詩はここにある(櫻井洋司の観劇日記)

日々、観た舞台の感想。ときにはエッセイなども。

鯛の鯛

2017-07-20 20:08:46 | 日記
鯛の鯛(たいのたい)は、硬骨魚類の骨の一部で、姿が鯛に似た部位のことだそうです。この風変りな形をした骨、古くは江戸時代の書物の中にも「鯛中鯛」として紹介されているとか。縁起担ぎの作り物ではなくて遠い昔の江戸時代から目出度い鯛の中の鯛として縁起物としても大変重宝がられた自然が生んだ縁起物です。お守りとしてまた財布に入れておくと金が貯まるなどの金運アップ効果があると言われているそうです。もちろん鯛だけではなく、他の魚にも同じような形状の骨はありますが、鯛は別格として扱われています。

初めてその名を教えてくれたのは、高校の演劇部の先輩で女形になったIさんでした。文化祭で自作のカツラと衣裳で「滝の白糸」の水芸をやってしまうような、ちょっと風変わりな人物でした。ある劇団に入って女形を修業。結局廃業してしまうのですが、舞台の度に食事に誘っていました。ある時、出てきた鯛の兜煮を器用に食べ取り出して教えてくれたのが「鯛の鯛」でした。「縁起物でも、はかないものですよ」と指先でプチッとつぶしてしまいました。なんだか幸運も一緒につぶしてしまったように思います。なかなか女形として目が出なかったのも、細やかな神経に欠けていたからかもしれません。

鯛の兜煮や兜焼きから「鯛の鯛」は何度もみつけています。一番思い出深いのは、京都の南禅寺近くの料亭で食べたものでした。1981年(昭和56年)9月のことです。京都南座を初めて訪れたときのことです。亡くなった辰之助と先代雀右衛門の顔合わせで『名月八幡祭』や延若の『まかしょ』、雀右衛門の『藤娘』などが上演されていたと思います。九月といえども暑い京都。日中の暑さを避けるようにして宿泊していたホテルから予約を入れて、半熟の玉子と朝粥が有名な料亭に昼を食べにいきました。もちろん自分のお金で行くことなどできません。何も知らない田舎者に、ご馳走してくれた奇特な方がいたのです。

通されたのは離れのようになった静かな茶室風の部屋。手軽な弁当でも御馳走になるのかと思っていたら本格的な懐石料理でした。こちらは忙しい合間に3分で飯を食えみたいな職場にいる若造です。何とも場違いな場所に案内されてしまったような居心地の悪さがありました。不思議なことに料理が進むにつれて寛ぐことができたばかりでなく、話もはずみ、また黙って庭を長い間見つめたり、なんとも贅沢な時間を過ごしました。

焼き物として運ばれてきたのは「鯛の兜焼」。一流の料亭だけあって、美味しいのはもちろんですが「鯛」の面構えが普通と違うように思いました。美味しいのは目玉の周辺。柔らかくてなんとも言えない味でした。そして「鯛の鯛」の見事だったこと。他の料理は忘れてしまっても今まで見た中で一番立派な「鯛の鯛」だったことは覚えています。丁寧に包んでしばらく自宅の机の引き出し入れておいたのですが、いつの間にかなくなっていました。それで幸福は逃げていってしまったのかもしれません。その時、ご馳走してくださった方も17年前に亡くなってしまいました。

「鯛の兜」を食べる機会が減ってしまって「鯛の鯛」にめぐり逢う機会も減ってしまいました。珍しく今月のはじめに「鯛の兜煮」を食べました。「鯛の鯛」も発掘。幾つめの「鯛の鯛」だったのでしょうか。縁起物だの金運アップなど、今は全く信じていないのですが、それでも見つけると嬉しい、壊さずにうまく取れるとさらに嬉しい。そして誰かに教えたくなってしまうのです。
「鯛」から出てきた「鯛」の形をした骨。やっぱり面白い、不思議だ。

「鯛」は自分の中に「鯛」があるなんて知らないで海を泳いでいる。人間は?人間の中に人間はいるのかな?「人間の人間」。「男」は?男の中に男はいるだろうか。「男の中の男」はいるかもしれない。