Graceのスピリチュアル日記

ささやかな日常とスピリチュアルな出来事。その中で得た気づきなどを楽しくシェアする日記。

早起き。

2009-06-10 12:42:20 | Weblog
最近の私は早起きだ。
もちろん私にしてはということだが、まあ、5時台には起きている。

何故そうなったかといえば、例の、『物部白竜神社』への祝詞のせいが大きい。
目覚めてまず、『脈間とプラナのプラクティス』をして、ヨガして、祝詞してとゴタゴタやっていると、
すぐにお弁当を作るタイムリミットがやって来てしまうため、やむを得ずそんな毎日に。

幼稚園のころから朝起きるのが辛くて、登園拒否(←でも行かされたけど)
だったことを考えれば、信〜んじられない進歩!!!
早朝の氣(エネルギー)は身体に良いらしく、これで私もようやくその恩恵に預かれることとなり、何ともありがたい次第だ。
これでやっと人並みの人生か…?!
  ※ この辺は田舎なので、6時にはほとんどのご近所さんは起きている。
    真夏ともなれば、5時半頃にはそこ此処の畑から、耕運機の音が響いてくる。


そして、休日の朝など時間に余裕のある時は、ついでに瞑想もしてみる。
色々やり方はあるけれど、
自分の主要なチャクラに光の玉を描いたりしていると、それぞれ容易に光輝く所とか、暗い感じやイマイチな所があって面白い。


先日もどうもお腹のチャクラが元気なく、肉体的にも気持ちが悪かったので、マリアさまに、
「これ、どうしたんでしょう?!」「なんで、ムカムカするのかな?」と聞いてみたところ、

『魔界からのコードが胃のところについています。これを取り除きましょう。』
と言われた。


そういわれて見てみれば、なるほど、バキュームカーのホースのような、太くて汚れたチューブが、
がっしりと私のお腹にはまっている!

(いつのまに…*?)

と思ったけど、実はこれ、今まで気づいていなかっただけで、ずっと以前より付いていたものらしかった。

霊視?にも色んなレベル(側面)があり、これまでの私には、見えてなかっただけのようだ。


早速作業に取り掛かったが、このコード、中々やっかいで、
太い木の根のように、しっかり私の胃に絡み付いているので、
急遽、ミカエルやラファエルにも手伝ってもらい、やっと取り除くことができた。


ようようとコードが外れると、あら不思議!
それまでぼんやりだった太陽神経層が、パアーッと光りを放ち出したではないか。
(おお〜!!明るいじゃん!)

知らぬこととはいえ、それまでの人生、随分魔界にエネルギーを吸い取られて生きていたことが分かった瞬間だった。

(こんなことになってたなんて!マリアさま、もっと早くに教えてくれたら良かったのにぃ!…)
とまたまた、ばちあたりなことを呟く私のお口…。


なんでも、【時】と【場】があるわけで、自我がラクするようにコトは動いてくれないのが常なのだ。そうなのだ。そうなのよ…。


というわけで、私の中で、パアーっとなってるチャクラがまた一つ増えた。
でもまだまだ手ごわそうなのもある。
然しながら最近は、【すべてが最善】というモードが、しぶしぶながら身に付きつつあるため、
「だからどう?!」とも思わぬ私だった。
別段偉くもなんともないけど。


トラックバック (0) | 

勉強不足…(善光寺のつづき)

2009-06-01 21:13:52 | Weblog
さっきブログを書き終えてから、あらためて善光寺から持ち帰ったチラシをみていたら、【善光寺縁起】という箇所が目にとまった。

それによると、
その昔、インドで、阿弥陀如来によって娘を病から救われた長者が、不信心を改め仏教に帰依。
そして、如来の姿をこの世にとどめ、終生お仕えしたいという長者の願により、
釈尊と阿弥陀如来が一光三尊阿弥陀如来を出現させたとのこと。
その長者亡き後は、如来像?は百済に渡り、聖明王の手で祀られていたが、仏教伝来とともに日本へ献上される。
その折一旦は宮中に迎えられたものの、
仏教を日本に受け入れるか否かの争いの中、物部氏によって難波の掘江に捨てられてしまう。
そしてそののちのある時、信濃の住人、本田善光が堀江を通りがかった時、
その如来に呼びとめられ、
「お前は天竺の長者、百済の聖明王の生まれ変わりである。」
と言われたそうで、
すべてを悟った善光、如来を背負って自宅に持ち帰り、手厚くお祀りしたのが善光寺の始まりであるとのことだった。

それで、善光寺はいずれの宗派にも属さず、すべての人の往生極楽の門として、
また現世の安穏を与えて下さる、大慈悲の如来を祀る寺として、
広く信仰を集めているのだそうだ。
「如来さまとのご縁を深められ、心に安らぎと、力強く生きる力をいただいて下さい」とチラシには書いてある。


今回のように、7年に1度ご開帳になるのは、【前立本尊】という鎌倉時代につくられた仏像で
本尊は秘仏で見られないため、身代わりとして拝まれるようになったものらしい。
その仏像は、一つの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、独特のお姿。


そして、例のあの柱は、【回向柱】というもので、
前立本尊の如来の右手に結ばれた金糸が五色の糸にかわり、白い善の綱として、その柱に結ばれているということなので、
柱に触れることで前立本尊に触れたことと同じになり、ありがたき結縁が生れ功徳が得られるという図式らしい。


柱に綱が付いていたのはこういうわけで、その先があの【金ぴか】の仏像に繋がっていたというわけだったのだ。


ふ〜む、なるほど。
なんか色々、わけがわかった気がする。

ようは人々は、ここに極楽往生を願いにくるわけなのだから、
寺に、我欲を願うパターンの願掛けとは違う空気が流れていても当然。
ひいては、阿弥陀様とのご縁をいただいてより平安に強く生きたいと願うのならば、自ずと落ち着いた神妙な心持ちで列に並ぶのも道理。

もともとの本尊(秘仏)が、仏師によって彫られたものでなく、仏の力で物質化されたものというのも、アリガタミが大きい所以か。
(←実際、そういうエネルギーからの物質化現象は可能と、私は思っている。)


公開されている仏像が、その伝説の本尊でないのに、
それだけの功徳があるのかどうかというところに疑問が残るが、
そこは信じる者は救われるとの言葉もあり、それはそれでヨシということ?

仏像といえど、一つのツールには違いなくて、結局それを通してエネルギーが伝えられたりするわけだから、
人の手で作られたものでも、それなりに役は果たしているということなのだろう。

阿弥陀さまの横に観音さまがおいでになる仏像というところも、ミソかも。
ちゃんと仲立ちしていただけるっていうことだからね。


加えて、恥ずかしながら戒壇めぐりの意味も、このチラシで初めて知った。
なんでも、本堂床下の暗闇の回廊を手探りで巡り、如来の真下にある錠前に触れる
と極楽往生が約束されるのだそうだ。


         

いや〜勉強になりました。
お参りに来てた人はみんな、スムーズに極楽に行きたかったわけなのね。
知りませんでした〜。

でも、心配しなくてもみんな極楽にいけるんだよ。
というより、自分の波動と共鳴する世界にしか行けないんだよね。
地獄は人の思い込みが作り出したものだから、行かされるところでないし、
ふつうの人は、一番自分にとって居心地のイイ世界に行くことになるから
その人にとっての極楽に行くと言えるんじゃないかな。

と思うけど、お参りしたい人の邪魔をする気はありませんです。ハイ。



        



でも本当のところをいえば、この寺のチラシを読んで、私の心に一番心に引っかかったのは、
仏像を捨てたのが物部氏というくだりだった。

実は現在、(この4月からなのだが)わけあって、『物部白竜神社』に向かい、毎朝祝詞を上げている。
総じて108日間、奏上して欲しいという神様よりのお達しだ。
躊躇したものの、結局、謹んでお引き受けしたのだが
これが中々わけありで、また、日にち的にも長丁場であるので結構キツイ…。

なんせ神様との約束ともなると、「出来ませんでした」は絶対通用しない。
何が何でも、必ず毎日、できる限り決まった時間に遂行しなくてはならない。

(そうか、仏像を捨てたのが物部氏だったのか…)
と思ったとき、それが今回善光寺に行かされた、隠れた真の理由だったのかもと感じた。

なにはともあれ、現在は物部氏とご縁をいただいているようで…。
物部氏は尾張氏の祖先でもあるらしく…。
知らぬこととはいえ、数年前に物部氏の本宮である神社に、ふらりと参拝した経緯もあり、
その時なぜか、身を保護するための光のネットと、金の千鳥を繋げた首飾りをいただいていたということも考えると、
今回のこの祝詞の奏上は来るべくしてきたものとも思われ…。


人間の私にはわからないことだらけだけれど、とりあえずやる事はやらないといけないので、
出来る限りはがむばらせていただきます。

寺から始まっても、なぜだか神さまに行き着いてしまう私だった…。







トラックバック (0) | 

ババ連のお供で善光寺。

2009-06-01 17:47:27 | Weblog
おととい、長野の善光寺へ行ってきた。
実家の母が、親戚のおばさん達と出かけるから、私も行かないか?と誘ってきたのだ。

善光寺には全然興味がなかったけれど、なんだか行くことにした。
意識されない部分で、行くことが決まってた感じとでも言うのか…。

日程は愛知からの日帰り強行軍。
朝7時出発。
ご開帳最終日の前日の土曜とあって、道路も渋滞。
到着したのは11時ごろだった。


さすがの人出に驚く…というか、
まず、本堂前に建てられている巨大な柱に触るのに、5人ずつの列に並んでおとなしく、ひたすら忍耐している人々に驚いた。
どうやら1時間半待ちらしい。

私からみれば、あんなものは只の木の柱だ。(←口が悪くてスミマセン)
沢山の人が、念を込めてペタペタ触った柱など、恐ろしくて触る気にもなれない。
自分にとって好ましくないものを、かえって身に受けるのがオチだ。

逃げるように、柱の横を足早に通り過ぎ、ご開帳なる仏像を拝見しようと本堂の中へ。

ここもスゴイ混雑。
戒壇巡りのため、お金を払って待つ人々でひしめきあっている。

それもやりすごして、いざ仏像を!と思ったが…仏像はいずこ?!
金網の?柵の、向こうのはるか向こうに【金ぴかに光るもの】が見えるだけ。

柵の中には、これまた人がいっぱい坐っていて、この人たちは、きっとなんかのお金をはらって、参拝?御祈祷?してもらってる人なの?!
戒壇巡りの人の列が、仏像の近くを歩いて通りすぎて行ってるらしいのは、遠目ながらもおぼろげに確認できる。

お参りする気は全くおきなかった。
だって、その【金ぴか】が、ご本尊かどうかも遠くてわからないんだもの。

早々に人波に押されて、ごった返すお寺の外へ出た。


さてもさても、不思議なもんだな〜と思った。

もともと【阿弥陀如来】は、波動が高すぎて、人間のレベルでは直接繋がることはできないと聞く。
そのため、その仲立ちをするために【観音】がいてくださるのだとか。
いうなれば【観音】には【天使】と同じような役割、【天と人を繋ぐ役割】があるということ?


帰り道でパンフレットをもらって、やっぱりあの【金ぴか】がご開帳の阿弥陀さまだったらしいことがわかったけど、
遠くで【ただピカーっと】光ってるあたりが、なんとも阿弥陀様らしくも思われて、笑ってしまった。


【阿弥陀如来】は人々の日常の願いはお聞きとどけにはなるまい。
でも、いと高きところより、光を放ってはおられる。

その恩恵を知らず知らずのうちに、人々は受けている。

でもそれは具体的に、【これ!】というものではない。

然しながら、信心厚き人は、その信じる気持ちによって、願いを現実化し叶えるであろうから、
柱を触るのだって、仏像を拝見するのだってちゃんと効果はあるのだともいえる。


一番感心したのは、場の気が、【良くも悪くもなかった】ことだ。
ふつうあれだけの人が押しかけ、てんでに願いを申したてれば、その場のエネルギーに大変な乱れを生ずる。
膨大な我欲の想念が吹き荒れるわけだから、
ピーピーガーガー大音量で不協和音が鳴り響いている、家電量販店の中を歩いているような状態になってしかるべき。

なのにココではそれがなかった。
場のエネルギーが下がっていない。
いたって【ふつう】な感じ。

概ね人の心は落ち着いており、
勇み足にはなっていても、人にぶつかったりはしていても、
イライラなどの想念も感じられない。


ということは、やはり此処も、一つの聖地なのかもしれないなぁと思った。
こんな状態でも、【ふつう】を保てるのだから。
神社だったら考えられないかも…。

(まさしく阿弥陀さまのお陰かな…。)

などと思ったりしながら、
あとは門前町で、美味しい【おやき】や【栗ソフト】や【山菜天ざる】を楽しくいただいた。


帰りは、飯田の【元善光寺】にもお参りしないと【片参り】になるということで、こちらも参拝。

こちらは意外に【氣】のよいところだったので、つい正直に、

「こっちの方が、小さいけれどずっといいお寺!」と口にして、大伯母に叱られた。

そりゃそうだよね、大叔母にしてみれば、
ありがた〜いご開帳の善光寺より、小さな山寺の方がいいなんて、聞き捨てならなくて当然。

まあそんなこんなで、無事夕方には帰宅。
まずまずの休日でした。

でもやっぱり遠出は、夫と2人がラクでよいと改めて自覚いたしました。
ババさまご一連は、ご気性が様々で、何をするにも大変でござりましたのでした。





トラックバック (0) | 

モズ男は今日も大得意?!

2009-05-21 19:45:49 | Weblog
ここ数日、鶯(うぐいす)がやたらよく鳴くなぁと思っていた。

もう早春でもないのに、やたらよく透る声で「ホーホケキョ!ケキョ!」
とあたかも新人ウグイスのように下手くそに鳴く…。

それも気のせいか、高い木の上のてっぺんから声が聞こえてくる…?

(あやしい…。これはもしかして…?!)

と思っていた矢先、しつこく10回ぐらい「ホーホケキョ!ケキョ!」
と元気に鳴いた後(←普通、鶯はそんなにしつこく鳴かない)
続けて、
「ぴょ〜ろろろ、ろろろろろ〜!」
と、美声をあたり一面ににお響かせあそばした。

(ほお〜ら!やっぱり!!)


百舌鳥(モズ)とはよく言ったもの。
ほんとに鳴き真似上手です。いや〜感服いたしました。
一時はホントに季節に遅れてきた鶯かと思ったもの…。


【キジも鳴かずば撃たれまいに】というコトワザじゃあないけど、
調子づいて【ぴょ〜ろろろ】なんて鳴かなきゃ、百舌鳥だって確信できないとこでした。

まあ、モズとしては、別に人を騙そうと思って鳴き真似してるわけじゃないんだろうけどね。

ん?!それじゃあ、ナゼ鳴き真似するのかなぁ?って思ったときに、
以前みたテレビ番組で、
南米の野鳥の中には、繁殖期にメスの気を引くために、
他の鳥の鳴き真似をするものがいるという内容のものを放映していたのを思い出した。

それによると、物真似のレパートリーが多いオスほど、メスにもてるのだそうだ。
だからその鳥のオスは必死で毎年歌の練習して、数年後に初めてカップルになれるらしい…。


(百舌鳥も、もしかしてそれなのかしらん…?だからあんなにはりきって鳴いてるのかしらん…?!)


その真実は定かではないが、
今日も早朝から歌マネに余念のないモズ男。(←多分オスだろうということでモズ男…)

いつのまにか「ホーホケキョ、ケキョ!」が
「ホーホケキョケキョ!」に進化?
節回しにオリジナリティを打ち出して、休むことなく20回ほど鳴いた後に、
トンビのような「ぴょ〜ろろ」で締めくくるので、
モズ的には、もはやスゴイ芸暦になってきているのかも。
他にもバリエーション豊富に、2〜3他の鳥の鳴き真似を、新たに追加してるし。

お嫁さん探しなのか、美声に酔いしれるナルシス野郎なのかよくわからないけど、
わたし的には、毎日楽しませてもらっています。


あ、そうそう。
最近世間を騒がせている新型インフルエンザ。
対処方として、私は精油(エッセンシャルオイル)を下着の胸元(←シミにならぬよう注意して)やマスクに1滴つけるのがお奨めです。
ただし、肌が敏感な方は、直接精油に触れないように(たとえばコットンに含ませるようにして)使用する方が安心です。
それで、菌が身体に入るのを防いでくれるし、逆に他人にもうつさずにすみます。

信頼できるメーカーのオーガニックな製品なら、かなり効果が期待できると思います。(←雑貨屋さんで売っているような、お値段の安いものは、避けたほうが無難)

【ティートゥリー】、や【ユーカリ】などの呼吸器系に良く、抗菌、殺菌効果のあるものがいいと思いますが、【ラベンダー】などでも役に立つはず。

お値段はまちまちですが、1本2000円ぐらいからかな…?

ただし、2〜3時間で香りが飛んで効果がなくなるので、時々つけ直して下さいね。

私はこの方法でここ2年ほどカゼをひかずに過ごしています。
前にブログでもご紹介した【アイシスオーガニック便】でも取り扱いがあると思うので、興味のあるかたは検索してみて下さいね。

もちろん手洗いウガイも忘れずに。
ちゃんと対処すれば、恐るるに足らずの新型インフルエンザ。
今回に限らず何かの時には、マスコミに踊らされず、
今、何が起きていて、何をするのが肝心なのかを、自分で見極める冷静さと判断力をもちたいものですね。
これもやっぱり、日々の努力と精進のたまものなのかしら…?!






トラックバック (0) | 

今朝うれしかったこと。

2009-05-13 14:07:17 | Weblog
今朝いつものように庭に出ると、どこからか、1羽のツマグロヒョウモン蝶がヒラヒラと飛んで来て、
何度か私にとまりそうになりながら身体の回りをくるくるし、すぐ足元の地面に降りた。
妙に人懐っこい蝶だ。

私を恐れることもなく、そのまま静かにパタパタ羽を閉じたり開いたりしている。

今年は気候が例年に増して変だったせいか、いつもの年よりずっと蝶の数が少なく、心配していたところだったので、
単純に喜んで見ていると、ふと頭に閃くものが…。

(もしかしてお前、【あのサナギ】の蝶?!)


 急いで確認に走る!


…【あのサナギ】とは玄関脇のビオラの鉢植えにいたサナギのことだ。


   ※この蝶の幼虫はパンジーやビオラを常食にするので、本来なら駆除されるべき害虫?なのだが、
   うちでは私の独断と偏見により、その可愛いさ故、特別措置として毎年優遇、保護されている。


慌てて玄関に行ってビオラの鉢を調べてみると、羽化したあとのサナギの抜け殻がぶら下がっているのを発見!!

(ヤッター!!羽化できたんだ!!!  ヨカッタ! ほとんど奇跡!!)


そうなのだ、この幼虫は今までみた中でも一番バカなヤツで、そんな細い茎にぶら下がっちゃダメだと私が言うのも聞かず、サナギになったヤツ…。


…遡ること2週間ほど前、1匹の幼虫が、花鉢の中で、サナギになりそうなのを発見した私。
まさかと思いながらも心配だったので翌日確認してみると、しっかりそのままサナギになっていた…。
全くあきれながらも、このままではサナギの重みで茎が折れるかもしれず、何とか羽化するまでもつようにと、
やむなく応急処置として、そこらにあった小枝をセロテープで茎に留めつけ土にさし補強、毎日気をもみながら様子をみていた。

ちゃんとした場所でサナギになっても、お尻の糸だけでぶら下がるタイプなだけに、
なんかの拍子で地面に落ちてしまったり、鳥や寄生蜂にやられたりで、中々無事に、蝶になれないのを知っている私は、
その後、日々、祈るような気持ちで、早く蝶になれと声をかけてきたのだ。


それがまさか本当に、無事蝶になれたなんて!!

びっくりすると同時に、すご〜く嬉しくなった。


そして、この幼虫、
サナギの中でちゃんと私の声を聞いていてくれたのに違いなく、
だからこそ、無事蝶になれたことを、わざわざ報告に来てくれたのだと思え、
ますます嬉しくなった。


【虫にも心があって、感情もある。】
こういう体験を重ねる度に、ますます【すべては一つ】を身近に感じる今日この頃だった。


※その後その蝶は、伝え終えたことに安心?したのか、もう私にまとわりつくこともなく、どこかに飛び去っていきました。



トラックバック (0) | 

暑い…。

2009-05-09 15:20:15 | Weblog
なんでか今日はとても暑い…。暑い気がする…。こんなに急に暑いと、身体がついていかない…。
ダルダル〜ダルダル〜で早くも夏バテのように気持ちが悪い…。

ただでさえ、先日訪れた熊野のエネルギーが強すぎで、エネルギー当たりでも起したのか、ここ数日【浄化】がキツくて、へたっていたというのに…。


【浄化】は、要らないものを捨て去るゴミ出し作業のようなものだから、ありがたきことなれど、
お腹が壊れたり、悪夢をいっぱい見たり、精神的に鬱状態になったりするのは、やっぱり嬉しくはないのよねぇ。楽しくもないのよねぇ…。
見たくないもの突きつけられたりもするし。


【浄化】なんだと分かっていても、こんなにダメージ来るんだから、そんなこととも知らず、【浄化】させられている人はどんなにか辛いことでしょうね…。


そういえば思いだしたけど、こないだテレビを観てたら、作家の三浦綾子さんが生前、あらゆる病気にかかりついにはガンにまでなられた時に、
「私、神様にすごくヒイキされてるんじゃないかしら」
とおっしゃったと、ご主人がお話になってたっけ…。

人より、より多くの試練に遭うのは、自分が神により深く愛されてるせいなのだという解釈。凄いなぁと思った。敬虔な真のキリスト教徒しか、口にできない言葉かも…。

私なんかは【成長】するために、必ずしも【苦難】が必要だとは思わない方だけど、
【神への回帰】の道を、進めば進むほど、
【困難?】=【手放すのが難しいこと】【相対することに苦痛を伴うこと】
に向かい合わなければならないことも事実だったりするよね。

大体、普通は簡単なことから取り組んでいくもんだから。


何があっても、自分の中心からズレることなく、すべて在るがままに受け入れ、流していくことができるようになれば、ほとんどこの世の課題は終了したようなものかもしれないね。


さて、まだまだ【道半ば】の私は、【暑い】なんて些細なことにさえ翻弄され、げんなりグタッテいるわけです。
なんて弱っちなんでしょう…。とりあえずそんな自分も認め愛して、ご褒美にアイスでも食べさせてあげようかと考える私です。(は、は、は…。)







トラックバック (0) | 

伊勢・南紀旅行

2009-05-04 12:37:54 | Weblog
伊勢と那智勝浦に行ってまいりました。
おかげ様で毎日晴天続き、暑いくらいの絶好の行楽日和でした。

『内宮』では、丁度【春の神楽祭】があり、初めて拝見させていただくことができました。
平安朝?の、目にも美しい荘厳で煌びやかな衣装で奉納される舞、いにしえの楽器の奏でる音に、しばし酔いしれたひとときでした。



南紀では、那智の滝で有名な『熊野那智大社』と、『熊野速玉大社』へ参拝してきました。

『熊野那智大社』の【熊野古道】、すばらしかったです。
パンフレットなどの写真では、森の中の、ただの石畳の道に見えますが、
実際歩いてみると、その場の【気】の心地よさにうっとりです。
境内まで車やバスでも登れますが、是非自分の足で歩いてみてください。そんでないともったいないです。


そもそも【熊野詣】というのは、その昔、【甦り(よみがえり)】の信仰で有名だったようです。
そんなことも、なんにも知らずに、ただ滝を見てみたいという軽い気持ちで訪れましたが、
実際行ってみると、なるほどな〜と感心、納得のエネルギーに満ちていました。
『白山ヒメ神社』にも繋がるような、大きくて慈愛にみちた女神のエネルギーとでもいうのでしょうか…。広大無辺な母なるエネルギー…。

そこに行くと、それに包まれることで、
誰もがそれぞれのレベルで赦され、清められ、再生するかのごときことが起こるのかもしれません。


実際那智の滝は、日本一というだけあって、無条件に圧巻でした。
その存在の大きさに、暫らくの間、ただ無心にボーッと眺めてしまいました。

でも厳しい感じは全然ないのです。
ただただ轟きわたる水音と、しぶきの中にあって、ひたすら畏敬の念と感謝で一杯になりました。

私は無数の『仏陀』を感じ、友人は『女神』のピンクゴールドの光を感じた時間でした。



さて、アクセス的には『熊野那智大社』は、JR紀伊勝浦駅からバスで20分ほど山に入ったところにありますが、
『熊野速玉大社』はJR新宮駅から徒歩15分ぐらいのところにあります。


こちらのお宮では、現実に人々の願いを聞いてくださるエネルギーを感じました。
やはりとても優しい【気】に満ちています。

そしてご縁のある方は、そこから歩いて15分ほどの所にある『神倉神社』にも導かれることと思います。

もともとこの地の神として、原始信仰を集めていた『神倉神社』ご神体の【ごとびき岩】に対して、
【新宮】として祀られたのが、『熊野速玉大社』…。
それを知ったからには【元宮】に参拝せずに帰るわけには行かないと、予定外の展開で決死の石段登り?してきた私たち…。
いや〜最後のさいごに極めつけの体力勝負、させていただきました。
日ごろ運動不足なだけともいいますが…。

文字通りエネルギーの強いパワースポットでしたが、
ある意味、古代から今なお保全されている神域であり、軽い気持ちで行けない場所と思いました。



さて、気になる?『伊勢神宮』のヒミツ…ですが…、やはり感想は差し控えたいと思います。
伊勢には伊勢のお役目があり、それをまっとうされているのは確かなようとだけ言わせていただきます。
まあ、私個人の一つの見解ではありますが…。

参拝されるのならばなるべく早朝に、そして願いごとはされない方が賢明でしょうね。


世に見ることすべては、ある意味自分を映し出す鏡とも言われています。
だから同じものに逢っても、人によって全く別の体験になることもしばしば。
人と違うことを恐れるのではなく、また逆に奢るのでもなく、
【自分にとっての真実】を見極め大切にし、
【人の真実はその人の真実】として尊重するのが、大事なのではないかと思います。

今回の旅は神ごとではなかったので、お仕事はしていませんが、
深いレベルで沢山の恩恵をいただいた旅であった気がしています。
やっぱり最後は感謝ですね。


トラックバック (0) | 

伊雑宮・瀧原宮 その4

2009-04-27 17:19:27 | Weblog
紀勢自動車道【大宮大台インター】を降り、10分程ほどのところに『瀧原宮』はありました。
『伊勢神宮』からだと、車で30分ぐらいの距離でしょうか。
こちらも『伊澤宮』と同じ、『皇大神宮別宮』であり、ご祭神は【天照坐皇大御神】です。

美しいせせらぎに沿って植えられた、杉の巨木が見事な参道を歩いていると、
なるほど、本に書かれていた、【ミニ内宮】という言葉が納得できます。
もともとは、こちらのお宮が先に建造されたのですが、短い間で今の【内宮】にお移りになり、お鎮まりになられたとか。


さて、やはり『内宮』と同じ趣の、澄んだ谷川の【御手洗場(みたらし)】で身口を清め歩いて行くと、
ほどなくしてお社が立ち並ぶ場所に出ました。


【瀧原宮】 【瀧原立立宮(たきはらならびのみや )】 ← ※(ならび)は《立》を横に2つ並べて1文字にした漢字です。
が並んで建っており、
【参拝のしおり】によれば、【瀧原立立宮】は【荒御魂(あらみたま)】のお社らしく、【瀧原宮】を先にお参りするのが慣わしのようです。



さすがにここは、参拝の方が何人かおられ、
先の方がお参りを済まされるのを待って、まず向かって右側のご本殿、【瀧原宮】に手を合わせました。


…すると意外なことに、目の前に若々しく美しい男神が姿を現されました。
そして、その頭上には、半円の形、朝陽を逆さまにしたような形で、光が太陽のように輝いていました。

(ん?! 神様?! イケメン! でも、なんで半円?! どーゆーコト??)

お言葉は何もなかったのですが、この温かな光は、<生きとし生けるものを護り育んでおられる光>なのだ、
ということが心に伝わってきて、感謝の念でいっぱいになりました。



そして次に【瀧原立立宮】へ。

同じように、手を合わせると、今度は女神のお姿が…???
それもナゼだか、少し横たわり気味にくつろがれたご様子で、

『ゆっくりしていきなさい。 ここは【魂の浄化】が、(光によって)なされるところですよ。』
とおっしゃいました。


…やっぱり半円形の太陽のような形の光が見えるのですが、その色が、先程の『瀧原宮』と違ってオレンジのピンクがかった感じで、
例えていうなら黄昏た夕陽の雰囲気なのです。


(ふ〜む…。 なんで逆さま…? お宮なのになんで黄昏?! )
と首をひねりながら参拝を終えた私。


隣にいた夫に、
「ねえ、今の2つのお宮、どんな感じを受けた?」

と聞いてみました。すると、

「よくわからんけど、しいて言うなら、先のお宮が男で、後のお宮が女かな。」

という返事!

「私もそう思ったのよ!! 不思議よね〜?! ホントにそうなんかなぁ?
でも…アマテラススメオオミカミ様が、男神と女神に分かれてるなんてことあるのかなぁ…。
高次のレベルのエネルギー体が、2極に分かれてるなんてこと有りえるのかしら…。」


『伊雑宮』と同じく、『伊勢神宮』の別宮である『瀧原宮』。

私の中では、てっきり同じようなエネルギー体(存在)と思い込んでいたので、意外だったのです。
でも、温かで大きな愛が感じられるところは共通しているかも、ですね。


他に、参拝の折の立位置が、いつもは私が夫の左なのが、
『瀧原立立宮』では、なぜか、夫が私の左になってたという発見もありました。
立位置が、いつ逆になってたのかはわからないのです…。
いつも夫の左側を歩くのが私のくせで、そうでないと居心地が悪いので、普通では考えられない現象?でした。


(一体どういう事かしら…。なんか意味があるのかしらん…。)

誰かに聞いてみるわけにもいかず、確認するすべもなく、結局すべてはナゾのままですが、
実は隣に一緒に御鎮座されている『若宮神社』『長由介神社(ながゆけじんじゃ)』『川島神社』も謎でした。

なんの説明もありませんでしたが、なにかイワクありげな気配が…。気のせい?!


本当のことをいえば、伊勢の『内宮』自体が、私にとっては謎の場所なのです。
以前より、『内宮』は他の神社とは違うと、『内宮』には何か隠されたもの、他の神社にはない【秘密】のようなものを感じていました。

今までその内容(そこでの体験)について、何度かこのブログに書こうと思ったのですが、
書こうとすると体の具合が悪くなるので、これは触れてははいけないことなのだと控えておりました。


こんなシチュエーションの中、あさってより伊勢と那智に行って参ります。

東京の友人と、久方ぶりの再会を兼ねた、女二人旅です。
彼女は『伊勢神宮』に、【縁結び祈願】に行きたいのだとか…。
あそこの神様は、【縁結び】はしてくれないと私は思うよ、とは言ってあるのですが…。

彼女のサイキック能力は高いので、初参拝のお伊勢さんで、彼女が何を見て感じるのか今から楽しみにしています。


それにしても久しぶりの『神宮』参拝…。
なにか変化がみられるでしょうか…。

もし天のお許しがでましたら、後日またこのブログでご報告したいと思います
ある一つの意見、ある一人の体験として…。


話が飛んでしまいましたが、『瀧原宮』
澄んだ川のせせらぎが聞かれ、緑の良い香りの風が流れる、素敵なお宮でした。


【魂が洗われる場所】と、女神さまから承りましたが、心身共にリフレッシュできる気持ちのよい場所だと思います。

機会があれば、謙虚な気持ちを忘れずに、自然に対する畏敬の念と、神々への感謝の念を持って訪ねられると良いのでは


それにしても、若いカッコいい神様にお目にかかったのは、初めてだったかもしれません。なんだかちょっとドキドキでした。

なんにおいても人それぞれ、真実も見え方も違うのでなんとも言えないけど、
私にとっては真実の、稀有な体験に感謝ですね。












トラックバック (0) | 

伊雑宮・瀧原宮 その3

2009-04-23 11:08:42 | Weblog
伊雑宮所管社である、『佐美長神社(さみながじんじゃ)』は、国道167号を志摩方面に向かって進んだ信号2つめの所にありました。

道沿いには赤い鳥居があるだけなので、最初は通り過ぎてしまいましたが、Uターンして確認すると、そこに間違いありませんでした。
お社は石段を登った丘?の上にあるらしく、下からはどんな様子なのか見ることはできません。
辺りに駐車場もなく、車を停めるスペースもないため、私だけが下車し参拝することに…。

一人で石段を登ろうと見上げた時、ふと去年常陸の『オトタチバナヒメ神社』に行った時のことが思い出されました。
何だか薄暗くて、胸が重い感じがしています。

(ここも、何だか一人ではお参りしたくない神社だわ…。)と思いながらも、
気を取り直して石段を登って行くと、すぐに開けた境内が現れました。



そのままお社に向かって歩いていると、

『2人で、参らぬのか』

という神さまからのお尋ねが…。

(えっ!夫と2人じゃないとダメなの?!)

と、動揺する私…。

(でもね、車停めるとこなかったし、困ったなぁ…、どうしよう…?!)
と思って後ろを振り返ると、なんと!夫が石段を登ってこちらに歩いてくるのが見えました!!

(え、なんで?!)

「車はどうしたの?」と訪ねると

「目の前の道の先がすぐ、行き止まりだったので、そのまま停めさせてもらって来た。」という返事。


何はともあれ、2人で参拝できることになってよかったよかった、という事になり、お祈りさせていただくことに…。


こちらでは、どうも、人の想念が溜まって場が重くなってる感じを受けたので、
直感に従い、誰も他に参拝客がいないことをイイことに、大祓いの祝詞を奏上することにしました。

神様と、特にどうこうといった、やりとりも無かったのですが、
祝詞が終わりに差し掛かった時、
虹の7色にくっきりと色分けされた、直径70センチ位の光の玉が浮き上がってきて、
お社のすぐ上で輝き出しました。

よく分からないけれど、きっと何か、【OKのサイン】なのだろう思い、そこでの参拝を終わらせていただきました。

そのあと、すぐ脇にあった4つの小祠、『佐美長御前神社』にお塩を供えさせていただき、【感謝】を祈りました。
おそらくは、元々の【土地神】をお祀りされたものだろうと思われましたので…。


ちなみに、後先になりましたが、『佐美長神社』別名『大歳社(おおとしのやしろ)』、『穂落社(ほおとしやしろ)』とも申し上げるそうです。


【伊澤宮 参拝のしおり】によると、

【…倭姫命が志摩国ご巡行の際、
鳥の鳴く声が高々と聞こえて、昼夜やまないので、調べに行かせたところ、
葦原の中に、根本は一本なのに穂は千本に分かれた、一株の稲を発見。
一羽の真名鶴が、その穂をくわえて飛びながら鳴いていたため、
この鶴を大歳神(五穀の神)と崇め、この地にお祭りしたのが始まりで
地元では、地鎮、方除等の神様として、知られている…。】

とのコトでした。


一般的にはおそらく、
五穀豊穣や繁栄など祈願されることも、多かったのでは?と感じました。

そういう人々の祈りのエネルギーが溜まって、神社の場を少し重くしていたのかもしれませんね…。
お願いの為に来る人は沢山いても、浄化の為に来る人はあんまりいないでしょうからね。
でも、何でもですが、時にはお掃除しないといけないわけで…。


本日の参拝はこれで半分終わりと思うと、ちょっとホッとして、次なる神社に向かった私たちでした…。

つづく…
トラックバック (0) | 

伊雑宮・瀧原宮 その2

2009-04-19 16:12:48 | Weblog
『伊雑宮』に参拝することに決めたものの、結局ネット上では、『伊雑宮』の所在地が捜せず、困っていた時、
ふと立ち寄った本屋さんで【伊勢神宮ひとり歩き】という写真集を見つけました。
中野晴生さんという方の本ですが、開いてみると中々に神聖で美しい写真と共に、『伊勢神宮』に関する様々な諸事が載っており、
丁寧に品良く作られたガイドブックといってもおかしくない感じです。
早速購入して家に持ち帰りました。

そこには当然のように『遥宮(とおのみや)』として『伊雑宮』が載っていて、
有難いことにアクセス情報もちゃんと地図付きでありましたので、本当に助かりました。
加えて今まで知らなかった、『瀧原宮』という内宮の前身?みたいなお宮が紀勢の方にあることも知り、
そちらも合わせて参拝させていただくことにしたのです。



さて当日の朝、できれば太陽が【朝陽】と呼べる状態の時間に参拝したかったのですが、夜の遅い生活をしている私たちには全然無理で、
それでも7時前には出発できたので、うちにしては上々と思っていたのが大きな間違い…。

四日市ジャンクションと亀山ジャンクションでしっかり渋滞にはまり、『伊雑宮』に到着出来たのは10時すぎでした…(泣)

朝どころか、お昼に近い時間になってしまいましたが、風が爽やかに吹き渡ながらさわさわと大木の木立を揺らしており、なんとも気持ちよい感じです。

鳥居の前で一礼し、心を引き締めて主人と2人静々と歩いて行くと、すぐにお社が見えてきました。(こじんまりしてるんです。)

するとそこに佇む男性ひとり。
お見受けした感じでは30代後半ぐらいでしょうか?
じっと何かを見据えるように、何処かの世界へ入っておられるご様子。

しばらく待ってみましたが動かれる気配がないので、近づいて行くと、お社の脇の方へ歩いていかれました。まずはやれやれ。


お社の前に立ち(今日は何故か、お米とお塩なのよね…。)と思いながら、足元にそっと一握りずつお供えさせていただき、
2人揃って、かしわ手を打ちました。


目を閉じると、なるほど、昼間の太陽のように白く輝く大きな光が見えます。

(確かに日輪?!でもこれは、例のあのブログに、ここでオレンジの日輪を見たって書いてあった先入感から、そう見えてるのかも…?!)

と思いながらも、取りあえずいつものように、ご縁をいただけたことに感謝し、調和や最善を願って、最後は再び感謝で祈り終わりました。

その間中、優しい?滝のように、白い柔らかな光が天から降りて来ていて、瞼の裏がピッカン、ピッカンと光っており、
とても暖かな居心地の良いエネルギーに包まれているのですが、
同時に不透明な濃い藍色の光のエネルギーが地面から左周りに、竜巻のように天に向かって吹き上げているのも見え、なんだか不思議でした。
頭上ではこれもナゼなのか分かりませんが、∞(無限大)のマークも見えています。



こちらの御祭神、【天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)】様はどうみても、
さすがの高次のエネルギー体なので、言語でのメッセージは来ないだろうと思っていましたら、一言、

《己が神命を全うせよ》

というようなお言葉が響いてきました。厳しくもあり、暖かくもあり…。


これは私の心の声だったのかもしれないけど、ここに来るまでの4日間、歯痛に悩まされてたせいで、いつのも投げやりな気持ち…

(もう!こんな痛い思いばっかして生きるのヤダ!)

が、出てきてたのを、一喝された気がしました…。

そうなんです。どんな人生も尊いし、どんな人生も投げちゃいけないんです…。
痛かろうが、辛かろうが、時につまらなかろうが、人それぞれに、神なる我である魂が決めてきた神命(やるべきこと)があるから、
それを果たさずに人生終えちゃいけないわけです…。

その内容は様々で、例えば【地球を救う?活動をする】の人もいれば、【毎日家族のご飯を作る】の人もいるわけで、
でもどれも等しく大切なことなのです。


(あ〜あ、言われちゃったなあ…。)
と思いながら目を開くと、先程の男性がまだ佇んでるのが視界に入ってきました。

(まだ、いる…)

ひたすら、社殿の隣にある、遷宮用地の中心にある小さな祠?みたいなのを見つめてじっと立っておられます。
どこか違う世界に行っているようでもあり、何かが見えている風でもあり…。


私としても、隣の敷地にもお参りしたかったのでそのまま帰るわけにもいかず、
再び暫らく待ってみましたが、一向動かれる気配がないため、仕方なく

「お参りしてもいいですか、すぐ終わりますので…」と、ニッコリ声をかけました。

するとその人はびっくりしたように我に帰り、即座に普通の人間モードになって、
「どうぞ」とちょっと怯えたように?引き気味に答えて下さいました。

(お、シールドですか?!) 私、怖かった?!


その男性が気になり、大変参拝しづらく、やりずらかったのですが、直感に従い、持参した、水晶で鳴らす音叉みたいなもので音を鳴らしてから、
再び夫婦2人でお参りさせていただきました。


ここでは意外にも『反転』という感覚が来て、陰陽のマーク…?!
式年遷宮の20年ごとに、何かが逆になる、反転?!するらしい…?

そして次の瞬間には、私の足元の僅かな地面だけ残して辺り一面が、潮(うしお)となり、
波の逆巻く中、私の口からは
「この国に何が起ころうと…」という言葉が出てくる…のですがその先が続かない…。

一体何だったんでしょうね?!
「この国に何が起ころうと、最善でありますように。」と続ければ良かったのでしょうか…?


そういえば、数年前に奈良の『大和神社(おおやまとじんじゃ)』にお参りした際にも、
地面が崩れ落ちて足元だけになったビジョンに置かれた状態になりました。

その時は地面がぐらぐら大きく揺れて、今、日本?は危ないのかもしれないという印象を受けたのですが、
今回は揺れはなく、安定はしてたのでそれは良かったです。

まあ、海のものとも山のものともですけどね。

ただ、参拝して、ここの神は、【無条件の愛】で世界を照らし、【光】によって日本をお守り下さっていると感じました。
それがとてもありがたく、白山ヒメ神社と共通してくる部分なのかもとも思いました。


そして…参拝を終えても、まだ彼はいました。
再び、虚空に向かい立ち尽くし、何かを見て?います?!


こんなことは初めてでした。大抵いつも参拝の折には、人がその時だけ、誰もいなくなったりするのです。

それがこうまで【居る】というのはきっと何かのご縁があるのでしょうし、まあ、おそらく【普通の人】?ではないのでしょうね。
お賽銭箱にあった千円はきっと彼が、投げ入れたものなのでしょうし、【信仰に厚き人】なのか【精神世界の住人】なのか…。
人のことは全然言えない【変な人】の私たちは、その場を早々に退散することにいたしました。

今となっては、「何か見えるのですか?」と声をかければ良かったかなとも思ったりもし…(笑)

帰り際に社務所で【参拝のしおり】をいただくと、『佐美長神社』という名前が目に付き気になったので、宮司さんにお尋すると、
すぐ近くにあると教えて下さったので、そちらも参拝させていただくことにしました。

つづきはまた。
トラックバック (0) |