日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(17)

2024年04月17日 04時04分01秒 | Weblog

 健太郎は、この地を離れてから久振りに降り立った奥羽の駅は、駅舎も新しく装い、正面の通りも広くなり町並みに新しいビルが整然と建ち並び、雪国特有の重苦しい雰囲気から脱皮して、都会的な明るさが感じられた。
 合併で市や街の名前が変更され、なにか心の片隅に寂しさもよぎったが、それよりも、駅のホームに健太郎の大好きな明るいメロデイーである「青い山脈」が流されていた。
 街の片隅の建物や路地裏に目をやると昔の面影が残っており、それらが郷愁を甦らせて懐かしさがこみ上げてきた。
 
 節子さんの妹さん夫婦が迎えに来てくれた車に乗り、少しゆっくりと走って貰い、説明をうけながら街並みを感慨をこめて見ながら家路に向かった。
 越後同様に雪解けが遅いが、ここ奥羽の街も山の懐に抱かれ地形的や季節的にも似ており、遅れて訪れた春も短く、郊外の田圃の早苗が揃った頃には早くも初夏の香りが随所に漂ってていた。
 幸い好天に恵まれ、空が真っ青に晴れわたっており、暖かい微風が野や山そして街にも心地よく吹きめぐり、促されたかのように林檎や桃などが淡白な色の花を咲かせて清楚な趣を感じさせくれ、健太郎が若き日に感じた郷愁を一層強く想い起こさせてくれた。

 若き日に勤めていた学校の裏山の林檎園も見ごろで、校舎裏にそびえて立つ欅の大木も悠然と昔日の姿を残し、新しい芽吹きで新緑が鮮やかである。
 山の麓から西側に緩やかに続くその地帯は丘陵となっており、昼休み時間などに生徒と欅の葉陰で日差しを避けて雑草の上に寝転んで戯れた日を懐かしく思い出した。
 欅の大木を見て思い起こしたが、新任教師として勤めていた頃。
 昼休みに熊笹を掻き分けて辿り着いた青草の広場で、普段は乱暴気味の男子生徒が、このときばかりは女生徒の指図におとなしく従い、持ち寄りの野菜や肉を不器用に調理して作った即席鍋をおかずに弁当を食べ、教室では得られない、生徒達の無邪気な会話に混じって大笑いしたこと。更には、健康美そのものの素足を惜しげもなく野原に投げ出して昼寝やお喋りする女学生の様子など、現代の高校生には見られない素朴で純真な学園生活が脳裏をかすめた。
 当時、高校3年生であった節子さんは、その中にいたかどうかは思い出せないのが残念だった。

 街並みを外れて、田と畑の中に周囲を防風の杉木立に囲まれヒバの垣をめぐらした広い一劃が節子さんの家で、母屋と白壁の土蔵がただずむ姿は昔日のままである。
 家の前の道路が舗装されている以外に、往時、下宿していたころの面影をそのまま残しており、家の中は改装されていたが、間取りは変わりなく、床柱と梁の欅の赤茶けた重量感のあるその造りは往時のままで心から懐かしさが甦った。
 用意された茶の間の囲炉裏には、炭火が赤々とたかれ、吊るされた鉄瓶からは湯気を吹いて部屋の雰囲気を温めていた。 広い囲炉裏の片隅にすえられた銅壷には、お銚子が並び燗のついた酒と串刺しのイワナの焼ける香ばしい香りが部屋に漂っていた。 
 健太郎は、節子さんの母親や妹夫婦の気配りに、改めて親しい気遣いを察し、昔日の懐かしい思い出に感傷的に若き日の自分を回顧した。
 家族一同の心の篭ったもてなしで早目の宴を、思い出話しを織り交ぜて楽しく御馳走になった後、母親が、陽もまだ明るいようだし、お風呂の支度が整うまでの間、近所に散歩に行ってくれば。と、薦めてくれたので、節子さんと鎮守のお宮様に出かけた。

 入り口の脇に、お稲荷さんを祭った小さな祠があり、健太郎は節子さんに従い杉林に囲まれた石畳を踏みしめて境内に入って行った。お稲荷様の入口前には一対のキツネに似た石像が夕日を浴びていた。
 節子さんも、今晩は何時も以上に機嫌が良く、狛犬に向かい
 「キツネさん、今晩わ~。お久しぶりねぇ。今日は私達の邪魔をしないでね~」 
 「あなたのお陰で、私達、今度夫婦になるのょ。あなたも、祝福してネ」
と囁いて、晩春の夕暮れとはいえ冷たい石像のキツネの頭をなでていた。
 石畳に残した自分達の足音も途絶えると、境内は一層静寂の杉の森に囲まれ、神秘的な世界に入って来た様な気分を誘った。

 彼女は、スプリングコートからハンカチーフを2枚取り出すと縁台に並べて敷いて、その上に健太郎と並んで座った。
 健太郎は、樹齢を重ねた見事な杉木立に目を奪われ紫煙をくゆらせていたところ、節子さんが夕餉の歓談から連想して、遠い昔の出来事を思い出したかのように、誰に言うともなく呟くように
  「健さんが、転勤するとゆう前の晩も、名残り雪が残っていたこの場所で、お別れの言葉を交わしたわね。 覚えているかしら。 帰宅したその夜、わたし、早々と床に入って、訳もわからずに泣けてしかたなったわ」
 「その晩、お宮様で健さんと二人で逢って、どうして転勤なんかするの?。と、訳も判らずに聞いたわね」
 「まだ、高校を卒業したばかりで社会のことなどわからず、3年も一諸に過ごして家族同様にと思っていたのに、急にわたしの前から去るなんて、わたしには理解できず、ただ、健さんのオーバーのボタンを弄り回しながら、降っては消える春の糊雪の様に、心の中で思ってはすぐ消えるモヤモヤとした思いを、上手にお話すことができず、無性に寂しい思いをしたゎ」
と話しだし、続けて
 健太郎が家を後にしたあと、暫くの間、父親は口数がすくなくなり、母は情けなさそうな顔をして、お前が意気地がないからだ。と、愚痴を零し、見かねた妹の悦子は自分に代わって先生にラブレターを手紙を出してやろうか。と、詰め寄り、家の中の雰囲気が急に冷え込んでしまった。と、当時の家の中の模様を小さい声で話し、更に
 わたしは、後日、これが恋なのか。と、自分なりに生まれて初めて知ったことを、しみじみと懐かしそうに話し終えると、健太郎の膝に手を当てて
  「あのとき、囲炉裏を囲んで、健在だった父と晩酌を酌み交わす健さんの笑い声が、とても明るく廊下に漏れて聞こえ、母の用意したお刺身を運ぶとき、わたしったら、幸せだわ。と思いつつも、何故か涙が目ににじみ、その様子を母に見られ恥ずかしさから、慌てて横を向いてしまったが、そのときの母の微笑が今でも胸にしみてるわ」
と、感慨深く語りだし「そう、そうだったのか」と、深く息を吸い込みながら返事する健太郎に、彼女は少し声に力を込め
 「健さんったら、毎日生徒を相手にしていたのに、案外、女心を理解出来ない人なんだから・・」
と言って、健太郎の太ももを軽くつねり苦笑した。 
 黙って聞いていた健太郎に対し、更に
 「その当時の、わたしの気持ち、今では少しは理解して頂けるかしら。どうなの・・」
と返答を迫ったので、健太郎は余り話したくない事を聞かれて返答に窮しながらも、その頃の想い出を語り始めた。

 彼は、節子さんの話を頼りに記憶を辿りながら
 「う~ん、また、なんでそんな遠い昔のことを聞くの」
 「人生は正に”諸行無常”で、一口で話なんか出来ないなぁ」
 「確かにあの頃、春の田圃の耕しや秋の稲刈り等、休日に君の父親の手伝いをして、田の畦で君達家族と一緒に輪を作って昼食をとり、力仕事をした後のお昼のお握りの美味しかったことを今でもよく覚えているなぁ」
 「その頃、父親の普段の話しぶりから、なんとなく君と僕が結ばれることを望んでいるのかなぁ。と、僕なりに薄々感じたことが度々あったわ」
 「けれども、当時は社会の価値観が今とは違い、教師と教え子とゆう垣根は厳然と仕切られていた時代であり、それに、君と僕はまだ若過ぎたし、君も僕も家の跡継ぎと言う宿命を背負っていたこと等、お互いに種々問題が大きく被さっていたので、若い僕の力ではどうにも答えを見つけだせなかった。と、ゆう以外、説明のしようがないわ」
と答えた後、その後の人生について、転勤先の同じ高校で音楽を担当していた律子(亡妻)と見合い結婚したが、3年後に父を看取ったあと、結婚生活8年目に律子が子宮癌であっけなくこの世を去り、それを追い駆ける様に今度は自分が結腸癌を患らい、幸いにも奇跡的に回復したが、その後は、先祖伝来の家・屋敷のことより自分の健康を第一に考えて、時折、秋子さんの世話になりながらも一人で慎ましく過ごして来たことを簡単に話た。

 節子さんは、すでに秋子さんから詳しいことを聞かされていたとみえ、頷くだけで深く聞くこともなく、自分のこれまでの辛かった思いと重ねて静かに聴いていた。
 健太郎は話終えると、彼女を抱き寄せキスをしたところ、彼女は、それまでの思いを全て拭い去るかの様に、彼の背中に廻した指先に力を込めて抱きつき、熱い唇を何時までも離そうとしなかった。

 
   
 

  
 

 
 
 

  
 

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