風に乗るつばめの歌

日々の出会いは神様からの贈り物

年の終わりに

2016-12-31 06:26:40 | 日記

今日は大晦日。

今朝は早くに目が覚めました。

お布団の中でゴロゴロしながら、いろいろなことに感謝をしてみました。

呼吸ができること、今、生きてここにあることから始まって、この世界のさまざまな彩りに感謝をし、

この世界を認識させてくれる意識に感謝をしました。

 

たとえば、目が見えていることに気づけなかったらどうでしょう?

音が聞こえることが認識できなかったらどうでしょう?

この意識がなかったら、世界は存在しないのです。

じゃあ、世界は早朝の暗闇のようにまっくらなのかな?と思いましたが、まっくらと認識することもできないのです。

 

同様に、気づいている意識は、身体の中と外の空間ともつながっています。

だから、意識がないなら空間もないのです。

空間のない世界なんて、考えることもできないでしょう。

 

いつも普通に当たり前のように存在しているもの。

それが奇跡だとしたら、この世界のすべては奇跡です。

奇跡を成り立たせているもの、それがこの意識であり、すべてをつなぐ無条件の愛です。

無条件の愛は、すべてをつなぎ、すべてとともにあり、離れることはありません。

この世界のどのような存在も、いつも神の愛とともに、祝福とともにあるのです。

 

その祝福の中で、時を刻み、今日という日を迎えることができたのですね。

この素晴らしかった1年に感謝します。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 


目が覚めて

2016-12-26 07:06:29 | 日記

今日も目が覚めることができました。

目が覚めて、目を開くことができて、この世界を見ることができました。

音が聞こえてきます。この世界の音を聞くことができました。

無事に呼吸ができます。

手を動かすことができます。

住む家があって、温かい暖房もあります。

太陽が昇ってきて、この世界に朝が訪れました。

 

こうしてこの世界を認識できるのは、意識があるおかげさまです。

見る時、聞く時、感覚を味わう時、いつもそこには変わらない意識があり、五感を認識しています。

意識がなければ、電池が切れたように、この世界に気づくことができず、五感を味わうこともできません。

 

意識があることに感謝します。

そして、意識こそが本当の私。

いつも身体や心が自分だと思い込んでいますが、本当の私はいつもすべてに気づいている神さまなのです。

 

すべてにありがとうございますというまなざしで見る時、その感謝は神さまに向けられています。

神さまはいつもどんなこともすべてを無条件に受け入れてくれているのです。

 

 

 


しあわせって

2016-12-23 07:19:49 | 日記

おはようございます。

今朝も早くに目が覚めました。

目が覚めて、布団の中でごろごろ、身体を伸ばしたり、曲げたり、幸せな時間を過ごしました。

うれしいこと、楽しいことがあると、その出来事がいっぱい思い出されます。

いやあ、しあわせだなあって。

 

でも、ときどき、その湧いてくる思いは私ではないのだと気づく。

すると、その背後にある空間に、思いが湧いてきていることがわかるのです。

ああ、私とはこの思いではなく、すべてとつながる空間のほうだったのだと思う。

 

この空間は、すべての出来事を、思いを、いつも無条件に受け入れてくれています。

それは無条件の愛。

世界はいつも無条件の愛とともにあって、すべて受け入れられている。

実は私とは、いつも変わらず、動いたこともない無条件の愛だったのです。

 

 


ニュースを見て、

2016-12-11 06:59:53 | 日記

今朝は早くに目が覚めました。

会社に行く時は、早くに目が覚めても布団から出られません(笑)

でも、お休みの日や楽しみなことがある日は、早くに目が覚めて布団から出てしまうのです。

 

最近、ニュースを見ていて、ひどいなあ、悲しいなあということが多かった。

ある時、そのひどい、悲しいという思いがまるで小さな小さな竜巻みたいに感じて、

時々、ありますよね、土の上を落ち葉がぐるぐるっとまわる感じ。

その下にある、いえ、それそのものとともにある愛、

そこに意識をフォーカスすると、さっきまで強く感じた思いがくるくる舞いあがる軽いものに変わっていました。

 

ああ、私はひどいなあ、悲しいなあと思っていたんだな。

しかし、私の思いも、そのニュースも、いつも神様の愛とともにあったのだな。

この世界のすべては愛とともにある。

愛でつながっている。

そのひとつながりの愛を思いながら、ニュースで伝えられた現象に、しあわせでありますようにと手を合わせました。

すると、私は心配から笑顔に変わっていました。