本当の私は身体ではない。
頭ではそう思っていても、習慣で、身体という私が見ていると思っています。
身体の一部の目が風景を見ていますが、本当の私は目が見ているものを認識しているのです。
身体が見ているというのは、すべてに距離があり、離れています。
でも、本当の私は距離も時間もないのです。
宇宙の始まりから終わりまで時を越えてあり、ここから宇宙の果ての果てまでひとつながりである私。
私は身体の感覚を通して、この世界に気づいています。
でも、目を通して見ると、笑った私が見ている、怒った私が見ているというように、
感情を伴った心が見ているように錯覚してしまうのです。
そして、その心が私だと思うのです。
笑っても、怒っても、変わらないものは、
シンプルでありながら、深遠であり、はかりしれない私。