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高岡大仏・高岡古城公園・射水神社

2017-06-22 21:55:33 | 富山
2017年6月19日、2泊3日の富山・石川観光で、宇奈月温泉・杉乃井ホテルに宿泊し、2日目です。宇奈月温泉から高岡市に移動し、瑞龍寺、前田利長公墓所と繁久寺をお参りしました。移動し、高岡大仏です。
大仏寺
『浄土宗の寺院で鳳徳山、奈良、鎌倉につぐ日本3大仏「高岡大仏」は、前田利長公が高岡城築城の折りに、現在地に移転された。幾多の焼失により、不燃の大仏の鋳造をと、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて昭和8年(1933)に完成された。すべて地元の手による大仏は、銅器日本一のまち高岡の象徴です。総高15.85m、重量65トン。』
高岡駅から北に300mのところです。拝観用無料駐車場があります。拝観料はいりませんが、志納です。
高岡市大手町11-29
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高岡大仏(高岡市指定文化財)
「高岡大仏は、坂下町極楽寺第十五世等誉上人が大仏建立を誓い、延享2年(1745)、木造金色の仏像を建立したのが始まりである。しかし、その像は文政4年(1821)に焼失、その後天保12年(1841)に再興されたが、これもまた明治33年(1900)の大火で焼失した。現在の大仏は、篤信家の松木宗左衛門が大仏の再建を発願し、明治40年(1907)に造営事業が着手された。その後、中川原町の萩布宗四郎らの協力により、20有余年の歳月を経て昭和8年(1933)に全工程を完了、5月に開眼式が行われた。」











銅燈籠

鐘楼

時鐘(高岡市指定文化財)
「江戸時代にはまだ時計が普及していなかったので、町民に時刻を知らせる必要があった。それは規則的な生活を営み、共同生活の秩序を保ち、生産の能率を上げ災害を防止する上にも重要であった。当時の高岡町奉行寺島蔵人は時鐘の鋳造を計画し藩の許可をえたところ、金屋町に前田利長以来の藩の厚い保護に報いるためその鋳造を願い出て文化元年(1804)に出来上がった。そうして9月11日午前6時から二番町会所でつきはじめたが、間もなく割目が生じて改鋳にせまられた。坂下町の鍋屋仁左衛門は、高岡鋳造の名声を傷つけたことを悲しみ、自ら多額の金品を寄付し、浄財を集め工人を督励などして文化3年(1806)7月には遂に見事な大鐘を完成した。これがこの時鐘で、口径120cm、厚18cm、高さ197cm、重量2250kg、この鐘の東南西北の鏡面に皆川淇園の筆になる銘が刻まれている。」



本堂









次は高岡古城公園に移動します。こちらも無料駐車場があります。
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公園案内図







































射水神社、公園内にあります。



由緒書
「創始は太古のことで年代は不祥ですが、創建は千三百年余り前の奈良時代以前とされています。社伝によれば、養老年間、僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座といわれ、その後、承平、天正の二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年(1610)、加賀藩主・前田利家公により復興。」



結婚式のようです。

手水舎

拝殿













社務所





公園を出て、山町筋、金屋町に行きます。
本丸橋



駐春橋




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