北関東ばんがいち

ネットの極地に住む、ダメ大学生が日常と社会を淡々とつづるブログ。ネットで会ったおもろい人紹介アリ

「推定林間」という悲しみ

2007-02-01 11:43:22 | 社会とかそういうことについて
ああ、この国の「右」というものはどうしようもないほど劣化したのかも
しれないとつくづく兵庫の無職のブログを読むたびに思う。
勿論、この国の「いま、ここ」を肯定して生きざるを得ない弱者としての
自分は心の何処かで「そこまで酷いはずはない」と思っているんだけど。
http://bluelong.exblog.jp/4484509#4484509_1
あえていうけど俗に言われるコヴァ板の三大デムパのうち、一番「ビョーキ」
として深刻なのは推定林間だと思う。ファー様は明らかに家庭環境に問題が
ありまくるのが見え見えだし(実家が生長や統一なんじゃないかなあ、実家が
宗教どっぷりで歪んで育った結果ああなったような気がする)、長野粗大ゴミは
親が家から放り出せばまだどうにかなると思う。
ヤナギサワ大臣だってアレは良くある失言・暴言の類だし、むしろあそこで
問題にすべきなのは背景としてああいう発言を生んでしまう日本の厚生労働
行政そのものなんだけどそこまでいかず簡単に左右の対立軸に飲み込まれて
しまうのがなんともある種の「業」を感じたりするけれど。

さて、林間の「ビョーキ」についてだ。
本人以外殆どのヒトが気づいていると思うけど、林間の持つ言語・思想空間は
とてつもなく奇妙だ。その場その場で保守と革新の言語が無造作にパッチワーク
され、その制御システムとして80年代的な価値相対主義が自覚無く取り入れられ
ている。別に「保守」と「革新」、ウヨサヨのアリスゲームに囚われないことは
決して間違っているわけではない。むしろオレもどっちかっていえばそういう
人間で、人間として「痛い」人間がいれば左右問わず自分の言葉でできるだけ
批判するようにはしている。だが、林間は其の自覚が著しく欠如しているような
気がする。
例えば、丸山真男を「戦後民主主義批判」の言語で批判したと思った数行後に
本居宣長を「政府(幕府)に批判的な文化人」として持ち上げたりすることや、
明治時代を持ち上げるために「江戸時代の絶対的な身分制度」などとぬけぬけと
言ったりする辺り酷く思想的な混乱がありありと把握できる。いや、本人と
してはそれらが「整合性に欠く」ことさえ気づいていないのかも知れない。
だとすれば、とても哀しいことだ。

思想的な一貫性の無さ、と言うのは一般庶民が共有する感覚だとオレは
思っている。だから普通の人は四様フィーバーに熱狂しつつ北朝鮮を批判
したり、吉野家の牛丼喰いながらブッシュをアホ扱いしてこき下ろしたり、
中国産野菜を買わないのに中華料理を食べたりする。ウチの親なんて革命が
起きれば資本主義の犬として首を切られる小役人に過ぎないのに議員の
金の問題にテレビの前で怒ったりする。まあ、オレはあえて突っ込まない
けどね。少なくとも徒労だし、むしろそうやって一貫性がない方が一般人と
しては健全なのかなあとは思ってる。
思想的一貫性を意図的にあいまいにして庶民派ぶるエリートは嫌いだが
誰とはいわんが。どこのマスゴミとはいわんが
明らかに党派性があるのに見せないフリをして金も持ってないフリをして
誤魔化す輩は正直言えば腹が立つ。まだ「衆愚」と言い切って憚らない
保守の方がまだ誠実だと思う。それがまあオレが「いま、ここ」を
少なくとも今日のこの時点では肯定する理由の一つだけど。
それはともかく、その一般人の一貫性の無さが、戦後なんだかんだ言って
自民党の長期政権を維持し、革命が起きなかった大きな理由なのかなとは
思っているけど。
ただ、これでいえば推定林間は立派な庶民に過ぎない。まあ、オレも
所詮春からリーマンだから庶民なんだけど、その庶民に過ぎないはずの
推定林間はまるで周りを「衆愚」のように見なして我が物顔で振る舞える
空間を求めている。
コレはものすごく哀しいことだと思う。

昨日の三島とチャップリンに触れたエントリもそうだろう。
本質的に民主主義を実感できなかった三島と、戦後赤狩りによって国外追放
されたチャップリンには成人男性という共通点以外あるのだろうかw
まあ、三島の作品を「飜馬」を中心とする四部作ぐらいしか読んでない
オレにどうのこうの言われたくないかんしゃく起こすとか言い出すだろうけど
チャップリンの「独裁者」だって、意地の悪い見方をしてしまえば本質的に
ハリウッドの工作映画に過ぎず悪の枢軸とアジった現在アメリカ大統領と
大差はない(多分ウィキ辺りには載ってると思うけど、この後赤狩りで
アメリカ追放になったとき、本人はかなりアメリカという国について
理不尽な国だと思ったらしい。ちょっと記憶はあいまいだけどそんな
文章を目にした記憶がある。むしろこっちのエピソードの方が推定の
主張との整合性は取れると思うのだがどうだろうか)。

元祖氏が言ってたけど、推定林間ってブログ時代の犠牲者なのかも
しれんね。オレみたくブログがチラシの裏だって判ってるわけじゃなくて、
ブログを更新することによって分泌業への道が開かれると本気で
考えていそうな辺り。
思想家や堅い分泌業、あるいは学術研究者になりたいのなら、知識はなくても
しっかりとした「自分の考え方の軸」を持たなきゃいけないのだとオレは
大学行ってしみじみ思い知ったけど、推定林間はまだ判らないらしい。