環境問題を柔らかく考える

仕事で環境問題を硬く考えているので、柔らかく考えてみたいと思っています。

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池田武邦さん

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2月18日に放送されたBSハイビジョンの「日本の風景を変えた男たち」というのを観ました。

霞ヶ関ビルや京王プラザ、新宿三井ビルなどの超高層建築の設計に携わり、設計事務所の日本設計の社長も勤めた池田武邦さんという方が紹介されていました。

池田さんは当初は、超高層建築で温度も湿度も一定に保たれた建築物が理想だと考えていたそうです。だけど、ある雪の日、寒い外に出てみると不思議と気持ちが暖かくなったそうです。池田さんはこの事を自分も自然の一部であると感じた事で心が安らいだというような事をおっしゃっていました。また人工物の中でずっとすごしていると人間はストレスを感じるともおっしゃっています。

その後は、環境問題へ取り組まれて、長崎のハウステンボスのコンセプト造り(コンクリートの護岸を壊して、岩?を重ねた護岸にする。排水の浄化等)や、里山や鎮守の森の復活を通して自然と調和した人間生活の大切さ、環境の保護の必要性を社会に訴える『聚』の理事長、秋田テクノポリス開発機構主催の人材育成研修『池田塾』の塾長をも勤められたそうです。

そして今は、長崎県の西海市に邦久庵という江戸時代の建築手法を取り入れた家をご自分で設計して住んでいるそうです。


このご経歴はおもしろいと思いました。
高度経済成長の真っ只中で、近代文明の粋を集めたような高層建築に関りながら、その方向は違うんではないかと感じて、中世の持続可能な文化を建築に取り入れられたようです。

立場、影響力など自分とは全然違いますが、同感します。高層建築のように温度や湿度をまわりの環境に反して一定に保とうとすると、大きなエネルギーを使います。そして、近年、そのエネルギーが無限ではなく、また温室効果ガスという地球にとって好ましくない物質を排出する事が分かってきました。そのようなエネルギーに依存した文明は長くは続かないと思います。そこで、化石燃料を使っていなかった時代の文化を学び、それを現代にどんどん取り入れ(封建制とか、取り入れなくていいものもあります)長く続ける事が出来る生活スタイルに変えるべきだと思います。

まぁ、建築家の方も池田さんのような方ばかりではなく、(社)日本建築家協会のHPには、『何故それ程までの『環境』なのであろうか。近代文明の基をなすデカルトの人間中心主義を批判することはよく分かる。戦後日本の『近代化路線』は、その批判なくしては健全な文化としての建築は育たないからである。しかし、かつての『超高層』の闘志池田武邦がかくも徹底的に環境問題に転換するのはさすが池田だと思わないわけではないが、しかし『30年ぶりに超高層ビルから解放されて、ほっとしている』とか、『人工環境なしでは成立しない超高層建築は間違いだった』といわれると、いささか疑問に思わざるを得ないのである。そこにどんな『総括』があったというのであろうか。』
というように、近代文明への幻想?憧れ?願望?が捨てきれない人も大勢いるようです。
まぁ自分達が良いと信じてやってきた事が他の視点で見れば良くなかったという事は誰にでもある事だと思います。問題はそこからで、それに気づいた時、どういう行動をとるかだと思います。気づかないふりをするのか、些細なあら探しをして自分を正当化するのか、事実を受け入れ方向を修正していくのかです。ぼくは後者でありたいと思っています。


PS.あまり関係ありませんが、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか?」で有名な武田邦彦氏がハウステンボスの経営が上手くいかなかったという部分的な事実(野村プリンバルの支援)で、ハウステンボスに行かないから、日本人は本当は環境問題に取り組みたくないのだ、という壮大な嘘をついていました。毎度、この人の論理の飛躍には呆れます。ハウステンボスに行くことが環境に配慮する事なのでしょうか?
確かにハウステンボスの環境意識は高いと思います。けど、環境に配慮するなら、自分の家の側に木を植える。飛行機や車などを使わない、持続可能な生活をする等、あげると数え切れませんが、ハウステンボスに行かなくても出来ることは山程あります。レジャーでも近くの里山に行くのが、環境負荷が少ないと思います。武田氏には裏にある悪意を感じてなりません。
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1 コメント

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技術の劣化 (なる)
2009-12-08 20:58:15
 平安時代の建物は千年の寿命、江戸時代は数百年、現代は百年すら怪しい。実際30年ほどで壊されている。
 たくさん消費する事が、経済を発展させる事になり、寿命が長い物は邪魔になった。そうする内に、長持ちする物を作る技術が失われている。情報も短命だ、CD、DVD、ブルーレイ、どれも20年すらもたない。
 情報すら消費して、消え去る。何も残らない。5百年後の人が今の時代の人をどう思うだろう。

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