魂の安寧を求めて カトリック初心者のブログ

孤独になりがちな現代人です。魂の安寧を求めカトリックを訪れました。カトリックが主ですが、他の宗派・宗教の意見も歓迎です。

箴言より 第12節

2014-12-30 23:44:16 | 旧約聖書

再度、「箴言」から(ここに訪れていただいた方々の今後のために)第12節を引用したい。

 

戒めを愛する人は知識を愛する、懲らしめを憎む者は愚かである

善人は主の恵みをうけ、悪い計りごとを設ける人は主に罰せられる

人は悪をもって堅く立つことはできない、正しい人の根は動くことはない。

賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。

正しい人の考えは公正である、悪しき者の計ることは偽りである

悪しき者の言葉は、人の血を流そうとうかがう、正しい人の口は人を救う。

悪しき者は倒されて、うせ去る、正しい人の家は堅く立つ。

人はその悟りにしたがって、ほめられ、心のねじけた者は、卑しめられる。

身分の低い人でも自分で働く者は、みずから高ぶって食に乏しい者にまさる。

正しい人はその家畜の命を顧みる、悪しき者は残忍をもって、あわれみとする

自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、無益な事に従う者は知恵がない。

悪しき者の堅固なやぐらは崩壊する、正しい人の根は堅く立つ。

悪人はくちびるのとがによって、わなに陥る、しかし正しい人は悩みをのがれる。

人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。

愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。

愚かな人は、すぐに怒りをあらわす、しかし賢い人は、はずかしめをも気にとめない。

真実を語る人は正しい証言をなし、偽りの証人は偽りを言う。

つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。

真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。

悪をたくらむ者の心には欺きがあり、善をはかる人には喜びがある。

正しい人にはなんの害悪も生じない、しかし悪しき者は災をもって満たされる

偽りを言うくちびるは主に憎まれ、真実を行う者は彼に喜ばれる。

さとき人は知識をかくす、しかし愚かな者は自分の愚かなことをあらわす

勤め働く者の手はついに人を治める、怠る者は人に仕えるようになる。

心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。

正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う

怠る者は自分の獲物を捕えない、しかし勤め働く人は尊い宝を獲る。

正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る

 

私(ごとき者)が畏れ多くも「注釈」を付すならば、上記の引用にある「悪い兆候」があったならば、「直ちに回避の方策」を打つべきである。

やはりそうだったのか・・・。ネガティブな部分については2000年以上が経っているにもかからず、真実である。

少々「オッサン臭い」と思われるかもしれないが、転ばぬ先の杖だと思う。

特に、「経済社会」に身を置かれている方々には、上記の聖書の教訓による救いの場面はいくらでも出てくると思います。2000年以上経つにも関わらず「人間社会」というものは(その本質は)「全然変わっていない」のです。

私自身も(「後日談」になってしまったが)、ようやっと自信がでてきた。

 


旧約聖書より「箴言」

2014-12-29 23:11:12 | 旧約聖書

先日、旧約聖書より「箴言」の「有能な妻」に関する一節を紹介した。

自分はもともと「新約聖書の救い」に心惹かれ、キリスト教・カトリックを訪れた。

ミサで偶々(という言葉は無いのかもしれないが)「箴言」のお言葉をいただき、その知恵に頷かされた。

率直に言うと、いままでの人生、特にこの数年右往左往していたことに対して、(後日論ではあるが)「進むべき」(だった)方向性を示していただけたよううであった。

もっと早く、この「人類の英知」である「旧約聖書」にであっていたならば・・・。

下記は「箴言」の「父の諭し」の一説

 

 

わが子よ、もしあなたがわたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、

 

あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、

 

しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、

 

銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、

 

あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。

 

これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。

 

彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、

 

公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。

 

そのとき、あなたは、ついに正義と公正、公平とすべての良い道を悟る。

 

これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。

 

慎みはあなたを守り、悟りはあなたを保って、

 

悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。

 

彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、

 

悪を行うことを楽しみ、悪人の偽りを喜び、

 

その道は曲り、その行いは、よこしまである。

 

慎みと悟りはまたあなたをよその女から救い、言葉の巧みな、異邦の女から救う。

 

若き日の伴侶を捨て自分の神との契約を忘れた女を。

 

その家は死に下り、その道は陰府におもむく。

 

すべて彼女のもとへ行く者は、帰らない、また命の道にいたらない。

 

こうして、あなたは善良な人々の道に歩み、正しい人々の道を守ることができる。

 

正しい人は地にながらえ、誠実な人は地にとどまる。

 

しかし悪しき者は地から断ち滅ぼされ、不信実な者は地から抜き捨てられる。

 


わたしは主によって喜び楽しむ (「イザヤ書」より)

2014-12-13 22:40:00 | 旧約聖書

現在、待降節の期間でありクリスマスへの準備にあたる期間である。

そのような中、希望をもたらす一節を紹介したい。

 

主なる神の霊がわたしに臨んだ。

これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。

こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。

彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。

外国人は立ってあなたがたの群れを飼い、異邦人はあなたがたの畑を耕す者となり、ぶどうを作る者となる。

しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、われわれの神の役者と呼ばれ、もろもろの国の富を食べ、彼らの宝を得て喜ぶ。

あなたがたは、さきに受けた恥にかえて、二倍の賜物を受け、はずかしめにかえて、その嗣業を得て楽しむ。それゆえ、あなたがたはその地にあって、二倍の賜物を獲、とこしえの喜びを得る。

主なるわたしは公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与え、彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。

彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者はこれが主の祝福された民であることを認める。

わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、花婿が冠をいただき、花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。

地が芽をいだし、園がまいたものを生やすように、主なる神は義と誉とを、もろもろの国の前に、生やされる。

神の前の正義、公平、喜び、幸福、を信じ神を賛美したい。