこと、つらいこと。
吐き気はするのに出ないわ、
とにかく例えようのないつらさだった。

お腹の脂肪が邪魔して縫合に時間かかっちゃってたみたいだし

本当につらかったのはその後から。
その日の夜は激痛で目が覚める。座薬の鎮痛剤が効かない。
点滴に入れるよく効く鎮痛剤は4時間以上空けないと使えないらしく、
使える時間まで時計をじっと見つめながら痛みに耐える。
脂汗でびしょびしょになったシーツとパジャマを
看護士さんに何度も交換してもらう。

熱が下がらず、結局ようたと同室になれたのは退院の2日前。
点滴漬けの日々が続く。
血管が細く、出にくい私の手はもう刺す所がなく、青あざだらけだった。

長くなったので今回はここまでで…