宣長は、「意(ココロ)と事(ワザ・コト)と言(コトバ)とは、相応しているものなので、後世において、古の人の思える心、為した事を知ることで、その世の有り様を正しく知るべき*1」であると言いました。宣長の言葉だけを捉えて彼を理解しようとするのは、車の片輪がない状態で進むようなものであり、正しい結論には辿りつけず、万一辿りつけたとしてもそれは根拠のない仮初めのものなのです。そんな訳で、ここで宣長が具体的にどんな治療を行ったのか、ちょっと見てみましょう。
(症例1)天明二年
大平生清兵衛
正月
四日 葛根湯 二日分
九日 二陳湯 二日分
大平さんは風邪ですね。これは寒い季節、「葛根湯」を二日間服用しましたが、その後、咳や痰が残り、二日間様子を見ても治らなかったので、また診療を頼んで「二陳湯」を処方してもらい、それで良くなった、というケースです。
(症例2)天明二年
塚本市郎兵衛
七月
十五日 下り・渇き・むし・不食 五苓散 三日分
十八日 五苓散 三日分
五苓散加半夏厚朴 二日分
二十三日 五苓散加半夏厚朴 三日分
二十九日 下り・渇き・熱 五苓散加柴胡 五日分
八月
四日 五苓散加柴胡 五日分
六日 五苓散加乾薑桂皮 五日分
八日 補中益気湯 一日分
塚本さんは、今風に言えば暑気あたりのような胃腸炎でしょう。宣長は、「五苓散」を基本にし、患者の状態により、薬を加減しました。八月に入り、「五苓散加柴胡」や「五苓散加乾薑桂皮」が、それぞれ五日分処方されましたが、服用したのは二日だけ。急激に改善したようですね。最後には、体力をつけて回復を助ける「補中益気湯」が処方されました。
これらはほんのごく一部ですが、宣長は患者の何かをしっかり見て、何かをしっかり考えていたことが分ります。それ故、彼が、「世のすべての病は、みな神の御しわざである。病ある時に、薬を服用し、あるいはその他の治療法でこれを治しても、またみな神の御しわざである*2」とか、「いともいとも妙に奇しく、霊しき物にしあれば、さらに人のかぎり智(サト)りもては、測りがたきわざ*3」、と言ったとしても、彼を、あらゆる因果律を考慮しない不可知論者として見なすことはできません。
そもそも宣長は、「てにをは」、「係り結び」、「活用」など、日本語にはさまざまな法則があることを明らかにしてきました。それらの文法は現在でもほとんど揺らぐことのないものですが、これらの発見は、膨大な情報を集め、整理するだけでは不可能であり、それらの背後に、ある種の法則、因果律が働いていると信じていなければ、為しえなかった事業なのです。宣長の言う「神の御しわざ」は、究極的な、根源的な、答えの出ない領域の問題について使われる言葉であり、例えば「人はなぜ誕生したのか」とか、「病気はなぜあるのか」などというような問いに対して用いられるのです。
ということで、宣長の医学には何の思想もない、と言うことはできません。なくはないのであれば、安心して彼のそれを明らかにしていきましょう。
つづく
(ムガク)
*1 『うひ山ぶみ』
*2 『答問録』
*3 『古事記伝』
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