雑感記録所

内容の制約を一切せず、その時書き留めたいことを記録していた。

都賀・安蘇記 2

2007-08-29 00:28:53 | 分類なし
 大谷の主集落からさらに少し山に分け入ると、大谷資料館である。野球場がまるまる入ってしまうという地下空間が広がる、大谷石採掘場の跡に、一部ではあるが入ることができる。
 そもそも大谷石とは、新生代第三紀中新世(約2000万年前)に堆積したとされる流紋岩質角礫凝灰岩の一(地学選択者、わからいね(笑))。古代より古墳や築城に用いられてきたが、旧帝国ホテルに採用されたことから一挙にスターダムに躍り出た。

 市営駐車場に駐車したが、それは大谷の町のホンの入り口にあり、実は大谷寺にも大谷資料館にも駐車は出来たのである。大谷寺から大谷資料館までは思った以上に距離があってヒールを履いた淑女(レディ)には少々申し訳なかったけれど、しかし、もし窓を閉め切ったクルマで移動していたら決して感じられなかったであろう体験ができた。それは……
 資料館まで約200メートルという辺りにまでやってくると、木の間からひんやりした風が吹いてきた。木陰とはいえ、周りで30℃をゆうに超えた空気がここまで冷やされる訳はない。
 そうである。採掘場から漏れる冷気が、ここまで漂って来ていたのだった。歩を進める毎にさらに冷たい空気を感じる。これは徒歩でやって来た者だけが感じることの出来る現象だ。これだけ暑いと上着は要らなかったのではないかという懸念は消えた。数台のクルマに追い越されながら、自分たちもつい先程までクルマに乗っていたことは棚に上げ、やつらが文明漬けになっていることを痛罵する(いたたたた)。

 昔日の砕石機などの展示を見て、いよいよ地下30メートルの世界に入る。階段を下りていくと、先程の比でない冷気が身体にまとわりつく。そして遂に巨大な地下空間が姿を現した。
 この日の地下気温は12℃。外界より20℃以上低いことになる。しかも12℃という気温は、年間の温度変化の中でも最も高い部類に入るのだ。上着必須というほどでもないが、春秋用の麻混ジャケットを着てしっくり来る気温である。ちなみに採掘場内の気温が年間で最も高くなるのは9月で、平均13℃とか。地上では日照時間が長い時期と気温の上がる時期に2か月ほどのずれがあるが、地下ではさらに1か月のずれがあるということらしい。
 広い空間に飛び飛びに設けられた電灯は、当然空間全体を照らし出したりはしない。天井ははるか高く、闇に溶け込む。そればかりでなく霧というか靄が一面にかかっていて、幻想的な雰囲気を助長する。これが『方舟さくら丸』の世界か……。そう思うと、ロープを越えて本当の闇の中に分け入ってみたい衝動が湧いたが、さすがにやめておいた。
 携帯カメラで撮ってはみたが、やはりさっぱり。まあ所詮携帯カメラなんてこんなもんだよねと諦めていたら、七味嬢のおニューの携帯は、見事鮮明な画像を切り取っていた。うにゃ~……。技術の世界は日進月歩、わずか1年余りでここまでの差が出るとは。

 出口に向けて先程と同じ階段を上る。下る時には涼しさを感じていたのに、今度は不快感を催す蒸し暑さが、じわじわと近寄ってくるのを感じる。そして扉を開けると、一挙に熱波に襲われ、しばらく活動を休んでいた汗腺から汗が噴き出す。これが現実だ。

都賀・安蘇記 1

2007-08-28 02:33:51 | かつどうのきろく
 国道125号などを東行し、羽生インターチェンジから東北道に乗る。キックダウン。普段は心して優しい発進・加速をしているので、おそらくルンバちゃんはウチに来てから3000回転、オーヴァーに言うと2500回転をすら超えたことは無かったんじゃないかと思う(まあタコメーターが付いてないので憶測の域を出ないが)。そのルンバちゃんがすごい音を立てている。これはやはり荷が重かったかと思うも束の間、さすがに80キロ以上の加速がもう一つ歯痒いところもあったが、そこまでは実にスムーズに加速したし、一度100キロ程度に乗ってしまえば何ということもなく走ってくれた。

 ほぼ想定通りの所要時間で、鹿沼インターチェンジに到着。当初の予定ではここから早速川上澄生美術館に向かうところだったが、前夜に発見したさる名所に先に行くことにした。宇都宮市大谷地区。建築材として知られる大谷石(旧帝国ホテルなどが有名)の産地であり、その採掘抗跡が公開されているのだ。
 これもまたわたしの趣味に走ることになるのだが、安部公房で『方舟さくら丸』という作品がある。今でいうオタク的な孤独な男(80年代にこういう人物を創造していたこと自体驚嘆に値する)がかつての地下採石場跡に勝手に住みつき、いろいろと改装を施して来たる核戦争を乗り切る「方舟」としようとするも……という話なのであるが、地下に人間の手による巨大な空間が広がっているというその状況そのものに少年的なワクワクしたものが感じられて、スリリングな展開とも相まって安倍作品の中でも特に愛好するものの一つである。その地下採石場のモデルのひとつになったとも言われているのが、この大谷石採掘場なのである。年間平均気温7℃にして年最高気温は13℃という、避暑にももってこいの場所。急な変更ではあったが、訪ねることとした。
 大谷石の加工しやすさということには先人も気づいていたようで、大谷には、810年弘法大師の手によるという日本最古の磨崖仏・千手観音三尊像を本尊とする大谷寺もある。地区の新旧のランドマークを見物するといった趣向である。

 地区の入り口の市営駐車場から大谷石の切り通しを抜けると、戦後建立された平和観音(88尺8寸8分:およそ30メートル)が佇立ましまし、大谷公園として整備されている(「親子ガエル」がいる(笑))。大谷寺の前立観音であるこの観音像は、一枚岩に浮き彫りの手法で彫刻されたものであり、かつてタリバーンに破壊されたバーミヤンの磨崖仏のように崖を掘り下げているわけではない。そのため78段の階段を昇って崖の上に出ると、ちょうど観音様の目線とほぼ同じ高さからの眺望を楽しむことができる。観音様の尊顔を真横に拝して七味姉さんのコメントは冴え渡り、わたしは早くも姉さんと同行できたことに感謝した。思ったこと感じたことを言葉に表現するのが下手くそなわたしには、羨ましい才能であり、またかつ普段寝ている言語の美的感覚に関する領域に刺激を受けるひとときである。
 いずれにせよ絶好過ぎるほどのお天気。採石場見学に備え両者上着を手にしているが、むしろシュールですらある。
 地を這う者に翼は要らぬ?さて、それはどうだか。

 続いて大谷寺。真言宗の寺である。
 本堂(と言ってよいのだろうか、崖の本尊に被さるような特異な建築)を目にしてまず思うのは、「三つ葉葵?!」である。実際この寺には、徳川家康が死後日光に東照大権現として祀られたのを期に、家康の娘の寄進によって再興成るという経緯があり、江戸時代は江戸から日光へ至る道中の休憩にも用いられたとか。それで徳川家とは深いつながりがあるというわけだ。
 しばし夏寺の雰囲気に浸ったのち、本尊などを拝観する。ここには本尊である千手観音三尊の他にも、製作年代の異なる釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊の磨崖仏があり、背景に曼陀羅的に配置されている小仏も含めて15像ほど、見応えは十分である。せっかくの仏様で、人で混み合っているわけでもないのに、案内放送にせき立てられる感じなのは(「それでは、次の仏様を御覧頂きます」)やや残念だったが、それは無視してじっくり拝観させて頂いた(この案内は人が本堂に入るのを感知して自動で始まるようで、第一声を聞いたときにはかなり驚いた)。
 仏像はこちらに覆い被さるようにマイナスの傾斜をした斜面に彫られており、かつ、足元は肉薄に、頭の方へ行くに従って肉厚になるという一種の遠近法が取り入れられている。覆い被さられているとはいえ不思議と威圧感はなく、それでいて視点から遠い頭の先まで力強さがあるという、なかなか考えられて製作されている。仏師の技術を感じるところである。
 本来、本尊を含めた磨崖仏は化粧泥・漆で覆われ、金箔が押されていたということであるが、江戸時代の失火によって表面は焼け落ち、一部に泥を残して最下部の石がむき出しの状態となっている。石仏と思えばこれで美を感じるし、むしろ現代に生きるわれわれからするとこのくらいの侘び寂び然とした感じの方が心地よく感じられるように思うのだが、往時の絢爛を知る人は、さぞやがっかりしたことであろう。
 収穫。千手観音様も崎陽軒のシウマイがお好き。


つづく

都賀・安蘇記 0

2007-08-28 01:22:50 | かつどうのきろく
 「心境の相当の変化」があったので、23日の栃木県周遊について書きたいと思います。もう「(笑)」を連発するしかない。情けない限りであります。



 今夏最初のお出かけ。栃木県南西部を堪能する旅、といったところか。

 そもそもの発端となったのは、11日放送のテレビ東京「美の巨人たち」で、川上澄生という版画家の作品「初夏(はつなつ)の風」が取りあげられたことである。画面に詩を盛り込み、版画の詩人と異名を取った川上の代表作であるこの作品は、栃木県鹿沼市立川上澄生美術館で毎年初夏にのみ公開されているのだが、テレビ放送に合わせ今月11日から26日まで特別公開されている。わたしはこの作品もさることながら、他に紹介されたいくつかの作品のユーモアの虜となり、そのうち機会があったら当美術館を訪ねてみようかなあくらいのつもりになっていた。

 そこに後押しを加えたのが、5月22日以来の登場となるS嬢こと七味とうがらし姉さん(注1)。姉さんには昨年末のダリ回顧展(上野の森美術館)にもご同道頂いているが、その折の鑑賞態度にいたく感銘を受けたわたしは、いずれまた何らかのミュージアムへご一緒したいものと思っていた。折良く姉さんの方からお声掛け頂き、「健康で文化的なこと」というリクエストから、こことばかりに川上澄生美術館をプッシュしてしまったのである。

 一応メインは川上澄生として、しかし、出掛けていくにしてはそれだけではあまりにもすぐに終わってしまう。視覚ばかりでなく味覚をも満足させるという姉さんのご要望からのわたしの思い付きで、佐野市でラーメンを食べるということが加わり、さらに西へ移動して足利市は「坂東の大学」こと足利学校を見学するということで話が決まった。

 交通手段としては、1000ccのルンバちゃんを我が家に来てから初めて高速道路に乗せることにする。我が家に来るまでに既に51000kmを走っているルンバちゃんであるからして、かつての所有者が高速道路に乗せていたであろうとは思うが、まあともかくウチに来てからは初めてなのである。2000ccのセフィーロとの違いを実感し、今後の旅行などの参考にするというのもわたしの個人的な目的となった。



注1:姉さんとはいうものの、わたしのほうが約3か月先に生まれてはいる。

埼玉県知事選挙

2007-08-25 19:01:32 | 分類なし
 来る26日は埼玉県知事選挙ですが、埼玉県に住民票のある方はぜひ、吉川春子候補に清き一票をお願いしたく存じます。


 上田清司現知事は改憲論者であり、集団的自衛権行使を是認しています。ただの改憲論者ではなく、かなり危険な部類に属します。
 「新しい教科書をつくる会」会員の高橋史朗氏を教育委員に任命し、教育現場への介入を強化しようとしています。一教科書の制作サイドの人間が任命されること自体中立を乱し、異例であるばかりか、任命にあたっても怪文書が飛び交うなど、不透明な人事であったことは否定できません。
 従軍慰安婦の存在を認めない発言をして国内外の批判を浴び、ジェンダーフリー運動に対する反動勢力としては日本でも指折りです(県内で行われたジェンダーフリー・バッシングの集会では、「わが埼玉ではジェンダーという言葉すら一切使わせません!」と絶叫したとか)。
 このような自己目的化した反動・時代逆行的な姿勢は保守とすら言えません。これ以上県政を彼には任せられません。

 また今年4月の新採用県職員への訓辞では、「自衛隊は日夜人殺しの練習をしている。警察官は人を痛めつける練習をしている。県職員はそれと違って人々に幸せを与える」というようなことを述べて、国内の顰蹙を買いました。普段の主張と噛み合っていないようでもありますし、県知事という職責を担う者の言葉とは思えない無神経さです。

 大企業優先の姿勢や、医療・福祉の切り捨てにも批判があります。特に県内の医師・看護師の数は、現状で人口比として全国で最下位となっています。
 現知事は財政の切りつめに成功したと主張していますが、これもほとんどが、県がこれまで独自に行ってきた保育・医療などの支援を打ち切ったことによるものであり、あるいは制度の変更により、それまで県が担ってきたものを国が行うようになって県の負担でなくなっただけというような代物です。
 さらには公立高校の統廃合を推し進めようとしています。過疎地域の学校や、定時制高校の統廃合が、きわめて拙速に行われかねません。それに伴って一クラスの定員を増加させるなど、教育界の流れに逆行する暴挙であります。
 これは埼玉県立高校出身者としても看過できない現状です。特に定時制高校は、多様な教育の提供が求められる現代においてその重要な一翼を担う機関であり、効率一辺倒で消し去ってよいものでは到底ありません。しかもそこに拠り所を求める多くの人々、特に若者が居場所を失うことにもなります。



 これらの政策にノーを突きつけるためには、ぜひ吉川氏に一票を。
 吉川候補は、参議院議員としての24年の経験を生かし、これらの問題に正面から取り組むことを公約としています。

☆吉川春子候補の基本姿勢☆
・憲法を守り、平和・民主主義を県政のすみずみに生かします
・貧困の解消、格差縮小をめざし、くらし応援・人と自然にやさしい県政をすすめます
・自治と人権を尊重し、県民が主人公、参加と共同の開かれた県政を実現します
吉川春子ホームページより)

 
 県民の生活を守る吉川候補を、どうぞよろしくお願いいたします。


 なお上田氏の政策に反対される方にご注意。無投票や白票では、実質上上田氏に投じたのと同じことになってしまいます。ぜひ吉川氏への投票行動を取って下さい。

※なおわたしは吉川候補とのつながりがあるわけじゃありません。個人的に応援しているだけです。というか現職の対立候補に辞めて欲しい一念です。
※ここは政策を論議する場所ではないと考えます。この記事へのコメントは受け付けません。他記事へ、この記事へのコメントを投稿することはご遠慮下さい。

流れとよどみ 3

2007-08-24 03:08:16 | かんがえ
 一体どこを向いて行けばよいのやら。

 感情を押し殺すのをいい加減やめるか?押し殺すといえば聞こえは悪いが、その方が周囲も含め円滑に進むだろう。
 誰もが感情を開けっ広げにすることは許されない。それは天性の一部の者と、タイミングとシチュエーションを捉えた者のみの特権だ。
 困ったときには人に相談すると良いが、そうして人様をわずらわせる方が却ってマイナスになる。わたしの「悩み」らしき顔をした何某かのものは、どうせそこらじゅうにありふれた、厳密には悩みなんて言うことすら憚られるようなどうでも良いことなのであって、そんなことで人様のご迷惑となってはならない。本当に相談を求めているような人にも申し訳が立たない。
 とかこういう風に考えて、何もないような顔をするのがわたしの流儀であった。「流儀」とか「らしさ」とかいったものは、簡単には捨てられない。変えられない。それが、十年来の失敗であったと言って言えないこともなかろうが、人生の半分を自ら失敗と言ってしまうことには抵抗がある。そのような判断を下すことを拒否するのであれば、流儀を変えるわけにはいかない。

 結局「らしさ」ってなんなのさ。

 グループ・集団・派閥、何と言っても良いが、そういったものに属さない心地よさと身軽さにばかり目をやって、「流儀」もあってそれにともなう自助努力を怠ってきたらしい。無所属の対価を甘く見過ぎていたようだ。

 本当に、冷血動物は馬鹿野郎だ。

 泣き方は忘れた。人前で最後に怒りを顕わにしたのはいつだったか。
 情動失禁の反意語ってあるのかな。

流れとよどみ 2

2007-08-24 01:06:42 | かんがえ
 思うさま石でも放り投げたくなったので、今すぐ衝動的に湘南(熊谷から一番近い「マトモな」海はたぶん鎌倉あたり、微妙なところで大洗の方が遠いと思う)にでも出掛けてやろうと思ったが、ガソリンがないので断念。
 あれ、でもセルフのスタンドって24時間だっけか……。なら行けなくもないか。
 でも行かない。行けるわけがない。それがわたしの「矩」なのだ。
 それでなくとも、今クルマなんぞ動かしたら事故りそうで怖い。



 自分ひとりがいなくなれば、少なくとも自分がかかわる範囲の身の回り、ひいては世界全体が順調に動くようになるのではないかという考えに捕らわれたことがある。中学2年の頃である。
 それに8年振りにまたとっつかまった(小規模には数か月に一回は襟首を掴まれているが、どうも本格的に)。
 8年前のほうがまだマシだ。当時はこのような甘ったれた考えは、自分の心の中にしまっておけたからである。



 SNSが嫌いだという人の気持ちがよくわかる。「構ってちゃん」によるこうした世迷い言や泣き言にぶつかるのは、決して愉快ではない。



 泣き面に蜂。お山の大将は討ち取られた。



 しょせん上っ面なんだよ。薄っぺらの。

流れとよどみ 1

2007-08-23 22:17:19 | かんがえ
 予告した「都賀・安蘇記」ですが執筆は無期延期することにしました。相当の心境の変化がない限り書かないと思います。

 「相当の」というのは、考え方の方向(ヴェクトル)が大きく変化するということであって、その変化に必要なモーメントは甚だ小さいものであると考えられる。
 心境って本当に勝手。それから高校物理をまったく履修してない身なので用語法に誤謬があると思いますが見ないふりをよろしくお願いします。



 もっと破滅的・壊滅的な文字列を作ってやるつもりだったのに。なんでこうかっこつけちゃうかなあ。ばかばかばかばかばかばか。



 基本的に「構ってちゃん」である。多くの友人は来春職に就く。これまで以上に構ってもらえなくなるかと思うと、発狂しそうなほどに不安である。
 絶対無理だね。



 げにいなましよ。



※タイトルは大森荘蔵の同名の著作より

都賀・安蘇記(予告編)

2007-08-23 14:06:24 | かつどうのきろく
 昨日は七味とうがらし嬢と、栃木県南西部を回って来ました。具体的には、宇都宮(大谷観音&大谷石地下採掘場跡)・鹿沼(川上澄生美術館)・佐野(某ラーメン店)の各市。宇都宮が南西部なのかという突っ込みは却下する。中央というものは、一緒にされるものに合わせて常に変幻するものなのだ。
 で、実に面白かった。栃木県てのはあれですか、文教分野に結構予算をさいてらっしゃるみたいですね。うらやましいものです。
 詳細は後ほど。

「若い女性はピンク好き」だと?!

2007-08-22 00:00:53 | かんがえ
(時事通信社 - 08月21日 11:01)
 若い女性がピンクや赤を好むと思われているのは本当であり、文化的要因より生物学的要因による可能性が高いと、英ニューカッスル大の研究チームが21日付の米科学誌カレント・バイオロジーに発表した。人類が霊長類から進化する過程で、男性は狩猟、女性は果実などを採集する生活に適応し、果実が熟していることを示す赤みに敏感になったと考えられるという。


 やめてくれよ本当に……。

 言わせてもらえば、「男性は狩猟、女性は果実などを採集する生活に適応」というのが、そもそも紛う事なき【文化的要因】だと思う。

 仮に、こういう役割分担が行われたことによって性別で感覚に違いらしきものが現れたのだとして、そんなものを生物学的要因と言うことができるのか?
 これが、「文化もしくは社会の構造が、人間の行動原理に何らかの影響を与えている」という話でなくて何であろうか。

 たとえば、しばしば「女投げ」ということが言われる。女性は野球の球などを投げるのが下手という通念に基づき、その様にならないフォームを指していう言葉である。確かにプロ野球の始球式などで女性アイドルなどが投げるのを見ると、大概が下手っぴいである。
 しかしこれとて、女性の多くが幼少の頃野球やキャッチボールなどをして遊ぶ時間が少なかったために、単純に慣れてないというだけの話だという。事実、野球のようなスポーツのない地域で生まれ育った人は、筋骨隆々の男性であろうが「女投げ」をするとのことである。逆に、マイミクの女性陣にもソフトボール経験者が数人いるが、彼女らが「女投げ」をするとは思えない。男女で骨格や筋肉の付き方が違う訳ではないのだから、これは当然と言えば当然のことであるが、文化・習慣の高い壁がそのことを見えづらくしている。単に、練習すればできるようになるというだけの話なのだ。
 そして、女性があまり野球をやらない(やりたがらない)というのも、社会の「野球は男のスポーツである」という無言の規定に影響されているものである。これでも、「女は生物学的にボールを投げるのが下手だ」というような説を信じますか?

 話を戻して。
 そもそもこんなコチコチ頭の役割分担が、原始の時代に成立し得たとは思えない。そんなのは、社会に階級がある程度固着してから成立した役割分担文化からの類推に過ぎないものだろう。その日一日生きるか死ぬかという厳しい生活の中では、性別による役割分担などという悠長なことを言っている場合ではなかっただろう。

 どう考えたって、性別のような概略的な枠で狩猟組・採集組を分けるのは戦略的に不利だ。「最も優れた女性も、最もダメな男性に劣る」(ショーペンハウアー)なんて御託を信じるなら別であるが。狩猟に向いた人が狩猟に、採集に向いた人が採集に従事するというのが一番素直で有利なはずだ。そしてそれは、性別で一義的に決まるものではないはずだ。
 にも関わらず性別で狩猟・採集組が決まるのであれば、それは明らかに文化のなせる業である。生物学的なんて話が入り込む余地は毫もない。


 この【生物学的】という言葉は、ジェンダーフリー運動に対するバックラッシュ(反動)側がここぞという所で用いるマジックワードである。登場時「ジェンダー」という語が、【生物学的性差】たる「セックス」との対比で【社会的・文化的(に創り出された)性差】と定義された経緯があるためで、バックラッシュ側としては、《社会的性差というものを認め(るふりをし)ながらも【性差】を主張する》というスタンスを取ることができるため、非常に便利なのである。また、ジェンダーに理解のある人からしても、【生物学的】は守備範囲ではないという意識が多少なりとも働いて、つい信じ込んでしまいがちな落とし穴でもある。

 あまりいい加減な【生物学】には、十全に気を付けなければならない。

全国制覇

2007-08-17 01:28:02 | 分類なし
暑さ「限度超えている」=無料アイスも-国内最高気温の埼玉・熊谷


※噂によると「八木橋でアイスを配っていた」らしいので、上記リンク先記事の「ショッピングセンター」は「百貨店」の誤りである可能性があります。




 いやあ。遂にやりましたよ我が街熊谷。岐阜県多治見市とタイではありますが、悲願の全国制覇を果たしました!!

 15日の館林市に16日の熊谷市、そして前橋市・伊勢崎市や本庄市といったあたりが、ヒートアイランドでもないのに(まあ近年はややなりつつあると思いますが)東京より暑くなるのはなぜでしょうか。
 盆地だから、と思っている方が意外に多く(なんと地元にも)いますが、関東平野のど真ん中であるこの地域にはそもそも起伏らしい起伏もなく、これはまったくの事実誤認であります。これはおそらく京都や、近いところでは甲府市などが盆地で暑いという特性をもっているために、そこからの類推で広まった誤りでしょう。
 そうではなくて、この暑さは基本的には東京湾から吹きこむ南東の熱風によるものです。最初から熱い風に東京の熱が加わり、さらに熱くなってこっちに吹いてきます。
 加えて、秩父山地からフェーン現象により昇温した西風が吹き下ろしてきます。このフェーンが一番ノッている時間帯が、関東平野の真ん中に、東京湾のくびれをそのまま伸ばしたかのような、南東から北西にかけての高温帯が生じる時間帯になります。伸ばしたといっても、南東の端は東京湾には接しません。先述のフェーン現象の影響を受ける範囲の南端が大体鴻巣市あたりなので、ちょうど高崎線に沿うような形で、そのあたりから熊谷、利根川を渡って館林・太田・伊勢崎、右岸に戻って深谷・本庄、神流川を渡って高崎、三度利根川を渡って前橋あたりの地域を囲う斜めの地域が、内陸に浮かび上がる高温帯になるのです。
 2007年に関しての特殊事情もあります。夕立がない。すなわち、昼間上がった気温が夜を前にして下がらないのです。そうすると、夜の間に自然に冷える分しか降温しないということになり、気温が高いまま朝を迎え、たちどころに暑くなりはじめるというわけです。実際16日の最低気温は28.8℃、15日は26.3℃、14日26.4℃、13日を挟んで(といっても24.7℃)12日25.6℃、11日25.9℃、10日25.9℃(15日~10日はいずれも速報値)と、昼暑くても熱帯夜は少ないはずだった熊谷らしからぬ状態が延々続いています。

 日本観測史上最高を更新した16日の40.9℃ですが、もし日照時間が15日と同様であったら、41℃台に達して単独での記録更新となっていたことでしょう。

15日
  12時~13時:58分
  13時~14時:60分

16日
  12時~13時:54分
  13時~14時:50分

(携帯サイト「お天気ナビゲータ」による)

 気温が最も上昇するこの時間帯に、14分もの差があるのはかなり大きいはずです。実際各正時の気温速報値の推移を見ると、正午を過ぎてからの伸びがもう一つであり、逆に言えば若干まだ伸びしろがあったとも言えます。
 また、16日の熊谷地方は終日北西寄りの風を受けていました。これはすなわち、先程紹介した暑さのメカニズムからすれば、東京湾からの吹き込みが弱かったことを意味します。通例この時期であれば、終日、もしくは午後いっぱいは南東寄りの熱い風を受けている訳ですから(15日の39.4℃もそうでした)、これは昇温にとって妨げになったはずです。この点からもまだ伸びしろがあったと言えます(ただしいつも通り南東風が卓越していれば、埼玉県南の越谷市あたりに記録をもっていかれていた可能性も出てきます。名前は似ていてもやはりそれでは悔しい(笑))。

 さて、いろいろとわかったようなことを書いてきましたが、わたしはこの記念すべき記録樹立には立ち会えませんでした。今日の日中は大学に行っており、記録が出たであろう14時過ぎには国語研究室内にいたのでした。そして助教さんに、「今日は熊谷が記録を塗り替えますよ」と熱く語っていたのでありました(笑)。


 記録更新により熊谷市の名前が全国に売れるのは喜ばしいことですし、キャッチコピー「あついぞ!熊谷」の説得力もこれで一段と増したわけですが、上記ニュースで市職員の方が心配されるように、さすがに生活する方からすればそろそろ危険な領域にやってきてしまいました。地球温暖化、ヒートアイランドなど様々な問題もあります。記録更新ラッシュの夏とならないよう、願いたいものです。

【恥晒し】退屈を大さじ2杯半

2007-08-15 22:00:59 | 分類なし
注意:お読みになってもつまらないですわよ。およしになったが吉ですわ。








 暇だ。やることが仕事(i.e. やる義務がある活動:塾授業の準備、学校の予習、レポート、専攻分野必読文献読み、楽器の基礎練習、部屋の整理など)しかなく、それ以外の時間にやることが何もない。ふと振り返ってみると、先月末以来仕事に追われていて、友人という友人に一切会っていなかった(通りすがりに1名と偶然会ったのを除く)。連絡すらほとんど取っておらず、その連絡というのも(ごく少ないうちの)大多数が事務的なもので、夏休みだからどうの、というものではない。

 このままではノイローゼ一歩手前まで行った一昨年の二の舞になってしまう。退屈しのぎが下手なのは昔からのこと、いい加減に暇を持て余さないで何かしらの息抜きをする方図を自力で手に出来るようにならないと、人生危なそうだ(オーヴァーだが、現実味は全く無いでもない)。


 ここまで書いて眠ってしまう。そして見た夢では、
・ちょっと前に現実に会った人と見知らぬ街を散歩し
・着いた駅で現実にはずいぶん会ってない人に出くわすも、一旦別れたら再び会えず
・その間に最前の人はどこかに行ってしまい
・仕方なく巨大アミューズメント施設(とてつもなくレトロな建物で、一番の目玉は囲碁)に無料体験しに行くも、もう一つ魅力を感じない
というよくわからない、しかしとりあえずがっかりな感じの展開があった。

 ……人と遊びたいのだろうか。確かに夏休み、遊ぼうと思えば遊べる時期ではある。実際、半月以上に渡って全くと言って良いほど遊んでいない。学期中より遊んでいない気すらする(勿論錯覚であり、これは生活に「あそび」(playじゃなく「余裕」の方)がないとでも言うべき代物)。

 極端に人恋しい気分が去来することがある。半月後に迫る上野ゼミ合宿での発表の準備が済む目処が未だ立たない以上、遊んでいる暇はないと、口では言うけれど。
 まあ、寂しがりでいつも誰かと一緒にいたくて仕方ない一方で、自分から連絡するのを億劫がる、もしくは怖がるというジレンマを抱えるのは昔からのこと。


 つまらないな。

 そして、こんなことを書くのは本当に下らないな。何でこんなこと公表してんだろ。その意図を我ながらよーくわかってるだけに、実に下らない。

初心者卒業

2007-08-14 00:54:53 | かつどうのきろく
 昨年の今日(2006年8月14日)、普通自動車第一種運転免許を取得したので、13日をもって初心運転者の期間は終わり。晴れて無事故・無違反。車体の若葉マークは外しても、去年から使っている若葉マークのキーホルダーは当面使い続けることにしよう。

 さて、クルマを運転するのが好きな人にとって、その楽しみとはどこに存在するものであろうか。これは本当に人それぞれだとは思うけれど、わたしにとっての楽しみの一つに遵法というものがある。
 非常に単純明快であるが、
・制限速度(無ければ法定速度)を守る(教習所の検定で見逃される+5キロの誤差までは許す)。
・一時停止義務のある場所(標識のある所、踏切の手前など)では確実に車輪を止める。止まったつもり(dead slow)じゃだめ。
・黄色信号はよほどギリギリか後ろが詰まっているかでなければ止まる。というか歩行者信号の点滅などをちゃんと見ていればほとんど止まれる。
・横断歩道や交通整理の行われていない交差点付近で横断しようとしている歩行者がいたら止まる。
・道路に隣り合う場所に入る(から出る)ために歩道を横断する前に、一時停止する。
などなど。これらはみんな教習所で習うことであって、自動車運転の基本中の基本であると思われる。
 さらに、
・一時停止義務のある場所で、停止位置(停止線、標識の根本、交差点の直前のいずれか)から交差道路が見通せない場合、三段階停止を行って安全確認をする。
・ほぼ同じ規模の道路が交差する交通整理の行われていない交差点では、優先道路を走行中であっても減速して、万一に備える。
・先頭で信号待ちの時は青信号になるまでは絶対ブレーキを放さない。青信号になっても左右等の安全を確認してからブレーキを解除する。
といった、法規制以上のことも楽しみに加えられる。ちなみに「三段階停止」とは、1.正規の停止位置 2.交差道路のドライヴァーから自分のクルマが視認できる位置 3.自分から交差道路の安全が目視できる位置 の3位置で一時停止し、安全を期すことである。また、
・夜間、明らかにヘッドライトを上向きにしている対向車にパッシングをくれてやる。
などを挙げることもできる。

 特に痛快なのは制限速度の遵守であろう。時に、いかにも飛ばしたがりみたいなクルマが後ろからやってきて、いかにも邪魔そうに車間距離を詰めて来たりするが、そういった時には殊更に制限速度を守ってやる。追い越しを仕掛けてきたらおとなしく左に寄ってやる。そして次の信号で追いついたりすると、内心笑いが止まらないといったところである。
 冗談半分に書いたが、制限速度は意味があって設定されているわけであって、守って当然のものである。さらに法定速度となると「設計速度」の問題も絡んでくる。すべからく道路というものは、「何キロまでなら安全」と言える曲線半径・勾配などで設計されており、一般道ではその上限が60キロなわけである(高規格道路などを除く。熊谷近辺であれば、国道17号熊谷バイパスの肥塚柿沼立体本線(高架部)がそれで、設計速度は80キロ。でも今のところただの一般道だから法定速度は60キロ)。わたしはリスクを冒してまで急ぐつもりもないし、そもそも急いでいない。
 冒頭の話に戻るが、わたしはクルマを運転するなら長時間運転していたいタイプである。生来ののんびり屋でせかせかしたのが嫌いであるのに加えてこれがあるので、自然、制限速度超過という違法行為を犯す動機が無くなる。
・スピード狂でないので、スピードを出すことに魅力を感じない。
・優等生なので、遵法していることにかっこよさを感じる。よって速度制限を守る。
・急ぐのが嫌い。よってスピードも必要以上出したくない。
・長いこと運転したい。スピードをあまり上げると目的地に着くのが早くなる。よってスピードは控えめに。
これらの理由により、わたしは今後とも断固速度制限を遵守させて頂く。追い越し禁止の場所でない限り、お先にどうぞ!!

クルマバトン

2007-08-13 01:17:46 | ばとん
 わたしは決して「クルマ好き」ではないので、その筋の方々を満足させられるような回答は出ないと思いますが、まあクルマは好き(「クルマ好き」との差異を感じて下さい)なのでやってみましょうと。


[クルマバトン]

Q1.あなたが乗っている車について教えてください。

☆日産マーチ(K11) ルンバ
★日産セフィーロ・エクシモ(A33) 標準車


Q2.あなたの車のココがウリ!っていうのがあったら教えてください。

☆やはりコンパクトさ。乗り始めてすぐに車体全部が身体的に把握できる大きさ。かなりの隘路も怖くない。あとはともかく軽い。すいすい。
★安定感がある。初代はパーツ互換性などもあって走り屋の皆さんにも注目されたというが、特に高速走行時はなんともむっつり(←これってホメてるか?)走ってくれる。あとエンジンブレーキはオートマとしてはかなり強力。Dのままでもノーブレーキでだいぶ引っ張れます。

 
Q3.サーキット、ジムカーナ、峠。あなたは愛車をどこで走らせますか?

☆★公道


Q4.正直、この車だったら乗り換えてもいいという車があったら教えてください。

Classic Mini(Mr. ビーンのやつね)
BMW MINI Cooper(日産マーチ(K12)ラフィートに似てると思う)


Q5.好きな車のメーカーはありますか?

まあ、日産自動車。


Q6.車に必ず積んでいるものは?

非常停止用の三角板(笑)


Q7.車の中でよく聞いている音楽を教えてください。

そもそもあまり長距離ドライヴをする機会がないので、音楽を聴くことも少なくてございます。また今の季節(夏真っ盛り)以外は窓全開が基本なので、迷惑にもなるだろうしね。
☆カセットしか聴けないというのもあるが、ほとんど聴かない。そもそも1000cc(実質990cc)のエグゾースト・ノートを聞いているとホント愛おしくなるので、よほど退屈しないかぎりBGMはなし。で、退屈してくると聞こうかという動機なので、聞くとしたらラジオですね。最近はラジオで新しいアーティストを開拓します。
★CDが聴けるので(笑)、下道ではキリンジ・ビートルズ、高速ではYMO. ベタだけど、加速車線で「ライディーン」が“チッチキチッチキチッチキチッチキ……”と始まり、本線車道に入ると同時に“チャンチャンチャーーーーーン”と来るとやっぱり心躍る。


Q8.今の車に対する不満があればどうぞ。

☆オートマチックの変段(特にロー→セカンド)がかなり「ガクン!」となるとこ。フロントガラスがすぐ汚れる。撥水するかな。
★むっつりしすぎている。キャビン静粛性が高すぎる。重い(特にルンバちゃんを運転した直後に乗ると、動くのか?と思う)。


Q9.車好きになったきっかけは?

繰り返しだけど「クルマ好き」では決してありません。
ちなみに「クルマ」というカタカナ表記は日産仕様です。


Q10.恋人に「私と車どっちが大事なのよ!?」「俺と車どっちが大事なんだよ!」って
聞かれたら、どうしますか?

前回答借用。
末次トオルじゃないけどそんなこと言われたらもう終わりだと思う。
ところで末次トオルって誰ですか。


Q11.今一番ほしいパーツをどうぞ。

☆正確には何ていうのか知らないけど、後付けのタコメーター。
★特になし

 
Q12.キャンギャルでイチオシがいたら教えてください。

前回答借用。 
車関係なくね


Q13.車に乗っていて、起こったおもしろハプニングがあったら教えてください。

特になし。「おもしろ」ハプニングなんてそうなくね?


Q14.得意な車の技?などがあれば教えてください。
  
何もなし。


Q15.愛車のほかに好きな車はありますか?あったら教えてください。
  
「乗り換えても良い車」参照。
他には、日産シーマ、トヨタ・ハイエースロングバン(笑)
シーマは昔っから好きだけど、乗りたいかっていうとまた別だよね。
     

Q16.車を選ぶときの条件は?
  
 かわいくて低排気量で燃費がよいこと。燃費こそ環境性能です。
 実際ルンバちゃんとセフィーロを両方運転していると思うのですが、熊谷みたいな平坦地しかないところであればクルマってホント1000ccで事足りるよな、と。


Q17.助手席に乗せるなら誰がいいですか?

 女性専用席です(笑)。嘘です。

  
Q18.あなたの愛車、土足禁止ですか?
また、これだけはやめてくれっていうことがあったらどうぞ。

 質問の趣旨と違うけど、こないだふと思い立って地下足袋で運転したら結構新鮮な感覚だった。裸足でペダル踏んでる感覚。
 禁煙。嘔吐もやめてくれ。
 

Q19.今の愛車にあと何年乗り続けたい?

 壊れて、常識的な金額で直せなくなるまで。


Q20.このバトンをまわしたい人は?

 カツケン、のんママ、ちゃんポン、言わせて爆弾発言(敬称略)

暑さのせい

2007-08-11 02:59:37 | 分類なし
 明日(というか、日付上は今日)は、熊谷花火大会だそうですね!

 ……えーと。「だそう」というのは大嘘でね。ずっと前からわかってましたとも。念の為予定空けときましたとも。空いたままですけども
 というわけで、ご家族・友人・恋人などなどとお出かけの皆さんはぜひお気をつけて楽しんでいらして下さい。はるかは「遠花火(とおはなび)」という、もしかすっと死に絶えつつあるかもしれない雅を体現しつつ、お家で仕事してます。

 と言いつつも、もしこれから誘われるようなことがあったらワンワンと飛びつくんですよ、きっと。そんな自分が大嫌い。


 実はこの後、小一時間かけて回答したバトンが続くはずだったのですが、PCの不調によりおじゃんになりました。「おじゃん」ってのは半鐘の音のことなんだそうですね。確かに半鐘が鳴るような時代に火事を出したら、建物ぐるみ全部ぶっ壊されてしまうわけだから、そりゃ確かに「おじゃん」だ。



 10日22時からNHKで尾崎豊の特集をやっていて、ちょっとだけ見たのだが、やっぱりこの人にはあまり共感できないと感じた。最近売れっ子の脳科学者・茂木健一郎がなぜかちょいちょいコメントを挟む役で出ていて、「最近の学生に尾崎を聞かせてもあまりピンと来ないということが増えたが、まずいことである」と意味不明なことをおっしゃっていて、それはなぜかというと「社会から情熱が無くなっている」ことを意味するからというまったくもって論理的に成り立たない御託を垂れていらしたので、もうこの人の言うことは話半分に聞くことにした。
 まじめな話、こう「大人」とか「学校」とか「社会」とかに噛みつくタイプのガキって昔から嫌いなんである。特に噛みつくことに酔っているようなのは。尾崎は不登校だったそうでその点は同情するけれども(彼はわたしのようなやつに同情なんかされたくないと言うだろうけれど)、15にして覚えたての煙草を吹かして盗んだバイクで走り出すようなのはまあ持て余すというか、知らんというか(彼はわたしのようなやつに理解されなくたって一向に構わんだろうが)。
 その一方で、わたしに足りないもののひとつがこうした尾崎的属性なのではないかとも思った。