詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

追悼 日野原重明先生

2017-07-18 19:05:36 | 日記
『日々の祈り』という本がある。著者はJ.H.ジョエット。翻訳は日野原善輔。今日105歳でお亡くなりになった日野原重明氏の父である日野原善輔牧師は、イギリスの大説教者ジョエットの祈りに心を寄せ、愛読してやまなかった。神の業への賛美、種々の職業にある人への祈りなど、キリスト教につらなる人々の信仰を時代や空間を超えて養い育てていく、日々の祈りには毎日ごとに366篇が収められている。「朝ごとに神との対話を豊かにする」と帯にあるとおりクリスチャンの愛読者が多い本である。

2012年5月に亡くなられた畑中良輔先生に「東日本大震災の時にどこにおられましたか」と聞いたことがある。
「日野原重明先生と対談するために中国料理のレストランへ行ったのだけれど、地震のために先生は来られなくて、仕方がないから食事だけいただいて帰ったの。車が全然動かなくて大変だった」
お二人は「音楽」について対談する予定だったらしい。実現していたら何を話されたのか興味深い。

日野原重明先生をお見かけしたのは、東京オペラシティ・コンサートホールで行われた「奇跡のテノール ベー・チェチョル コンサート」の会場だった。甲状腺ガンと診断され手術の末に声を失った韓国人オペラ歌手ベー・チェチョルさんの復活までの映画『ザ・テノール 真実の物語』が公開され、2006年に日本で声帯機能回復手術を行った一色信彦先生(京都大学名誉教授)とコンサートのプロデュースをされた日野原重明先生が揃って舞台に立たれた。

その時のことを以下のようにかつて書いた。

今日は12月21日の洗礼後、初めての劇場である。どうやって過すか考えた。映画『ザ・テノール 真実の物語』のモデルとなった「奇跡のテノール ベー・チェチョル コンサート」は受洗の前に買ってあった。そのコンサートの前にある映画を観ることにしてWEB予約を前日にしておいた。ところが、朝目覚めると上映開始の2時間前なのである。今から支度して上京しても間に合いそうにない。コンサート前の映画は断念した。寝坊するなどないのに珍しいことである。目覚ましもセットしてあったのに。

気を取り直してコンサート後に映画を2本観ることにした。日本で公開は珍しいキリスト教をテーマとした映画『神は死んだのか』と『天国は、ほんとうにある』である。コンサートの終了後にタクシー移動すれば間に合わない時間と距離ではない。今日は一日、神様を賛美する日と決めた。偶然にも映画『神は死んだのか』の前には不良牧師のアーサー・ホランドさんのトークショーがあった!

絶対に寝坊するはずがないのに、誰が寝坊するように計らってくれたのか。ようやく気がついたのはコンサートのアンコールになってからである。神様は、受洗後の最初の劇場を「奇跡のテノール ベー・チェチョル コンサート」にしようとご計画されたのだと思った。アンコールの最初は石川啄木:作詞、越谷達之助:作曲の「初恋」。日本歌曲の名作で大好きで、何度も聴いたことのある名曲である。そして賛美歌としても歌われる「アメイジング・グレイス」。手術を受けて回復したとはいえ、全盛期にはほど遠いコンディションの中、全く声を失ったオペラ歌手が、奇跡の復活をとげステージに立つ。「アメイジング・グレイス」を歌うのにこれほどふさわしい歌手はいないのである。映画でも感動的に歌われたが、もう最初から最後で祈りながら聴いた。そうか神様は、この曲を聴かせたかったのかと思うと泣けて泣けて仕方がなかった。

最後は、聖路加国際病院名誉院長である日野原重明さんが登壇され、先生が作詞作曲された「愛のうた」がアカペラで歌われた。103歳の先生は、歌っているベー・チェチョルの隣に杖を手に立たれて聴いていた。思えば、初めてベー・チェチョルの存在を知ったのも朝日新聞の土曜に連載されている先生のコラムだったと思う。そして毎日読んでいる「日々の祈り」の訳者は日野原先生の父である日野原善輔さんである。不思議な力を感じないわけにはいかなかった。

コンサートの最初は、ヴォイス・ファクトリイ株式会社の代表取締役 輪嶋東太郎氏。映画の伊勢谷友介のモデルになった人物で、背は高いしハンサムで、芸術にかける意気込みも伝わってきて好印象。病気のこと手術のことなどを紹介して、京都から駆けつけた声帯の手術を執刀した京都大学一色信彦名誉教授も登壇して手術のこと、ゲネプロでの様子などが語られた。

肝心の歌の方は、さすがに再起不能といわれながら、不屈の精神でステージに上がるまでの努力をしただけあって「奇跡のテノール」の名に恥じない歌唱だったと思う。確かに奇跡なのであるが完全回復ではないことをも思い知らせられる結果ともなった。発病前はリリコ・スピントで「オテロ」も歌おうかという声質だったらしいが、充実した中高音を武器に歌い上げ、高音域はファルセットで柔らかく歌えるものを選曲したようだった。それでも声楽的な破綻は隠しようもなかった。彼の奇跡の物語を知っているものにとっては、少々の瑕など全く問題にならないものだと思った。さすがにオペラ歌手として舞台へ復帰は、現状では無理のようだが、さらに努力を重ねれば夢ではないような気にさえなってきた。そのベー・チェチョルさんを支えたのが、ピアニストの松崎充代で、ともに音楽を創り上げようとする気概に満ちたピアノで大いに楽しませてもらった。

どうも佐村河内守以来、音楽とは別のサイドストーリーで聴衆を惑わせようとしているのではと疑ってかかっているのだが、ベー・チェチョルさんは神様のご計画によって、この世の人々に音楽を通じてキリストの愛を伝えようとしている本物の芸術家だと思った。受洗後初めてのコンサートがベー・チェチョルさんであったことを心から神様に感謝いたします。  

2014年12月27日(土) 14:00開演
東京オペラシティ・コンサートホール

『彼の歌を聴くことは神の栄光をみることです』と日野原重明は語られている。
天の御国に凱旋された日野原重明先生をしのび祈りを捧げます。