詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

2005年7月・8月号 あじくりげ 味のかくし味 「私のプロジェクトX」

2017-07-31 23:54:07 | 日記
成田の街に夏の到来を告げる「成田祇園祭」は、七月上旬の週末の三日間に行われる。成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である「奥の院大日如来」の祭礼「成田山祇園会」に併せて開催される二百八十年以上続く祭りである。初日の神輿渡御に始まって、三日間にわたり各町内自慢の十台の山車と屋台が街中をくまなく巡行する。外国人観光客も含め多くの見物人を集める成田最大のイベントだ。

同じ頃、空港近くのホテルではバーベキューの戦いが始まり熱気に包まれる。どのホテルも広い芝生の庭を利用してバ-ベキューのコンロが内臓されたテーブルを並べ、肉や魚介類や野菜ばかりでなく、色々な料理やデザートがビュッフェの形式で用意され、お客様は好きなものを自由に選んで食べ放題なのである。飲み物も生ビールのディスペンサーとグラスを冷やす冷蔵庫が難題も置かれ、お客様は機械の受け皿にグラスをセットしボタンを押すだけでジョッキを満たす生ビールが注がれる仕掛けである。

飲み物もソフトドリンクから、ワイン、焼酎、カクテルまで飲み放題である。ただし全部がセルフサービス。だから料金はどこも四千円前後(2017年現在 6,000円~5,500円)で格安の設定になっている。野外なので蒸し暑いし、肉を焼く煙がもうもうとして快適な環境とはいい難いのだが、開放感のある中庭というロケーションが最高で、何を食べても美味しく感じられてしまうから不思議だ。お天気次第の夏季限定の営業だが、ちょっとしたレストランの四か月分の売り上げを二か月足らずで稼ぎ出す。

もちろん最初からこんなに大当たりする企画だったわけではない。バブルが弾けた頃、別館の新築工事が完成し芝生の中庭が出現した。敷地の向こう側にはお隣の敷地の雑木林が借景として広がり、プールも併設されリゾートホテルの気分である。その年は夏だけ営業するバーベキューの責任者を任されたのだが、そのホテルも夏は庭でビアガーデンとして細々と昔ながらのバーバキューの営業をしていた。

その翌年、当時の社長のアイディアで全く違ったバーベキューの営業をすることになった。彼の頭の中にはすっかりプランが出来上がっているようである。それを実現させるのがこちらの仕事だ。数々の企画を次々に打ち出し成功したものもあるが失敗したものもある。何もしなければ何も変わらない。それでも八十席から二百席への規模の拡大は無謀だと思った。

「いいか南フランスだからな」と全体のコンセプトを社長は語りだした。高級ホテルの写真集で見た南仏のリゾートホテルの赤いテント屋根と緑色の柱を中庭に再現するのだという。それがバーベキューとどう関係ある?というのが正直な感想だった。やがてデザイナーが社長のイメージを基にデザイン画を描き、大規模な工事は業者に任せたが、街灯や看板は器用な施設部の部長が全部手作りした。開業の一か月前は、毎日のように社長と施設部長と三人で近くのホームセンターにでかけた。なにしろ予算がない。最後は連日の徹夜作業となった。

本当にお客様が料理や飲み物を自分で運んでくれるかどうか半信半疑だった。食べ放題の焼肉バイキングと同じ発想なのだが、それをホテル流にお洒落にアレンジしようしたのが社長の大胆な考えである。一旦店名が決まってチラシまで作ったのに「ジャルダン・セリーナ」とフランス風に変わった。働くアルバイトの制服もこだわりにこだわってなかなか決まらない。社長のヒラメキのたびに右往左往させられるのだからたまらない。本当に開店できるのか頭の中はパニック状態になった。

開店の日になっても決まらないことがいっぱいあった。不安の中での見切り発車である。思い通りにならないことも多かったが、初日から驚くほどの大盛況だった。周囲のホテルが見学に来て、翌年からはどのホテルも真似をした。

初日の営業が終わって、よほどカッカしていたのが社長にも判ったのかプールに呼び出された。「泳いでもいいぞ」深夜のプールには誰もいない・もちろん水着など持っていなかったが、迷うことなく素っ裸になって泳ぎ始めた。水の中はとっても気持ちがいい。準備は大変だったが、どんな細部にも絶対妥協しないしなければ本当にお客様に喜ばれる良いものができる。悔しいけれど真実だ。泳ぎ続けるうちに冷静になっていった。絶対に成功させてやるのだという力が湧いてきた。

オペラ座&ロイヤル バレエ・スプリーム Bプロ 2017年3月30日 文京シビックホール

2017-07-30 17:22:39 | 日記
毎年夏になると有名バレエ団のスターを集めたグループ公演が行われる。3年に一度の世界バレエフェスティバルを別にすれば、音楽の音源は録音、舞台装置もほぼ無し。あとは出演メンバーと演目にいかに知恵を絞るかというのが勝負となる。

今年の一番の注目は、日本舞台芸術振興会主催の『バレエ・スプリーム』だったよう。日本出身ながらパリオペラ座バレエ団のプルミエール・ダンスーズ、権威あるブノア賞を受賞したオニール八菜。エトワールに昇格したばかりの若手三人、ユーゴ・マルシャン、レオノール・ボラック、ジェルマン・ルーヴェ。人気のミリアム・ウルド=ブラームスとマチアス・エイマンのオペラ座組。

人気のスティーヴン・マックレーとヤーナ・サレンコ。プリンシパルの高田茜、フランコ・ボネッリ、フランチェスカ・ヘイワードらの英国組が同じ舞台に立つというのが人気だったのだろう。

第1部はパリオペラ座が3演目、第2部はロイヤルバレエが4演目。最後が合同で『眠れる森の美女』のソリストが踊る部分の名場面集といった構成。

第3部は結論から言えば、全く愚劣な演目だったとしか言いようがない。音源が録音で一応時系列に並べてはあるものの繋ぎ方が滅茶苦茶で、チャイコフスキーの音楽を聴くのに苦痛を感じてしまった。衣裳の好み、様式もバラバラで耐えられないレベルだった。

ダンサーに純粋なフランス人を集めて様式美を追求するパリオペラ座と国際的に多彩なダンサーを集める英国ロイヤルバレエでは、ダンサーの統一感もないし、振付の妙味もほとんど感じる事ができなくて残念。

そうした中にあって、パ・ド・ドゥの中の王子のヴァリエーションを踊ったパリオペラ座のマチアス・エイマンはヌレエフを想起させるような端正な踊りが際立っていて、バレエを観る喜びで満たしてくれた。ヌレエフが得意とした演目で、舞台を一周二周。回転しながら止まると足は5番のポジションに決め、何事もなかったかのように微笑む。大袈裟なポーズも封印して奥床しい。

バレエに何を求めているかで観客の反応が違っていたように思う。超絶技巧を次々に披露すればいいのかという想いがある。スポーツを観るような爽快感はあっても感動はないのではないか。スタンディングオベーションで大騒ぎの客席の中で暗然とした気持ちになった。

五反田のゆうぽうとホールが無くなってしまい、オペラカーテンのない会場に中割れ幕を持ち込んだらしい主催者には拍手を。

以下に各演目の寸評。

『グラン・パ・クラシック』オニール八菜とユーゴ・マルシャン。優美なバレエを観た。美しい人が美しく踊るのだから当然といえば当然。シンプルな舞台なのに豊かな世界が広がった。日本にルーツを持つダンサーがパリオペラ座バレエ団の最高位に登りつめる夢は夢でないのかも。

『ロミオとジュリエット』第1幕パ・ド・ドゥ。レオノール・ボラックとジェルマン・ルーヴェ。ヌレエフ振付だけあって超絶技巧と演技力が求めらるが若い二人は見事に表現。二人の気持ちがひとつになっていく過程、口づけを交わすまでに昇華されていく愛の姿を見事に表現した。

『チャイコフスキー・パ・ドゥ』ミリアム・ウルム=ブラームとマチアス・エイマン。バランシン振付の有名な作品で色々な組み合わせを観てきたが、エイマンのヴァリエーションは今までで最高。技術に走ることなく振付を忠実に表現すれば別次元のバレエになる事を証明。凄かった。

『真夏の夜の夢』。高田茜とベンジャミン・エラ。アシュトン振付。シェイクスピアの国のバレエらしい演目。音楽の優美さに比べて振付はスピーディーなのが面白い。ちょっと皮肉な部分もあって如何にも英国らしい味わい。日本とオーストラリア出身のダンサーが踊るのも英国的。

『タランテラ』 フランチェスカ・ヘイワードとマルセリーノ・サンベ。バランシン振付。陽気で楽しいバレエを体現したダンサー。踊る喜びが全身から溢れでるようだった。ロイヤルバレエの多様性を示す存在でもあると実感。あらゆる国の踊り手を受け入れることは素晴らしい。

『白鳥の湖』第2幕パ・ド・ドゥ。金子扶生とフランコ・ボネッリ。イワーノフ振付。お祭り騒ぎのような演目に挟まれて気の毒な面も。金子は容姿に恵まれていて成長が楽しみなダンサー。ボネッリはサポートに終始していて、その佇まいだけで勝負だった。絵に描いたような王子。

『ドン・キホーテ』ヤーナ・サレンコとスティーブ・マックレー。ほぼ英国雑技団?バランス、回転、跳躍に次々と超絶技巧を投入。それが嫌味にならないのは二人が紛れもないスターだから。真夏の猛暑の中、深く考えないで楽しんでくださいという姿勢が潔い。文句のつけようなし。

『眠れる森の美女』ディヴェルティスマン。ソリストが入れ替わり立ち替わり登場して踊りまくる名場面集。音楽はフィギアスケート?と思うくらいぶった斬りで滅茶苦茶。何が面白いのか意味不明。そんな中にあってマティアス・エイマンの王子ヴァリエーションが素晴らしかった。


ばらの騎士 東京二期会 東京文化会館 2017年7月29日(土)

2017-07-29 18:27:01 | 日記
開幕と同時に元帥夫人が全裸で「ヴィーナスの誕生」みたいなポーズでシャワーを浴びているという身も蓋もない場面からスタート。『水戸黄門』の由美かおるの入浴シーンみたい(笑)

歌舞伎の人間国宝の坂田藤十郎が20歳の舞妓と ホテルで密会。舞妓を部屋から見送るときバスローブ姿で 舞妓にむけて御開帳したのが週刊誌に載ったことがあったけれど、元帥夫人もオクタヴィアンに向かって御開帳という場面も。

オペラ全体がエロ全開。高校生の団体が入っていたけれど、こんなの見せていいんだろうか?と少々心配になるような演出でした。小ネタ、クスグリ、情報量が非常に詰め込まれていて笑える仕掛けが満載。会場で初めてお会いした天野さんの「グラインドボーン音楽祭」だからという言葉に納得。

グラインドボーン音楽祭といえば、タキシードやイブニングドレスに身を包んだ紳士や淑女たちが開演前や幕間に庭でピクニックやアフタヌーンティーを楽しむのが恒例。それは都会のオペラハウスと違って、肩のこらない、それでいて実験的な演出になるのも納得でした。

風変わりなようでいて、オペラの描く世界から大きく逸脱しないのが、演出したリチャード・ジョーンズの優れたところだと思いました。舞台装置や照明には細部まで工夫が凝らされているし、オクタヴィアンの女装姿は元帥夫人との同性愛のようにも見えるし、一筋縄ではいかない仕掛けが満載でした。

指揮者のセバスチャン・ヴァイグレはニューヨークのメトロポリタン歌劇場で『ばらの騎士』を指揮したばかりで自家薬籠中の物。出だしは不安があったけれど、尻上がりに素晴らしい演奏になったと思います。

ゾフィーの寺田浩子は中音域が好みじゃなかったけれど、元帥夫人の林正子、オックス男爵の妻屋秀和、オクタヴィアンの小林由佳が健闘していたと思います。個人的にはファーニナルの加賀清孝が元気な姿を見せてくれたのが嬉しかったです。

少年が演じる事の多いモハメッド役は文学座のランディ・ジャクソンが演じて、元帥夫人に心を寄せる召使いというこの演出の肝を達者に演じていた。黒人の演劇青年らしい。

全篇を通じて最も感動したのは、第3幕の三重唱から。どのような演出がされていたとしても、この部分の至高の音楽が毀損される事はない。今日告別式のあった日野原重明先生は『音楽の癒しのちから』という本に次のように書かれています。



たとえば、私はあなたが好きです。愛していますという気持ちを相手に伝えるのに、手紙を書くとか、あるいは甘く囁くといったことでなされます。私たちがその時に、言葉を用いて、自分の気持ちを完全に伝えることができるようであったならば、音楽などなくてもよかったのです。音楽というものは、言葉ではかなえられないコミュニケーションを、人と人との間に結ぶことができます。


あの美しい三重唱は、今回も激しく心を揺さぶってくれました。音楽がこれまで歩んできた人生に語りかけ、幸福だった記憶を蘇らせてくれたからだと思いました。指揮者や演奏者、歌手が力を合わせることによって、作曲者が意図した音楽世界を伝えようとする。それを聴いて喜んだり、感謝したり、涙を流したり、音楽が持つ偉大な力を実感させてくれた上演でした。


ジェシー・ノーマンのアメージング・グレイス

2017-07-28 19:41:52 | 日記
ソプラノ歌手のジェシー・ノーマンは、声量、声質、表現力なにをとっても超一流。その歌唱を聴けば、必ず一生ものの感動に出会うことができる歌手。巨体ゆえモノオペラという一人芝居のオペラ以外には、なかなか出演しない歌手だったけれど、歌曲、オペラ、黒人霊歌と何を歌っても素晴らしい。最近の来日はないが、その何もかも包み込むような歌声を一度でも聴いたならば、その人の人生を変えてしまうような力があった。

オーチャードホールで2002年11月19日に行われたソプラノ歌手 ジェシー・ノーマンのリサイタルのことである。友人のA君と出かけたのだが、最終公演ということもあり、最後は聴衆全員がスタンディングオベーション。予定していたアンコール曲もなくなってしまうほどアンコールを何回も繰り返し、それでも去りがたい聴衆に向かって歌ってくれたのが、『アメージング・グレイス』。伴奏ピアニストは登場しないで、ジェシー・ノーマン自らがピアノを弾いて歌ってくれました。

そして、聴衆にも歌ってと手振りを。もちろん大多数の聴衆は英語で歌える訳もないので、ハミングで歌ったのだけれど、その美しい歌声とジェシー・ノーマンの温かい心に打たれて、しばらく涙が止まらなかった。もちろん友人のA君も泣いていた。ジェシー・ノーマンを聴いての感動ももちろんだけれど、同じ音楽を聴いてA君と感動を分かち合えたことに深く感動しました。

先日亡くなられた日野原先生が応援していた韓国人オペラ歌手ベー・チェチョルさんの映画『ザ・テノール 真実の物語』の最後には、観客が「アメージング・グレイス」を唱和する場面があって主人公を勇気づけます。映画と同じような場面を経験した者からすると、あれはけっして絵空事ではないのです。本当にあった真実の物語なのです。




15年前 ニュルンベルクのマイスタージンガー

2017-07-27 19:46:55 | 日記
初マイスタージンガーは、1988年のバイエルン国立劇場の来日公演でした。サヴァリッシュの指揮、ヴァイクル、コロ、プライ、シュライヤー、ポップ、モルらの名歌手がズラリと揃った特別な公演でした。長時間の舞台に備え、友人と開演前に土佐料理のお店で、ニンニクがタップリ乗ったカツオのタタキをいっぱい食べてからNHKホールに向かいました。たぶん周囲のお客様は、そのニンニクの臭いに閉口したことと思います。ごめんなさい。

一番心に残っている思い出は、2002年7月27日(土)二期会の公演です。その公演の夜のことは一生忘れません。不可能が可能になった奇跡の一夜でした。畑中良輔先生に初めてお目にかかった日でした。それまで何度も劇場でお見かけしていたのですが、日本声楽界の重鎮にして、音楽評論家、新国立劇場の初代芸術監督。まさに雲の上の存在でした。

その年のベルリン国立歌劇場の『ニーベルングの指環』で、たまたま席が隣同士ということで親しくなったA君。今から15年前の今日は、東京文化会館で二期会公演ワーグナー作曲の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でも一緒になりました。そして休憩時間に意外なことを告げられたのです。クラシックの演奏会に熱心に通ううちに知り合いになった畑中良輔先生から終演後に食事に誘われたというのです。

そして次の瞬間に僕の口から飛び出した言葉。
「僕もお供していいか、頼んでくれないかなあ」
全く面識もなく、図々しいにもほどがある願いだったのですが、例によってここでお願いしなければ一生後悔するという強い想いがあって、A君に無理矢理聞いてもらいました。
そして、どこの馬の骨かもわからない僕も食事に連れて行っていただけることになりました。

本当の愛を知った瞬間から、目に映るもの耳に聞こえるもの、今までと何ひとつ変わっていないのに、ひどく新鮮に感じたことがありませんか?まさしくマイスタージンガーの第三幕の冒頭はそんな感じでした。生まれ変わったかのように新しい人生を歩み出そうとしている…。そんな不思議な感覚にとらわれました。
 
そして聞こえてきた第三幕の前奏曲。どうしても第一幕の前奏曲が有名なのですが、ワーグナーはこんなにも美しく心に染みる音楽を書いていたのですね。成就するはずのない恋を胸に秘め続けてきた僕には、そこに表現されているザックスの心情と重なって、熱くこみあげてくるものを押さえることが出来ませんでした。という訳で第三幕は2時間近くズッと泣きっぱなしでした。まさかマイスタージンガーで泣けるとは思いませんでした。このワーグナーという人、とてつもない名曲を人類に遺してくれたものだと思います。

終演後、タクシーの後部座席に畑中先生をはさんでA君と僕が両脇に座りました。角を曲がるたびに先生の身体が傾いてきます。押し返すわけにもいかず、車内で小さくなっていました。たぶん代官山あたりのファッションビルの地下にあるイタリヤ料理かフランス料理のお店。緊張してしまってどこへ行ったのか、何を食べたのか全く覚えていないのです。

ずっと憧れていた畑中良輔先生と一緒に食事をしているという事実が信じられませんでした。先生のお話は面白く、今日のオペラでも歌手が客席に降りて、観客の前の通路を横切る演出があったのですが、先生は歌手が着ているマントを掴んで離さないで困らせてやったと、いたずら小僧のような無邪気さでお話になるのでした。偉い人なのに、初対面の僕とも打ち解けて話してくださった優しい先生。

すっかり畑中先生のファンになってしまい先生の書かれた本を片っ端から集めました。作家の堀 辰雄とも交流のあった先生。先生が若い時に影響を受けたという小説「聖家族」の冒頭、「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。」は、親しい友人を看取ったばかりの自分の置かれていた立場とも重なって忘れられない言葉となりました。

音楽評論家の畑中先生はオペラの初日にお出かけになるので、それを狙ってオペラの初日にストーカーみたいに張り込んだりしました。そしてある時、自分が書いた歌舞伎劇評が掲載された雑誌を思い切って手渡しました。なんと大胆な。でも、そうせざるを得ない強い気持ちがあったのです。

それを読まれた先生から長文のお手紙を頂戴しました。その後の短かったけれど充実した文筆生活のどれだけ励みになったかわかりません。先生専用の原稿用紙に書かれた手紙は今も僕の宝物です。あれから15年です。