Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

突然ですが、ブログをお引越しします。

2009-08-03 21:26:15 | Weblog
実は2009年8月5日より、私のサロンの名前が
『ヒーリングサロンGrace』から『Healing Salon 千寿音』に変わることになりました。

その移行にともない、ブログも新たに開設することになりました。
(下記をクリックしてもらうと、新しいブログのページが開きます。)

hthttp://blog.goo.ne.jp/senjyunon/
  


思えばこのGraceのブログを初めて、この8月で1年。
私が【常陸参り】で体験したことを、ご縁のある方に、お伝えするよう天より指示されて始めたのがきっかけでした。

ちょうど1年経ったことで、何かが一つ、終息したのかもしれませんね。


私自身に関していえば、おととしの誕生日から始まった大きな変容の時期が、2年がかりで終わりを迎え、
やっと新しいサイクルに入れたような気がしています。
 

とはいえ、すべてがすっかり新しくなり、それまでのご縁が全部切れてしまうわけでもないような…。
今の自分に合わないものは去るのですが、
切れないご縁などもあり、
それは、同じものに対しても、
変化した自分だからこその、新しい係わり方が出てくるということなのかも知れません…。


例えば『物部白竜神社』。
祝詞に関してはお陰さまで、7月28日でなんとか無事勤め上げることができました。

( ※ この神社は名古屋のJR千種駅近くにある小さな神社なのですが、実はここに、【尾張の要石】があったのです。
見つけた時は、本当にびっくり!!
【常陸参り】の折、【要石】とは鹿島神宮と香取神社だけのものと思っていた私にとってこれは驚愕の事実。
まして、こんな名も無いような(…ごめんなさい)小さな神社になぜそんな大切な?ものがあるのか、
なぜ一般に知られていないのか、
なぜ【物部】が関わっているのか、謎ばかりでした。)


参拝時に神様より
『祝詞を上げてはもらえまいか?』
と、仰せつかったため、その後、108日あげることになったこの祝詞。

いつものことですが、【祝詞がどういうわけで必要】とか、【何のために頼む】とかの説明は一切してもらえないので、
ひたすら、もくもくと言われたことをやり続け…。

でもやって行く内に、わかってくることもあり…。

…この108日間で体験した内容については、ちょっとまだ書くことができませんが、
ともかく大変な【行】?!だったとだけは言えるでしょうか…。
それも、まだ完全には終わっていない感じなのが、内容を書けない理由の一つで…。
思えば
【常陸の要石】…あれからどうなっているのでしょう…。
【尾張の要石】と全然無関係に終わる感じがしないのはナゼでしょう…。


もともと熱田大神(ヤマトタケルノミコト)さまのお申しつけで、オトタチバナヒメさまのためにと言われて出かけた常陸。

そこで出遭った鹿島の【要石】。

一つの段階が一通りの終息を迎えても、よりバージョンアップして続いていく何かがここにもある感じなのです。


まあ、そんなこんなで、ともかく5日よりサロン名が変わり、ブログも新しくなります。
ホームページも新たに『千寿音』で開設されていますので、
興味のある方は、新しいブログのブックマークから、覗いてみて下さいね。


そしてこれまで『ヒーリングサロン Grace』にお越し下さった皆さま、
このブログを読んで下さった皆さま、本当にありがとうございました。

そしてまた、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
エネルギーアップした『千寿音』にも、是非一度、足をお運び下さいませね。






どうなる!梅干!

2009-07-31 23:24:47 | Weblog
私が梅干を漬けようなどと、らしくない行動をしてしまったせいでしょうか…。
7月に入ってから、ほとんど雨ばっかりで、梅雨は一向に明けず…。

週間天気予報見たって、この先も、名古屋だけは向こう1週間、ずっと曇りのぐずついた天気なのですよ…。
全く、トホホ…です。


一体いつになったら、梅を【土用干し】できるのか…。

干さなきゃ、梅干になんないじゃん!

土用は【今日】だったらしいし!


このまま行くと、お盆までもが梅雨空かもと思ったりもし…。

これは由々しき問題ですぞ。
でも何にもできましぇん。

毎日ひたすら、空を仰いで、天気予報ばかり見ております…。



「初めて漬けたのよ~!梅干にしたいのよ~!お日さまお日さま出て下さい~ッ!!! 」って、
【雨乞い】ならぬ、【晴れ乞い】したい気持ちです。

ほんとに、トホホだよね…


今日は『アハウ』 太陽の日。

2009-07-22 20:57:01 | Weblog
マヤの暦で【黄色い太陽の日】である今日、皆既日食がありました。(面白い偶然?ですね。)

私も自宅で、僅かな時間でしたが、雲ごしに、欠けた太陽を見ることができました。

そしてその間、大したこともないのですが、お向かいの空き地で、4回ほど雉が鳴きました。
ここに住んで10年あまりですが、雉の鳴声を聞き、姿を見たのは2度目でした。
ちょっとびっくり!


さて、皆既日食は素晴らしき天体ショーで、見れるにこしたことはないのですが、
例え天気の都合で見られなくても、
天空で太陽と月と地球が一直線上に並んでいることに変わりはなく、
エネルギー的には、その事実が大切な気がします。

黒い太陽が見えなくても、その瞬間、その地域に月の影が落ちていることに変わりはないのですし…。


『マヤの13の月の暦』をみると、今日はいくつかの周期の終わりが重なっており、
まさに、何かを終わらせるのに最適の日だった気がします。

そして【再生】という言葉があるとおり、終わりは新しい始まりでもあります。


…ということで、今日以上に私が重要と思っている日が、明日、7月23日。

明日は、『赤い龍の日』で、【創始】のエネルギーに満ちています。
今後の人生の目標を定めたり、新しい取り組みに着手するのに最適の日だと思います。

特に今回は、日食のあと。
その効果は、いつもより大きいものとなる気がしているので、このエネルギー、
是非活用してみて下さいね。










今日は『カウアク』 雷の日。

2009-07-21 10:47:44 | Weblog
 
  私はカウアク
  
  聖なる紫青(あお)き 神のイカズチ

  大いなる愛をもて あなたに変容を促す



  この一撃から逃れられる者はいない

  私はあなたの囚われを打ち砕き 灰塵と化す

  その苦痛は苦痛に非ず それこそが幻想



  私はあなたに自由をもたらし  あなたを気づきに駆り立てる

  失われたものに すがりつくのはやめなさい


  失われたもの=すでに変容したもの  なのだ

  いつか そこに祝福があったと知るだろう




  わたしはカウアク

  変容を促すもの

  あなたの情念を燃やし尽くし  あなたを純化させるために来た

  不要なものを脱ぎ捨て  あなた本来の輝きを解き放つのだ


  私はあなたを 次なる段階へと 強く押し出す



  私はカウアク

  至高なるものからの 大いなる祝福

  恐れることなく 委ねなさい

  
  その先に 至上の喜びが  微笑みながらあなたを待っている


        
                        ▲  参考文献 『マヤン・オラクル』



 ※ カウアクの日は浄化がキツク出ることが、多々あります。
   流れのままに、
   キツイ人もキツクない人も、波乗りを楽しみましょう

                

                      
  
  

臓器移植。

2009-07-15 12:48:51 | Weblog
先ごろ、新しい臓器移植法案が衆議院で可決されましたよね。

あれってホントにいいんかぁ?
と思っているのは私だけでしょうか…。

大多数の人は、「まあ、いいんじゃない?!」って感じか、「他人事で興味なし。」
って感じなんでしょうけど、
ほんとにそれでいいのか…。


法案を可決させた議員さんたちは、もちろん人間の霊的側面など、考慮されていないことと思う。
宗教的、あるいは倫理的にどうか?ということは考えたにしてもね。


でも私が知る現実では、人の身体はそれ自体に意志や記憶を持つ。
どの細胞の一つ一つにも、その人の今までの全生涯プラス先祖の記憶も保持されている。

他人の臓器を自分の体に入れるということは、提供者の遺伝的性質や身体的能力、
はては、カルマの部類に入ることまで引き受けることになり、肉体的にも霊的にも2つの人間が融合することになる。
もはや、それ以前の自分では、なくなるのである。

臓器はただの、【有機的部品】ではないのだ。


「そんなことはどうでもいい」と思う人は多いかもしれない。
それで健康になれるなら、それで子供の命が助かるのならば…。


もちろん私も人の子の親なので、自分の子供が難病だったりすれば、何としてでも助けてやりたいと願うだろう。それが人の心情だ。


でも、臓器移植に関しては、どうしても足が止まってしまう…。


臓器移植には必ず提供者がおり、
ということはつまり、心臓病の赤ちゃんが移植を受けて助かるためには、
どこかで、別の赤ちゃんが死ななくてはならないということだ。

不幸にも、亡くなってしまった命の身体を、せめて病で困っている人のために役立てようと言う気持ちは気高い。


だが人間は、我欲から離れることは困難だ。
病気になれば、移植を受けて元気になる日を心待ちにするだろう。
でもそれは裏を返せば、自分が助かるために、他人の死を願うことになりはしないか。

小さな命を助けようと、募金活動など支援をすることは尊いと思うが、
提供者の命の重みは考えたことがあるだろうか、
もしくは自分が、自分の家族が提供者になることを、考えたことがあるだろうか。


もともと病気というものは、偶然になるものではない。

そこには必ずなんらかの意味がある。

まず、それが何なのか、病気が私に何を教えようとしているのか、ということに気づいたりすることなく、
ただそれから逃れられればいいという考えでは、何の根本的解決にもならない。
ましてそこに、意識的でないにせよ、他人の命を奪ってでもという気持ちが加わるのであれば、これは手放しで応援できる話ではない。
所詮きれいごとかもしれないが…。



他に、私が今回の法案で問題だと思うのは、本人が生前、臓器提供を拒否していなければ、
家族の同意でその決定ができるということだ。


肉体を離れても霊的には人は生きている。
自分のからだを提供するのを、嫌がる人もいるだろう。
(まあフツウはそんなの確認しようがないけどね。)


みなさんは、臨死体験というものをご存知だろうか?

数分、もしくは数時間、場合によっては何日もたってから生き返る事例が世の中には幾つかあり、
その間にその人が体験した世界を、生き返ってから語ったものが臨死体験だ。

もちろんそんなことは滅多にあることではないし、
生き返っても何も覚えていない人のほうが圧倒的に多いと聞く。


それはさておき、今回考えていただきたいことは、
死後の世界があるかどうかということではなく、一度死んでも、生き返る人がいるという点だ。

それは心臓死の場合だけのことなのだろうか…。
脳死の場合は生き返る、もしくは回復することはないのだろうか…。


これを言っちゃあお仕舞いかもしれないが、医者の中には、移植手術をしたいばかりに、
提供の決断を急がせる人もいるかもしれない。

特に大学病院などの大きな病院では、研究の目的で人体を扱うことも多い気がする。


(話はそれるが数年前、私の祖母が肝臓ガンになり、いつ死んでもおかしくない状態と診断された時、
その個人病院の医師達は私たち家族に、ある手術をさせろとせまった。
その手術の内容をしつこく聞いてみると、治すためのものではないという。
治る見込みもないのに、無駄な手術をして、これ以上祖母に痛い思いをさせる気はありませんというと、
では明日ににでも退院して下さいと言われた。
自宅で死にたいというのは祖母の意思だったため、そのまま家に連れて帰り、
近くの開業医に毎日診察にきてもらうことにし、3ヵ月後祖母は息を引き取った…。)


医療知識のない、殆どの人にとって、医者の言葉は絶大だ。
医者がもう助からないと言えば、そうだと信じる。
けれどそれは絶対なのだろうか?!

生きることのできた命が失われることは、絶対ないのだろうか?


臨死体験に話を戻せば、ナゼだか生き返った人は、全く健康な体になるという。

(かくいう私の曾祖母は、ある時心臓発作で心肺停止状態になったのだが、電気ショックで蘇生。
すると、なぜだか持病だったリュウマチが、完全治癒。
それから7年ぐらい元気に生きて93歳で亡くなった。)


私は脳死のことはよくわからないため、懸念だらけになってしまう。



ちなみに、私の体験では、肉体と霊体のコードが繋がった(要は死んでいない)状態で霊体が体から抜けると、
両方の感覚を感じることができる。(←誰にでもあてはまるかどうかは、分からない。寝ている間に意識だけが別の領域に飛んでいくのとは、また別の話。)

例えば手なら、4本ある感覚になりどれもリアルだ。
それですごく混乱する。

その状態で肉体に危害(臓器を取り出すなど)を加えられれば、霊体(意識)は痛みを感じるのではないかと思ったりもする。

脳死でコードが完全に切れるのかどうか、私にはわからない。

しばらく時間が経って、肉体が完全に生命を失えばコードも切れると思うけれども…。



もう一つ気になるのは、【臓器売買】の問題だ。

闇の市場はあると思う。
命が助かるのならば、金は惜しまないという人が見込まれる中、これは公にならないビックビジネスになりうる。

大人が、自分が食べていけなくて腎臓を片方売るなんて場合は、ある意味本人の意志でもあり、
相当ひどいことだと思うが、致し方なしの側面もある。


でも今回、子供も、公に臓器移植が認められたため、アメリカのみならず、【日本市場】も広がったことになる。
要は臓器売買ビジネスにとって、大きく需要が見込まれる可能性がでたということだ。

これにより貧しい国の子供たちが、さらわれたり、人でなしの親によって売り飛ばされたりして、
いわゆる人身売買の餌食になり、悲惨な目に合わされたりしないか心配なのである。

【貧しい国の健康な子供】が、【裕福な国の病の子供】のために命を落とすなどということがあってはならないし、
お金で、人の命が量られることなど、あってはならない。


命は尊い。
でも、肉体だけが生命なのではない。


そもそも臓器移植とは
そういう視点もよくよく考えた上で、決めるべき法案だったと思うが、
果たして十分だったのだろうか。


小さな命を救う方に賛成した方が、いいイメージとかいう理由で手をあげた、
なんていう議員がいないことを祈る。

そして何かことが起こったとき、涼しい顔で「これは想定外でした。」ということのないように…。


そしてできれば、この法の制定により、悲劇の起こることのないように、
救われる命は救われて、
みんなが幸せに暮らせますように。

※ 大いなる視点からみれば、なんの間違いも失敗もないんだけど(←例えば、死ぬのは寿命)
 現世的には、やはり、悲劇も実在するのがやっかいです…。







日食、月食の占星学的意味とは?

2009-07-10 12:28:09 | Weblog
先日8日にアップした私のブログを、エンジェリックデザインさんがご自身のブログ
『インスパイア・ノート』でご紹介下さいました。
ありがとうございます。

ブログには、日食月食の占星学的意味などが綴られており、
私も初めて知る内容で、とても興味深く読ませていただきました。

人間は地球上で生活しているのですが、当然、太陽や月、その他の天体のエネルギーの影響も受けます。
これは考えてみれば、しごく当たり前なこと。
天体のエネルギーが今、どのように自分達に作用しているのか知っていれば、
よりスムーズに、人生を楽しめるはず。

エンジェリックデザインさんのブログはいつも、【運気アップ法!】など、
今からすぐに役立つハッピーな情報が満載で、キラキラ天使パワーにあふれています。


私のブログのブックマークからホームページに繋がりますので、
みなさんも是非尋ねてみて下さいね。

去るべき人は去る。

2009-07-08 10:39:25 | Weblog
人には寿命というものがある。
これ即ち、生れる前からの魂の契約で、海外旅行に例えれば【帰国日】
とでもいうべきもの。

人生とは、ひとり一人、それぞれの魂にとって、最善の旅程が組まれているわけなので、
もし飛行機事故に遭ったって、それが寿命でない人は絶対に助かるのである。

そもそも【死】というものは【終焉】ではなく【変容】の一過程でしかない。
そこに、【肉体的苦痛】やら、【愛する人々との永久の別れ】が絡まったりするので絶望的事象に感じられるだけで、
それらがなかったら、現在の一般的認識とは全く違うイメージになるにちがいない。
去る時がきたら、苦痛なくサッと肉体を抜け出てエネルギー体となり、好きなときに、
家族や友人と会ったり話せたりできるのであれば、【死】は、そんなに受け入れがたいものではなくなるはずである。


実際、魂にとっては【死】は【肉体からの解放】であり、素晴らしく自由を感じる出来事でもある。
でも肉体にとっては当然【大事件】(←だって消滅するんだから)だし、
最大の【恐怖】であり【惨事】だ。
絶対に受け入れられないし、何としてでも【阻止】したいというのがフツウである。
それが【生存本能】として、DNAの中に埋め込まれているためでもあろう。


そうやって見ていくと、(かねがね思っているのだが、)本当に人間とは複雑な存在だ。

肉体には肉体の意志や思いがあり、内在する魂には魂の意志や思いがある。

今生以外の記憶にしたところで、祖先の体験(DNA)によるものと、魂の体験(前世の記憶といわれるもの)がある。
(←それがその人の考え方やこだわり、トラウマなどになっていることもよくあるので、
ヒーリングなどの場合は、原因がどこからきているのか、見極めることになる。)

感情も右に同じ。

それに加えて、想念などは自分以外の、外から受信したものを、自分の考えと思っていることも多いので、これまた複雑。

スゴイ気が滅入る時など、自分のせいでない時もあって、もしやと思い除霊すると
スッキリ元気になったり…。
誰でも気づいていないだけで、大なり小なり同じような目にあっている。

そんな様々な側面が、ひっ包まって、取り敢えず一つになっているのが人間。
そしてそこに【聖なる自己】も内在しているんだから、こりゃ大変なこと。


そうして突き詰めていけば、
そもそも人とはなんぞや、本質的には個人なんて存在するのだろうか?
すべては幻影か?
というとこまで話が飛ぶことになるので、それはこの辺でやめておこ。

今日は「去るべき人は去る」がテーマだからね。


話しを戻すが、
たとえば昨日はエネルギー的にみて、【解放】の力が強かったと思う。
こういう日には、去るべき時期を迎えている人は去っていきやすい。
まさにエネルギーの流れに乗っていくわけだ。

さっきも書いたけど、【死】は本来恐れるべきものでもなければ、忌むべきものでもなく、
自然の流れの中にある。

地球の波動上昇が起きている(と言われている)昨今、
それにつきあって、自分の波動をあげていく選択をしている人もいれば、いない人もいる。

私の考えとしては、はっきり言って多分、地球についていかない方が楽だと思う。


波動を上げるということは、自分の意識のみならず、体の波動も上げていくということで、
これが本当に大変なのだ。(私にはそう思われる。)

体の中に入っている、例えば心の傷といわれるような、様々な思い込みや感情を手放し、変化していくことの大変さ。

自我は肉体とセットなので、当然徹底抗戦、
(自我は未知なるものを嫌い、あくまで保守的。
過去のやり方で今まで生存してきたのだから、それが一番安心と思っている。
また他人と自己は別物というのを真理と決めており、何をやってでも自分を生存させようとする。)
する中を、血を吐くような思いをしながら進んでいかねばならぬ時のしんどさを考えれば、
肉体を離れた方が、ずっと話は早いというわけだ。

この、生きてがんばり続けるか、死んで楽?するかは、
残念ながらもちろん自我が決定できることではなく、
生れる前から決まっていることなので、
逆に言えば、留まるべき人は何としてでも留まってしまうのである。
嫌と言おうが、しんどかろうが。


もちろんそれは、罰ゲームなどではなく、魂の崇高なる意志のなせる業。
解放に取り組み波動をあげていくプロセスが稀有な体験であり、
その度に得られる自由や達成感が、何より素晴らしいものだからなのだろう。

そうしてハートを開き、深い愛や慈悲を体得した人々は、次なる進化に向かっていくことになるらしい。


『だから今生きている皆さん!がんばりましょう。
この道は、苦しいことがあっても祝福の道なのだと信じて、辛いことも乗り切りましょう。
乗り切る力を持っている人々が、今生きている人々です。』

って、いつも天?から言われてる私だけど、これがなかなかね…。
やっぱり、身は重い…。体重過多のせいとも言えるが…。


そして私が、もしかすると今年中で1番しんどい日かもと思っているのが、
今月7月22日の皆既日食の日です。


いろんな【終焉】のサイクルと【日食】が重なって、エネルギー的に【超える】ことを余儀なくされる気配。
もちろんそれぞれの個人レベルでより高い?状態に突入していくことになるんだろうけど、
それを阻むエネルギーなり何なりを現在持っている人は、
当然それを解放しなくちゃならなくなるので、結果キツイ体験になるかも…。

ということで、今からでも、要らぬものは小まめにサッサとゴミ出しして、
スッキリしておきたいもの。

エネルギーワークで瞑想するのもいいけど、自分をキレイにしているつもりで家の掃除をしたりするのも効果的だと思う。
床なんか、雑巾で磨くとかなりイイ気がする。

そしてもし、嫌な体験が起こってきたら、それがチャンス!!
いつもの感情や対応に陥るのではなく、【解放】が起こっているのだと静観することで
エネルギー的にも【お掃除完了】となることでしょう。 ガンバ


  ※ お陰様で昨日の赤シソは、きれいな赤紫に発色し、今のところ
    梅干作りは順調に進んでいます。がんばるぞ











初の梅干づくり。

2009-07-07 11:10:27 | Weblog
なんてまだ下漬けしただけなんだけど、水が上がってきたので今日あたり、
赤シソを加えるつもり。

キレイな赤紫に発色してくれればお慰みなんだけど、
きのう赤シソの葉を、けちって1束しか買わなかったので(←無農薬の物だと、1束480円もした。)
まずはスーパーに買い足しに出かけなくてはならない…。
(帰宅後本を再度読み返したら、1キロにつき赤シソは最低1束は必要とあり。
私は、今回2キロに挑戦している。)


ここ数年、毎年この季節が来るたびに、梅干をつけなくちゃと思ってきた。
そろそろ亡くなった祖母にもらったものが、底をつきかけていた。

こういうことは、本来母から娘へ、代々受け継がれていくべきことと思うのだけれど、
これに関して我が母は、もっぱら『ガンバ~レ♪』と声がけするばかり。
『梅干完成したら、ちょうだいね。』とも言っている。


「なんでお母さん、梅の漬け方、おばあちゃんから教えてもらっておかなかったのよ!」
と抗議すると、

「だっておばあちゃん、わしが漬けるからって言って、教えてくれなかったんだもの。
いつまでも生きるつもりだったのかしらね…。」
だって。
この母はそういう人だ。


私は料理もほとんど母からは教わっていない。編み物やお裁縫などの手芸は、
すべて祖母から習ったし、
料理は料理学校で学んだ。(←でも苦手)

今だから言うが、学生のころ、母の作るお弁当は不味く、
『今日は購買でパン買って。』
と言われるとすごくうれしかった。

とはいえこの母、手仕事系が何も出来ぬ人というわけではない。
結構器用に何でもこなす人だが、人に教える気がないというのか、
伝統(大げさ?!)に関心がないというのか…。
私がキライだっただけという話も…。(←でもそれは、お互い様)


まあ、そういうわけで、
私はひとり、本を頼りに【初、梅干づくり】に挑戦しているわけである。


家族や自分の健康の為と思ってやっているのだけれど、
これまた当の家族が、またまた【手作り】に関心のないヤロウ達で…。

私って恵まれないかも…と思ったりする今日このごろでした。

誕生日あれこれ。

2009-06-30 15:20:01 | Weblog
私の誕生日の6月28日が過ぎてもう2日。6月も終わろうとしている。

当日の朝、目覚めると同時に、生れて初めて、自分を生んでくれた母への感謝の気持ちが口をついて出てきた。
自分でもび~っくり!!
母のことを、
殺してやりたいほど世界で1番憎い相手と思っていた頃を思うと、随分な変化だ。
それだけカルマの解消が進んだってことかな?!
なんとしても今生で、最悪の関係を終わらせるべく、親子になってるらしいので。

さて予定どおり、温泉にも行ってきた。
下呂温泉は日本三大名湯といわれるだけあって、お湯がとてもいい。
夫の腰にも本当に効いたらしく、本人も楽になったとニコニコ。

天気予報では、雨とか曇りになっていたけど、すっかりいいお天気で、ドライブしてても、とても気持ちがよかった。

毎年この時期は梅雨で雨が多いのだが、私の生れた日は、ピーカンの晴れだったらしく、
気象庁には申し訳ないが、以後ほとんど毎年快晴である。(その前のことは知らないけど…)


下呂から中津川に向かっての帰り道、付知峡温泉で足を止めた。
ここにある温泉施設が、源泉駈け流しでとてもお奨めと母に聞いていたため、
どんな所か下見に行こうという話になったのだ。

『付知峡温泉』という看板に従って、右折しようとした時、突然気配?を感じて後ろを振り向くと、
背後に大きな鳥居が、ば~んとそびえ立っていた。
ありや~と思い、そのまま無視しようかとも思ったけれども、飛騨の鎮守さまらしかったので、
今日お邪魔させていただいたお礼のご挨拶に、伺うことにした。


車で鳥居をくぐって少し行くと、駐車場に出たので、そこからトコトコ歩いていくと、
なぜだか人がたくさんいる。
はて、こんな村のお宮に昼間、こんな人がいるなんて…。
観光目当ての参拝客でもないだろうし…と思っていると、本殿前に【茅の輪】があるのが目にはいった。

「こんな時期に【輪くぐり】なのかしらん…でも早すぎじゃない?!」
と夫とコソコソ話しているうちに、境内に椅子まで並べ始められた。

そこですかさず夫が、

「今日、なんかあるんですか?」と、
ピシッと背広をお召しになられた年配の男性に声をかけると

「今日が、大祓いの最終日なのです。これから神主さんがみえて、神事がはじまります。」
と言われたのだった。

(大祓いの神事?!)
と耳を疑った私。思わず聞き違いかと思い、2度も聞き直してしまった。

(なんで今日が大祓いの日なの?ナゼ私の誕生日?!
なぜ私たち、ここに来ちゃったの・!うちの地元では毎年7月の終わりに行われるのに、ナンデ?)

でもこの神社では、毎年この時期に行われるとおっしゃられていた。

まあいいけど。

どうぞお参り下さいと言われたので地元の方々の邪魔にならぬよう、そそくさとお参りさせていただいた。


不思議だったのは、人の形のまばゆい白光だけが感じられたのと、その時、風がピタリと止んでしまったことだ。
【ゼロ磁場】という言葉が頭に浮かんだ。
いつもながら、よくわからない。


…このところ【大祓い】にはずっとご縁をいただいている。
46歳も【大祓い】で始まり、続いていくのかと思うと、少しげんなりした。
私自身が選んでいるのであれば、それも致し方なしなんだけど。


さてうちのお宮の今年の【輪くぐり】は、7月28日だそうだ。
奇しくも、物部白竜神社への祝詞の最終日と重なることとなった。
これもまた縁??

去年は、この【輪くぐり】に出かけた際、熱田大神さまより神意を賜わり、常陸へ赴くことになったんだったと、思い出した私。
(輪くぐり畏るべし?!)

…なんちゃって、
神事としては、病役を祓っていただき、夏を元気に乗り切るためのものなのだから、恐れるものではないんだけど、
(今年は参加するの遠慮しとこうかなぁ…。)なんてね、少しビビリもし…。


誰でも誕生日には、天から特別の祝福のエネルギーが注がれるって聞いたことがあるんだけど、
毎年、どう特別なのかわからない私。

やっぱり、両親に感謝する日なのかなぁ










初 ETC。

2009-06-25 15:18:15 | Weblog
さきごろ、うちの車にも、やっとETCが設置された。ディーラーに頼んで早2ヶ月。
付くまでに、こんなに待たされるとは思わなかった。


待望の週末が来て、ちょうど名古屋にいく用事があったので、早速環状線を走ってみた。
ゲートをくぐる時はホントに開いてくれるのか不安で、慎重にショロショロ走ってみたが、
ちゃんと通れて一安心。
「おお~!」っと、こんな事で歓声をあげてる私たち夫婦ってカワイイ?!

で帰宅後、今日の料金は?と、教えられたボタンを押してチェックしてみると、
全然安くない?!!

そうなのよ。環状線とかは土日1000円の適用はなかったのよね。
いや~それくらいは、私も知ってたんだけど、何か別の割引があるってニュースで言ってなかったっけ?!
まさか全然とは…。ちょっとがっくり。


それでというわけでもないけれど、先週の土曜には、【若狭】にドライブに行ってみた。
高速料金はちゃんと片道1000円になってたので、素直に嬉しかったんだけど、
ナゼかただではすまない出来事に巻き込まれ…。
最近はフツウに遊びに出かけるだけのつもりでも、結果、そうならなかったということばかり…。

ちょっと問題?があるので詳しく書けないけど、若狭湾に遊びに行きたい方は、
美浜原発のそばになるとはいえ、やはり水晶浜付近をお奨めします。
海もそれなりにキレイで明るい。(エネルギー的にも)

人知れず静かな浜があるかもと、マイナーなところを探索することなかれ。
若狭はどうも、並々ならぬ場所らしいというのが、私たちの今回の感想。

すべてご縁だし、人によって関わるレベルも様々だろうから、一概には言えないけど…。

そんなこんなで次の日曜はリベンジも兼ね、私の誕生日でもあるから、
温泉に連れて行ってくれるとのたまった夫。
珍しいこともあるものだと思っていたら、
実は会社の同僚から、下呂に腰痛によく効く湯があると聞き、自分の腰痛を治しに
自分が行きたいというのが本音らしい…。
そんなことだと思ったよ。

ちょこちょこお出かけの続いている6月。
世間に遅れてる田舎者の私たち。
もう少しするとETCの感動も薄れ、出かけなくなると思うけどさ。
割引になるとはいえ、タダじゃないんだからね。