タイトルは学校祭で歌う曲の歌詞の一部です。
私は、自他ともに認めるいい加減な性格のいい加減な人間ですが、
いくつかの信条とでもいうべきものがあります。
その一つが「本気でした約束は最後まで守る」です。
私が嫌いなことは、待つことです。待っている1分間は、1時間にも感じられます。
待ちきれなくなることもしばしばあります。
ですが、その待つという行為に何らかの約束、それも本気でした約束が関わっているとき、
私は待つことができます。
愚痴をこぼすことがあっても約束は守ります。
なぜか、それは約束だからです。
よく、「約束や規則は守るためではなく破るためにある」みたいなこと言っている人いますけど、
私はそうは思いません。あくまで、約束や規則は守る為にあると信じています。
さて、ここで「信じる」という言葉が出てきました。
これはとても厄介な言葉です。
「信じている」というのは、とても不安定な要素です。
なぜなら、信じるというのは、一方通行な感情だからです。
信じている側は裏切られても何も可哀想とは思いませんが、
信じられている側には同情したくなります。
信じられていた彼は何か悪いことでもしましたか?
彼は普通に生活していて、その結果裏切ることになってしまっただけです。
彼は「決して裏切らない」とか約束していたわけではありません。
彼は全然悪くはありません。
それなのに、信じていた側は理不尽に騒ぎ立てます。
その結果、裏切った彼が悪い、という結論に達することも少なくありません。
どう思いますか?
信じるのはかまいません。でも、信じるという行為は、暗に「裏切られてもいい」と示していると知った上でしてください。
そして裏切られたくないのなら、信じるのではなく約束をしてください。
本当に守りたいのなら、約束をして下さい。
最後にもう一度。約束は、守るためにあります。