成田の街に夏の到来を告げる「成田祇園祭」は、七月上旬の週末の三日間に行われる。成田山新勝寺のご本尊「不動明王」の本地仏である「奥の院大日如来」の祭礼「成田山祇園会」に併せて開催される二百八十年以上続く祭りである。初日の神輿渡御に始まって、三日間にわたり各町内自慢の十台の山車と屋台が街中をくまなく巡行する。外国人観光客も含め多くの見物人を集める成田最大のイベントだ。
同じ頃、空港近くのホテルではバーベキューの戦いが始まり熱気に包まれる。どのホテルも広い芝生の庭を利用してバ-ベキューのコンロが内臓されたテーブルを並べ、肉や魚介類や野菜ばかりでなく、色々な料理やデザートがビュッフェの形式で用意され、お客様は好きなものを自由に選んで食べ放題なのである。飲み物も生ビールのディスペンサーとグラスを冷やす冷蔵庫が難題も置かれ、お客様は機械の受け皿にグラスをセットしボタンを押すだけでジョッキを満たす生ビールが注がれる仕掛けである。
飲み物もソフトドリンクから、ワイン、焼酎、カクテルまで飲み放題である。ただし全部がセルフサービス。だから料金はどこも四千円前後(2017年現在 6,000円~5,500円)で格安の設定になっている。野外なので蒸し暑いし、肉を焼く煙がもうもうとして快適な環境とはいい難いのだが、開放感のある中庭というロケーションが最高で、何を食べても美味しく感じられてしまうから不思議だ。お天気次第の夏季限定の営業だが、ちょっとしたレストランの四か月分の売り上げを二か月足らずで稼ぎ出す。
もちろん最初からこんなに大当たりする企画だったわけではない。バブルが弾けた頃、別館の新築工事が完成し芝生の中庭が出現した。敷地の向こう側にはお隣の敷地の雑木林が借景として広がり、プールも併設されリゾートホテルの気分である。その年は夏だけ営業するバーベキューの責任者を任されたのだが、そのホテルも夏は庭でビアガーデンとして細々と昔ながらのバーバキューの営業をしていた。
その翌年、当時の社長のアイディアで全く違ったバーベキューの営業をすることになった。彼の頭の中にはすっかりプランが出来上がっているようである。それを実現させるのがこちらの仕事だ。数々の企画を次々に打ち出し成功したものもあるが失敗したものもある。何もしなければ何も変わらない。それでも八十席から二百席への規模の拡大は無謀だと思った。
「いいか南フランスだからな」と全体のコンセプトを社長は語りだした。高級ホテルの写真集で見た南仏のリゾートホテルの赤いテント屋根と緑色の柱を中庭に再現するのだという。それがバーベキューとどう関係ある?というのが正直な感想だった。やがてデザイナーが社長のイメージを基にデザイン画を描き、大規模な工事は業者に任せたが、街灯や看板は器用な施設部の部長が全部手作りした。開業の一か月前は、毎日のように社長と施設部長と三人で近くのホームセンターにでかけた。なにしろ予算がない。最後は連日の徹夜作業となった。
本当にお客様が料理や飲み物を自分で運んでくれるかどうか半信半疑だった。食べ放題の焼肉バイキングと同じ発想なのだが、それをホテル流にお洒落にアレンジしようしたのが社長の大胆な考えである。一旦店名が決まってチラシまで作ったのに「ジャルダン・セリーナ」とフランス風に変わった。働くアルバイトの制服もこだわりにこだわってなかなか決まらない。社長のヒラメキのたびに右往左往させられるのだからたまらない。本当に開店できるのか頭の中はパニック状態になった。
開店の日になっても決まらないことがいっぱいあった。不安の中での見切り発車である。思い通りにならないことも多かったが、初日から驚くほどの大盛況だった。周囲のホテルが見学に来て、翌年からはどのホテルも真似をした。
初日の営業が終わって、よほどカッカしていたのが社長にも判ったのかプールに呼び出された。「泳いでもいいぞ」深夜のプールには誰もいない・もちろん水着など持っていなかったが、迷うことなく素っ裸になって泳ぎ始めた。水の中はとっても気持ちがいい。準備は大変だったが、どんな細部にも絶対妥協しないしなければ本当にお客様に喜ばれる良いものができる。悔しいけれど真実だ。泳ぎ続けるうちに冷静になっていった。絶対に成功させてやるのだという力が湧いてきた。
同じ頃、空港近くのホテルではバーベキューの戦いが始まり熱気に包まれる。どのホテルも広い芝生の庭を利用してバ-ベキューのコンロが内臓されたテーブルを並べ、肉や魚介類や野菜ばかりでなく、色々な料理やデザートがビュッフェの形式で用意され、お客様は好きなものを自由に選んで食べ放題なのである。飲み物も生ビールのディスペンサーとグラスを冷やす冷蔵庫が難題も置かれ、お客様は機械の受け皿にグラスをセットしボタンを押すだけでジョッキを満たす生ビールが注がれる仕掛けである。
飲み物もソフトドリンクから、ワイン、焼酎、カクテルまで飲み放題である。ただし全部がセルフサービス。だから料金はどこも四千円前後(2017年現在 6,000円~5,500円)で格安の設定になっている。野外なので蒸し暑いし、肉を焼く煙がもうもうとして快適な環境とはいい難いのだが、開放感のある中庭というロケーションが最高で、何を食べても美味しく感じられてしまうから不思議だ。お天気次第の夏季限定の営業だが、ちょっとしたレストランの四か月分の売り上げを二か月足らずで稼ぎ出す。
もちろん最初からこんなに大当たりする企画だったわけではない。バブルが弾けた頃、別館の新築工事が完成し芝生の中庭が出現した。敷地の向こう側にはお隣の敷地の雑木林が借景として広がり、プールも併設されリゾートホテルの気分である。その年は夏だけ営業するバーベキューの責任者を任されたのだが、そのホテルも夏は庭でビアガーデンとして細々と昔ながらのバーバキューの営業をしていた。
その翌年、当時の社長のアイディアで全く違ったバーベキューの営業をすることになった。彼の頭の中にはすっかりプランが出来上がっているようである。それを実現させるのがこちらの仕事だ。数々の企画を次々に打ち出し成功したものもあるが失敗したものもある。何もしなければ何も変わらない。それでも八十席から二百席への規模の拡大は無謀だと思った。
「いいか南フランスだからな」と全体のコンセプトを社長は語りだした。高級ホテルの写真集で見た南仏のリゾートホテルの赤いテント屋根と緑色の柱を中庭に再現するのだという。それがバーベキューとどう関係ある?というのが正直な感想だった。やがてデザイナーが社長のイメージを基にデザイン画を描き、大規模な工事は業者に任せたが、街灯や看板は器用な施設部の部長が全部手作りした。開業の一か月前は、毎日のように社長と施設部長と三人で近くのホームセンターにでかけた。なにしろ予算がない。最後は連日の徹夜作業となった。
本当にお客様が料理や飲み物を自分で運んでくれるかどうか半信半疑だった。食べ放題の焼肉バイキングと同じ発想なのだが、それをホテル流にお洒落にアレンジしようしたのが社長の大胆な考えである。一旦店名が決まってチラシまで作ったのに「ジャルダン・セリーナ」とフランス風に変わった。働くアルバイトの制服もこだわりにこだわってなかなか決まらない。社長のヒラメキのたびに右往左往させられるのだからたまらない。本当に開店できるのか頭の中はパニック状態になった。
開店の日になっても決まらないことがいっぱいあった。不安の中での見切り発車である。思い通りにならないことも多かったが、初日から驚くほどの大盛況だった。周囲のホテルが見学に来て、翌年からはどのホテルも真似をした。
初日の営業が終わって、よほどカッカしていたのが社長にも判ったのかプールに呼び出された。「泳いでもいいぞ」深夜のプールには誰もいない・もちろん水着など持っていなかったが、迷うことなく素っ裸になって泳ぎ始めた。水の中はとっても気持ちがいい。準備は大変だったが、どんな細部にも絶対妥協しないしなければ本当にお客様に喜ばれる良いものができる。悔しいけれど真実だ。泳ぎ続けるうちに冷静になっていった。絶対に成功させてやるのだという力が湧いてきた。