わたし、派遣の校正者

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『Peace』想田和弘監督作品

2011-07-17 15:47:03 | 映画・演劇
想田和弘監督の『Peace』を観た。

「うちのネコ」たちが、庭先でお弁当のプラスチックケースに、キャットフードやミルクを入れてもらっている。
そのエサをねらうのが、どこからかやってきた野良猫。強気そうな猫。

「いーれーて」。
遊びの輪に入れてもらうときの子どもみたい。


最近私は、人との距離の取り方がわからなくなっていた。

壁を作って、他人にぜったい入り込ませない関係がある。
仕事上でいっしょになる人とは、そんな当たり障りのない付き合い。
相手に興味を持たないようにしているのが伝わってくるから、私も話しかけてはいけない気分になる。
仕事に無関係な話はパワハラになる可能性があると思っている人もいるので、潤滑油にする話題がない。

かと思えば、自分の心の奥底にあることや、その人の本質に関わること、悩みだったり感情だったり・・・を、ストレートに話す人もいる。
会って間もない私に話してくれるんだから、本人は「この部分は話しても大丈夫」と思っているのかもしれないが、私からすれば、あまりにプライベートなことに関わるので、躊躇してしまう。
その場所は用事があって行くところではなく、人に会うため、聞くため、話すために行くサロンだからなのかもしれない。
ある意味では、濃密なつきあいを求めている人たち。
その場所で話されたことは、よそで話してはいけないというルールが、主催する私たちにある。


現実はこのサロンと、壁をつくる職場でのつきあいとの間で、模索しながら作りあげ、流れていくものだろう。


映画に出てくるネコを飼っているのは監督の義父だが、その奥さんは「汚い飼い方をするのはイヤ」と文句を言う。
奥さんは余命を自宅で過ごす介護者のところに食事づくりに向かう。
なんでもない会話もあるけど、今となってはめったに話せなくなった記憶が語られることもある。


このふたりがいろんな人と接しているのを見て、
人生はぐちゃぐちゃ面倒なこともあるけれど、人間はそういう世界を生きるように出来ている、
という諦観みたいなものを感じた。


人と最初に出会ったとき、悪い印象を持ったとしても、いつまでもそれが続くとは限らない。
この状況はだんだん変わる。時間がたてば、毎日接していれば、変わる。
根拠は「経験」かな。
相手が根負けして折れてくれるとか、自分の対応の仕方が変わったとか、一緒に対策を探ったとか、時間を経るにしたがってなにかしらの変化があった、という経験や歴史がある。

「ここは規則で決まっているから、どんな理由があっても絶対ダメです」ではなく、状況に応じて規則をのりこえる方法をこしらえる。
そういうものが「Peace」なのかもしれない。


短篇には作者の意図がはっきり表れる、と言う。

75分の『Peace』は、時間を超えて宇宙の何者かが意図してできた作品だった。



■『Peace』
7/16(土)より、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映。

想田和弘監督のQ&Aあり。
第1回(11:15)には日本語字幕付、最終(19:15)は英語字幕付。




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