病院広報(はとはあと)評価支援情報

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両眼は前方に向き、見えても後方は見えない?

2019-03-03 13:09:23 | はとはあと最新情報
両眼は前方に向き見えても後方は見えない?

今更ながらヒトの眼は間違いなく左右にある。人は誰でもその両眼の窓から見える世界を恐る恐る捉えながら生きている。だが、二つの事象を把握するためというのではなく、捉える世界は一つになっている。動的な対象であろうが、静止した事物であろうが、その空間や色彩、ときに温感さえも把握して神経に伝えていく。あたかもこの両眼による視覚世界は「額縁」に収まった絵画のようである。幅や奥行を示して象徴化し、実際にあるものもないものも区別なく脳裏に運べる。天国や地獄という夢の想像において神仏も抜け目がないのだ。

しかし、ヒトの両眼は目前の対象を、それぞれどのような機能分担により捉えようとしているのだろう。左右いずれかが主で、そうでない方が予備というわけではあるまい。左右の僅かな捉え方の違い・ズレを感知することで、よりリアルな実感を全身に伝えることで立体感、実在感などの成果を引き出していると考えるのはどうだろう。体操競技の平均台の演技で、両手を開いてバランスをとり、次なる演技に備えるのも同様、ヒトの身体が環境に適応すべく仕組まれた感覚対応であることを考えると、人体の当然の姿、有り様が理解できる。

そのような身体能力として、ヒトの視覚神経や視力構造が関わっている。しかし、ヒトの目や顔面の向きは、前向きにしか配置されていない。両眼によって前向きの知覚はできても、背後に向けた世界が感知できないがどうなのだろう。もちろん振り向けば可能であるが常時は困難で、敵に背後から襲われるなど、よくあるお馴染みのシーンがある。つまり人間の知覚世界は、前には広がっているが、後ろは楽屋の物置のような存在であるのか。それをカバーするのが神経のネットワーク。ヒトにも備わった身体知能という仕組みである。 

ヒトが生きていく上で欠かせない知覚や感覚を受け取り、脳の指令を待たなくても行動に移す仕組み、それがイメージである。これらには日頃溜め込んだ印象が役に立つ。向こうからやってくる自転車は「なぜかふらつきが激しい」と「見れば」、反射的に身を道端に寄せて様子をみるなどの対応がイメージという知性によって可能である。観る目の役割は、体型だった知性・合理性もさることながら、直感や印象によって高められる感性での判断である。合理の基準に加えて、感覚判断に意味や価値を見出す仕組みも欠かせない時代が来ている。

このようなイメージ理解を願うには、人間の心の動きを表した成果物をなるべく「観たり」「見たり」することに尽きる。自分の心に新しい絵を取り込み、感じることに時間を使うこと以外にない。音楽やアートに親しむことで、心地よい経験を積むことで自然に得ること(分かること)ができる。無理をせず自然体でいること。ときに少し考えてみる。そんな本にであえるようになれば、身体の中にイメージタンクができた証かもしれない。それも大事だが最大の収穫は、イメージという独自言語を使いモノを「見る」ことができるようになることだ。Mitameya190303


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