はにかみ草

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金静美さんの講演、「故郷・国家・世界、そして・・・解放のインターナショナリズムへ」

2009-06-21 15:08:03 | 公開
昨日は、大阪の河合塾(かわいじゅく)という予備校でおこなわれた、金静美(きむ・ちょんみ)さんの講演会を聞きにいってきました。(前ここで紹介しました。)本当にすばらしい1日になりました。

一番最初に書いてしまうのですが、昨日死ぬほど驚いたことは、金さんがなんと私のブログの記事をいくつか見てくださっていたということでした!ぎゃおー!うれしいー!驚きのあまり言葉が出ませんでした。



講演を主催したT先生は、まず金さんをなぜお呼びしたかということから話されました。金さんの著作は、

『中国東北部における抗日朝鮮・中国民衆史序説』(現代企画室、1992年)
『水平運動研究史──民族差別批判』(現代企画室、1994年)
『故郷の世界史──解放のインターナショナリズムへ』(現代企画室、1996年)

などがあります。私は2年前に、『故郷の世界史』を読み、天皇制や侵略戦争への金さんの激しい怒りを感じ、ぜひご本人にいつかお会いしたいと熱望していました。上の2冊は、ちょっとお値段が高くて(8000円ぐらい)、まだ手にいれていませんが、いつか読みたいです。

T先生は、「金さんの本は、日本人以外の視点で、中国語や朝鮮語の文献をもちいて、満州でなにがあったのかを日本の外部から調べつくした。日本の内部に閉じこもることへの風穴をあけた」ということをおっしゃいました。また、その問いかけは、「日本人」がどういう日本社会をつくっていくのか、自分の問題としてどう受け止めるかということでもあると問題提起されました。


講演のタイトルである「解放のインターナショナリズムへ」は、Tさんの言葉では「私たちを「○○人」に押し込めようとする近代の国家システムにどうあらがうか、ナショナルからどう解放されてインターナショナルの連帯をつくっていうのか」、という意味に解釈できると思います。

しかし日本国籍や選挙権をもつ大多数の「日本人」が、その政治的責任を放棄して一気に「地球人」などになるということはできません。

日々日本語を話すことにより、日本人につくられていき、公(おおやけ)の歴史ばかりを見ることによって、支配者の歴史と一体化してしまう、そのような「日本人」こそ批判されねばなりません。そこから抜け出すために、漢語などの「中国語」や朝鮮語や台湾語、原住民族のことば、アジア地域の言語を学ぶ必要があるし、今まで歴史に埋もれてきたひとびとの声を聞き、応答しなければいけない。


日本帝国主義の犯罪をあばきたてることを「自虐史観」といって、マジョリティの歴史をまもろうとする動きが大きくなっていますが、歴史に書かれてこなかった人々のことをもっと知らなければいけないし、そうでなければ勝者の歴史しか見ないことになってしまうでしょう。


(これは私の意見ですが)、日本国籍を持つ自分は、法的政治的権利を行使して差別的な日本社会のありかたを変えていく必要がある。でも、文化的同一性などの「日本人性」は同時に解体していかなければならないと思います。
被害者に「日本人は許すことができない」といわれて「いや、私日本人に同一化したくないんで。」などということは、責任逃れに他なりません。

そこで糾弾される「日本人」とは、戦後責任を負おうとしない、自分たちの「平和」だけに閉じこもろうとする日本人なのでしょう。それを変えないかぎり、他者の声を聞かないかぎり、いつまでも被害者のひとびとに「日本人を許さない」と言わせ続けてしまうし、そこからのがれることはできないと思います。




講演では、『日本が占領した海南島(Hainandao:はいなんだお)で 60年前は昨日のこと』(企画・制作 紀州鉱山(きしゅうこうざん)の真実を明らかにする会)というドキュメンタリーを見ました。

このタイトルも、海南島の被害者のことばだそうです。

講演を始めるとき、金さんは涙をおさえられず、話すたびに一息つきながらお話をされましたが、私も涙なしには見ることができませんでした。


うつしだされたのは、海南島の三亜市田独鎮南丁村(サンヤーシー ティェンドゥーチェン ナンディンツゥン)の「朝鮮村」(チャオシエンツゥン)です。
そこは、植民地下の朝鮮の刑務所から連衡された朝鮮人が、鉱山や鉄道敷設などの強制連行をさせられ、虐殺された場所なのだそうです。
朝鮮人だけでなく、台湾人、香港人も強制労働をさせられたという証言がありました。

金さんたちはそこで遺骨の発掘作業をされ、遺骨のそばからは、鉄片や手帳
服の白いボタンなどが出てきたそうです。虐殺の現場をみた証言者は、青い服をきた朝鮮人が、鉄線で木に手をしばられ、棒でたたかれながら火に焼かれるところを見て、そのときの悲鳴がまだ離れないと言っていました。また、朝鮮人に同胞を殺させたそうです。

こうやって言葉にしていくと、映像での証言者の身振りや手振り、悲鳴を再現する声などは ここでは分からないですね…。映像で伝えることもメディアのうちの重要なひとつだと思います。


日本軍にひざを殴られ、足がまがってしまった女性、刀の傷跡などを見ると、私が南京にいったときにお会いした、南京大虐殺を生き延びた 夏淑琴(シァ・シュ-チン)さんを思い出しました。
海南島でのようなことは、日本が侵略した各地でおこってしまったことであり、いまだに語られていないこともたくさんあるでしょう。

金さんたちが調査にいったときも、「あなたたちに話すのが最初だ」という声も多かったそうです。恥ずかしいことに、私は海南島の位置すらあいまいでした・・。
いつか是非訪れてみたいと思います。


「自分が翌日殺され、その自分の遺体を埋める穴をほらされた」という場面や、首を切られるところを再現する場面もあり、それを見ていると、台湾の原住民族が日本人に首を切られる写真を思い出しました。


このようにして殺されたかたの数はあまりにも多いし、数だけを見ているとその人の顔を思い浮かべ想像するのが困難になってしまいます・・。数として示されることで、一人ひとりの人生や顔に思いいたらなくなってしまうというか…。


また、当時日本軍がつくらせた飛行場のコンクリートが、いまも人びとの生活を妨げているそうです。海と山、田園風景やにわとりなどが住んでいる風景に、無機質なコンクリートがおおいかぶさっていました。
動物も人間も自然も、日本の南方侵略の拠点として資源を収奪され、自給自足であった海南島のひとびとを餓死においやったと 金さんは言われました。

重要だなと思ったのは「海南島の人の暮らしに比べて、日本が豊かなのはなぜか、それは奪ったものを返していないからだ」とおっしゃったことです。
人から奪ったものを土台にして日本は「繁栄」しました。しかしそのような偽善の「平和」、「豊かさ」は維持するべきなのでしょうか?

質疑応答で ある塾生が、「金さんの話を聞いて、それは「平和に暮らしたい」というひとの願いをさまたげることになる。」とか「知らないこともマイノリティなんだから、分かるように説明してほしい」という声がありました。

それにものすごく腹がたって、「それは勉強不足で無知だ」と抗議した女性もいたし、T先生も「言葉の乱用ですよ」と指摘し、また別のかたは「そんな平和なんて守らなくていい」と議論をしました。

私もむかついて冷や汗をかいたので、「これだけ金さんが説明してまだ「説明してほしい」って何ですか?マイノリティに説明責任を課すのはおかしい。自分で勉強したらいいじゃないですか」といいました。怒りで手が震えました。

しかしその塾生のような意見は、日本社会の大多数の声を代表しているように見えます。自分たちの「平和」だけ守れたらいいのでしょうか?

でもあとで金さんと話しをすると、「ああいうふうに自分の意見を言いにくるのはいいことだ」とおっしゃっていました。「この議論をできたことだけでも来たかいがある」とも質疑応答のときに言われ、びっくりしました!ほのぼのと「河合塾の若い子は元気でいいですね」とおっしゃるところを聞くと、金さんすごい・・。私ももうちょっと冷静に言えばよかったと反省するのでした。


また、民族名で発言されたかたもいて、あとで話しにいくと、(私のことを)「どっかで見たことある」と言われ、話をしているうちに、2年前にある集まりでお会いしたことを思い出し、驚きの再会という出来事もありました。ドキュメンタリーを制作しているそうで、先週の河合塾での雨宮かりんさんの講演も参加されたそうです。在特会のデモの話もちょっとされたので、「おぉ、こんなところに仲間が!」と、心臓の鼓動が早くなりました。

「雨宮かりんさんが右翼の時代、よりどころは天皇でもなんでもよかったと言っていた。自分も小林よしのりにひかれた。どういう気持ちで若者が右傾化していくのか分析したい」とおっしゃいました。

共通の友人もいることが発覚して、やっぱり世間はせまいですね。

その日は東京から来られたかたとも友人になることができて、嬉しい出会いがたくさんでした。
かなり長くなってしまって、またブクマに「長すぎて読めない」タグをつけられたらどうしようと焦りますが、最後にもうちょっと書きます。

ドキュメンタリーの最後で、韓国の音楽とともに、世界各地での抵抗の写真がうつしだされました。「日本の侵略時代は、反日・抗日闘争の時代であった。それはまだ終わっていない」という字幕とともに。


イラクでの戦争の写真からはじまり、海南島での女性戦士たち、チェチェンの写真、海南島のオオカミ、沖縄のジュゴン、朝鮮の3・1独立運動、パレスチナのアパルトヘイトウォール・・・。世界各地に、侵略者によって殺されたひとびとの遺骨が埋まっている、日本人にはぜひ、加害者の証言をあつめたドキュメンタリーをつくってほしいとおっしゃいました。

金さんたちは虐殺にかかわった日本軍の名簿を手にいれて、住所を調べ家までたずねたそうですが、誰一人として加害の責任を証言しようとしないし、口をとざして寿命をまっとうしているといいました。玄関で追い返されたこともあるそうです。


「侵略犯罪に時効はない」し、「人を殺してものを奪って喜ぶ日本人のモラル」を私たちが変えていかなければならないと、強く思いました。ほんとうに、あれだけ人を殺した日本人が「勤勉で礼儀ただしい」とか、ありえないですね・・。




やっぱりドキュメンタリーを見ていると、いつか通訳になりたいと思いました。
ビジネスのために漢語(「中国語」)を勉強するひとは多いですが、ああいうふうに被害者の言葉を聞き取って、伝える媒介になれたらいいのに・・。
なのでもっと漢語を勉強しようと思いました。将来は通訳をして生きたいです。
語学は持続が大事なので、4年間続けてきたことを中断せずにやっていきたいです。それも恩師のありがたい影響です。




どんどん長くなりますが、最後の最後に日の丸について書いておきます。

金さんは、「国旗国家法で、植民地の人たちに強制された日の丸を日本人が無条件に受け入れているのはなぜか」と言われました。日本が海南島を侵略したときも、「海南島人は無知蒙昧(むちもうまい)だ。日章旗がひるがえることを喜んでいる」と日本のマスメディアが報道したそうです。


先日の在特会反対デモで、日の丸の赤い○を うんこにした旗がありました。


私は最初、それはユーモアだと思って支持したのですが、いろんなかたに意見を聞くと、「ユーモアを共有する人たちの間でしか通じない」という問題性もあるし、
在特会まではいかなくても、「健全なナショナリズム」をよそおい、日の丸を支持する人とどう丁寧に対話をするのかといった課題もあると指摘されました。

また、自分の意見ですが、日の丸を拒否する日本人の存在を可視化させたという点では意義があるし、すべてを否定することはできないと思います。
対話をしていく責任も引き受けなければなりません。


あるところでは、(「ふせいぎを ゆるさず、そんざいと そんげんを まもるために たたかう みんしゅうの ための はた」)Fさんに、

「いかりを わらいに かえることは できても、きょうふを わらいに かえることは できないと おもいます。きょうふ している ひとが むりに わらおうと すると、きっと とても ひきつった わらいかたに なるように おもいます。 」

と批判をいただきました。

侵略されるときに日の丸を見たひとびとがもし 日の丸をうんこにした旗を見ても、私のようにすぐ笑えないかもしれないし、つらい記憶を思い出す人も必ずいると思います。
それを抜きに、単に面白いと言ってしまう自分の発言は批判的に見なければいけないです。

でも、「あの旗を見ても被害者は笑わないだろう」と、被害者の反応を決めてしまうことはできないようにも思います。それは被害者を一面的にとらえることにもつながってしまいます。

書いていて思い出しましたが、在日朝鮮人で日本軍「慰安婦」であった宋神道(そんしんど)さんは、『俺の心は負けてない』とうドキュメンタリーで、証言か裁判後の集会で思いっきり歌を歌われたり、集会に来ているひとに「はい、そこのあんた」と発言をうながしたり、一般的に思い浮かべる被害者の女性像とは印象がまったく違うかたでした。

被害者といえば、つい自分は、泣いて証言するところとか、苦しんだり怒ったりするところを主に想像してしまいますが、それはある面でしか人をとらえていないことになります。つねに同質化に対し、差異をさしこんでいかなければいけません。


ここで書いた発言は私が解釈したものなので、発言されたかたたちの真意とはじゃっかんずれるところがあるかもしれないことは おことわり?しておきます。

ブクマコメントでのお返事は量が膨大すぎてひとつひとつ返せません。
ここに書いたことでみなさんへのお返事とします。(あと平日はほとんど書けないのでそれもご了解ください)

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