平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

子供の頃、教科書の載ってた図

2015-07-07 17:40:33 | 韓国の悲愁
この写真は当時
当時とは
日本が朝鮮半島を統治する前の頃

欧米の新聞に掲載された風刺画、



その大和の男の住まいの反対岸、
川の向こう岸に大世帯の家族が住んでました。
家なのか、洞窟なのかわからないような住まい、
トイレもなく、
水道もなく、
勿論電気もなく、
着ている物は粗末で、
字も書けず読めず、
産まれた女の子は売らなければ生きていけない悲惨な状況、

一族は喧嘩ばかりして、
その日暮らしの
野生の動物みたいな生活をしていました。

その一族の隣の大地主、
露一族はこの一族の土地を狙って、
その一族にあれやこれや仕掛けて来ていました。
もうその一族は崩壊寸前、
そんな時期、

遠くから二人に紳士が大和を訪ねて来ました。
英一族と米一族、
その紳士二人にあの家の面倒見てくれないか?
と大和は相談を持ちかけられました。
勿論、
最後に残っている娘も大和が貰ってくれ、

我々も西の方で
露一族には手を焼いている、
露の野心を砕かねば、
あの一族は滅んでしまう、
あの一族が滅んだら、
次は大和を狙って来るのは必定

大和の男は、
お人好しで、

『焼き栗を拾わされような形、』

仕方ないなあ~
大和は元来が働き者、
面倒みも良く、
その娘の一族全員の面倒を良くみました。
家を建て、
トイレを造り、
家の前の道路も造り、
水も引きました。
病気のおじいさんには医師を、
子供を売るような事も禁止させました。
子供達には勉強を
大人達には農作業を教え、
働く事の大切さを教えました。
喧嘩もしないように教えました。

みるみる間に、
その一族は見違えるような生活振りをするようになり、
隣の大地主はその一族の土地を奪う事を諦めました。

その後、
大和はその一族の面倒をみる事を辞め、
川を渡ってその一族の所へは行かなくなりました。

しかし、
しばらくしてから、
その一族から娘の手切れ金をくれと催促が来ました。
大和は一年の稼ぎの大半をその一族に渡しましたし、
その一族のところの残して来た財産も全てその一族に無償であげました。
その一族はその大金で、
工場を造り、大和から技術も教わり、
大儲け出来るようになった、

これであの一族も独り立ち出来るだろう、
大和はホッとしました。

しかし、
その一族は大和のところにチョクチョク来ては
物を盗んで行きました。

また、
最近になって、
なんやかんやと難癖をつけてお金をせしめに来るようになりました。


もう、ほんと困った一族だ、