日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山里のうた (11)

2012年05月28日 07時10分30秒 | Weblog

 社会主義国とはいえ、庶民の中に儒教意識の残る中国では、世界中の資本市場が欧州の金融不安で騒いでいるのに、自国の経済方針を堅持して悠然と伝統的な慣習を守っている。 
 政治体制とは別に、大陸的な人間性もあるのか、歴史の重みを考えさせられる。
 健太郎の住む街も、都会の急激な価値観の変化や煩雑さとは異なり、田植えを終わり春の農繁期が過ぎると外仕事も一段落して、人々は毎年恒例の憩の行事を楽しむ習慣がある。 けれども、若い人達が持ち込む合理的な都会の文化が、良き伝統を大事に受け継ぎながらも、少しずつ古い慣習の岩盤が静かに移行し改められている。
 つい一昔前までは、出稼ぎや藁仕事などで過ごしていたことを思うと、最近の機械化された農業とは覚醒の感を覚える。

 先日も、恒例の定期健診があり、村の旧家で代々医院を開業している老医師が看護師を従えて、健太郎の家に訪れてきて、近隣の生活習慣病の病持ちの老人達5人が集まり、血圧・検尿・心肺検査を一通り実施したのち、生活習慣病の原因としての、塩分・酒・タバコについて、わかり易い語り口で何時もの通り饒舌をまじえて話したあと、訪問看護に感謝の意を込めて懇親会を開いた。集まった人々は診察結果よりも、この懇親会のほうを楽しみにしているのが偽らざる彼等の心境である。

 炭火が赤々と燃え盛る囲炉裏を囲んで会が始まるや、老先生は胡坐をかいて、でんと座り周りを見渡した後、さしだされたお茶に口をつけたあと、遠慮することもなく真先に炭火の脇に串刺しされたイワナの塩焼きをとり、眉毛を八の字にして頭からかぶりつき、どんぶりで飲むと味が一層旨く感じられる自家製のドブロク(濁り酒)を、どんぶりで顔が隠れるくらいにあおり、ついでタバコに火をつけて紫煙をくゆらした後、謹厳な顔をくずして満面満ち足りた微笑で世間話を語りだした。

 雑談が進むや、患者?の一人が「先生!先程の御高説と、一寸矛盾するようですが・・」と、酒の勢いで遠慮気味に迷問を発するや、老医師は目を輝かせて泰然とした態度で
 「以前、麻生総理閣下が、この前諮問会議で発言され、世間の注目を集めたが。医師は、社会常識に疎いところがある」
と言ったあと続けて、自己弁護する様に
 「あれは、本当のことだ!」「紺屋の白はかまと言うが、専門家には、とかく世間に疎いところがあるが、ほかの政治家が言へないことを平然と言う勇気は、流石に吉田茂の孫だけあり見上げたものだ」
 「酒もタバコも、程ほどにたしなむことは、逆に良いこともあるんだよ」「痴呆症は癌よりも恐ろしいからな」「なにしろ人間性が失われてしまうんだから」
と、ため息まじりに返事して妙にその場を納得させて、味噌漬けの味を褒めながら杯をマイペースで飲んでいた。一同もそれに合わせて心おきなく酒肴と雑談で和やかに楽しんだ。

 ちなみに、老先生は旧海軍軍医上がりで、戦後、英軍の捕虜となり罪一等を減じられて英軍の野戦病院の軍医として、シンガポールやインドネシヤで軍関係の外科医として過ごし、後に、人間性と技術を認められてロンドンに派遣され、そこで腫瘍内科を学び、現地でイギリス婦人と結ばれて幸福な家庭を築かれたが、60代前半にメスを置き帰国されたが、帰られるや暫くして先代の医師(父親)、そして最愛の奥さんを病で亡くなくされた。
 現在、息子さん(医師)夫婦と余生を過ごしているが、息子さんの奥さんも英国人である。老医師は齢70歳半ばにしても生来の明るい性格を反映して、近隣市町村の各種名誉職を引き受け活躍しておられる。

 秋子さんの病気も急性胃潰瘍で、3週間の入院を経て退院されて帰宅し、現在は、店には出ず静養されている。彼女が入院中、理恵ちゃんは、健太郎の家で節子さんが面倒を見てあげたが、二人の相性は抜群によく、まるで親子の様で、休日は勿論のこと帰校するや常に節子さんの側を離れず、明るい笑いが絶えない日が続き、そこにポチも混じり賑やかなうちに、秋子さんも退院を迎えることが出来て喜んでいた。

 定期健診の日も、秋子さんはお手伝いを兼ねて顔を出し、老医師から療養生活の細かいことを教えてもらっていたが、気分をよくした秋子さんが元気を甦みがえらせて、幾分酩酊気味の老先生に、彼女特有の如才ない語り口で、6月には、節子さんが健太郎のところに嫁いで来ることや、そのころ、大学病院に勤めることなどを話し、その際は、同じ病院に勤務している息子さんの先生にも宜しく伝えてほしいと、さりげなく節子さんを紹介していたが、老先生は冗談とも付かぬ言いまわしで
 「う〜ん なかなかの美人じゃのう〜」「大学病院なんかに行って、こき使われるより、わしの診療所に来てくれんかの〜」
と、勧誘を薦めていた。 秋子さんは、その熱心さにおされて経緯を説明するのに大分悩まされた。何しろ、頑固一徹な先生であるだけに・・。

 懇親会も終わりに近ずいたころ、老先生が座りなおし、何時もの謹厳な顔で、一同に対し   「いや、今日は愉快な日を過ごさせて頂き、有難う」「ついては、皆さんに是非ご協力をお願いしたいのじゃが」
 「来る、街の慰安会には、また、秋同様にダンスパーテイを開催する予定です」「今年は少し趣向をこらして、華やかにしたいと計画しているが・・」
と、例年、近隣の愛好者が集まって、コミュニケーションを図る目的で春・秋二回開催する会を、名誉会長の老先生が案内したあと、節子さんに
 「貴女も、見るからに運動神経がありそうでスタイルも抜群で、東京の病院に長く勤めておられたのら、さぞかしダンスも上手でしょうね」「楽しみにお待ちいたしております」
 「せがれ夫婦と孫娘も参加しますので、お見知りおき願うに良い機会ですので・・」
と、巧みに勧誘していた。、
 突然のことに躊躇していた節子さんに対し、秋子さんも、根がこのような賑やかなパーテイが好きなところから、「ね〜、行きましょう」「わたしが付いているから心配はいりませんよ」と、誘いかけ、理恵子も行こうとしきりに催促していた。
 皆は、老医師の健啖振りと若々しい発想や態度を見ていて、人の健康は、暦年とは関係なく、精神的な要素が大きな比重を占めているんだなぁと、つくずく思い知らされた。
 



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山里のうた (10)

2012年05月25日 07時45分43秒 | Weblog

 晴れた日には、紺碧の青空のもと、白銀に輝く山脈の峰々を眺望していると、何時ものことながら、神々しさを感じ、千古の昔から人々が山岳の神に畏敬の念と、あの山の彼方に幸せがあると信じて、日々の生活に希望をいだき、苦難に耐えて励んできた、人々の名もない歴史の重みを思い浮かばせる。
 富士山をはじめとして、全国の小高い山々にいたるまで、頂上に「権現様」が祀られているのは、その証しと思はれ、神が仮の姿で現れていると表現した、先人の生活の知恵に感心する。
 
 そんなころ、節子さんの母親と妹夫婦が、結婚の日取りや様式などを相談に訪れてきて、節子さんの再就職前にとの強い希望で、話を進めていたいたところ、玄関前のポチが急にうるさく吠え出した。健太郎は、また、見知らぬ訪問販売の人かと出てみたら、理恵ちゃんが、自転車を走らせてきたせいか息を弾ませて、赤い顔に目を黒々と光らせて、健太郎の顔を見るなり興奮しながらも涙声で
 「小父さん、大変だ!」「ママが、お仕事中にお腹が痛いといって、寝込んでしまったの」 
 「お店の人が、何時もと様子が違うので、早く、山上先生にに知らせてきなさい。と、言うので、わたしも、びっくりして飛んできたの」と早口で話した。
 その声に気ずいたのか、節子さんも驚いて顔を出し、理恵ちゃんから、落ち着いた態度で様子を丁寧に聞いていたが、秋子さんが、最近腹部の違和感を話ていたことを連想して看護師の勘で急を要すると判断し、健太郎に、小声で
 「診療所に連絡して入院の手続きをしますので」「私これから直ぐ彼女のところに行きますので・・」
と言い乍ら、健太郎に「貴方、救急車の手配をして下さいませんか。それと、付き添いその他の手配をお願い致します」
と、言うやいなや、身支度を整え、母親達に簡単に事情を説明して留守居を頼み、理恵ちゃんを車に乗せて秋子さんの店に行ってしまつた。

 健太郎は、その後、若井さん(節子さんの母親)に、秋子さんが、これまでに色々と自分の世話をしてくれたことや、今後、節子さんが、この地に縁ずいてくれば、何かかと相談相手になってくれる大切な人であることなど、これまでにそれとなく話していたことを纏めて話し、母親達から快諾を得て、秋子さん宅に向かった。
 秋子さんの店までは、自転車で15分位かかるが、それにしても、こともあろうに大事な場面でえらいことになった。付き添いを誰に頼むか、留守中の店をどうするかなど、思案しながら、広い農道を用心深く進んでゆくと、サイレンの音が聞こえたので、あぁ、いま診療所に行くのだな〜。なにわともあれ秋子さんが診療所に行けば、後のことは落ち着いて考え様と自転車を懸命にこいだ。それにしても、節子さんが一緒に行ってくれて助かったと気が楽になり、看護師とはいえ緊急時の判断と動作の機敏さに感心した。
 
 店につくや、秋子さんが仕事上頼りにしている、年配の従業員達と相談したら、彼女達は付き添いには、理恵ちゃんが普段余り近ずかないらしいが、秋子さんの妹さんで、自分で食品店を経営していて、秋子さん同様に気性が強いので、その人に頼むことが良いと聞かされ、美容院は自分達でやり繰りすると、進んで申し出てくれたので、その様にお願いすることにして、当面の段取りをつけて帰ってきた。
 帰宅後、出前の昼食をとり、節子さんの母親と妹夫婦と、遥か昔の新任教師として下宿でお世話になったときの、懐かしい四方山話の話しや、不幸にも亡くなられた御主人とアユ釣りに行ったこと等、それに最近の街の変わりよう等、義弟となる悦子さんの婿さんにも、若井家との関係を判って貰える様に懐旧談をして夕方まで過ごしていたところ、理恵ちゃんから電話がかかってきた。
 健太郎も、その後どうなったかと思っていた矢先なので、すぐに電話に出ると、理恵ちゃんが張りのある声で
 「小父さん、すべりこみセーフだってよ!」
と言うので、なんだ野球用語を使ってと、嗜める様に答えると、彼女は
 「だって、看護師さんが、そういつて教えてくれたんだもの」「わかり易いでしょう!」
と言い、健太郎が、付き添いの叔母さんに電話を変わってくれと言うや、理恵ちゃんは急に不機嫌な声になり、なかば怒るような言葉使いで
 「なんで、あの叔母さんをよこしたのよ」「わたし、前に、わたしのお父さんの居所を知っていたら、母さんに内緒で教えてょ。と、頼んだら目から火花が出るくらい怒られたことがあり、それ以来、逢わないことを覚悟していたのに・・」
 「叔母さんは、わたしの気持ちを全然理解してくれないんだから・・」
と愚痴ったあと
 あの叔母さん、診察した先生と担当の看護師さん、それに節子小母さんが、母さんのことについて、おそらく大学病院で手術することになるかもしれないが、その前に、検査で一週間位入院してもらう、手術はなるべく早くするように手配するが、その後は3週間くらい入院・安静が必要だなどと説明を聞いて相談していたら、叔母さんは、急に冷や汗を流して、青い顔をして卒倒してしまい、節子小母さんと看護師さん、それに、わたしも手伝い、空いている病室に運び、いま、点滴をうけて寝ているわと、そのときの様子を口早に説明し
 「一番大事なときに、あの叔母さん、三振や〜!」
 「小父さんも、ここ一番、大事なときに、とんでもない選手を起用したもんだわ〜」
と、またもや、野球用語で言うので、健太郎も、あわててしまい、こんなとき野球用語は使うなと再びたしなめたところ、理恵子は
 「だって、判りやすいでしょう〜」「わたし、お金を余り持つてきていないので、電話料を節約するために、短く報告しているのに、小父さんまでも、そんな、わからずやなんだから〜」
と、口答えした後、今度はからっと声を変えて
 「三振して、寝ている叔母さんに、お昼代をだして欲しいともいえず、空腹を我慢していたら、節子小母ちゃんが、近所の食堂に連れていつてくれたので、チャーハンと餃子をやけ食いしたわ」
と言うので、健太郎も、陽気な理恵ちゃんに合わせて、からかい半分に、やけ食いとは?と呆れて聞くと
 「友達もそうだけど、こんなとき、女性は人に愚痴もいえないので、やけ食いしてウサをはらすの」
と、食事に満足したのか、機嫌よく話ししてくれ、最後に語気を強めて
 「あのネッ!、わたし一人で寝るなんて寂しいし嫌だわと心配していたら、節子小母ちゃんが、今晩は小父さんのところで、一諸に泊めてもらいましょうね」
と、言ってくれたので、「安心したわ〜。お願いしますネ」と返事して、電話をきった。
 今晩は、若井さんや理恵ちゃんも交え久し振りに賑やかな夜になると思いつつも、秋子さんは果たしてどんな病気なのかと、自分達の結婚式とあわせ、心配が心をよぎったが、秋子さんに似て、母親の病気にも拘わらず気丈な理恵ちゃんが愛おしく思った。
 

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山里のうた (9)

2012年05月21日 07時55分44秒 | Weblog

 健太郎家の前は、農業用の小川が流れており、整備された農道を3百米位東に行くと、県都に続く幅員の広い舗装された県道に出る。この県道の脇には道に沿って幅5米位の川が、遠く市街地に向かって、勢いよく流れている。
 周辺の林檎や桃畑も、芽吹いて小枝に薄赤い色の蕾をつけ、間もなく白い花が咲いて畑一面を飾ると、村中が華やいで、初夏の香りを運んでくれる。
 山合いの農村の晩春は、日暮れも早く、山の端に日が沈むと歩く人も少なくなく、川のせせらぎの音以外に耳に入るのは、水田を渡って来るそよ風の音だけで静かである。
 小川の浅瀬の水音が高ずんだ響きを伝え、この時期、珍しく晴れている晩は、月の光が水に反射して細かく砕け、金色にふるえている。
 
ポチに引きずられて先を行く理恵ちゃんが、母親と手をつないで「♪ 十五夜お月様 一人ぽち 桜吹雪の 花かげに・・」と、気持ちよさそうに歌っているが、静寂に包まれた明るい春の夜道は、昼の雑音からのがれた、ロマンチックな気分にさせてくれる。
 反面。健太郎は、難しいことは判らないが、欧州の財政危機に端を発し、世界中に信用危機をもたらし、対岸の火事と思っていた経済混乱が、日本にも及び、この経済の悪化は、一対何時まで続くのかと思うと、確かに秋子さんが言うように、老後の生活を真剣に考えなければと思うい、途端に心が重くなった。
 月の光を浮かべた川の水が、よどんだり激したりしながら、最後は、下流の方へ押し流されて行くように、人の暮らしもいろいろな問題をごた混ぜにして、過去に押し流されて行くのだと、とりとめもないことを考えながら、歩いていたら前を行く秋子さん親子に大分遅れてしまった。

 そんなとき、健太郎の左横を影の様に連れ添って歩いていた節子さんが、彼のコートの左ポケットに入れていた私の手指に、指を絡ませる様に忍ばせて、指先に力を込めて握りしめてきた。
 健太郎も、それに答える様に握り返し、彼女の横顔を覗いたら、瞳は輝いていたが、月の光に映えるその顔には、理恵ちゃん同様に、今晩の出来事に満足しているらしく、軽く微笑みかえし、言葉もなく指先に一層力を込めた。
 その手の、温もりと柔らかさに、秋子さんの説得を納得して、彼女が共に生きてゆく決意を固めた意思の強さを、確かに感じとれた。

 やがて、鎮守様の前にさしかかると、理恵ちゃんが引き返してきて、節子さんに
 「小母ちゃん」「母さんは先に行き、部屋をかたずけて、小母さんに泊まって、いただけるように準備するので、先生とお話しをして来なさいと・・」「わたし、また、迎えにきますから」
と、なにか意味ありげな顔で用件を告げると、再び、ポチを促して駆け足で帰っていつた。

 節子さんは、前もつて秋子さんと話しあつていたらしく、「はい、有難うね」と返事して、どちらともなく鎮守様の境内にある木製の腰掛に腰をおろし、互いに、木の間から漏れる帯状の月の光が照らす周辺の光景が、まるで水墨画のようで綺麗だねと話しているうちに、彼女はいきなり健太郎の両腕を握り、胸に顔をうずめ、囁く様な細い静かな声だが、一語一語、自分にも言い聞かせる様に、明瞭に
 「わたしが、今、健さんを好きでたまらないと正直に申し上げることは、いけないことかしら?」
 「わたし、健さんを、どうしても忘れられず、本当に好きなのです!」 
 「どのような苦しみや困難にも耐えて、貴方に生涯を通じて尽くしますので、おそばにおかせてください」
と、小声で話し、それまでの心の中のいきさつを整理して、大人として決心したことを話した。

 それは、春、健太郎と枝折峠を散歩したあと、秋田の家に帰り、母親と妹夫婦に話したところ、母親は
 「あんたも、薄々感じていたかもしれないが、亡くなった父さんも、下宿していた健太郎さんと、ゆくゆくは、あんた達が結婚してくれれば、男手のない私達には、この上もないことだと、楽しみにしていたが、いかんせん、どちらも、歳が若く、そのうちにと思っているうちに、あの方は転任し、あんたは、東京に行き、その機会が消えてしまい、当時は凄く落胆したわ」
 「その後、悦子(妹)に泣き泣き頼んで家に直ってもらったが、あんたも、今日まで頑張り通してきて、いま、健太郎さんと再会し、秋子さんの尽力もあり、その機会に恵まれたとゆうことは、きっと、父さんが天国から、あんたを心配して下さったお陰様だと、つくずく思うよ」
 「あなたが、自分で、色々考えて心にきめたのなら、母さんは大賛成だよ」
 「悦子も、幸い良い婿さんを迎え、仲良くして家業に励んでおり、この話には大賛成だよ」
と、家族一同が非常に喜んでいること。
 更に、現在誘われている仕事や、長く辛抱した甲斐があって思いを遂げられる女の幸せを手に出来ること。
 また、秋子さんからは、女性としての生活の在り方などを、再三にわたり話して聞かされ、最後には、秋子さんから念を押す様に
 「あなたが、今、決心しないのであれば、先生を何時までも一人にしておけず、 私が、面倒をみてもよいのよ」「亡くなった奥さんからも、死の間際に、涙を流して懇願されてるし・・」と、健太郎の生活振りを細かく説明されたこと等を混じえて、熟女らしく遠慮気味ながらも冷静な口調で、これまでの経緯を話して、正直に愛を告白した。
 
 更に続けて、秋子さんのことについて、彼女は
 「わたしが、人様から強気だと、言われているが、今の世の中、女世帯は強気を装はなければ、生きて行けないのよ」
と、口をすっぱくして言われ、人生において全てに、人から後ろ指を指されずに生活し、娘さんを女手で育てている彼女の生活力の旺盛さが羨ましく、また、この人が自分の側にいてくれるのは頼もしく思い、彼女に対し
 「わたし、健さんと共に生きる覚悟をしたゎ」 「先輩の貴女には、本当に感謝しています」
と、お礼の返事をしておいたとも話した。
 そのとき、秋子さんが、寂しいのか、或いは使命感を達成した安堵感からか、目に薄く涙を浮かべていたので、わたしも、意味がよくわからずに誘われて泣けてしまったこと等、秋子さんのお陰で、今晩に至るまでの経緯を正確に話してくれた。

 節子さんは、一通り話し終えると、心の中の悩みを吐き出した安堵感からか、胸から顔を離し、力強く青く輝いた瞳で、健太郎の顔を見つめていた目を閉じて、月の光に照らされた白い顔を寄せてきたので、健太郎も秋子さんの話から薄々と察していたことなので
 「よく決心してくれたね」「わたしにも、全く異存がなく、喜んでお受けさせて戴きます」
 「私達には少し遅れた春かも知れないが、急がずに、静かな家庭を築きましょう」
と、快諾し、そっと口ずけをして抱きしめた。
 健太郎には、そのときの彼女の黒髪から漂う移り香が、久しく感じなかった異性に対する感覚を甦らせ悩ましく感じられた。
 離れ際に、節子さんは、健太郎の顔を再度見つめて、
 「健さん、貴方覚えていらっしゃるかしら、私、高校卒業時、貴方とお別れするのが悲しくて泣いてしまったことを。あの時以来、わたし心の奥深くで、いつも貴方を思い慕い続けていたのょ」「今、やっとその夢が叶いましたゎ」
 「此れまでに何度か思いを断ち切ろうとしたこともありましたが、果てしない夢を懲りもせず追い求めてきて良かったゎ」
と、俯きながら感激で振るえ気味に小声で心境を話した。

 話が終わったころ、遠くの方から、理恵ちゃんとポチが駆けてきて「小母ちゃん、用意が出来たので、お迎えにきました〜」と、わし達の顔を覗きみながら笑って話し「ね〜、小母ちゃん、楽しかった〜」「わたしも、こんな月夜の晩に、好きな人とデートしてみたいなぁ〜」と、笑いながら話した。健太郎が、ポチに「ほら、今度はお家におとなしく帰るんだよ」と言って、理恵ちゃんから手綱をとり家路についた。
 別れた後、ポチが時々後ろを振り返るので、健太郎も攣られて見ると、節子さん達の姿が青い影となつて闇に消えて行った。
    ♪ 夢に 見てたの  愛する人と  いつか この道 通る その日を
         

 
 

 


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山里のうた (8)

2012年05月18日 06時29分03秒 | Weblog

 遠くに残雪の飯豊連峰を望み、棚田がゆるやかな傾斜で連なる、小高い山並みに周囲を囲まれた農村の晩春は、麦秋とはいえ、昼の陽気も余熱を残すことなく夕方は冷え込む。
 この村の、古い家は、たいてい座敷が広く、天井も高いので部屋も冷えて、この時期、夕方になると部屋の中央に作られた大きい囲炉裏に、炭火をともして暖をとる風習がある。

 健太郎は、理恵ちゃんを相手に、大急ぎで囲炉裏火を用意しているところに、突然、なんの前振れもなく節子さんが現れ、秋子さんも台所から顔を出して機嫌よく歓迎した。節子さんは新潟大学に用事に行き、その帰りに寄ってみたと話していた。健太郎と理恵ちゃんは、拭き掃除をし囲炉裏火の準備をしていた。秋子さんは、この家の隅々まで知り尽くしているので、夕食の段取りも手早く、彼の家にしては久し振りに賑やかな夕食となった。
 
 節子さんがいるためか、今夜の理恵ちゃんは、四方に気をくばり、秋子さんが「いつもこんなに手伝いをしてくれたら、助かるのだがな〜」と、漏らすと、持ち前の母親譲りの勝気で
 「そんなこと言はないでよ〜。母さんの意地悪ぅ〜。節子小母さんがいる前で・・」
と、照れ隠しともつかぬ返事をして「今晩は、ご馳走があるはね〜」「私、幸せだわ」と、満足感を顔一面に漂わせていた。
 それにつられて、皆んなも「食事は大勢のほうが楽しいはね」と、互いにあいずちをし、誰もが日頃、夫々に、侘びしい思をしているのか、それを晴らすかの様に笑顔が絶えなかった。
 
 その様子を見ていて、健太郎は、ふと、理恵ちゃんは、おそらく顔もよく覚えていないい父親と、何処かで食事をしたことがあるのだろうかと、いらぬことが頭をよぎった。 まさか、秋子さんに聞くわけにもいかないし・・
 歳ころの娘さんだし、きっと彼女も心の片隅に、寂しい思いを抱いているであろうが、それをおくびにも出さず、けなげに日々を過ごしているのだろうと思うと、健太郎は、大人の判断の結果とわいえ、やるせない気持ちになった。
 そのせいか、賑やかに話しながら、食事する姿がことのほか、あどけなくも可愛らしく見えた。
 
 食事が終わると、後始末は二人に任せて、健太郎と理恵ちゃんは、囲炉裏の部屋に場所を移し、炭火を手入れしていると、やがて二人も囲炉裏を囲んで輪になり、理恵ちゃんが用意してくれた紅茶を飲みながら、例により、秋子さんが店に来るお客さんからの耳学問で、最近の村の話題や人物講評を、面白おかしく話し出し、節子さんは、彼女の独演会を、なにかを勉強するかのように、静かに聴きいっていた。 
 理恵ちゃんは、母親の話に聞き飽きたのか、隣の部屋から座椅子を持ち出してきて、背もたれに寄りかかり、惜しげもなく素足を長がながと投げ出し、ポチもなれているのか、その足の上に首を乗せて気持ちよさそうに目を閉じていた。
 そんな理恵ちゃんが、突然、「あっそうだ〜、明日、学校で、衛生検査があるんだ〜」と、声を上げて「小父さん、爪切りを貸して」と言い、手指から丹念に切りはじめたが、足の親指を切った後、親の目を盗むかのように、健太郎の前に足を差し出し、甘えた声で
 「ね〜、小父さん、あたしの爪を切って〜」 「わたし、さっき沢山御馳走になり、前にかがむとお腹が苦しいの〜」 「ポチも、膝の上に乗っているし・・」
と、爪切りを彼に渡し、ニヤッと、いたずらっぽく笑い
 「足首を無理に横にすると、膝が開くことがあるかもょ・・」 「きをつけてねょ。フフッ」
 「わたし今日は、水色のパンティーをはいているが、若しかすると、小父さん今晩は〜と、  挨拶するかも知れないゎ。だから余り足首を広げないでょ」
と、母親達に聞こえないように囁いたが、秋子さんがその様子を見て「まあ〜、この子ったら、あきれた」「自分でやりなさい!」と注意すると、理恵ちゃんも、すかさず、「いいの、小父さんも話しに退屈でしょうから・・」と、口答えしていた。親子の会話を横取りする様に、節子さんが
 「秋子さん、いいじゃないの」「この年頃の子は、たまに甘えたいのよ」「理恵ちゃん、私が、してあげるから、そばに来なさい」「春の宵は、誰しも人恋しくなるのよねぇ〜」
と、理恵ちゃんに肩入れして、爪を切りながら「看護師さんは、時々、患者さんの爪を切ってあげることがあるのよ」と、言うと、理恵ちゃんは、「わ〜、嬉しい、小母さんに、お願いできるなんて、私、感激だわ〜」と、節子さんのそばに寄ってゆき、ポチが、忠実に理恵ちゃんについてゆくと「あんたは、いいの」と、鼻ずらを軽く押して突き放し、自分だけ節子さんを一人じめしていた。

 秋子さんは、そんな娘の我が儘な甘えた姿を見ながら、節子さんがいるのも構わず、健太郎に対し、彼女が熟慮した結果を、半ば説得口調で自信たっぷりに話始めた。それは
 以前、話した通り、節子さんが、来春から、大学付属病院に請われて、若い看護師さんの指導看護師として、勤めることになったが、自宅からの通勤は遠くて通勤はとても無理で、大学で宿舎を用意してくれるが、彼女は、勤めはともかく、今更、一人暮らしも侘しくて嫌だし。と、悩んでいたので、わたしが
 「それなら、先生の所に住んだら?」「私が一人なら、そうするわ」「あなたの、心の中は、鏡を見るように、判っているのよ」
 「客商売をしていると、自分のことは、まるっきり駄目だが、貴女と先生の心のうちは、誰よりも、理解しているつもりよ」「正直、すこしばかり悔しい思いもあるが、そんな感情的なことより、皆が、老後のことも真剣に考えなければねぇ〜」「親しい人が固まれば心強いゎ」
 「私、貴女が、先生と枝折峠に遊びに行ったときに、ピーンと六勘に感じて、そのときから、いつか機会があったら、貴女に言おうと思っていたの」
と、概略、これまでに、節子さんの両親と話し込んだこと等を説明した後「狭い村のことですので、変に話が伝わっても困るので、その辺は、わたしが、時間をかけて、周囲を納得しますから、余計な心配はしないでよ」「勿論、私も、今まで通りに娘と共に、お邪魔させてもらいますわ」
と、彼女特有の説得力のある話で、以前、節子さんや両親と話あったことを持ち出し、尚も「今はね、何も入籍を急がなくても、都会では、事実婚とゆうのが流行ょ。皆が、日々、安心して暮らすことが大事だゎ」と、付け加え、健太郎に対し自説に同意する様半ば強引に返事を催促した。
 彼は「う〜ん、老後か」「確かに考えるべき問題だね」「君にも、大分お世話になっているしね」「何時までも続く訳もないし」と、それこそ、心のなかを見透かされているようで、一寸、困惑し、節子さんもそばにいることだし返事を躊躇った。
 節子さんは、爪を切りながら、黙ってきいていたが、枝折峠のことに話がおよんだとき、心なしに顔が少し赤らんだのが、妙に印象的に彼の目に写った。
 健太郎は、彼女達は果たして枝折峠のことを、何処まで話しているのか。と、思いつつ、秋子さんの話を聞いていた。
 理恵ちゃんは、母親の話を神妙な顔つきで聞いていたが、爪切りと、母親の話が終わるや、なかば驚いた様に、ふ〜と、ため息を付いた後、節子さんの手を両手で握り締め、母親に向かい、目を輝かせて
 「今日の、お母さん、素敵だゎ。月よりの使者に見えるゎ〜」 「ね〜、小母さん、母さんの言う通りになれば、皆が、幸せになれるし、絶対に、gooよ」
と、理恵ちゃんも、天使になったかの様に、喜んで賛成していた。 理恵ちゃんは、彼女なりに、夢を描いて・・。

 雑談が飛躍して、それぞれの人生に、真剣に向き合う話に発展してしまったが、時間も大分過ぎ、帰るとゆうことになったので、健太郎が「それでは、鎮守様のところまで、送りましょう」と、皆で外にでたが、外気は案外、冷えておらず、朧月夜で薄明るい春の宵の道を、皆が並んで歩き家路についた。
 健太郎は、何時の日か節子さんと二人で、この道を二人で歩くことになることを、心の中で祈りつつ黙してついて行った。
 ポチも外に出られたのが嬉しいのか、理恵ちゃんにじゃれつき、尾をしきりに振っていた。

 

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山里のうた (7)

2012年05月14日 06時23分02秒 | Weblog

 今年の越後の春は例年と異なり、消雪後、急に初夏が訪れた様に気温が上がり、遅れていた棚田の耕作も始まる頃には、丘陵に夏の香りが漂う。
 連日晴天が続き、空はつき抜けたように青く、人々の心も何となく軽るそうだ。 連休が終わるころには、辺り一面が若々しい緑の世界に変貌する。

 樹齢8百年と言い伝えられる鎮守様の杉の大木数本も薄黒く繁り、祖霊と共に村を守っていてくれる。境内に設けられた保育園では、幼児達が賑やかに戯れ微笑ましい光景を見せてくれ、嬉しそうにはしゃぐ声が明るい春の到来を告げている。

 健太郎は、杉木立に取り囲まれた、お寺の参道脇にある、お稲荷様の門前に生涯学習会の帰りに差し掛かると、留守居を頼んでおいた理恵ちゃんが、同級生らしき3名の女の子と賑やかに話しこんでいたが、彼の顔を見るなり、不機嫌な顔つきで寄ってきて 
 「あのねぇ〜、ポチを連れて裏山にフキの塔を採りに行ったが、わたしが、竹林の脇の土手の方に行っている隙に、何処かに遊びに行き、いくら呼んでも出てこないので、皆で探しているところなの」
と、我が家の愛犬(雄3歳・小型犬)の行状を、説明ともつかぬ愚痴を零したが、そのうち、ポチのことから話が及んで、お稲荷様の前の狛犬を指して「これって、本当に犬かしら?」と、皆が声を揃えて興味深々と聞きだした。

 健太郎も、詳しいことは判らないまでも、以前読んだ本の錆びた知識で、自信はないが、あたらずとも遠からずとの思いで、
 「是は、犬ではなく、狼でもなく、想像上の動物であり、神社の獅子の姿をした狛犬同様に、神仏やお稲荷様を守っているんだよ」「要するに、今のガードマンかな」 
 「ところで、お稲荷様って、仏ではないが、神様かね?」「学校では、なんと教えてもらったの?」
と聞いても皆がキョトンとした顔つきで見合わせて返事がないので、彼は
 「お稲荷様はね、此処だけでなく、屋敷の隅にも赤い鳥居の奥に祀ってあるところを、見かけることがあるでしょう」
 「お稲荷様は、佛経では難しい名前で「ダキニシテン」とも言われているが、家や屋敷を守ってくれる守護神なんだよ」「富を授かり豊かになると、昔から言い伝えられて来たところから、ほらっ、豊川稲荷や伏見稲荷が有名で、名前を聞いたことがあるでしょう」
 「豊川稲荷は、愛知県の妙巌寺と言う、お寺の前にあり、大きい寺の敷地を守っている女神なのだよ」
 「江戸時代から、お稲荷様の方が余りにも有名になり、御本尊を祀るお寺様の名が霞んでしまったが・・」
 「ちなみに、神社の前には二対の獅子の格好をした石造を見たことがあるだろう」
 あれは、佛経がインドからアフガニスタンを経てガンダーラと言うところで、西洋文化を取り入れたもので、当時、西洋では獅子は百獣の王として人々を守っくれていると、信じられていたためだよ」
 「あんたがたも、将来、お嫁さんになって、家庭を守るようになるのだから、お稲荷様の様にうやまられる様に、一生懸命勉強しなければなぁ〜」
と、最後は、お茶を濁しておいたが、みんなが、半信半疑で神妙な顔つきで聞いていた。

 路上の雑学を終えて、理恵ちゃんと帰宅すると、ポチが待ちかねていたように理恵ちゃんに飛び寄ってきたので、彼女は「あんた、わたしをおいて、何処に遊びに行ってたの・・」と、自分が留守居を頼まれていたことを忘れて、小言をいっていたが、そのうち
 「あ〜ぁ、何処に潜ったのょ、凄くよごれているわ〜」「ほら、洗ってやるからおいで」
と、いつも、母親に言われているのか身に沁みこんだ口癖で、小言を連発して、ポチを風呂場の方に連れて行った。 ポチは、私がたまに洗おうとすると、なかなか風呂場に入ろうとしないが、理恵ちゃんだと、嫌がるそぶりも見せずに、素直についてゆくのが不思議でならない。
 やはり、人の気持ちをよく見抜いているのか、扱いが上手なのか、おとなしく言うことをきいて彼女について行くその様子が面白い。ポチにしてみれば、あとで好物の煮干を貰えると思って彼女に従っているんだろうが。

 そのうちに、秋子さんが見え、今度は、理恵ちゃんが母親から「ちゃんと、お留守居をしていたのかね?」と、先ほどのポチとは立場を変えて聞かれていたが、ニコっと笑って返事にならない言い訳をしていた。
 秋子さんが、夕食の準備をする前に、広い居間にある囲炉裏の淵に座り、健太郎に向かい「この前、秋田の実家に用事に行って来ましたが、ついでに、秋子さんの実家にも寄って節子さんの御両親に逢って来たゎ」
「節子さんは外出していて留守だったが、彼女は以前勤めていた大学病院の推薦で、新潟大学病院に勤めて欲しいと強く要望されていて、悩んでいるらしゎ」
「彼女の実家の農業は、彼女に似合わず、妹さんが男勝りで、お婿さんと一緒になって継いでいるので、母親は彼女の身の振り方ばかり心配していたゎ」「母親としては最もだゎ」
「わたしが、貴方の付近に住んでいることを知っているので、貴方のことも気にかけていたゎ」
と、謎めいた言い回しで話したあと、続けて追い討ちをかける様に
「貴方も、礼子さん(健太郎の亡妻)が亡くなられて、早いもので7回忌を無事過ごしたわね」
「礼子さんも病床に在るとき、まさか死を予期していた訳ではなかろうが、大分弱った身体で、わたしの手を握り、貴方のことをすごく気にしていたゎ」
「彼女は、貴方のことを真面目が取えで安心できる人だが、唯一、勉強以外生活のことは全く無神経で、誰かが面倒を見なければ、生きて行けない人なので・・。と、涙を流しながら、随分、愚痴を零していたゎ」」
と、彼女らしく、本人を前に率直に話した。
 
 健太郎にしてみれば、秋子さんからは、これまでに色々と積極的に面倒を見てもらい、その都度、小言を言われているので、またかとお茶を啜りながら軽く聞き流していた。
 それまで、ピアノをひいて遊んでいた理恵子が、母親の何時も以上にきつい言いかたを小耳に挟んで、秋子さんのそばに寄って来るなり、それこそ強い調子で
 「母さん、また、小父さんをいじめているの。よしてょ。母さんが勝手に押しかけてきて文句を言うなんて失礼だゎ」
と、母親の話をやめさせようと口を挟むと、彼女は
 「子供は、大人の話に割り込まないことっ!」「近頃、変に威張って大人ぶって話すので・・」
とブツブツ言いながら話をやめてしまった。
 
 健太郎は、理恵ちゃんのその場の雰囲気を和らげる巧みさに助けられた。秋子さんも、言いたいことを話したせいか、清々とした顔つきで健太郎と顔を見合わせて苦笑いし、台所に立ち去って行ってしまった。
 理恵子は、健太郎に「小父さんも、母さんの好き勝手な文句を黙って聞いていないで、たまには、威厳をもって叱った方がいいゎ」「わたしが、何時も学校から帰ると小言ばかり言うので、その仕返しをしてょ」と言ったあとニコット笑っていた。

 

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山里のうた (6)

2012年05月11日 06時19分19秒 | Weblog

 晩春の麦畑は蒼さをまし、日中は初夏を思わせるような陽気になり、、遠く飯豊連峰の峰が、透き通るような青空に白銀を輝かせて、思わず神秘な虚空の世界に、我をいざなう様な明るい日だ。
 暖かい陽だまりは、永い雪の世界から開放された人々には、雪国ならでは味わえない、精神的に幸福感を与えてくれる。

そんな或る晴れた日に、街の青年会や老人会などが合同で慰安会が開催され、併せて、遥か昔に、卒業した高校(男女共学の旧制中学)の同窓会が、隔年おきの今年も開かれた。
 開催のたびに、大先輩の懐かしき姿が、一人二人と欠けてゆくことに、無情の寂寞感を禁じえないのは、口に出さないまでも皆同じ思いと察しられた。

 老いたりとわいえ70歳になった現在も、診療所の医師として活躍し、精神も肉体も益々元気一杯な雄弁家の田崎会長さんの挨拶のあと、会員の経営する街の料理屋から取り寄せた料理や、婦人会員の手造り料理を前に、近況報告を交えた雑談が始まった。聞くとはなしに耳に入る話題の中心は、60台以上は健康に関することが多く、それ以下の若い世代は、年代により世相を反映して経済問題が、一番若い世代は、旅行やフアッションといった話題が中心になり、健太郎には新聞・テレビだけでは知りえない現実的な問題意識が非常に参考になった。

 宴もすすみ、座興が出るころになると、健太郎にはなじみの無い、青年達の最近のヒット曲のカラオケに続き、あらかじめ用意されていた琴・尺八などで、愛好家による厳かな純日本的な音曲の合奏が始まった。
 勿論、中心は会長さんで、彼は機知に富んだ裕福な資産家で、話にユーモアがあり、明るいおおらかな性格から、旧中学生時代から仲間の面倒見がよく、いまでも、老若男女に人気抜群である。
 村の祭りや慶事にも招かれて、好きな尺八を吹いて場を盛り上げ、街にとっては貴重な人物である。
 琴の演奏は中年の御婦人3名で、よく練習されているとみえ、手捌きは軽く流れるようであり、心地よく演奏されたが、会長さんの尺八は、合奏に不慣れなのか、はたまた美しく着飾った御婦人に、男性特有の本能が揺さぶられたためか、、日頃の名調子がさっぱりふるわず、難しい顔をして一生懸命に吹いているが、なかなか思うように音が出ず、首をむやみに振り舌で唄口をペロペロ嘗め回し、いいにも悪いにも肝腎の音が出てこないのである。たまに出ても琴に合わない調子はずれで、会長さんもひどく焦って、そのうちにやめてしまった。

 琴の演奏が一通り終わるや、会長さんは、「いや〜、皆さん、お聞き苦しいところをお見せして失礼いたしました。」「暫くやつておらないので、すっかり御婦人達のお邪魔をしましたが・・」と、ユーモア交じりに弁解したが、一同から慰めのアンコールを註文されるや、再び元気を取り戻し、ニコリと笑ったあと独奏で、いきなり「炭坑節」を吹かれたが、今度は音色や調子も良く、みんなが手拍子でこれに合わせ、中には調子外れだが声だけは大きく歌う人がいて大笑いとなった。 会長さんも機嫌よく、小鼻をヒクヒクさせて満悦の態にみえた。
 続いて、副会長さんを中心に社交ダンスに余興が移ったが、副会長さんは若い時船員として、外国航路に乗船していたため、ダンスは本格的で上手だが、今日は酒の勢いも手伝い、この種の余興には場慣れしていて、生来の快活さもあり、浴衣の腰の裾を巻くりあげて帯にはさみ、鉢巻をして御婦人相手に踊りだしたが、よる年波のせいか、やや腰が曲がってはいるが、ステップは確かで、若い人達からも次々に相手を申しこまれ、「芸は人を助ける」を、見事に実現させて会員を喜ばせてくれた。

 節子さんも、秋子さんに無理矢理呼ばれて、秋田から出て来て出席していたが、健太郎は、理恵子さんに留守番を頼んでおいたので、体調をも考慮して、皆さんの了承を得て少し早めに退席させてもらったが、帰り際に秋子さんが「明日は、店がお休みですし、わたしが無理にお呼びして節子さんも出席したので、今晩、私の家で泊って貰うことにしたので、後でお邪魔しますが・・」と、言ったので、健太郎は、節子さんが来るとゆうことで、にわかに心が浮き立ち「それなら、理恵ちゃんも留守居しているし、私のところで皆で夕飯をしましょう」「料理は仕出し屋さんに頼んでおくから」と答えて会場を後にした。

 黒岩秋子は、南秋田出身で地元の高校を卒業すると、新潟の美容学校に入り、研修後、山形県境に近い街で美容院を開業した。何故か、その頃、南秋田や山形地方から新潟の実業学校に通う子供が多く、秋子もその一人で、その頃の流行で、単に手に職をつけたいとゆう理由で学校の寮に入り修業した。たまたま、この街は健太郎の実家であり、彼が教師を退職後は実家の跡を継ぎ、同じ街に住む様になったが、彼と縁があるとすれば、彼が最初に奉職した高校の卒業生であり、節子さんの3年先輩とゆうことである。
 彼女は、見知らぬ土地で店を開業するくらいであるから、性格は独立心が強いが人の面倒見も良く、お客さんからも信頼されている。
 彼女は、理恵子が2歳のとき、夫の不倫が原因で協議離婚したが、健太郎は彼女に頼まれ、そのとき証人となってやった。
 健太郎の妻が生前のときは、姉妹の様に親しく交際していたので、彼は、証人となることに何の躊躇いもなかった。
 健太郎が、妻を亡くしてからは、暇をみては娘の理恵子を連れて彼の家を訪ねては、色々と相談しているが、気性が勝っているだけに、彼に対し愚痴や文句も多いが、来るたびに部屋の掃除や炊事など家事を積局的にこなし、側から見ると、まるで夫婦の様でもあり、彼も随分と生活を助けられている。

 


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山里のうた (5)

2012年05月08日 05時38分38秒 | Weblog

 毎年、春に開催される街の音楽祭の行事である。近隣の中高生による合同吹奏楽演奏会の日は、あいにく朝からの時雨模様の肌寒い気候であり、健太郎も体調を考慮して、遠慮しようと考えていたところ、相変わらず元気で明るく、常にマイペースな、秋子さんの娘である理恵子さんが、
 「小父さん!。K先生がどうしてもお爺ちゃんに出席して欲しいと、私にお願いに言って来なさいと言われたので・・」
と、無理やり誘いにきてくれ、その際、最後にみんなで練習した、小父さんの好きな行進曲「旧友」と「泳げタイヤキ君」を、指揮してくれと、この日のために全員で音合わせした練習風景を、こまごまと説明するので、教え子のK先生の思いやりのある心情に、心を打たれ出席する旨返事をしたところ、彼女も責任を果たせた満足感から、片目で悪戯っぽくウインクして飛び出すように、会場となる自分の通う中学校に帰って行った。

 演奏会は、みんなが練習した甲斐があり、例年以上に出来栄えがよく、特に地方大会に出た高校生の演奏は、流石に上手で、音楽教育の向上がたまらなく嬉しく感じられた。
 女性教師のK先生の指揮・指導された技術の高さにも感心させられた。
 勿論、中学生の演奏も、聴衆の年齢に合わせ、選曲もよく、大きな拍手を得ていた。
 私も、雰囲気にのみこまれ、体調・年齢を忘れて、請われるままに音楽好きの心がうずき、最後の2曲を一生懸命に指揮棒を振り、気分よく会場を後にした。
 然し、90名近い演奏者の中で、男子生徒が5名ほどと少なく、妙に寂しく思えた。 やはり、サッカーや野球に興味を惹かれているためかと思うと一寸寂しい気もした。

 それから数日後、歳甲斐もなく張り切りすぎて、肩に違和感を感じていたところ、秋子さん親子が、美容院の人達と作ったのでと言って餅菓子を携えてやつて来て、何時もの様に世間話や最近の愚痴をこぼしていたが、理恵子さんは、CDをかけながら亡妻愛用のピアノを機嫌よさそうに引いていたが、突然、電話が鳴り、秋子さんが応対に出たところ
 「先生、これからK先生がお邪魔にあがるとのことです」「用件は、なんでも部活の相談と言っておりましたが・・」
と、説明するや、理恵子さんが母親の説明を補足するように、用件がわかっているように「部員が増え、また楽器が古くもなり、学校の予算では賄えきれないので、OBや一部の保護者のところに、寄付のお願いにあがるのだそうょ」と、説明してくれ、健太郎も事情が判るだけに無理も無いことだと瞬間思って、さてどうしようかなと思案しているところに、車でK先生と部活の先生が見えられた。

 理恵子さんは、それに気付くや、素早く隣の部屋に隠れこみ、応対は秋子さんがそつなくしてくれ、30分ほどで帰えられた。
 秋子さんは、K先生の印象について、娘の話と大分異なり、静かな話し振りに感心するとともに、立派に教師としての品格を備えていたのに感心したと漏らした。
 確かに、K先生は痩身であまり化粧はしてないが、仕事に充実感を覚えているのか、目に輝きがあり、色白でもあり、40台前半の女性としては、落ち着いた性格も手伝い、上品な美しさを漂わせていた。

 帰られた後、秋子さんと寄付の額について話し込んでいると、いつの間にか理恵子が部屋から出てきて、私達の話を、ジュウスをストローでかき混ぜながら飲むともなく聞いていたが、私達の話に結論らしきものが出ないのに業を煮やしたのか、突然
 「小父さん、K先生も綺麗でしょう」「私も大好きなので、ここは大先輩として、10万円位はどうなの?」「綺麗な先生とお話できた分もふくめて・・」
と、話し出し、秋子さんが「ま〜、この子ったら・・」「大人の話にわりこんで〜」と半ば呆れて声を出すと、
 「ね〜、小父さん、10万円を、10円、100円と下から勘定すると大きな額と思うけど、逆に上から、1000万、100万と数えてくれば、そんなに驚かなくてもいいと思うけどな〜!」
と、最もらしく話し、私が、色々考えてコップを手にしストローに口をつけたところ、「小父さん、空気を吸っているの〜」と、益々話しに勢いを増し、たたみ掛けてくるのには、秋子さんと大笑いした。 秋子さんはその場を繕うように、「この子ったら、変に大人びいて、K先生にゴマをすつて・・」と、ため息をついていたが、私は理恵子さんに同調するわけでわないが、10万円と決めることを、二人に返事をした。

 その日の夕飯は、日頃、訪ねて来て、キッチンを知り尽くした秋子さんが用意してくれ、何時も一人で食事することに慣れているのとは違い、3人で楽しく和気合い合いと話が弾み、健太郎が理恵子さんに「銚子をもう一本つけてくれ」と頼むと、秋子さんが「理恵子、ダメょ」と少し不機嫌な顔をして遮ったが、理恵子は「お母さん、そんな顔をしてなにょ」と取り合わず、さっさと台所に行き一本運んできて、「飲みすぎても、わたしのせいにしないで」と言って、自分の箸を運んでいた。健太郎は、そんな理恵子を見て、理恵子さんが日増しに成長してゆくのが微笑ましく思え、この子は、何時ころ、どの様な人と初恋をするのかなぁ〜と、勝手に想像しながら・・秋子さんと、時折、目を合わせて笑っていた。  

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山里のうた (4)

2012年05月04日 06時37分32秒 | Weblog

 飯豊山脈の遠い峰を望む様に、青春時代に二人の間には確かに存在した、互いに抱いた浮き雲の様な淡い恋を懐かしむかの様に、夫々に思いを巡らせているとき、突然、鳴り響いた携帯で、二人は夢を見ているような雰囲気も中断されてしまった。
 健太郎が、電話にでると、彼の村で美容院を経営している秋子であった。彼女は世話好きで、時々訪ねてきては、彼の家の各部屋をこまめに掃除してくれたり、庭の花壇を手入れしてくれ、その合間には、彼女を取り巻く人達の評論や愚痴を話して気を晴らしてゆく。 節子さんより、確か高校2年先輩であったと思うが、今は、離婚して中学3年生の一人娘の理恵子さんと二人で暮らしている。 
 秋子さんは、何時もの癖で少しじれた口調で
 「お昼に、お邪魔したら留守でしたが・・」「何処に、おいでですか?」「普段、あまり留守にしない人が・・」「心配になったゎ」「私、相談したいことがあったので・・」
と、例によつて少しオーバー気味に聞いてきた。
 健太郎も信頼している秋子さんだけに、それに、彼女と同郷で高校の後輩である節子さんと一緒なので、彼も正直に何の躊躇いもなく
 「ほらっ、珍しく節子さんが訪ねてきて、家に引きこもりはよくなく、天気も良いので、散歩に出ましょうと誘われて、枝折峠の公園にいるんだ」
と返事をすると、彼女は少し驚いた様な声で
 「あ〜、あの看護師の”若井節子さん”と〜」「珍しいわねぇ〜」と、感嘆したあと
 「切角のお楽しみ中、電話をして悪かったわねぇ」「節子さんに、私もお逢いしたいゎ〜」
 「 もう、暫く彼女にはお逢いしてなく、それに、娘の理恵子が、いつか節子さんの都合がとれたら、看護師に進む心構えなどを直接お聞きしたいと、言っていたし・・」
と、急に懇願する様に言うので、彼は「聞いてみて返事をするよ」と言って電話を終えた。
 
 話が終わるや、節子さんは彼から携帯を手にとり「随分ハイカラなのね」と言ったあと
 「なんだか、電話のお相手は女性の方のようね」「私のことをご存知の方?」
と神妙な顔で聞き返すので、秋子さんであることを説明し、時間が許すなら、切角の機会だし、お逢いしてゆくかね。 秋子さんも是非お逢いしたいと希望していることだしと、水を向けたところ「そうね〜、私も、久し振りに彼女のお顔を見せていただきたいが、何もお土産を用意してないし・・」と、一寸ためらつたが、私と一諸であることもすでに知らせてあることだし、それに、学生時代、特に部活で仲がよかったところから、直ぐに承知してくれたので、その旨、秋子さんにお邪魔すると電話した。秋子さんも非常に喜んで
 「それでは、早く店を閉めて、娘にも連絡して連れてゆくゎ」「それに、今日、作った御稲荷さを持つてゆくゎ」「節子さんにもよろしくね」「彼女相変わらず美しいでしょう。フフッ」
と、笑って機嫌よく返事をしていた。
 秋子さんは、どちらかとゆうと学生時代から活発で、気立ても強く、それでいて周囲に気配りする人で、健太郎の村に縁があって美容院を開業以来、彼の亡妻が親しく交際していたことから、互いに一人身となった今では、自然と行き来しする様になり、彼にとっては、何くれと無く大変にありがたい存在である。、
 
 雲が少し多くなるのをみて、どちらからともなく、その場所を離れ峠道をゆっくりと戻りはじめた。
崖を降りる時は、こん度は、健太郎が先に降り、下から彼女の手を、今度こそ恥ずかしがることもなく、しっかりと握つて身体を支えるように降ろしてやった。、それが、自然に出来たことに、彼は満足感を全身に感じ、彼女も違和感を感じる風でもなく、少しきまり悪そうに照れながら、それを隠すように微笑んで、彼に抱きつく様にして降りた。、
 横に並んで手をとりあったり、細い道は縦列になり、赤土の坂道に足を取られないように、ゆつくりと歩いて杉木立の並ぶ比較的平らなところにたどり着いた。

 彼等の歩むのが遅いのか、天候の変化が早いのか、いつの間にか、周囲を薄い霧が彼等を視界から隠すように覆い、少し冷たい霧雨が顔を濡らした。彼等は、これは早く車のあるところまでゆかなければと、心に焦りを覚えていたところ、細くて小粒だが雨が降りだしはじめ、山間部ゆえにことさら大きく木霊するのか、すざましい雷鳴が周辺の空気を振るわせた。
 その瞬間、彼女は狂おしい様に、健太郎の胸に顔をうずめ、両手を背中に回して、信じられない様な強さで彼を抱きこみ、彼も思わず無意識に彼女の背に手をまわして抱き合っていた。
 雷鳴が鳴り止むと、彼女は、顔を離し、雨の雫で少し濡れた青白い顔で、私の目を静かに見ていたが、その瞳は、黒味を帯びて力強く輝いていた。
 再び、目を閉じると、その額には、前髪が小雨に濡れて少し乱れていたので、彼は優しく手でなでそろえてやり、きりっとしまつた薄い唇に、自然の流れで、そっと、口ずけをしたが、それは、必然性だけに裏ずけされた肉体の接触でであつた。
 彼女は、その瞬間、抱きついた両手に力をこめ、一層、身体を寄せてきたので、お互いに薄での被服をまとっていただけに、彼はその瞬間、彼女の胸の隆起を通じて心臓の鼓動が伝わるのを感じた。彼には、それは激しく興奮している彼女の感情を容易に察しられた。
 
 このことが、罪とゆうのなら、それは、人がこの世に存在し始めたときの、造物主が生み出した、原罪とゆうものだ。

 やがて、小雨になったのを好機に歩いて、最近出来たばかりの新しい停留所に辿りつき、そこで一休みしながら服装を整え、霧の流れを見ながら休むことにした。
 彼女はバツクから手鏡をとりだして、背を向けて化粧をすばやく直すと、わたしの横に腰をおろし、少し間をとり気持ちを落ち着けてから
 「健さん。私、生まれて初めて、女としての本当の歓びを感じ、嬉しかつたゎ」
 「これまで、ときおり、私の心をかすめていた訳も判らぬこの霧の様なものが、すっきりと晴れましたゎ」
 「健さんが言われた、人の心の移り変りのうち、今の私の心は、これが天と言うものかしら」
 「湯殿山に祀られている弥勒菩薩は、本当に再生の仏様ね」
 「健さんの健康が許されるなら、何時かはまた、健さんとこの峠道を歩きたいゎ・・」
と、明るく話し終えると、彼女は石碑の方角に向かい、手を合わせ祈る様に軽く頭をたれていた。
 そのスレンダーな後ろ姿を見て、健太郎は、きっと、彼女の考えていたことと同じことが自分の脳裏をよぎり、運命とはいえ、その昔、互いの間に訪れた青い鳥を育てることができなかったことが、人生の秋を迎えた今となっては、悲しい思いとして残った。

 雨に濡れた坂道を、手をとりあい車のあるところまで歩きながら、色々と雑談しているなかで、諺か何かで覚えた”男は初恋。女は最後の恋を忘れがたいもだ”と言うことを話したら、彼女も「そうね〜、言い得ていて、そうかも知れないはねぇ〜」と、寂しそうに沈んだ声で答えていた。    
  



 

 

 
 

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山里のうた (3)

2012年04月30日 05時33分58秒 | Weblog

 早春の空は変わりやすく、枝折峠も背後に奥羽山脈に連なる飯豊連峰を控えているだけに、お昼を過ぎた頃から、青空に鰯雲に似た小さい白い雲が、帯を引いた様にまだら模様に増えて、流れも心なしか、速くなったように見えた。
 丘陵の草を音もなく靡かせる風は穏やかで、肌に心地よく触れた。、丘陵の小川のせせらぎには、山吹や水仙が今を盛りと乱れ咲き、頂上の平地には若い青草の中に、スミレやタンポポが所々に小さい花がか可愛いらしく咲いていた。コブシの花は盛りだが山ツツジは小さい芽が息吹いて、山里の春を謳歌していた。
 健太郎も節子さんも、田舎育ちだけに、都会の人混みは苦手で、この様な自然の風景が何よりも心を癒してくれ好んでいる。
 節子さんが、木陰を求めて場所を移動することを希望したので、彼女が先になり、草花を手折りながら歩き、芽吹き始めた欅の下にある椅子代わりの台石のところで、並んで腰を降ろした。

 山頂に 薄く雲をたなびかせる飯豊山を眺望しながら、広々とした開放感を与えてくる遠方の海岸とは反対に、青空のもと峰に白銀を頂き、中腹の山々は青黒い樹木の景色となり、麓の丘陵は薄緑が陽光に映えて、青い山脈とは良く言った表現で、なにか、どっしりとした落ち着きを与えてくれる。

 彼女は、すぐに立ち上がり、樹齢100年位はあるのだろうか、欅の大木に、うしろ手に寄りかかり、草花を顔に近ずけたり、小さく振ったりしながら、少しためらう様に思案していたが、気持ちの整理が出来たのか、健太郎の方を見るでもなく
 「ね〜 健さん」 「この場所に来ると、学生時代のことを想い出し、こんなことお聞きするなんて、少しおかしいかも知れませんが・・」
 「私、さっき、考えた末、いま、お話をしなければ、もう、健さんと二人きりで、この様なことを  語り合う機会も訪れないと考え、お話する気になったのですけれども、どうしても聞いて欲しいの」
 それは、健太郎が危惧していたこととは違い
 「高校生最後の夏、この石碑のところで、今日とは反対に、私が健さんに手を引かれて、この崖にあがったこと」「覚えていらっしゃる」
 「そして、その時、私が初めて手編みした、小豆色の毛糸のネクタイをプレゼントしたことを・・」
と、記憶を辿りながら、彼が予期もしない、遠い昔のことを懐かしそうに語り出した。
 
 健太郎は紫煙をくゆらせながら、続いて何事を話し出すのかと黙って聞いていたが、それにしても、細かいことをよく記憶しているものだなぁと感心して、話に聞き入りながら、当時、独身で駆け出し田舎教師であった、わが身の、その当時の姿を重ねて想いだしていた。
 然し、彼にしては、なにしろ、あまりにも遠い過ぎ去りしことは、断片的にしか脳裏に浮かんでこなく、即座に返事することに記憶が追いつかず答えに窮したが、その中でも、彼女から尋ねられたことについては、全く記憶になく
 「う〜ん、そのころ、あなたのお父さんの晩酌の相手をさせられ、よくお酒をご馳走になったことがあったな〜」
 「そして、農業問題で議論したことがあり、農業には疎いので、随分と勉強になったよ」
 「そして、何よりも家族的に親切にされたことが嬉しく、今でも強く記憶にのこっているわ」
と、思いつくままに答えた。更に、節子さんのことについては、課外授業でこの枝折峠に来たことや、吹奏楽の部活で楽しく練習したこと等、記憶に残っていることを、話ながら思い出したことを付け足して話した。
 けれども、尋ねられたネクタイのこととは別に、鮮やかに記憶に残っていることがあった。
 それは、彼女の手を何の感情も無く強く握って、崖の上に引き上げた時に感じた、柔らかい手の感触を。
 握った直後、心の中で、一瞬、身体に電流が流れたかの様な、心が揺さぶれた強烈な衝動。
 彼が23歳にして、その時、生まれて初めて異性に対する心の高鳴りを覚えた印象は、今となっては流石に歳が邪魔して素直に返事をする気になれなかった。

 彼女は、少しがっかりした表情で、自分が意図する返事が返ってこないことが不満らしく
 「ふ〜ん、そのようなことがあったの」「私、全然、記憶に残っていないゎ〜」
 「もし、健さんが、わたしが高校を卒業するまで家に下宿しておられたら、おそらく、私の運命も大きく変わっていたかも知れなゎ」
 「わたし、今でもそんな現実的でないことを考え、時々、夢みたいなことが心をかすめるの」
 「その頃、わたしが漠然と勝手に描いていた夢が実現していれば、少なくても、生涯独身なんてゆう、世間に対する強がりも、骨破微塵に砕けていたわネ!」
と、大部飛躍した人生論を展開したあと、健太郎の顔を見つめ、黒い瞳を輝かせて、はっきりとした言葉で、「女性は・・」
と、自分の歩みし過去を回想するかのように、30歳ころ、職場で医師から望まれて、お見合いをしたが、なんとなく気が乗らず、また、身分が違いすぎると考えて、出会いも自然と消極的になり、結局、話が纏まらず、その後は、恋愛らしきこともなく、ひたすら、勉強と仕事に追われて、今にいたった身の上話などを、小声で訴える様に簡潔に話している時、健太郎の携帯電話が鳴り、話は中断してしまった。 
    

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山里のうた (2)

2012年04月27日 05時49分41秒 | Weblog

 枝折峠の頂上付近は、松や雑木林に周囲を囲まれ雑草が生えた平地で、峠の下方を見ると、なだらかな棚田や畑の先には、防風林超しに青い穏やかな海が見え、その彼方には佐渡が霞んで望める。背後には標高2.000m級の霊峰飯豊山が遠くに眺望できる、この地方では名の知れた憩の場所である。

 丘の中ほどに建つ石碑の前で、健太郎と節子さんが並んで腰を降ろし、青空にポツカリ浮かんで、ゆつくりと流れる白い雲を眺めていると、いつの間にか、海岸に面した崖の方に行っていた節子さんから 
 「先生 アッ!健さん」「来て、きてぇ〜!」「海岸線に沿つた渚がキラキラト光って見えるわ〜」
と、明るい声で手招きしたので、健太郎はゆっくりと彼女の方に歩いて行った。
 彼女は、眩しいのか手を額にあてて、崖の淵の樹木の小枝の近くで、白い薄での長袖ブラウスに黒のスラックスのいかにも彼女らしい清潔感あふれる服装で、不思議そうに景色を眺めていた。 なるほど、春の柔らかい日差しに照らされて見える海岸線は、時々、キラキラと輝いて見え、海岸線に沿って走る列車もマツチ箱のように小さく、まるで箱庭を眺めているかの様な、音も無く、のどかな絵のように美しい景色であった。 
 
 彼等は、石碑に戻り、健太郎がタバコをくゆらすと、彼女も足を横崩しにして腰を降ろし、彼の右肩付近に頬を摺り寄せ、少女が甘える様な仕草で囁くように小声で声で「ね〜、私にも一本ご馳走してぇ〜」と、彼の顔を覗き見して悪戯っぽく催促するので、彼は意外なことに少し驚いて、「君、タバコをたしなむの?」と聞いたところ、「う〜ん、昔、外科の手術室にいたころストレス解消にと同僚に誘われ吸いましたが、2〜3年位で外科を離れるころ自然にやめてしまいましたの」と、経緯を説明したあと
 「健さんが、おいしそうに吸う姿を見ていて、私もなんだか悪戯してみたくなつたの」
と、茶目けたっぷりに言うので、箱とライターを渡すと、細い器用そうな白い指でタバコを取り出すと火をつけ、品良く鼻筋の整った鼻から紫煙を澄んだ空気に漂わせ、満足そうに「これ軽いのね」と、再び、今度は背中と後頭部を健太郎の右肩にもたれて、遠くの山並みに目を奪われているようだった。
 彼は見るともなく彼女の横顔に目をやったら、毛先を綺麗にカールされた黒い艶のある髪に、やはり、それなりに苦労を重ねたのであろう象徴としての銀髪が少し混じつていたが、襟足は綺麗に手入れしてあり、白い襟首が上品な色香を感じさせた。

 暫くして座りなおすと、「あらいやだ〜、健さん重かったでしょう」と、言いながら石碑の前に行き、「私、卒業の年、健さんに引率されてクラスの人達と、ここにきたとき以来、この石碑が頭に残り、職場での山岳旅行や一人旅で各地の名所で色々な石碑をみたり、時には気分が落ち込んだりしたようなときに、思い出すことがありましたが、・・」「是って、なんの目的で建立されているの?」と、難しいことを聞いてきたので、健太郎は、薄れた記憶を整理して、雑学的に覚えていることを要領よく説明した。

 その概要は、日本に佛教が伝来する以前は雑蜜といつて、大山・白山同様に、出羽三山も北越後から羽越を経て奥羽一帯を中心に山岳信仰の中心地で、鎌倉時代以後に佛教が隆盛を極めると
 羽黒山は、大日如来を本尊として祀り、人々は現世利益を祈願し
 月山は、地蔵菩薩を本尊として祀り、祖先の霊を供養し、死後の安寧を祈り
 湯殿山は、弥勒菩薩を本尊として祀り、死後の輪廻転生、再生を祈願し
江戸時代まで、その信仰が続いたが、明治維新の廃佛希釈で、本尊様は麓の大き寺院に移され、難しい名前の神々を祀るようになり、今日に至るが、その名残りとゆうのか、羽黒神社の入り口付近では、山伏姿の修行者をみかけるが、請えば歴史的な説明を教えてくれるらしい。
 この峠の石碑を初め、近郷の大きい裕福な村には大きい石に湯殿山と刻字した石碑を目にすることがあるが、過去に参詣した人或いは病弱のため参詣できない人のため、村の有志が建立したときいている。
 今では、半ば観光地化されて羽黒神社前まで車で行けるが、車のない時代、人々が草鞋履きで握り飯を背に幾日もかけて参詣し、実際、羽黒神社の入り口前の苔むした急な杉木立に覆われた石段の前にただずむと厳かな気分になる。
 ついでに,よけいな話しだが、寺院の参道に六っ並んだお地蔵様をみることがあるでしょう、あれは六体地蔵と称して、人の心の変遷をわかり易い言葉で、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天となぞらえて表現したもので、佛教すなわち先人の生活の知恵の素晴らしさが伺える。 
 佛教では、我々が学んで知り得たことは知識といい、仏=先人の知恵と知識を区別しているが、般若を知恵と解釈するように。
 概略、おぼつかない雑学で返答したが、黙って聞いていた彼女がどのように理解したかは知るよしもない。健太郎は、あまり真剣に聞いて欲しくないとも思つた。

 こんな話しを終えると、一呼吸おいて、彼女は「それにしても、昔の人は偉いもんだわね」「こんな大きな石をどのようにして、ここまで運んだのでしょうね」と、理数を好む彼女らしく、鋭い疑問を投げかけて来たので返答に窮し、大阪城の石垣を積むくらいだからな〜」と、答えにならないことでお茶を濁しておいた。 こんな素朴な質問をするところに、やはり、物理が好きな子であつたことを思い出した。

 このような他愛のない話をしたあと、彼女は、突然、彼に背を向けて俯き、手にした草花を揺らせながら
 「あのね〜 健さん」「私、いま、お話を聞いていて、思いだしたのですけれど・・」「健さんに、お尋ねたいことがあるんですけれど・・」「迷惑かしら」
と、一寸、躊躇っているように言い出したので、なにか、彼女は人に言えない悩みでもあるのかなと思い、「君さえ良ければ、私、聞いても差し支えないが」と返答すると、再び、彼に向き合い、何かを懐かしんで回想している様な表情で、恥ずかしそうに小声で話し始めた。 
 小声で話す内容を聞いていて、健太郎は、遠い昔に誘いこまれてゆくような、なんともいえない妙に切ない思いに駆られた。

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