久々にブログなど書いてみました... なぜだかわからにけど。
仏教ってのは、ざっくり言うと、生きいる事は苦しい事で、その苦しみは自分を含めて世界を構成する
ルールをよ〜く見るて理解すると実体がないよ〜と言う事で生きていながら苦しみから離れられるぜ〜
的な教えだと理解している。
葬儀屋の私は仏教に接する機会が多い。もちろん葬儀ばかりだけど。
日本のお寺は葬儀をしょっちゅうしているというか、葬儀が基本的な内容に既に
なっている。別に悪い事ではない。人々に求められた結果そうなっているので〜
でも仏教の基本が、近くにあまりない様に思う。日本人の死生観とは親和性があんまりないのではないかな〜と…
昔、アジア近辺を少しだけウロウロした事があった。
カンボジア、ベトナム、タイ、マレーシア、あと何処いったから覚えてないけど
その時も寺とかにも何故か行った。
その時思ったのが日本と違う様な感じがした。今思うと日本と違うのではなく、それぞれの国で仏教は
少しずつ異なっている。でも、日本だけその違いがもっと大きいのではないのか? なんて事を。
あくまで感じただけ。
ブッタが開いた仏教、長い時間と長い距離をへて日本にきて既に1,000年以上経過している。
途中を考えないでブッタの仏教と日本の仏教をみてみると大分違う様に思う。
仏教の流れはくんでいるけど、もう日本オリジナルの仏教だと思う。
アカデミー賞も日本アカデミー賞ってのがある様に(こじつけ)、仏教も日本仏教の独立性を感じる。
だから思った、さらに日本仏教っていうよりはもう既に別の宗教で良いのでは?
ユダヤ教からキリスト教的?(これもこじつけ)
そして葬儀に特化してもよいのではないか? むしろ積極的にするべきか?
お寺さん達自体が葬儀屋も兼ねてしまう方が手っ取り早くて良いと思うが…
葬式仏教〜(なんかカッコイイ新しい名称があればなおよし…)
こんな馬鹿な事を以前から思いつづけているのですが、最近の仏教の葬儀に接していると
「仏教の基本あまり関係無くない?」と思うのです。喪家にとっては…
僧侶の方は違うと言うと思いますが、仏教に対する信仰心や知識などかなり薄い方々が多い現在、
このまま行くとお寺さんには、あまりよろしくない現状がまっている様な気します。
切り口を変えて〜将来に備える的な本当に不要なお節介です。
ま〜色々、違うぞ〜 馬鹿野郎〜 とかのご意見や罵詈雑言もあるとは思いますが
こんな事を思う次第でございます!