ラッパと三味線

葉野ドリンキング和樹

2017年こそブレイク必至のリズムネタだぞっ

アオダモ植樹のセレモニーを執り行う際の注意事項

2017年03月21日 | 雑感
 球春遠からじ! 春分の日をつつがなくすごしたら、プロ野球開幕まであとわずか。今年は第4回WBCが行われており、野球熱が例年より早く高まっている紳士淑女も多いことだろう。そこで今回は、オールスター戦、日本シリーズなどの試合開始前に粛々と執り行われるアオダモ植樹のセレモニーについてレクチャーしたい。夏のオールスター戦や秋の日本シリーズのことなのに何を急にと思われるかもしれないが、人生はどう転ぶかわからない。夢はでっかくプロ野球選手を目指している学生諸君、NPB日本プロ野球機構の職員ひいては理事にならないとも限らない就活中の学生諸君、いや! そこの気を抜いている奥様もいつアオダモ植樹のセレモニーに関わるかもしれないのだから、いまのうちに学習しておかない手はないのです。それが人生の相場というものなのだから仕方がないのです。
 かくいう筆者も、プロ野球とは無縁の生活を送っている。テレヴィの前で観る専門であり、プロ野球側からの関わりは一切ナッシング。アオダモ植樹のセレモニーを球場で実際に目の当たりにした機会はないし、テレヴィのダイジェストで数秒お目にかかった程度なので、これからレクチャーすることは全部想像であることはお断りしたい。だが、やる。

◇アオダモ植樹のセレモニーとは

 まずはじめに、そもそもアオダモ植樹のセレモニーってなあにと思っているボーイズ&ガールズも多数いらっしゃることだろう。そうあわてなさんな。たっぷり教えてあげますよ、想像だけど。
 アオダモとはバットの原材料となる木のことである。アオダモのほかにもメープルやホワイトアッシュという種類の木もバットの原材料に使われる。馬鹿にしないでほしい、木製バットの種類は知識としてばっちし頭に入っている。では、なぜメープルやホワイトアッシュの植樹セレモニーはないのに、アオダモだけはあるのかだ。それはたぶん、ほかに比べて生育が遅いとか自然界で本数が少ないからなんじゃないかなー。
 そのアオダモの苗木を植える会が、前述したとおりイヴェント性の高い試合の前に行われるのだ。

◇用意するもの

 地球は何もない宇宙からビッグバンが起こって誕生したわけだが、アオダモ植樹のセレモニーは何もないところからは何もはじめられない。日本プロ野球機構の職員になった際、何を用意すればよいかいまから考えておきたい。
・アオダモの苗木が入った鉢
 本日の主役。造園店か野球用品のメーカーに発注すれば届くような気がする。
・園芸用の土が入ったバケツ
 苗木に土を盛る、当世風にいえば盛り土するのだから必須。これも造園店か野球用品のメーカーについでに発注すれば届くような気がする。
・シャベル
 盛り土用。大地に植えるわけではないので、スコップではなくハンディーなシャベルでよい。このぐらいなら自分でホームセンターに走ってもよいのでは。
・水が入ったじょうろ
 植物も人間と同じく水が必要。じょうろであれば球場のどこかにあるのでは。ちょっと考えればわかることだが、ラッキィ池田のじょうろは×。

・それらを置く台
 書きそびれていたが、上記のものは3個ずつ用意しなくてはならない。両軍の選手各1名あるいは主催チームの選手2名と、後述するがお偉方のおじさんの計3名によって植樹されるのだ。それ相応の幅のある台を用意されたし。さっきからだけどこれも想像だが、ロッカーにある折りたたみテーブルに白い布でも覆えば見栄えするかと思う。選手ロッカーか審判ロッカーかは各自の判断で。

◇諸々の配置

 目立ってかつ違和感なく想像の場所に配したい。
・置き台
 どこに置いてもかまわないわけではない。ベンチ前やバックネット際など捕ったか捕ってないかわからないファールフライの位置に置いても誰も見えやしないのだ。かといって、いちばん注目が集まる場所はピッチャーマウンドではあるのだが、坂になっていて足場が不安定すぎる。では、バッターボックスではとなると、せっかく線を引いたのにまた線を引き直さねばならない。最適な場所はピッチャーマウンドとバッターボックスの間であることは、ちょっと考えればわかることだ。マウンドのプレートからホームベースまで18.44メートル、その間となると9.22メートルだ。元野球部をナメるなよ、プレートからホームの距離なんざ基礎中の基礎知識だよ。うん、念のため調べたけど。
・選手2名
 置き台の後ろに立ってもらおう。後ろといってもセカンドベースや外野のセンターの位置ではない。その選手が独特な距離感を持っている人間であれば、ほどよいところに呼び戻そう。
・お偉方のおじさん
 選手2名の間にスーツを着たおじさんがいる。きっと偉い人だ。素性はわからないが、その日いちばん偉い人にご参加願おう。
・マスコットガール
 選手やおじさんにとって一生に一度あるかどうかわからない、このセレモニーの現場を誘導する大事な役目だ。盛り土したり水をやったりのサポートに甲斐甲斐しく動いてもらおう。独特な距離感を持っている選手を呼び戻すのもこの人の役目だ。

◇ふさわしい表情

 将来どの立場でセレモニーに列席するか心構えをしてほしい。
・選手
 生命を宿すのだから神妙な面持ちでアオダモへの感謝を表しつつ、未来の野球界への希望をスポーツマンらしく明るくさわやかに振る舞おう。その段取りにいちいち「え? え?」とキョトン顔はしないこと。
・お偉方のおじさん
 何かの発展に尽力をなされたダイナミックさをアオダモにも注ぎ込むような大らかさで。まあ、いつもどおりでお願いします。こういう舞台は慣れてるでしょうし。
・マスコットガール
 きみが笑えば解決することばかりさ(星野源)。

◇式次第

 結局、アオダモ植樹のセレモニーって何をするのか知っておくのが最重要ポイントである。いままでのことは忘れてもらってもよいが、恥を掻かないためにもこれだけはおさえておきたい。
・シャベルで盛り土する
・じょうろで水をやる
・一礼する
マスコットガールの誘導とウグイス嬢のアナウンスに沿ってやる


 以上が私からのアオダモ植樹のセレモニーのレクチャーだ。ここでわかっておいてよかったと思っていただければ幸いである。年に2度ぐらいしかないほんの数分間のことだが、みなさんの将来に大いに役立ててもらいたい。
 アオダモ植樹のセレモニーが粛々と執り行われれば、次は始球式と移るのだが、それはまたべつの機会にでも……。

諸説あり

2017年03月03日 | 雑感
 ここに、一本のヴィデオ・テープがある。夏の甲子園出場をめざすひとりの高校球児を取材した、ローカル放送局のニュース番組が録画されたものだ。野球選手としては小柄ながら強打のスラッガーとしてチームを牽引している、というのがおおまかな内容だ。身長160センチにして四番打者を任されるというのは、かなりめずらしい。レギュラーを張るだけでも、困難を極めることだ。その点をクローズ・アップして「小さな大打者いざ甲子園へ」との3分間の特集が組まれたのだ。
 私がこれから言及するのは、その内容についてではない。インタヴューに答える彼の言葉に耳を澄ませてもらいたい。

「身長を意識することは、えー、まあ、ほぼほぼないですね」

 強打を誇る主砲の座とは裏腹に、物静かな印象を与える坊主頭の高校3年生が朴訥と語る「ほぼほぼ」。その言葉自体の良し悪しについてはヨソで大いにやっていただくとして、1997年のことである。1997年当時にはまったく普及も浸透もしていなかった「ほぼほぼ」という言葉が、彼の口からポッと出たのだ。
 検証しよう。

■VTRが改ざんされた説

 このスポーツのコーナーを担当していた女性アナウンサーは、現在では市議会議員を務めている。略歴を調べればすぐにわかることだが、このニュース番組でスポーツを担当していたのは1997年4月から1998年3月までの1年間のみだ。往時の彼女が映り込んでいるインタヴューが確たる証拠、時はまさに1997年なのである。したがって、このテープには劣化が見られる。保管庫に眠るマスター・テープではなく、家庭用のVHSテープなのだ。「ほぼほぼ」の部分に細工を施すのは無理が生じる。映像も音声も鮮明になってしまうからだ。これも解析をすればすぐにわかることだろう。そして、その解析は無用であることはおわかりいただけるかと思う。

■「ほぼ」を言いよどんでいた説

 まったく言いよどんではいないことは、みなさんも納得するところであろう。現代の人間が発する「ほぼほぼ」と同じイントネーションで語られている。言いよどんでいると主張する者がいるとすれば、極度のアマノジャクか、耳が腐っているので耳鼻科へ通院することをおすすめする。

■方言説

 はっきりと言い切るが、その地方において「ほぼほぼ」という言葉の方言はない。なぜ言い切れるか。私は、彼と同じ地方の人間だからだ。

■1997年でも案外言っていた説

 平成生まれのヤングたちは当時のことをこう思うだろう。「そもそも、いまいまじゃなくても案外ほぼほぼって言ってたんじゃないの~?」と。私が昭和生まれを代表してお答えしよう。言ってねえよ、と。
 1997年に「ほぼほぼ」は本当に誰も言っていない。少し考えていただきたい、いつごろ言われはじめたか。そう、ほんのつい最近のことだ。

 ここで、1997年がどんな年だったのか、ざっと振り返ってみたい。
 羽の生えたランドセルを背負い、顔にシール、原色を多用したアクセサリーを過剰なまでに身に着ける等々といった「シノラー」と呼ばれるファッションが大流行したのが、この1997年と言ってよいだろう。高校野球に目を転じれば、平成の怪物・松坂大輔を擁する横浜高校が夏の甲子園を制する1年前が1997年だ。
 では、どこが優勝したのか。少なくとも、彼の高校ではない。なぜなら、地方大会準々決勝で敗退したからだ。地方の強豪校ではあるものの、青春の汗と涙の対価はベスト8が最高であるのが伝統であるかのようだ。
 検証に戻ろう。

■ほかの言葉と言いまちがえた説

 では、逆に問いたい。何を言おうとして「ほぼほぼ」になるのか。もしこれが真実であれば「彼の脳の伝達が腐っている説」を唱えねばならない。

■彼の脳の伝達が腐っている説

 特集の主旨が変わってくる。「脳の伝達が腐っても……いざ甲子園へ」として撮り直さねばならない。

■さして「ほぼほぼ」に意味はなく言ってみた説

 彼が「ほぼほぼ」と発する直前に「えー、まあ」とクッションを置いているのだ。満を持して意味のない言葉を発するだろうか。

■意味のない「ほぼほぼ」を言ってみてと恋人に言われた説

 ブラウン管越しに送る彼女へのサインが「ほぼほぼ」だったとすればうなずける側面はあるが、彼は童貞だ。目を見ればわかる。

■志村けん死亡説

 志村が死んだとのショッキングなささやきが日本列島を駆け巡ったのは、改めて調べてみると1996年の9月ごろとのこと。しかし、その3年前に私の住む地域では志村けん死亡説が流布された。彼の通っていた中学校にも死亡説が流れたかについては不明である。

■LOVE論

 シャ乱Qのメンバーでモーニング娘。のプロデューサーであったつんくがペンを執った、女性にまつわる論文集。2000年1月発刊。飽きてきてます?

 彼のプロフィールを紹介しよう。
 野球選手としての彼は、右投右打の二塁手。身長160センチの体重60キロ。身長を意識することは「ほぼほぼない」。チームを信頼し、相手を尊重してプレイすることが信条だと言う。
 高校3年生としての彼はこうだ。好きな食べものは焼き肉。好きな女性芸能人は広末涼子、当時としては王道中の王道だ。趣味や特技は「とくにない」。周囲の人物の証言では、芯の強い寡黙で真面目な性格であるそうだ。
 その後の進路については不明。これが彼のすべてである。
 一体、彼は何者なのか。

■未来人説

 1997年に「ほぼほぼ」という未来の言葉を発することのできる人間は、未来からやってきた人間しかいない。そう、これが真実なのだ。現代から20世紀末へ舞い降りた人間、つまり彼は未来人であると断言する。彼の背景からは何も見えてはこないことは認める。野球に打ち込む高校3年生であるだけだ。しかし、彼の好きな広末涼子は、キャンドル・ジュンと再婚をした広末涼子を投影したMajiでKoiする5秒前の広末涼子であるのだ。

 単なるストーリーテラーの私がなぜこうも言い切れるのか。そういった疑問符が頭の上に浮かんでいることでしょう。一体、なぜなのか。
 それは、未来の言葉「ももんが」と言い残しておくことにしよう。



※諸説あります。
※このコラムはフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がございません。